第68話 東棟の火事の鎮火
「けほっ、けほっ、はあ、はあ……」
寝室の窓を開けた美雨は少しでも新鮮な空気を吸おうと呼吸を繰り返す。
既に寝室には煙が充満して目が染みるし喉も痛い。
それでも自分は生き残るためにここから脱出しなければならない。
自分が女王になるために、そして愛する光主のために。
「美雨ぅーっ!!」
その時、美雨の耳に光主の声が聞こえた。
美雨が窓の下を見下ろすとそこには光主の姿が見える。
(光主様! 意識が戻られたのね!)
火事の炎によって自分の命が危険に晒されている現状であっても光主が無事に目を覚ましてくれた事実に美雨の胸に安堵感が広がる。
「美雨! そこから飛び降りろ! 俺が受け止めるから!」
切羽詰まった光主の声に美雨は現実に引き戻された。
この火事から逃れるためには光主の言う通りこの三階から飛び降りるしかない。
(光主様は私を受け止めると言ってくださっているけれどそれだと光主様もケガするんじゃないかしら)
もちろん自分が助かりたい気持ちは強いがそのために光主にケガを負わせることはしたくない。
ただでさえ「雷神降ろしの儀式」で雷神をその身に宿したばかりで光主の身体は疲弊しているはずだ。
美雨がためらっていると再び光主の声が下から聞こえる。
「美雨! 俺を信じろ! 女王が自分の王配を信じないでどうする!」
(自分の……王配を信じる……)
光主の言葉が美雨のためらう心に突き刺さる。
自分は光主を光の王配に選ぶと決めた。
女王と王配たちは誰よりも強い絆と愛で結ばれるもの。
美雨が光主を信じずに誰が光主のことを信じるというのか。
スウッと息をひとつ吸い込むと美雨は窓枠に足をかけた。
(私は光主様を信じる!)
「飛べ! 美雨!」
そのまま美雨は窓の外へと飛び出した。
自分の身体が落下していくのを感じる。
(光主様ぁーっ!!)
その瞬間、光主の身体から白い小さな雷光が迸った。
白い雷光は落下する美雨の身体を包み込み美雨の落下する速さが僅かに緩やかになる。
美雨は自分を包む白い雷光から仄かな温かさを感じた。
本来、雷光というものは人を傷つけるモノのはずなのにその白い雷光は美雨を優しく護るかのようだ。
ドスンという軽い衝撃があったと思ったら美雨は光主の腕にしっかりと受け止められていた。
「美雨! 無事で良かった! ケガはないか?」
「ごほっ、こ、光主……す、少しだけ、喉が…けほっ!」
「煙で喉をやられたのかもしれないな。このまま医務室に運んでやるから安心しろ」
光主は美雨を優しく横抱きにして医務室に向かう。
(光主様に抱かれているとホッとする……)
命が助かったことと光主が目覚めて再び自分のそばにいてくれる安心感で美雨はそっと瞼を閉じる。
「美雨……もう、怖いことはない。少し眠れ」
優しい光主の声が耳元で聞こえ額に柔らかいモノが触れた。
それが光主の唇だと気付いた美雨は羞恥心に襲われたが緊張感を解かれた美雨の身体には強烈な睡魔が襲いかかり美雨は眠りに落ちてしまった。
医務室に行き医師に美雨を託すと光主はすぐに火事の現場へと戻る。
騒いでいた美雨の従者に美雨は医務室にいることを伝えると従者たちは慌てて医務室に向かって行く。
火事はまだ東棟の三階部分を中心に延焼中だ。
これ以上、炎が広がれば東棟全体が燃えてしまう。
光主は再び建物の外に出る。
「雷神降ろしの儀式」を行う時は嵐だったが雷神が光主の身体に宿ってからは空に雲はひとつもない状態になり月が輝いていた。
スッと片手を夜空に向かって伸ばすと光主は自分の霊力と雷神の力を解放する。
光主の身体が白い雷光に包まれ地面から空へと雷光が放たれた。
するとみるみる夜空に黒い雲が現れてどしゃぶりの雨が降ってきた。
しかもその雨は太陽神殿の東棟の上にのみ激しく降り注ぐ。
「おおっ! 雨だ!」
「火事の火が消えていくぞ!」
突然の雨に騒ぐ神官たちの声が遠くから聞こえる。
(これで火事は収まる。だがどうして火事になどなったのか……?)
火事が鎮火していくのを見つめながら光主が火事の原因について考えを巡らせていると光主のそばに澄光がやって来た。
「この雨はお前に宿る雷神の力か?」
「ええ。嵐を起こすのは雷神の得意分野ですからね。それを局地的なモノにしているのは俺の霊力です」
「その人知を超えた力はこの国にとって利益になるのか脅威になるのか。もしかするとここでお前を殺すことがこの国のためになるのかもしれぬな」
静かな声で自分の息子を殺した方がいいかもしれないと物騒なことを言う光族の族長に光主は苦笑する。
「父上の、いえ、族長の言う通りかもしれませんね。その言葉を否定はしません。ですがもう手遅れだ。貴方では俺を殺すことはできない」
雷神をその身に宿し事実上光族の最強の人物になった光主を殺すことは族長の澄光の力をもってしても困難なことだ。
そのことを澄光が分からないはずはない。
「そうだな。お前を生かすことも殺すこともできる人物はただひとりしかおらんな」
「そうですよ。美雨だけが俺を生かすことも殺すこともできるんです。だから今回の火事の原因は詳細に調査をお願いします。美雨を危険な目に合わせる一族として俺が光族を敵視しないで済むようにね」
「火事は故意に起こったものだと思っているのか? しかも犯人が光族の者だとでも?」
「さて、調査をしないとなんとも言えませんが美雨は一度事故に見せかけて襲われている事実があるんです。だからよろしくお願いします。俺は美雨のそばについていてあげたいのでこれで失礼します」
火事の炎が完全に消えたのを確認して光主が手を降ろすと東棟に降り注いでいた雨も止み黒い雲も空から消え再び月が顔を出す。
医務室に向かう光主の後ろ姿を見送りながら澄光は呟く。
「かつてこの国には神の力を持った六人の王配が存在したと古い伝説にあったがまさか自分の息子も神の力を持つ男になるとは思わなかったな。果たして神の力を持つ男の出現はこの国に吉をもたらすか凶をもたらすか。全ては次代の女王の意志で決まるか……」
夜空に浮かんだ月はこの国の行く末を静かに見守るように優しく光っていた。




