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怪物狩りの少女、異世界でも怪物を狩る!~何をすればいいのか分からないので一旦は怪物倒しておこうと思います~  作者: 村右衛門
第3章「テレセフの悪魔」

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特別話『アロン・ギルスト・インフェルト』

5000pv突破記念で特別話を書き下ろしてまいりました!

これまで読んできてくださった読者の皆様、最近初めて読んだという新規の読者の皆様、今は読んでいないというだけの未来の読者の皆様含めまして読者の皆々様に心より御礼申し上げます。

これからも本作品、並びに村右衛門をよろしくお願いいたします!!


※なお、本編88話は次回9月14日に投稿致します。


 ――ギルスト王家における『第二王子』は、他国での扱いと大きく異なる。


 王族の中で、特に重要な概念は何かと問われれば、多くが『王位継承権』を挙げるであろう。国王の崩御、または隠居。それによって次の王位継承者に国王と言う立場が継がれる。その、王位継承者と言う立場に誰が立つのか。およそ数十年の国政を左右することもあって、その概念が重要視されるのは当然のことだった。

 そして、ギルストにおける王位継承権の扱いと言うのは、他国のものとは違う。その差異こそが、『第二王子』と言う立場の扱われ方の違いにも繋がるのだ。


「ギルスト国家において、王位継承権は王子殿下それぞれに平等に分配されております」


 その意味が分かりますか、と――。アロンは幼少の頃、初めの帝王学の授業で講師にそう問われた。逡巡ののちに、アロンは小さく頷く。帝王学の授業が始まる前から、周囲はそのことについて口を酸っぱくしてアロンに告げたものだった。


「長男、次男、または三男以降……その王位継承権争いに、始点の差がない。そうですよね、先生」


 他国の王家であれば、長男に王位継承権があり、次男はその補佐に回ることが決まっている。その制度が、この大陸では一般的だった。しかし、ギルストではそうではない。

 アロンが述べた通り、第一王子であろうと第二王子であろうと、その王位継承権争いにおいて優先される立場は存在しない。民の支持を強く得られれば、当然のように第二王子が第一王子を出し抜いて次期国王として継承権を手に入れることもありうるのだ。

 

「その通りです。ですから、第二王子であられるアロン殿下も、帝王学の教養を身に着けることは必須。そして、将来には国王となる可能性を見据え、行動されなければなりません」


「――――」


 王家周りは、『第二王子』であるアロンが誕生するまで、一つだった。第一王子であるアロンの兄の派閥以外に有力なものはなく、一丸であったと言える。しかし、アロンの誕生はその力関係を大きく変えた。力を持っている派閥が一つだけだったところに、第二王子の派閥が生じたのだ。

 当然、先に力を付けていた第一王子派閥が依然として強力な派閥であることは疑いようもない。それでも、アロン派閥も急速に力をつけ始め、王家周りの貴族たちは二分された。


「未だ勝ち筋の見当たらぬ側につく、か……あまりに博打。だが、それで良い」


「第二王子殿下は既に帝王学を教わり、第一王子殿下にも比肩しうる才覚を発揮されているとか。幼少の時分からそのような具合では、将来も見透かせるというものでしょう」


「儂は揺らがぬ。第二王子殿下の御生まれになるずっと前から、儂の見上げる御方は第一王子殿下のみぞ」


「危険を冒せば多大な損害を被る可能性を孕む。盤石な方に賭けるのが安心だ」


「その保守的な方針では興が乗らぬでしょう。博打に博打、弱きに賭けて取り分を多く得ねば」


「興が乗る乗らぬではないだろうに。賭け事に興じ、数十年下火に回るのは御免だ」


 王位継承権争いは未だ先のこと。国王も健在である今、そのことを直接的に争うのは不毛だ。それでも、貴族たちの水面下での争いは激化しつつあった。

 王子たちの年齢が十代に入ったころには積極的に彼らとの接触を図ろうとするものが増え、第一王子には第二王子の、第二王子には第一王子の、それぞれ悪評が聞かされる毎日が続いた。そうして他者を貶め、自らを上げようと謀る。その謀り事が、まさか相手の逆鱗に触れていたとは、誰も思っていなかっただろう。


「ボスター子爵家とファイル男爵家、それからハイン男爵家が領地取り上げに遭ったそうだな」


「遭った、ねぇ……始まってもいない王位継承権争いに躍起になってたんだ。灰色くらいの噂なら事欠かないのがその三家だろ? 今回だって、その類だろうさ」


「成程な。なら、もう少し領地取り上げになる貴族家が出てきそうだな。儲け時じゃないか」


 結果として、五つの貴族家が領地取り上げとなり、その内でも二家は爵位の繰り下げとなった。表面上でその理由は公表されなかったが、悟るものは悟る。恐らく、王族に対する名誉棄損による不敬罪であろう、と。始まってもいない戦いに手を出して奈落に堕ちたのだと。

 彼ら貴族家は、知らなかったのだ。王位継承権を争うはずの第一王子と第二王子が懇意であることを。まさか、競うはずの王子たちが協力して不義を働いた者たちを摘発しようとは、疑いもしていなかった。その安直さこそが、彼らの敗因だ。


「――およそ、貴族家の取り締まりは終わったようです、兄上」


「そっか。本当に、面倒な奴らだよ。せめて、正々堂々と支持してくれるのならば歓迎したものを。そうだろ、アロン?」


「ええ。それでも――私を支持する貴族家は、損をするばかりでしょうけれど」


 アロンの冷たい一言に、第一王子は静かに苦笑を漏らす。

 気の早い貴族たちは、始まってもいない王位継承権争いを気にして不義を犯した。しかし、彼らの思っているよりも早く、王位継承権争いは始まっていたし、終わっていたのだ。


「やはり、考え直さないか? ――アロン、お前も王子として……王位継承権を競った方がいいと思うんだ。敵に塩を送るようだが、お前にはその才覚はあるだろうし」


「既に決めたことです。私は、兄上を補佐します。当然、王族としての矜持を失うことなどは考えようもありませんが――それでも、王位継承権は得るつもりがありません」


 アロンは、兄である第一王子と父である国王にのみ、自らの意志を告げていた。王位継承権を得るつもりはない、つまりは将来国王になる可能性を自ら棄てるのだと。実際、それはギルストの歴史の中で珍しい話ではなかったらしい。

 表面上では王位継承権争いが行われていたし、それが制度としてギルストで絶えたという記録はない。しかし、その裏では王子同士で示し合わせ、王位継承権を得る側を決めていたという情報が残っているのだ。アロンの言いだしたこと、そして決めたことも大して珍しいことではないし、決して認められないようなものではない。


「兄上こそ、王子として――ひいては国王としての才覚をお持ちでしょう」


「それは、まあ……そうだろうけれども」


「その自信、自尊心。それこそ、国王として民を導くために必要なものです。自分が上に立つのだと、その能力があるのだと、そう確信できる人間でなければ、民はついてきません」


 暗に、アロンは自分にそれが無いのだと言っていた。

 第二王子として、アロンは二人目の王子と言う立場で生まれてきた。その生まれた順番は、決して覆すことの出来ない厳然たる事実。生まれた瞬間、後追いであることが定められたアロンが、兄の背を見て育ち、そしてその背の眩さに焦がされたのも、同時に事実なのだ。

 教養と言う点で言えば、恐らくアロンは兄を越えられる。時間と努力、そのどちらもが重なれば、可能だろう。貴族たちが目を付けたのも、兄に比肩しうる学力だった。しかし、アロンが自らに足りないと気づいたものがある。それが、人の前に立ち、人と語らい、人を味方につけ、人を動かす能力。端的に言えば、社交力というもの。

 

「良くも悪くも、国王と言う立場は貴族の存在によって左右されます。彼らを自らの理想のために同胞として抱え、そして手足として動かす。そのために必要な力は――兄上に、ありますから」


「――――」


 諦念を表情に浮かべて、アロンは持ってきた書類の束を机の端で叩いて揃える。封筒に纏めて入れて封をして、差し出す。差し出された封筒を受け取って執務机の資料入れに片づける第一王子は、腑に落ちない、と言わんばかりの表情を浮かべていた。



  ◇



「――お初にお目にかかります、アロン第二王子殿下」


 これは、アロンがまだ帝王学の授業を受け始めてすぐの頃、齢で言えば六か七の時分の話だ。

 教養を身に着け始める時期になったアロンは、同時に社交界デビューを果たしていた。初めは王家の主催する小さなパーティに始まり、貴族たちと関わる時間が増えた。それはつまり、媚び諂われる機会が増えたという事でもある。

 特に、頭脳明晰と噂されたアロンに寄せられた期待は大きく、第一王子ではなくアロンに賭けようとする貴族たちは我先にと彼と接触し、親交を得ようとした。


「我らライヒ伯爵家は第二王子殿下の忠臣となり、身を粉にして貴方様を支える――その所存でございます。どうぞ、以後のお見知りおきを賜りたく」


 恐らく、貴族たちの中で最も早く、そして積極的にアロンに接触したのは彼だった。ライヒ伯爵家当主、ピエルド・ライヒ――齢十九にして父を亡くし、当主の座に就いた若年者だった。しかし、その才覚は凄まじく、領地経営に苦戦していたライヒ伯爵家の経営を農業主軸から商業主軸に変革させることで回復させた実績の持ち主でもある。

 その交渉力、人を前にした時の自己顕示力には目を見張るものがあった。その力量こそが、彼の領地を商業中心の土地に変貌させ、そしてその道で成功させたと言っても過言ではない。


「――そう言っていただけて、私は嬉しい。私も、その働きに見合う成長を、努力を、約束しましょう」


 ピエルドの評判は良かった。アロンの周囲、侍従たちも彼には高評価を下し、アロンは彼の手を、取った。そうしてピエルドは、そしてライヒ伯爵家は、新たに生まれた第二王子派閥の中心人物となったのだ。ここまで、時期尚早なのは否めないにせよ、あくまで王位継承権争いの一部として、状況は処理しきれていた。

 ただし、事が起こったのはそれから少ししてのこと。


  ◇◆◇◆◇


「アロン王子殿下は――王位継承権争いについて、どのようにお考えですか」


 アロンとの距離をより縮め、彼のために用意された執務室にも出入りすることが許されたピエルドは、数日おきに彼のもとを訪れていた。今日だってそうだ。そして、毎度の如く彼が話題にするのは、王位継承権争いについてのこと。

 普段であれば、ライヒ伯爵家の働きを報告しているばかりだったピエルドだが、今日のところはそうではなく、アロンの考えを伺う方針のようだった。


「王位継承権争い――現時点で言えば、私と兄上との……正直言って、私に勝ち目があるとは到底思えない。兄上の御威光は私が一番傍で見てきたのだ。兄上の国王としての素質は、恐らくギルストの王家の歴史を見ても随一。今のままでは、私の付け入る間隙など――」


「そう不安に思われませんよう。ライヒ伯爵家は勿論のこと、他多数の貴族家が殿下の傘下に参じております。直近ではファイル男爵家がお目通りを願いたいとのこと――これからも一層、殿下の御威光に惹かれる者は現れるでしょう」


「そうか……そうして支えてくれる貴族家が増えるのは幸せなことだ。しかし……いや、このことに頭を悩ませるのは未だ早いか。時期の満たぬ間に心労を増やすべきではないな」


 アロンの表情には、僅かな諦めが見え隠れしていた。

 この頃から、アロンは兄との接触が増え、その能力の高さを何度となくその目で確かめてきた。文武両道を成し、貴族たちからの印象も良い。十は歳の離れた貴族家当主たちとも対等に話を進めるだけの威厳と、会話術――兄は自分にはないものを持っているのだと、アロンは認めていた。


 しかし、その諦念の滲む表情を、ピエルドは良しとしない。

 彼にとって、支持するアロンが王位継承権を勝ち取ることは一つの絶対条件だ。そうして初めて、ライヒ伯爵家はその王位継承権をアロンに齎した功労者として力を得る。そこに至れないのであれば、ピエルドにとって、アロンを支える理由などないのだ。


「――アロン王子殿下。私めに一つ、策がございます」


「策……? 言ってみてくれ」


「いえ、殿下の御手を煩わせるほどではありません。委細、こちらで処理しておきます」


「――そうか……分かった」


 この時、アロンはピエルドの考えを、その仔細まですべて聞き出すべきだった。詰問でもなんでもして、その心中の策謀を全て吐きださせていれば、もう少し良い方向に物事が動いていたはずなのだ。

 しかし、過ぎてしまったことはもう、誰にも責められない。



  ◇



「あれ、アロン。外交戦略に関する授業の帰り?」


「――兄上?」


 夕暮れ時、王城の敷地内にある庭園沿いの野外廊下で、アロンは兄である第一王子と邂逅した。この二人が会うのは主に昼時で、この時間帯に食事以外で顔を合わせるのは珍しい。

 アロンの抱えていた学術書をちらと見てその授業を言い当てた第一王子は「外交戦略、難しかった記憶があるなあ」と思い出すように天を仰いだ。お互いに後に控える授業はなく、何か言うわけでもなしに二人は夕食のために食堂へと並び歩き始めた。


「アロンの方は、授業はどうだ? やっぱり、一番難しいのは法律だよな」


「そうですか? それぞれの法律の繋がりと過去の判例を見るのは楽しいです。どちらかと言うと、交渉術と社交的な会話の授業が私には難しくて……」


「なるほど、アロンは法律に強いタイプか。確かに、国王が法律に強く公正であれば国民は安心だ」


「え……いや、国王となるかは――」


「分からない、だろ。この国は二人以上の王子は平等な王位継承権争いをすることが出来るから。けどまあ、だからこそアロンが成る可能性だって十分にある」


 揶揄いの意図はなく、真っ直ぐな瞳でそう言われたアロンは呆然としてしまう。

 帝王学の授業でも言われたことだ。ギルストの王位継承に関する制度は当然、アロンだって憶えている。しかし、そのことを理解しながら、実感できていたわけではないのだと、アロンは覚らされる。

 ライヒ伯爵家をはじめとする多くの貴族家がアロンを将来の国王と囃した。それでも、アロンにとってそれは当然の過程でしかなくて、それに起因する将来の結末、そこまでは想像が行っていなかった。何より、アロンには兄に対する勝算が無かったこともある。国王としての才能を多く備えた第一王子――当然、彼が次期国王だと誰もが疑わない。そんな相手を、王位継承権争いで負かせるほど、アロンは自分に自信がなかった。


 ――だから、兄の言葉はアロンにとって青天の霹靂も同然だった。

 

「お互い、国王になる資格がある。王位継承権争いって、名前こそ物騒だけど、その前後で二人の関係が変わるわけじゃないんだ。社会経験の一つとして楽しむくらいでいい。けどまあ、力試しでもあるから――正々堂々、よろしく頼むぞ、弟よ」


 正直言って、この言葉を投げかけられたアロンは既に、王位継承権争いを諦めていた。これほどのことを、まだ幼い精神でありながら言ってのける、兄こそが将来の国王に相応しいのだ。そう、分かってしまった。しかし、アロンの返す言葉は本心とは矛盾する。


「――こちらこそです、兄上。お互い、悔いの無いよう、戦いきりましょう」


 次期国王と言う立場を、アロンは諦めた。しかし、王位継承権と言う舞台を完全に諦めたわけではない。それどころか、兄の言葉を受けて心が変わった。

 王位継承権争い――その、国民に全ての判断が委ねられる正式な場で、自分が兄に敗北する。そうすることで初めて、兄の威光を正しく民に示せるのだ。能力が劣っていようとも、正しい舞台で戦う事すら避けようものならば、それは王族としての矜持に反する。


 ――この時、アロンは初めて王位継承権争いへの覚悟を決めた。


  ◇◆◇◆◇


 ――そんな会話から一時間と少しして、状況は大きく変化する。


「……今、何と言った……?」


「殿下の兄君――第一王子殿下がっ、賊徒に……ッ!」


「――ッ」


 夕食を終えて、残る授業もないアロンは自室で休んでいた。しかし、その平穏は束の間のものでしかなかったらしい。突然、粗雑に叩かれた自室の扉の音を聞いて、アロンはそう悟った。

 そして、駆けこんできた衛兵の言う事が『第一王子の暗殺』である。咄嗟に、アロンは駆けだす。後ろから追いかけてくる衛兵に状況を詳しく聞き、あくまで未遂であることには少々安堵。しかし、状況は急を要することも聞かされ、焦燥の念がアロンを支配する。


「兄上は――今どこに?!」


「救護室に運ばれています。突然のことで……っ、今は癒者が来るまで侍従で応急処置を!」


「救護室か!」


 第一王子の暗殺未遂とあって、城中が騒然としていた。行き交う侍従たちは皆走っており、本来ならば静穏を原則とする城の廊下を一心不乱に駆け抜けるアロンを咎める人間はいない。

 救護室は、アロンの自室からは少し離れている。逆に、国家における最重要人物である国王の部屋からは、最も近い場所に位置している。だからか、アロンの救護室到着は国王のそれに少々の遅れをとった。


「――アロン、お前は待っていなさい」


 救護室の中に入ろうとしたアロンを呼び止めたのは国王である父だ。彼もちょうどここに到着したところらしく、薄っすらと額には汗が滲んでいる。


「っ、しかし父上!」


「駄目だ。自室で待機しなさい。経過は衛兵に報告させる」


「――ですが!!」


 食い下がるアロンだったが、無慈悲にも目の前の扉は閉じられた。有無を言わさぬ父の行動に、アロンは足を踏み出しかけたが、それを押し留めたのは自室から突いてきた衛兵だ。

 静かに首を横に振られ、アロンは自分が冷静でないことに気づく。激しく上下する肩を落ち着かせ、熱を持った体を静める。後ろ髪を引かれる気持ちなのは確かだが、今ここで出来ることが無いことなど分かり切っているのだ。そう自分に言い聞かせ、アロンは自室へと帰った。


 自室に戻ったアロンは、無理やりソファに腰を下ろして気を静めようとする。

 正直言って、気が気でなかった。アロンにとっての兄は、将来の国王だ。各種教養を得ているアロンにとって、その存在の重要性は言わずもがな。それを、暗殺しようとするなどと――全くもって理解できない、悪魔の所業だ。


「兄上……ご無事であればよいが……」


 焦燥が、アロンの体をソファに留めさせてくれない。居ても立っても居られず、アロンは部屋の中を意味もなく歩き続けた。本棚には専門書が並び、数は少ないが娯楽小説も並べられている。しかし、心を落ち着かせるためだとしても、それらに目を通す気にはなれなかった。

 ベッドだって、いつもならば授業と稽古に疲れた体を癒してくれる最後の砦だが、今は何の魅力も見いだせない。ずっと体を動かし、どうにか焦りを発散していないと、気がおかしくなりそうだった。


 そんな時、不意にアロンの部屋の扉が叩かれる。

 第一王子の容態を伝えにきた衛兵か、と期待して扉を開けたアロンの前に立っていたのは、しかし期待を裏切ったピエルドだった。


「ライヒ伯爵……今は、貴殿と会っている余裕がない。日を改めてくれるか」


「――兄君のことでしょう。城中がそのことで大騒ぎです。当然、私の耳にも。……そちらのことで、お詫び申し上げたいことがありまして」


「詫び……? 伯爵が、何を詫びると?」


 報告ならば、理解できる。伯爵と言う立場故に、王子の状況をいち早く知ることが出来たとか、そういうことは想像がつく。しかし、ピエルドはそうではなく『侘び』と言った。その言葉の意味するところが分からず、アロンは純粋に困惑する。

 しかし、ピエルドの続けた言葉に、アロンは本当の意味で困惑し、言葉を失った。




「兄君の件、暗殺が未遂となってしまい申し訳ありません。本来なら、殺せるはずだったのですが――刺客の選出に粗があったようで……要らぬ心配をおかけしてしまいました」




 刹那、アロンの視界が白く染まって、黒く染まって、赤く染まった。頭の奥がチカチカする。瞬間、与えられた情報量の多さに思考が白熱し、それを処理しきれないために脳が異常をきたしていた。

 しかし、どうにか言われた言葉の内容を咀嚼する。咀嚼して、噛み砕いて――そして、吐きだしかけた。


「どう、いうことだ……? 『暗殺に失敗して、申し訳ありません』……? どういう意味の侘びだ、それは?」


「言葉通りの意味にございます。アロン王子殿下の王位継承――それを確実なものとするため、私の方で暗殺者を手配し、第一王子殿下を陰にて害う計画でしたが、それも中途で頓挫し……」


「何を……何を言っているのか、分からない!!」


 ピエルドの言葉を遮って、激昂したアロンの叫びが響く。落ち着かせたはずの体はまたも熱を帯び始めていた。それも、先程よりもその身を焦がそうとする炎は勢いを増している。

 目の前の男が、アロンには分からない。何を当然のように状況ばかりを述べ立てるのか。何もかもが、意味が分からない。何故、こんな状況になったというのだ。いや、ピエルドについて言えば『何故、こんな状況を作り出したのか』――!!


「殿下が将来の国王となられるため、粉骨砕身尽力したい――私は、そしてライヒ伯爵家は、ただその一心にございます。そのために必要なことを、為したまで」


「必要なこと?! 兄上を、暗殺することがか!! 何故、そのような非道な真似ができる……狡猾に、正面からの勝利ではなく、背後を取って闇討ちするような真似が!!」


 第一王子は、アロンに正々堂々戦おうと、真正面からそう言った。それが言える人間なのだと、アロンは感心する以上に、ただ彼を尊敬した。そんな彼こそが、将来の国王に相応しいのだと、気づいたのだ。だのに、目の前の男はどうだ。正々堂々、と言う言葉の対極に位置していることは間違いない。非道で狡猾、それだけの言葉に収まらぬ異常性――悍ましくて仕方がない。


「――すべて、殿下の為。アロン王子殿下を支える、その為。我らライヒ一族はその為に、骨身を惜しまず働いてまいりました。その過程の一つが、これにございます」


「私の為……? 兄上を殺そうとしたことが、私の為だったと!? 誰が望んだ! 私が、兄上を殺すようにと頼んだか?! 指示したのか?!!」


 そこまで叫ばれ、激情をぶつけられてなお、ピエルドの表情は変わっていなかった。強いて言うならば、困惑しているように見える。純粋に、アロンがそんな風に自分を非難している理由が分からない、と言いたげな表情だ。それがまた、アロンを刺激する。

 

「衛兵! 衛兵――!!」


「――――」


「王子殿下?! 何事ですか!」


 扉越しに、アロンが衛兵を呼ぶ。しかし、それでもピエルドはたじろぐことをしなかった。最早、その場所に縫い付けられてしまったかのようにして動かない。今の彼の状況、様相、全てがアロンにとっては理解しがたい不可解であり、酷く恐ろしかった。もしかして、人間ですら無いのではないかと思う。


「この男が――兄上を暗殺するよう指示した。この男が自供した……!!」


「は……ライヒ、伯爵がですか?」


「この男を捕らえろ! 捕えてくれ! もう……この男の前にいたくない!!」


 情緒不安定にも見えるアロンの様子に、衛兵は混乱する。頭脳明晰として知られるアロンだが、様子が様子だ。もしかすれば、何らかの誤解を招いている可能性がある、と考えた。そして、ピエルドに窺うような視線を向けて――、


「間違いない。私が、第一王子殿下の殺害を命じた。――アロン殿下の、為になると思っていたのだが」


「――ッ、分かりました。捕縛し連行します」


 本人からも白状されては、動かない理由がない。衛兵が近くの衛兵たちを呼び、護送体勢になる。同時に報告に向かった衛兵もおり、すぐにでも情報が他所にも広まるだろう。

 それで、終わりだ。ピエルドの犯した罪は当然、極刑にかけられて何の文句も言えない類のもの。実行犯も捕まえなければならないが、それ以上に教唆した元凶は排除されるだろう。大した罪だ。ピエルド本人のみならず、ライヒ伯爵家も巻き込んで領地取り上げ、いや爵位剥奪は確実だろうか。


 ――そこまでの結果が出て初めて、アロンは安心できるだろう。


 思い出すだけで、アロンの体には身震いが走る。自分を支持してくれた貴族家であり、最も信頼していた男が凶行に走った。それに留まらず、その凶行はアロンの為だったと宣ったのだ。

 自分が、ピエルドを制御するべきだったのだ。彼を従わせるべき立場にあって、彼の凶行を止められなかった。『殿下の為』と宣った彼の言い分も、完全に否定することはどうしたってできない。本来ならできて当然のことが出来なかった、それ故に自分の兄は、傷つけられたのだ。


「兄上……無事であれば、いいが……っ」


 これで、兄が死んだとなれば、どうなるというのだ。

 アロンは、兄を殺した男を制御できなかった咎を自らに課し、それを抱えたまま国王になるのだろう。そんな未来があったとするならば、その時には既にアロンが壊れた後に違いない。


 アロンは、兄の無事をひたすら祈り続ける。そうすることで、どうにかピエルドのことを思考から追い出したかった。もう、一生でもあの男のことは考えたくなかった。

 しかし同時に、決して忘れられないのだろうという事は分かっていた。



  ◇



 ――数日後、第一王子は無事一命を取り留めたとの報告が、アロンに届いた。


 その時のアロンの安堵は、計り知れない。ここ数日、アロンは不安と焦燥で寝付けない夜を過ごしてきたのだ。その不安定な日々とも、今日でお別れとなるだろう。

 しかし、アロンにはしなければならないことがある。兄の無事を確かめて、それに安堵して終わり、とはいかないのが彼の現在の立場だ。兄には、事の次第を話さなくてはならない。当然、国王である父にはすぐに話が行き、アロンも直接状況を話したが、当の本人は意識不明であったせいで殆どの状況を知らないままなのだ。


 全てを話すため、アロンは授業の合間を縫って兄の部屋に来ていた。意識を取り戻してから、療養は救護室ではなく自室で行うことになったらしい。

 ノックの返事があって、アロンはドアノブを捻り、扉を開ける。そして中に足を踏み入れた。奥のベッドに、兄は座っている。体が起こせる程度には回復したらしかった。


「兄上……っ、ご無事で、何よりです」


 事情を話すのだと、そう覚悟して部屋に入ったアロンだったが、本当に無事な様子の兄を前にして崩れ落ちた。しなければならない話があって、そのために部屋に来たのだ。それは分かっているのに、アロンの双眸からは覇気が消えて、代わりに涙が零れ落ちるばかりだった。

 いつもより小さくなってしまった弟の背中を、兄がゆっくりと撫でる。落ち着いたアロンが事情を説明し始めるまで、兄はただひたすらにそうしていた。


  ◇◆◇◆◇


「――なるほど。そんなことが……」


「私の、不徳の致すところです……もっと、彼のしようとしていることを知って、彼を正しく制御できていれば……っ」


 事の一部始終を聞いた第一王子は、しかし対して驚いた様子を見せなかった。落ち着いた表情で話を聞き終え、少しだけ考える仕草をしてから自責の念に圧し潰されかねないアロンを宥める。

 その器の大きさ、状況を冷静に受け止められる理性、その全てがやはり、国王となるべき資質なように思えて、アロンは自らの考えを固めた。


「兄上……私から一つ、提案があります」


「ん?」


「私は――次期国王を決定する王位継承権争いを、棄権したいと思います」


 この数日間、授業以外では自室に籠りきりだったアロンが考え続け、出した結論はそれだった。単に、ピエルドの凶行を止められなかった自分には何かしらの代償が必要だ、などという自罰的で短絡的な考えではない。彼のように制御しづらい人間は恐らく、貴族界には多く存在する。貴族だけでなく他の国民、そして他国の人間ともなればより一層、であろう。


「そう言った人間を、正しく動かせない……そのような体たらくであれば、国王になるなどとは程遠いのだと思うのです。私は、一度たりとも自分が将来国王になることを想像できなかった。そして今回のことがあって、その想像はさらに遠のきました」


「……しかし、ライヒ伯爵のことはアロンに責任があるわけでもないだろう? そうだ、王位継承権争いを棄権するなど、そんなこと――」


『言わなくていい』――と、そう続けようとした第一王子の口は、何も言わぬアロンの視線によって閉ざされた。その程度の引き留め方では、決してアロンは考えを譲らないだろうことが、その瞳から分かったような気がした。

 

「兄上――貴方が、国王となって下さい」


 何故なのか、と。アロンは言わなかった。これまでならば、その続きを、兄に対する賛辞を、これでもかと並べたてたであろう彼は、今だけは何も言わなかった。言わずとも、分かるでしょう? と言わんばかりの視線だけが、兄に刺さる。


「――っ……」


 簡単に、肯定してよいとは思えなかった。しかし、否定することなんて出来るはずがなくて。

 アロンの向ける瞳の色が、その奥で燃える炎が、僅かに自分の肌を焦がしたような気すらした。これは、アロンが抱える咎なのだ、と分かる。そして、自分が抱える義務でもあるのだと、分かってしまった。だから、第一王子は決して揺るがせない指標を、自らの中で固める。




「――ギルスト王国が第一王子、レイン・ギルスト・ケヴィンディッジの名において誓うよ。私が、ギルストの次期国王となる。私が、誓う」





お読みいただきありがとうございました!


本話について、蛇足にしかならないであろう補足を恐らくどこかのタイミングで活動報告として投稿します。そちらの方も、もし興味があればご覧いただけると嬉しいです。


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