87.気にしていること
『――殿下、僭越ながら申し上げますが、それは流石に危険です! お考え直しください……!!』
『いや、これは決定事項だ。今、状況を変えねばならないのだ。指揮官が動かずして、どうやって兵たちを動かせようか』
『しかし……!! 殿下が怪我をされれば悲しむものが多くおります! どうか、お考え直しを』
『気遣いに感謝する、バーカイン卿。しかし、傷を負ってその損失を嘆かれるのは誰であろうと同じ。立場のみを理由にして安全圏で指示だけ宣うような者に、私はなりたくない』
『ですが――っ』
『貴殿の御子息、騎士シェイドは戦った。私は、彼に報いなければならない。これは、王族として生まれた者の責務だ。そして、矜持だ』
『――――』
◇◆◇◆◇
「――第一目標として領主邸の奪還を目指す! 陣形を乱すな、常に周囲の索敵を行え!!」
中央街道を、騎士たちが三列で駆ける。その中央を馬で駆けるのが、アロンだ。衛兵たちは中央街道から少し逸れたところを進軍し、広範囲を索敵。低級悪魔を順次制圧しながら、主部隊である騎士たちを安全に進ませている。
『悪魔の娘』の撃破が為される前から、この領主邸奪還作戦は実行される予定だった。本拠地を城塞都市の外側に置かず、都市の内部に置く。それが出来れば、これまで以上に情報の収集と共有が迅速になる。ただし、当然生じるリスクとして、悪魔の巣窟の中央に坐することになる、というものがあった。
「――だが、危険を冒さずして得られるものは少ない。シェイドがこのタイミングでアーミルを撃破してくれたことは僥倖だった。お蔭で、兵たちの士気も最高潮だ」
領主邸を奪還できたとしても、当然その場所は指揮官の常駐する場所になるわけで、慎重な護衛体制を敷かなければならないことは明白。護衛に就く者は常に悪魔の爪牙に怯え、気を張り続けなければならない。敗北続きの中でそんなことをさせるのは、兵たちの精神衛生上どうなのか、という問題が最後まで残っていた。それを解決したのが、シェイドの『悪魔の娘』撃破だ。
グラルド卿の敗北もあり、もしかすれば誰も勝てないのではないかと思われた『悪魔の娘』を討滅せしめた。しかもそれに兵たちは参戦して生き残った。『悪魔の娘』は、余りに強い敵であるが、倒せない敵ではないのだと、誰もが知ったのだ。これを好機と呼ばずして、何と呼ぶのか。
「反撃、そうだ反撃だ。――押されるばかりだった我ら人間側だが、初めて押し返した。このまま、押し切るんだ」
アロンの視界に、領主邸が映る。今のところ、領主邸が悪魔に占領されていると言った報告は受けていない。当然、まだ報告が届いていないだけの可能性もあるし、余りに強い悪魔――それこそ『悪魔の娘』がその場にいるのであれば、報告が出来ない状況にあるのかもしれないが……
「総員、止まれ――ッ!!」
「――ッ」
嫌な予感が、当たった。進軍する騎士たちの最前線を単独で走っていたグラルド卿が進軍停止を叫んだのだ。アロンは表情を硬くしながら、グラルド卿からの続く報告を待つ。アロンの位置からはグラルド卿の姿は薄っすらと見える程度。残念ながら、その状況を完全に把握することは出来ない、が――
「『悪魔の娘』ヴァミルを確認!! 俺がどォにかする、お前らはこのまま領主邸に突ッ込め!!」
「くっ、やはりか……!!」
領主邸を奪還しようという作戦が読まれていた、と考えるのが妥当だろう。悪魔が一切移動しないなんて、そんなわけもない。当然のように、待ち伏せされていたのだ。
歯噛みしながら、アロンは決断のために思考を急速に巡らせる。グラルド卿が言ったように、このまま領主邸へ進軍するのがいいのか。しかし、グラルド卿がヴァミルとの戦闘を始めるのであれば、その余波が領主邸にまで迫る可能性がある。それなら、一時撤退も考えるべきか。そんな逡巡は、一瞬で霧散させられた。
「全軍、このまま進軍せよ!! 領主邸を奪還する!!」
◇◆◇◆◇
「――あらぁ、やっぱり来たのねぇ」
「お前はここに居ると、俺も思ッてたぜ」
「そうなのぉ? 会いに来てくれたのかしらぁ、三文役者さんが、自ら」
「あァ、そォだな。会えねェと、お前の首も斬れねェからな」
「そうねぇ。出来るなら、やってみたらいいわぁ」
ヴァミルが、臨戦態勢に入る。見るも悍ましい紫の翼を広げ、その切っ先は揺らがずにグラルド卿を標的に据える。その背後にいる多くの騎士たち、周囲に感じる衛兵たちの気配、それらには一瞥もやらず、グラルド卿だけに攻撃の意志を向けていた。
「こりゃァ僥倖だ。こいつァ、多勢で潰すんじゃねェからな」
騎士剣を抜き去ることはせずに、グラルド卿は静かにヴァミルとの間合いを詰めていく。お互いの身体能力を考えれば、ある程度開いているように見えるその距離も一秒程度で無くなるだろう。だからこそ、ヴァミルは体を緊張状態へと移行。グラルド卿が動き出した瞬間に羽で串刺しにしてやろうと構えて――、
「――お前、成長が早い代わりに退化も早ェッてのは本当だッたんだな」
刹那、ヴァミルの視界に映っていたはずのグラルド卿は、姿を消していた。そして瞬きの内にはグラルド卿が間合いを完全に零にして迫ってきており、その脚は自分の腹のあたりに当てられている。何度も、経験したその状況。これから何が起こるのか、そのことに思考が到るかどうか、というところで――ヴァミルの体は大きく吹き飛ばされていた。
「成程、ねぇ……ッ!」
後ろ向きに、急速に増大する推進力。洞窟内では岩壁と言う緩衝材があったおかげで失速の機会があったが、障害物の一切がない中空に放り出されては、遮蔽物による減速は期待できない。都市のおよそ中心から、端まで――いや、もしかすれば城塞都市の外側にまで飛ばされるかもしれない。
「流石に、ねぇ……それは困るかしら」
最終的な『幕引き』――それを考えれば、この状況はヴァミルにとって良くない。故に、悪魔の羽を限りなく伸ばし、自身の制動を試みる。
無数の羽を翼を、地面に突き立てるようにして速度を落とし、方向を調整する。しかし、それも微々たる影響しかもたらさない。というのも、ヴァミルを追いかけるようにして地上で駆けるグラルド卿が、その小さな抗いすらも許さずに斬り捨てているからだ。
「どうやって、ついてきてるのよぉ……っ」
最早、人間とは思えない。それだけの速度を出して、しかし複雑な住宅街を何にも衝突せずに走り抜けられているなどとは。しかし、もとより上級悪魔と同等の力を有し、『過変化』の能力で更なる急成長を遂げたヴァミルを相手にある程度までは拮抗したのだ。今この状況も、そのことを思えば納得できなくもない。
「とはいえ、人間の領域を逸脱しているのは間違いなさそうね……ぇッ」
急速に思考を巡らせる。どうにかして、状況を調整しなければならない。『お母様』の言いつけを守り、『お母様』の決めた終幕を現実のものにするためには、このままではいけないのだ。
「――ッ」
射出する翼を太く、より一層太くする。余剰の攻撃性を可能な限り削ぎ落し、先端を限りなく鋭利に尖らせる。アーミルの『暴張』の力とは違って、ヴァミルの悪魔の翼は再生能力によって生まれているだけのもの。だから、グラルド卿に斬り落とされて初めて、次が生み出せる。
同時に生み出せる翼はたったの四対。準備する一対を除いて、全てがグラルド卿によって斬り捨てられるのを待つ。そして、無くなった翼を再生――。
「これ、ならぁ……ッ」
重く鋭く、三対の翼を合成する形で生み出した悪魔の羽。その尖端を勢いよく地面へと突き立てる。当然、グラルド卿が斬り捨てようと迫るが、ヴァミルが自らその翼を根元より斬り落とすのが早い。そして、地面に突き刺さった翼を支えに、更に残った翼を突き刺して――急制動。
高度が下がり始めていたヴァミルの体は、推進力の方向を変えて更に吹き飛び、住宅街を抜けて城塞都市北西部の森へと着地を果たした。
「――おいおい、行先決めてやッてんだから急に気まぐれ起こすなよ」
「……本当に、どうやって追いついてきたのかしらねぇ」
「さァな。『三文役者』だろォと、それはそれでやり方ッてのを持ッてんだよ」
着地したヴァミルが態勢を整えた頃には、目の前にグラルド卿が現れる。その人間離れした速力に辟易しながら放った言葉に、予想外の答えがあってヴァミルは一瞬だけその顔を呆けさせる。
「もしかしてぇ――『三文役者』って言われたことぉ、気にしているのかしらぁ?」
「ハッ。悪魔は悪魔だ。蔑称を、蔑称としか思えねェんだな」
この煽り文句は効くだろう、とヴァミルは半ば確信を持っていた。しかし、それはグラルド卿の嘲笑じみた表情に否定される。そのことを不思議に思う暇は、もう残されていなかった。
グラルド卿が騎士剣を構える。様子を見るための体術ではなく、その命を滅殺するための、『騎士術』の構えだ。闘志十分のグラルド卿を前に、ヴァミルも体勢を整えて、構えた。
「潰すぜ――今度こそ。脚本家気取りを『三文役者』がな」
「やっぱり、『三文役者』って言ったこと、気にしているんじゃなぁい」
――テレセフでの反撃戦、開幕。
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