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怪物狩りの少女、異世界でも怪物を狩る!~何をすればいいのか分からないので一旦は怪物倒しておこうと思います~  作者: 村右衛門
第3章「テレセフの悪魔」

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84.『勘違い』


「――兄上」


 呼びかけに応じて、シェイドの口が動く。その声音に含まれていたのは納得と安堵と、そして違和感、最後に不安感。複雑に入り組んだ感情の渦を短い単語に籠め、シェイドは相対する男に投げかける。返ってくる無言の視線、そこにいつもの覇気が見て取れない。

 誇張するかのような威容、前面に押し出された陽気と明朗快活な雰囲気。それら、フェルド・バーカインを――否、『シェイドの兄』を構成していたはずの要素が抜け落ち、シェイドの前に立っている男は最早、『シェイドの兄』ではなかった。この男こそが間違いなく、素の『フェルド・バーカイン』である。


「無事でよかった。先に目覚めて、お前がまだ意識を取り戻していないと聞いたときは流石に狼狽したぞ」


 最早、その身体に染み付いたのであろう口調だけが、シェイドの前の男がシェイドであると判断できる数少ない要素の一つであった。それがなければ、シェイドは彼を存在しないはずのもう一人の兄と思っていたかもしれない。顔があまりに似ているのだから、兄の双子であろうか、とさえ。

 容貌は同じだ。記憶と一切違わない。それなのに、纏う雰囲気から語調、存在の気迫や威勢まで、何から何までもがシェイドの中の兄フェルドと男が合致しない。


「えっと――兄上?」


「……気に、なるだろうな」


 我慢できず、疑念を露わにして呼びかけてくるシェイドに、フェルドは僅かに苦い表情を見せて、小さく呟く。ふぅーっと長めに息を吐くフェルドに、これは聞いてはいけないことを尋ねてしまったのかとシェイドの表情も曇った。が、その不安感を汲み取ったフェルドが首を横に振る。


 ――「ずっと、いつかは、話さなくてはならないことだったんだ」と。


 そう前置きをするフェルドに、拘束魔法で体を動かせないシェイドも心の姿勢を正す。遠くから聞こえる喧騒さえ、その音が耳朶に届かなくなったかのように錯覚する。完全に、この場が世界から切り取られ、隔絶されてしまったかのような気分だった。

 相対する、シェイドとフェルド。他からの干渉を一切受け付けないバーカイン兄弟の二人きりの世界が、静かに幕を挙げた。


  ◇◆◇◆◇


「――何から、話したものかな」


 傍にあった椅子を取り出してきて、フェルドはそこに腰かける。その思考は、会話の糸口を探すことに頻りと巡らされ続けていた。シェイドがテレセフを出立した頃から、彼の脳内の一部は常にその思索のために費やされてきて、しかし未だにその答えは出ていない。

 率直に、結論から述べたらいいのか。しかしそれではシェイドの心を意味なく傷つけることになってしまったりするのではないのだろうか。だからと言って、迂遠な言い方をするのは良くない。それでは、いつどこで自分の弱い部分が『逃げる』という選択肢を選んでしまうか分からない。

 いつも、いつまでも、堂々巡りだ。こんなだから、折角の覚悟も常に揺らぎ続ける。


『――立ち止まる理由は、どこにも無いじゃろうが』


 思い出す。思い出して、ぶれ始めていた覚悟と言う名の芯を改めて自分の中に置き直す。名も知らぬ騎士の一言が、フェルドを遠くから睥睨してくる。積極的に背を押すわけでも、尻を叩くわけでもない。諦めるわけでも、呆れるわけでもなく。ただ、只管にこちらを睨んでいる。

 ――まだ進まないのかと、その言葉が向けてくる瞳は鋭い。



「そうだな。そうだ。――シェイド。単刀直入に、言おう。俺はお前が怖かった。お前が生まれたその日、その瞬間からだ。ただ、お前が怖くて、怯え続けていた」



「怖かっ、た……? ぇっと、なんでですか。兄上が私などを恐れる理由が、どこに――」


「お前の強さ故、お前の賢さ故、お前の素晴らしさが、故だ。俺は、お前が優秀に育ち、いつか俺自身を越えてしまうその日が恐ろしかったんだ。お前が大なり小なりの功績を打ち立てるたびに、俺はお前との距離を何度となく気にして……時には、お前の功績を憎しげに思ったことすらある」


「……」


 シェイドが言葉を失う。これまでの全てを覆されたが故の驚きで表情すらも硬直させている。それもそのはずだろう、と苦々しい感情の裏でフェルドは納得していた。というのも、これは何度も確かめていることであるが、フェルドはシェイドに対して兄弟想いの兄を演じ続けてきたのだ。当然、その面が一切フェルドに備わっていないというわけではないが、しかしそうでない部分を意識的に隠していた、と言うのは否定できない。

 当然、そんな自分に対してシェイドがどのような印象を抱いていたのかだって、フェルドは理解している。否、そのこと、シェイドから自分に対してどのような印象が向けられているか――はフェルドにとって常に把握しておかねばならないことだった。


 ――兄として、シェイドには思われていたい。


 ――いや、思われていなければならない。醜い部分は、見せてはいけない。


 フェルドにとっての不文律。守らなければならない、絶対的な指針。守れないならば、その時が自分の『兄』としての人生の最期だとすら覚悟していたような規則だ。

 これまでフェルドは、自分を素晴らしい兄という虚空に映し、シェイドはその裏にいる『シェイド・バーカイン』を見ることなく、浮かび上がった虚像に心を奪われていた。全ての演技も、全ての取り繕いも、一切合財は虚栄であるのに、その『虚』を挟み合わせにして、兄弟は相対してきた。



 ――と、いうのがフェルドの認識である。


「――そう、だったんですか……良かっ、たぁ」


 しかし、現実はそう簡単には進まない。フェルドの安易な考えは、そう簡単に世界に反映されたりはしない。生まれた瞬間、その時からフェルドがその強さを確信したシェイドの天性の才は、それを赦したりはしない。

 

 ――シェイドは、『騎士』たる者として生まれてきた。


 この世界には居るのだ。そう言った、特別な人間が。本来ならば知識としての学習と技術としての修練、それも血反吐を吐いてまだ足りないような、そんな世界を通り抜ける鍛錬の積み重ねが必要となるところを、それらすべてを免除されるような特別扱いを受けた人間が。

 シェイドは、その生誕の瞬間から『騎士術』を会得していた。当然、誰もがその事実に気づいてはいない。本人の自覚のあるところではなく、他人から個人に『騎士術』の覚えがあるかどうかを判断することは誰にだって不可能だからだ。

 ただ一人、フェルドだけが皮肉にも()()()()()()その漏れ出るシェイドの威容に気づいただけ。シェイドの異常性は、その特別さは、ついぞ誰も知らないままだった。


「兄上が私のことをどこかで疎ましく思っていることは、分かっていました。その理由こそ幼い私の知るところでなかったけれど、それでも――感覚が、それを教えてくれた」


「――っ」


「そうですよね」と言って確認を取るシェイドの視線を前にして、フェルドは自らの足元が崩れ去ったような心持を得た。ここまでの大前提が、完全に覆される。

 シェイドは自分の姑息な考えには気づいていなくて、それら一切を告白することによって自分の罪を懺悔し、可能ならばそれを贖う。フェルドの目的は、今回の話し合いの最終目的は、それだ。そこにある。だというのに。


「シェイドは、気づいていたのか」


「――幼い頃でしたけど。ちょっとした、子供の勘です」


「……っ、勘違いはしないで欲しい。俺が兄として、シェイドのことを弟として、愛おしく思っていたことは、事実だ。その成長を喜び、誇らしく思う俺が確かにいた。しかし、その裏で妬ましく思い、恐れを抱き、自分以上に成長することを拒む、醜い俺がいた。それだけ……だ」


「知っています。それも、しっかりと。――子供の頃は、それが分からなかった。兄上が私の成長を喜んで笑顔を浮かべてくださるのは事実で、その表情に偽りは感じられなくて……でも、同時に――」


 フェルドの中で相反する二つの感情が生まれ、それは彼自身を苦しめた。黒と白の濁った感情に理解が追い付かず、罪悪感と焦燥感が胸を焦がし続けていた。しかしそれは、その感情を向けられるシェイドにも困惑を齎した。

 子供は、周りの人間の感情の機微に敏い。それも、無意識下で『騎士術』を展開していたシェイドであれば猶更のことだ。他人の感情を、その概要だけではあるものの、ほぼすべて把握していたと言っても過言ではない。だからこそ、フェルドの中で生じる情感の矛盾にも、気づいた。それに気づいたときのシェイドの困惑具合は、それはそれは凄まじかった。


 ――表情と、感情の相違。どちらも真実である場合。


 シェイドも貴族の息子として生まれた以上、浮かべた表情とその内心で抱く感情の方向性が真逆な人間など、幾らか見かけたことがある。社交界に深入りする前に王都へと移住した彼だが、それでも時に行われるホームパーティーで他の貴族だとか、有力者だとかと顔を合わせることはあって。その時に表情と感情は必ずしも同一でないことを知った。

 だが、フェルドの場合は違った。物心がついた辺りから、その顔に映るものと内心に沈むものの違いが大きくなり、同時にどちらもが虚偽を持たない。どちらも正しくて、どちらも正しいのならばおかしい。シェイドには、分からなかった。人間の二面性などと、そんなことはその当時のシェイドには到底理解できなかった。


「今だからこそ、分かります。流石に、私も人間として少しは成長しましたから。――兄上の抱えていた感情も、その矛盾も、さして不思議なものではないのだと、今ならわかります」


「――――」


「騎士団で、何度か見たんですよね。内心で、複雑な方向性の感情を幾つとなく抱えた人を。特に、入団試験の直後に多かったでしょうか。何も、不思議なことではないんですよ。――多分私も、そして兄上も、そこを勘違いしてるんじゃないかなって」


「勘違い……?」


「人間には二面性があって、殆ど恒常的に二つ以上の相反する感情を持っている。その矛盾に苦しんで、しかしその矛盾から生まれる繋がりだってあって。――そんな、この世界では大して珍しくも難しくもない事実を、考え方を、私たちは知らなかった。そんなことはないと、ずっと勘違いしてきただけなんですよ」


 ここで、幸いだったのはシェイドの言った『不思議でもない』という発言が、フェルドにとっては好い方向へと作用したこと。その言葉に厭な感情を抱くことなく、「成程そうか」とすとんと納得を得られたこと。そして、『勘違い』だったのだと、理解できたこと。

 フェルドの抱いてきた、全ての苦しみがこの時に覆されたようなものだった。救われた、と――そんな表現はあまりに大袈裟だろうか。本人からすれば、その描写ですら足りないわけだが。


「兄上の抱える矛盾は、自分のせいだ。私の存在が、兄上を苦しめている――私は、ずっと幼いながらにそう思っていました。勘違いし続けていた私は、そう思っていたんです」


「っ、それは違う! 俺の中で生まれた矛盾も、それによって得た艱難辛苦の一切合切も、どれもシェイドの所為なんかじゃない。全部、俺が――弱くて、醜くて、足りない人間だからだ。幼いながらに、姑息で、精神の安定もてんで図れない。そんなだから……」


「……そう、思っていたので。兄上がさっき、私のことを怖がっていたと、そう言った時に不謹慎ながら、どれだけ安堵したことか。私の至らぬ点が、兄上を苦しめていただなんてことになれば、私は悔やみきれない」


 その安堵も、安心十割の完全なものでは決してなかった。それでも、シェイドの中で一つ、不安に思っていたことが否定された気分になったのは事実だ。自分が、何かフェルドの気に障ることをしていたりだとか、自分の存在自体がフェルドには認められなかったりだとか――そういった最悪の想像をしていたシェイドからすれば。

 ずっと、忘れていた。その不安も、子供の頃に少し生まれて、しかし王都に移住した時に新しい日常に塗り潰されて消えていたはずだった。フェルドの、素に帰った雰囲気に触れるまでは。


「言ってしまえば――私も兄上も、勘違いしていただけ、なんですよね」


「そう、なんだな……もっと、俺としてはもっと、難しい話だと思っていた。ずっとずっと、深い溝があって、俺の足元には崖が広がっていて……俺の一言一言が、どれだけシェイドを傷つけるかと、それも怖かった」


 恐らく、この世界で起こる諍いだとか、不和だとか、焦燥だとか、緊張だとか、そう言ったものの多くは『勘違い』によって生まれている。だから、物語を読んでいても『話し合いが重要』というようなテーマが多く描かれているのだろう。

 当然のことだというのに、それをどうしても欠かしてしまう。兄弟という非常に近しい間柄だからこそ、というのも、もしかすればあるのかもしれない。


 フェルドは、この件をもっと難しいことだと考えていたのだと、そう言った。つまりは、そういうことなのだ。当事者たちは、物事をあまりに深く、難しく、複雑に考える。しかし、実際に話し合ってみればそれは大して複雑なもので無かったりもする。それこそ『勘違い』だった、と言うその一言で済まされることだって、ある。

 今回の件を、単なる『勘違い』と言う一言で済まし切ることは、到底できない。しかし、それが根底に寝そべっていたという事実だけは、認めなければならない。だから――、


「兄上――提案があります」


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