第142話 水の都への帰還
「ルヴァさん。お世話になりました」
「気を付けて帰りなよ、美雨さん、氷室さん」
水の都に向かう定期船に乗り込むところでルヴァにお礼を言った美雨たちにルヴァは笑顔で見送ってくれる。
定期船が出るまでの三日間で氷室の体調が回復するか気になっていた美雨だったが隣りに立つ氷室の様子はフォルン島に来る前と変わらない。
正確には海龍神を宿したので大きな変化があったはずだが氷室はその変化を微塵も表に出していなかった。
初日こそ氷室の身体に触れると感じられた海龍神と思われる霊力の塊の力も今は感じ取れない。
どうやら僅か三日の内に氷室は海龍神の力を制御したようだ。
それでも昨日氷室に訊いたところによると「まだ完璧には制御できていません」とのことだったが。
(私でさえ感じ取れないぐらいだから普通の人は氷室様が海龍神を宿しているなんて気が付かないわよね)
フォルン島から水の都に向かう定期船には他にも島民が乗っているが誰も氷室の霊力の存在に気付いていない。
もし気付いていたら島民から敵視される可能性もあるのでこのまま気付かれずに水の都まで無事に帰れることを美雨は祈った。
「美雨。船に乗りましょう。もうすぐ出港です」
「はい、氷室」
二人が船に乗り込むと船は水の都に向けて出港した。
今日は天気も良く順調に行けば今日中には水の都へ帰れるはずだ。
(定期船が出るまでに三日経ってしまったからみんな心配してるわよね。特に光主は……)
光主には必ず氷室と二人で戻ると約束しているがきっと美雨たちの行方が分からなくなり心配しているに違いない。
そのことを思うと光主に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
「どうかしましたか? 美雨。船酔いでも……?」
心配しているであろう光主のことを思い顔を俯けた美雨に氷室が心配そうに声をかけてくる。
(いけないいけない。氷室様にも心配されちゃダメよね)
慌てて美雨は顔を上げて氷室を見た。
「いえ、水の都では光主たちが心配してるだろうなと思って。思いがけず帰るのに時間がかかってしまったので」
「そうですね。今回の件は私の見込みが甘かった結果です。美雨に余計な心労をかけてしまい申し訳ありません」
「氷室のせいではないです。目的は果たせたし私も氷室も無事なのですからみんなも許してくれるでしょう」
美雨は物事を前向きに考えることにする。
海龍神殿に向かうと決断した時点で予測不可能なことが起こるかもしれないことは覚悟していたのだ。
それは光主だって分かっていたはずだろう。
船は大海原を進んでいく。
美雨が女王になったら再び船から海を見る機会があるか分からないので美雨はしっかりと美しい海の姿を記憶にとどめておくことにした。
やがて船は水の都に着いた。
三日しか水の都を離れていなかったのに懐かしく感じてしまう。
氷室の手を借りて美雨は船を降りた。
すると美雨の耳に男性の声が聞こえる。
「美雨っ!」
その声の方を見るとそこには光主が立っていた。
「光主っ! なぜ港に光主がいるのですか?」
美雨たちがフォルン島の定期船に乗って帰って来ることは誰も知らないはずなのになぜ光主がここにいるのか。
驚きに目を瞠る美雨と氷室のもとに光主が近付いてきた。
「美雨の気配が海から近付いて来てるのを感じて来たん……」
キイイィィーーンッ!!
その瞬間、氷室と光主の間の空間が音を上げて震える。
まるで見えない衝撃波がぶつかり合ったような音だ。
『…っ!』
美雨も光主も氷室も思わず動きを止め息を呑む。
だがその音は三人以外には聞こえなかったようで周囲の者たちは平然と行動していた。
(今のは何なの……? 頭が痺れるような鋭い耳鳴りのような音がしたけど……)
「なるほどな。氷室は目的を果たしたのか。海龍神の力がこれほどとは……俺の雷神と同等の神か……」
「まったく予想外です。貴方に宿る雷神の力を見くびっていましたよ……」
光主も氷室もお互いに視線を交わしながら二人とも不敵な笑みを浮かべた。
二人の男たちには何が起こったか分かってるらしい。
「あ、あの、光主、氷室、今の鋭い耳鳴りのような音が何か知ってるのですか……?」
「今のは俺の中の雷神と氷室の中の海龍神がお互いの存在を感知して反応を起こした音だ」
美雨の問いかけに光主が答えてくれる。
どうやら二つの神が接近したために起こった現象らしい。
(雷神と海龍神がお互いを感知して反応したというのは神同士が敵だとでも認識したのかしら? 雷神と海龍神の仲が悪いのは困るわ!)
これから海龍神が宿った氷室を自分の水の王配に指名する予定の美雨は焦ってしまう。
雷神を宿す光主がすでに光の王配に決定しているのでもし雷神と海龍神の仲が悪いなら氷室を水の王配に選べなくなってしまうからだ。
神同士がケンカを始めたらとんでもないことになる。
そんな不安が顔に出ていたのか氷室が僅かに苦笑しながら優しい声を美雨にかけた。
「美雨を不安にさせてしまったようですね。大丈夫ですよ、美雨が考えているようなことは起こりません。雷神と海龍神が戦うようなことはありませんから安心してください」
「本当ですか? 氷室」
「氷室の言う通りだ、美雨。今のは俺も氷室もお互いに自分が宿している神の力を制御する力が僅かに乱れたから起こった現象だ。俺も他の神に会ったのが初めてだったから油断した。それに氷室も海龍神を宿してまだ時間が経ってないから制御が不十分だっただけの話だ。そうだろ? 氷室」
「ええ、私も油断しました。でももう大丈夫です。その証拠に今は雷神や海龍神の存在を感じないでしょう? 美雨」
氷室に言われて美雨は二人の男の様子を見る。
確かに二人からは宿っている神の霊力の塊の気配がしない。
これならば二人が神を宿していることを常人は気付かないだろう。
それどころか光主自身や氷室自身の霊力も制御されているようで今の状態でこの二人が王配候補者だと言っても信じない人間も出てきそうなくらいに霊力が抑えられている。
「確かに今は何も二人から感じないわ。まるで二人とも霊力を持たない人間みたい」
そんな感想を思わず漏らすと二人の男たちは意味深な笑みを浮かべる。
「私たちが普通の民と同じような気配ならこれから先の王配選びの旅に同行しても問題ないでしょう? 美雨」
「え? 私たちって……ひ、氷室も王配選びの旅に同行するのですか!?」
「光主が同行するのに私が同行してはいけないことはないはずです。それとも美雨は私とは一緒にいたくないのですか?」
「…っ!」
まるで捨てられる子犬のように悲し気な瞳で氷室は美雨を見つめる。
(それは私も氷室様と一緒にいたいけど……本当にいいのかしら……? でも光主様がすでに旅に同行してるんだから今更と言えば今更よね)
「わ、私も氷室と一緒に旅をしたいです」
「それなら決定ですね。王配選びの旅は期間が決まっているので早く族長に私と美雨の婚約を報告して私が美雨の正式な水の王配になりしだい旅に出ましょう」
氷室は嬉しそうに微笑む。
しかしその会話を聞いていた光主は苦い顔になる。
「氷室もついてくるのか。俺と美雨の邪魔をするなよ、氷室」
「それは私のセリフです。貴方こそ私と美雨の邪魔をしないでくださいね、光主」
美雨のことになると光主も氷室も一歩も引く気はないようだ。
(雷神と海龍神がケンカをしなくてもその力を持つ光主様と氷室様がケンカしたら同じくらい危険なことよね。気を付けないと)
「光主も氷室も私と一緒に旅に同行したいならケンカはしないでくださいね。ケンカをしたら二人とも置いて私だけで旅を続けますから!」
強い口調で美雨が二人に宣言すると今にもケンカをしそうな気配だった二人の男の動きがピタリと止まる。
「すまない、美雨。氷室と本気でケンカはしないから俺を見捨てないでくれ」
「美雨、申し訳ありません。私も光主と本気でケンカをしないと美雨に誓いますので私を見捨てないでください」
大の大人の男性に縋りつくように謝られるとまるで美雨が悪人のような気分になってしまう。
「分かりました。光主と氷室が仲良くしてくれれば私はお二人のことを見捨てたりしません。では族長の海羽様に会いに行きましょう」
まずは氷室を正式に水の王配に指名しなければ次の部族に向かう旅には出られない。
美雨は先陣を切って水の族長の屋敷に向けて歩き出した。
美雨に従うように続く二人の男たちは美雨に聞こえない小さな声でやり取りする。
「うまく美雨を誤魔化せたが、氷室。お前はまだ完全に海龍神の力を制御できていないようだな。俺の雷神の力で海龍神の力を押さえていられるうちに早く制御できるようになれ」
「その点については貴方に感謝します、光主。美雨のために手に入れた神の力で美雨を傷つけるなど本末転倒ですからね」
先ほど神同士の力が反発した時に暴れ出しそうになった海龍神の力を光主が雷神の力で強引に氷室の中に押さえ込んだのだ。
ほんの一瞬の出来事だったから何が起こったのか美雨には分からなかっただろう。
だが早く氷室自身が海龍神の力を制御できなければ海龍神の力が自分を押さえ込む雷神の力を跳ね飛ばすことは確実だ。
雷神が海龍神の力を押さえ込めたのは単に海龍神も人の身に宿り力を解放するのに手間取っただけでけして海龍神より雷神の力が上ということではない。
(光主に助けられたのは癪ですが海龍神の力を暴走させるわけにはいかなかったので仕方ありません。それにしても神の力とはこんなにも強大なモノだとは……)
氷室は小さく溜め息を吐きながら己の精神力と霊力で海龍神の力を制御する。
再び海龍神の力の主導権が氷室に戻ってきた。
「やればできるじゃないか、氷室。さすが俺が認めただけある男だな」
「必ず水族を出発するまでには完璧に制御できるようにしますよ。もう雷神の力はいりません」
氷室がそう言うと光主は海龍神の力を押さえ込んでいた雷神の力を消す。
光主はすでに雷神の力を我が物のように使えるようだ。
(私も早くこの男のようにならないと本当の意味での水の王配にはなれませんね。必ず完璧な水の王配になってみせます。全ては美雨と共にあるために)
氷室の空色の瞳に強い決意の光が宿った。




