74.希望と絶望、紙一重
グラルド卿、シェイド、そしてフェナリ。それぞれ、『お母様』と呼称されていた悪魔の娘たちと戦っていた三人が帰還した。各々が敗北を噛み締め、どことなく暗い顔で帰ってきているのに対して、その無事の帰還を迎えるアロンの表情の明るさは対照的だった。
「グラルド卿、そしてシェイド。――ご苦労だった。ひとまずは休んでくれ。少ししてから、情報共有のために会議に出席してもらう。その時にまた呼びに行かせよう」
そう言って、二人を送り出したアロンは、そして視線を少し横にずらす。城塞都市の各地で発見されたシェイドの後衛部隊、その中に一人、見慣れた顔がある。表立って声を掛けるには立場の違いというものが大きすぎるが、アロンとしてはすぐにでも声を掛け、その無事を喜びたいところだった。
表情筋を持ち前の王族の矜持というもので抑え、アロンは後ろ髪を引かれる思いで踵を返して指揮官室へと帰っていく。先程グラルド卿とシェイドにも言った通り、この後で会議がある。主要な騎士たちも含め、城塞都市を取り囲む状況についての情報を共有し、次策を決定するための会議だ。その準備もあるアロンは、忙しなく足を動かさざるを得なかった。
◇◆◇◆◇
城塞都市の正門前、土砂の上に作られた簡易的な天幕の中に、円形の机が置かれていた。その中で最も入口から遠い上座に座るのがアロン、そしてその横にファドルド。巡って順にグラルド卿、シェイド、都市の衛兵隊長、ライガン、一番隊の主要な騎士たち、そしてフェナリ。
状況の進退を改めてはっきりとさせるという目的の下、今回の殲滅戦における主要人物らが一堂に会したのである。
「――まず、初めに。皆々、一日の奮戦、ご苦労である。貴殿らの粉骨砕身を厭わぬ戦いぶりは伝令兵からも聞いている。結果如何を問わず、それらは国益となろう。第二王子として感謝を表明したい」
小さく頭を下げるアロンに、隣に座るファドルドが続く。神妙な様子の二人に、他の面々の緊張も張り詰める。しかし、それを打ち破ったのは他でもないアロン本人だった。「前置きは終わりとしよう」と一言置いて、本題へと切り込むべく、口を開いた。
「それぞれの報告を聞こうと思う。細かいことでも構わない。分かったこと、知り得た情報、すべて報告してくれ」
そうして、会議は本題へと入り込む。座っている順に、グラルド卿、シェイド、と報告を始めた。そして、フェナリまでの報告が終わり、聞いているアロンはフェナリが上級以上の悪魔と接敵していたという事実に表情筋をより一層疲れさせた、という結果が残った。
とはいえ、会議で得られた報告にはアロンの驚愕以上の成果があったのは間違いない。
「『お母様』と『娘』……上級以上と目される悪魔に共通するのが、それか」
全ての報告を聞き終えて、初めにアロンが言及したのはそこだった。グラルド卿、シェイド、そしてフェナリから共通して出てきた単語が、その二つだ。恐らく、三人が会敵していた悪魔はどれも、『お母様』の『娘』という共通項を持っているのだろう。
「悪魔に家族という概念があるのか……? これまで読んできた文献にはそんなものはなかったはずだが」
「これまでの研究では、悪魔には人間らしい情動、特に倫理観や罪悪感、愛情や憐憫と、そう言った感情が欠落していると考えられています。その中でも、愛情の欠落によって生殖という概念自体もないと、そういう風に結論が出ていたはずですが……」
疑問を呈するアロンに、ファドルドが答える。しかし、彼が述べた研究の結果と現実は異なっている。誰か一人からの報告のみに出てくる単語ではなく、三人に共通した単語、というのだから報告者の勘違いだとか、そう言った可能性も限りなく考えにくい。研究で出された結論がそもそも間違っていたか、または――、
「悪魔の、特殊個体――ではありませんか」
「衛兵隊長。何か、聞いたことが?」
「本格的な研究ではありませんでしたが……テレセフの研究者の一部は悪魔には特殊個体が存在するかもしれない、という仮説の下で検証を行っていたと、そういう風に聞いたことがあります。――友人の一人がその研究者たちの一人でしたが、悪魔との意思疎通を図ろうとする中で……」
――殺された、のだと。衛兵隊長はそこまでのことを事実として語るのは憚れたらしく、それ以降口を噤んだ。アロンもそのことを察しながら、言及はせずに小さく頷く。
悪魔との意思疎通。上級悪魔のみが可能とされるそれ、そしてそれ以上の――悪魔との共存。悪魔との因縁があるここテレセフに於いて研究されるにしては、皮肉のきいたテーマだ。実際の結果の痛ましさを鑑みても、あまり推奨できるテーマであるとは言えない。
「特殊個体が、本当に存在するのだとしたら――それは、私の友人の仇であると同時に、希望でもあります。彼は悪魔の特殊個体という存在に固執するがゆえに命を失いましたが、しかし、彼の悲願は、その存在がなければ成り立たないのですから」
「――――」
口を噤み、しかし最後に言葉を紡いだ衛兵隊長に、会議の面々は返す言葉を失う。本題とはずれながらも、しかし考えさせられる話だと、誰もがその言葉を心の中で噛み締める。本来なら欠落しているはずの、愛情を持った、特殊個体。その存在が見え隠れする中で、しかしどのように扱えばいいのか――現状では決めかねる。
そして、それは今の議題ではない。思考の端にその考えを置いて、アロンは議論を進めるためにまた、口を開いた。
「考えなくてはならないことが、もう一つある。――グラルド卿が接敵した悪魔が述べたという、特殊な能力についてだ」
「殿下、それについては改めて私から――」
手を挙げ、発言の許可を求めるグラルド卿に頷きを返し、アロンは説明を卿に任せる。シェイドが接敵した悪魔については能力の全貌がはっきりとは分かっておらず、フェナリが接敵したラミルに至ってはその能力が使われたらしき形跡がない。そんな状況である以上、この論点に関しての説明はグラルド卿が適任だった。
「私の接敵した『お母様』の娘、その『長女』。ヴァミルとそう名乗ッた悪魔についてです。その攻撃方法は一般的な悪魔と大きくは違わず、翼や爪を用いた攻撃に終始します。しかし、その特異点は間違いなく、その性質、『過変化』と、そう呼称された能力でしょう」
グラルド卿の述懐に、全員が小さく唾を呑む。上級以上の級位を持つ悪魔、というだけで十分に脅威になりうるというのに、まさかそれ以上の特異点が、しかも何らかの能力があるとするならば、それは恐ろしいことだ。しかも、グラルド卿が敗北したという事実はここにいる誰もが先程聞いた。グラルド卿を敗北に追いやるほどの能力という事は、この場の面々の共通認識だ。
「『過変化』――実際に私も経験しましたが、それは言葉通りの能力だと考えられます。悪魔の特性として広く知られる、『力を揮えば成長し、その機会を失せば退化する』というもの。それが、あの悪魔にとっては本来と比べ物にならない速度で行われる――それが『過変化』というわけです」
先程のグラルド卿の報告でも、その能力については言及されていた。実際に戦った時、戦闘の初めには実力差が大きく開き、グラルド卿にとっては余裕のある戦いだったのが、勝敗が決する頃には逆転していた、と。グラルド卿が『騎士術』を酷使していたことも勝敗の要因ではあるだろうが、それを無視したとしてもヴァミルの能力は脅威だ。
「戦い続ければ、時々刻々とその実力を上げる……まさかとは思いますが、その力量は大悪魔に――」
「あァ、間違いなく届きうると考えます。最終局面での悪魔の力量は――少なくとも私がこれまでに戦ってきた悪魔よりも、強かった」
大悪魔、と。その単語がシェイドの口から出た瞬間にこれまでにも張っていた緊張が、更に濃度を高めて張り詰められたのだと誰もが直感した。全員が危惧しながら、しかし目を逸らし続けた懸念点。ヴァミルが、大悪魔に届きうる力量を手に入れるという、その事実。
グラルド卿ですら敗北したその実力を前に、人間側の抵抗は虚しいだろう。
「せめて幸いなのは、グラルド隊長が接敵した悪魔の能力が退化の方面にも適用されるであろうということ、でしょう」
悲観的な想像に耽る面々と、それすら咎めきれないような状況を割り切り、最初にそう言って希望を見出したのはライガンだ。彼はその色濃い髭をガシガシと撫でて、状況を改めて冷静に分析する。戦っている中で開けっぱなしの水栓の如く実力を上げていくヴァミル。しかし、その能力の代償も、当然ながら存在する。
その絶望と希望の相対する紙一重の中にいるのが、今の人間の立場という事になるのだ。
「――――」
やはり、口は重くなる。言葉に窮し、今の状況を前にして何を言うべきかと誰もが思考を錯綜させる。今のところ、テレセフを跋扈する悪魔に対して人間側が優位に立った状況は一つもない。グラルド卿が負け、シェイドが悪魔の討滅に失敗、フェナリもまた、勝敗の決する前に撤退した。騎士の中でも特に実力を持つ者が二人と敗れ、希望が絶望へ変わろうとしている。
「――今日の話し合いは終わりにしよう。みな、疲れているはずだ。今日は一晩休み、明朝に殲滅戦の展望についての会議を開くこととする」
全体に伝播しようとする絶望。それを断ち切る方法が、単純に話題を断ち切ること以外にできないということが、アロンにとっては悔しかった。
城塞都市テレセフでの、一度目の夜が来る――。
※※次回投稿について※※
これからリアルの方で忙しくなる予定が控えており、週2回の定期投稿が難しくなっています。そこで、次話からは一定期間、週1に投稿頻度を落とさせていただきます。ご理解の程お願い致します。
次回投稿は7月16日(水)20時となります。




