69.忌避、憎悪、憐憫。
「――詳細を報告してくれ」
奇しくも、アロンのもとにシェイド隊失踪の報が届いたのはグラルド卿とシェイドに続き、最後のフェナリが接敵を果たしたタイミングと重なる。ギルスト側、もしくは人間側と言うべき陣営に於ける主要戦力がそれぞれ戦闘に突入したと同時に、彼らを律する立場にあるアロンは、頭脳戦に足を踏み入れた。
「伝達兵の報告によりますと、悪魔の攻撃により西部の住宅街が壊滅し、それと同時に何やら不明な力によって吹き飛ばされ、騎士シェイドの隊を見失ったとのことです」
「住宅街の壊滅、そして不明な力、か」
普段であれば、眉唾物の報告だと断じたくなるようなものだ。確かに上級以上の悪魔が存在するのであればその単体戦力は凄まじいことになっているであろうことは予想に難くない――が、それは単体戦力、という観点であって報告にあったような広範囲に影響をもたらす類のものであるというのは史実に残っていない。
そう、普段なら簡単には信じられない情報。だが、今のアロンは少し違う。史実や日常における怪物の範疇を大きく逸脱した『三大華邪』という存在、そしてその一角である『厳籠』を相手取った彼には、あまりに信じがたい報告に対して冷静に受け止める余裕があった。
「不明な力の解明を急がねばならないな。――バーカイン卿、悪魔についてはお詳しいですか?」
「我らバーカイン家が領主になる前ではありますが、城塞都市テレセフと悪魔には少々因縁があったらしく……その時の史料を読んだことがあります」
「残念ながら史料の実物は領主邸にあるままですが」と付け加えるファドルドに、アロンは続きを求めた。今はどんな些細な情報でも必要だ。どんな時だって些細で些末、そんな情報や気づきが手掛かりになることは彼にとっても学びの一つとして思考に刻まれている。
アロンに続きを促されたファドルドは、自分の思考を手繰り寄せるようにして虚空を見上げ始めた。およそ、彼がその史料を閲覧したのも最近の話ではないらしい。普段であれば「ゆっくりで大丈夫ですから」と一言声を掛ける場面だったが、状況が状況なのでアロンは無言で彼を急かす。
「城塞都市テレセフは記録があるだけでも三回、悪魔による襲撃を受けています。どれも百五十年前から百年前までの約五十年に固まっている出来事で、どれもがこの都市に甚大な被害を齎した、と」
「……王家の方ではあまり聞かない話ですね」
「百五十年前と言えば、恐らく大陸諸国家間での戦争が激化している真っ最中でしたから。悪魔による襲撃も一大事とはいえ、四方八方様々な戦争の情報が錯綜する中で、悪魔に関する歴史は曖昧なまま忘れ去られていたとしても、不思議ではありません」
言われて、アロンもファドルドが示した年代が丁度ギルストも戦渦に巻き込まれ、各地で戦いの巻き起こっていた時期なのだと記憶が照合される。その頃はまだギルストも大国として名を馳せるほどの国力を持たず、周囲の同程度の敵国家から小国で燻る戦争の火種まで、多種多様な戦争の気配に対処し続けていたような時代。重要な都市とはいえ、人間の策謀の関わらぬ悪魔による被害まで意識していられなかったのも事実だろう。
「三回あった襲撃は、それぞれ上級か、またはそれ以上の悪魔によるものであったという記録が残っていました。ただし、そのどれもが低級悪魔を討滅しつつも首魁たる悪魔を討伐できずに終幕を迎えています」
「……バーカイン卿、それでは――過去にこの都市を襲った悪魔が、再来していると。そう示唆しているように聞こえますが」
「そうです。約百年前、三回目の悪魔襲撃を最後にして城塞都市テレセフは悪魔の毒牙を免れ続けていました――が、今事実としてこの状況にある。そして、その最後の襲撃で現れた悪魔が本拠地として構えたのが、北部の山中の洞窟。まさか、偶然の一致と言うには無理がありましょう」
過去に記録され今も史料を残している情報に、現状としてテレセフにその牙を宛がう悪魔の存在があるとするならば、それは確かにアロンが考えていたよりも手掛かり足りうるだろう。しかし、それは同時に一つの最悪な予想を導き出すものでもあった。
百五十年前から五十年間で三回、固まって起こった悪魔による城塞都市襲撃。そして、それから百年かそれ以上の期間を経てもまだ、討ち果たされていない悪魔。そこまで考えが思い至れば、後は当然の帰結に頭を悩ませ、抱え、そして絶望するしかない。
「相手は――百年以上の時を生きた、上級悪魔。いや、もしかすればその級位は既に上級のその上、悪魔の超越……大悪魔にすら爪を掛けた、存在」
――しかも、複数体。まさか、アロンもそこまで悲観的な言葉は漏らせなかった。これ以上の絶望の引き金は、引けなかった。
◇
「無駄よぉ。攻撃の仕方が一辺倒で単純っていうのはぁ、私じゃなくて――」
「――ッ!!」
言葉の途中で、ヴァミルの体は凄まじい引力、いやこの場合は斥力によって対象との距離を開かれる。岩肌が背筋を撫ぜる。とはいえその感覚は撫でるというよりも鑢掛けするような痛々しく、破壊的なものだ。その感覚に、しかし痛覚というものが人間ほどはっきりと備わっていない悪魔の彼女は表情を歪めることもなく。
これまでであれば、岩壁を複数突き破って余りあった斥力だが、今の彼女には大した威力を発揮しない。背中に回した翼が威力を相殺。同時に逆側の翼が相手に牙を剥く。
「チッ――!」
最早、目では追いきれなくなった翼の猛攻。それは真正面から、横から、上から、背後からと四方八方を攻撃で埋め尽くしている。それだけに留まらず、ヴァミルの翼はその鋭利な先を地面へ突き立て、岩窟の床下へと潜り込ませて壁越しの不透明な急襲。
当然、その攻撃をその腕で振るう大剣一本で防ぎきるグラルド卿にはすべての攻撃が感覚によって把握できている。壁越し、地面越し、何処に隠れた翼であろうが爪であろうが牙であろうが、ヴァミルの思惑も全てが一切合切、見通せる。――だが。
「――はい、一撃」
事実として、ヴァミルの攻撃はグラルド卿に体にその牙を突き立てていた。卿の表情は変わらない。彼の心を占めるのは虚無であって、痛みが表情を司る筋肉の一つさえも強引に引き攣らせることはない。この程度、過去に受けた戒めに比べて、何のこともない。
ただ、問題なのは、その一撃を受けたのがグラルド卿である、という事実。ギルスト国家が誇る最高戦力の一人と名高い『紫隊長』、その彼が攻撃を受けた、というその事実そのものが、問題の核心だ。ここで、グラルド卿は気づく。
「『過変化』――やッぱし、その速度は異常だなァ」
ヴァミルが自ら明かした彼女の能力の全貌。それが本当に能力の全てであり、全容であるのかはこの際置いておくが、彼女の実際の発言に則れば、今この瞬間にも、彼女は成長しているという事になる。悪魔が力を揮うことによって得られる、進化という名の成長。それは本来、努力と苦難によって成される筈のもの。しかし傲慢にも、ヴァミルは本来の艱難辛苦、その一切を凝縮して結果だけを掠め取ってきた。グラルド卿を蝕むものの半分が、彼女の傲慢さ、その結実だ。
恐らく、と前置きしなくとも――ヴァミルの脅威ははじめと比べて大いに上昇している。それは指数関数的な変化を見せ、グラルド卿が危惧した通り、その実力を大悪魔にまで届かせようとしていた。
「それだけだッてんなら……負けねェけどな」
「あらぁ。頼りになる発言もあったものだわぁ。――けれどそれって、負け惜しみって言うんじゃないかしらぁ?」
初めて受けた傷からは、グラルド卿が久しく流してこなかったその血液が滲み出ている。さして大きな負傷ではなく、命にかかわるものでは決してない。それでも、その血が、霞むようなその一滴が零れると同時に、グラルド卿の重みは減り、勝敗の天秤が傾いていく。
戦いとは、信頼の上で成り立つものだ。自分は敵よりも強い、と――そのことに自信を持ち、自分の実力を信頼していることで、その実力は明確なものとして現実に影響を齎し始める。そしてそれは、彼我の関係でもそうだ。
もしもの話。シェイドが突然、グラルド卿をも超える戦闘力を手に入れたとして――では彼は、グラルド卿に勝利することが出来るか。理論上では可能だろう。しかし、現実では恐らく、否だ。
シェイドは理解して、信頼して、疑っていない。グラルド卿が自分よりも強いのだという事実を。だから、そう思っている限り、彼はグラルド卿に勝てない。それと、全く同じことなのだ。
――傷を負ってこなかったグラルド卿が、負傷した。
その事実は即ち、ヴァミルがグラルド卿に傷をつけたその一瞬だけでも、彼女の実力がグラルド卿のそれを上回ったという事。それは明確な事実として現実に在り、そして彼我の内部を侵食するように、事実が腐食を促す。
グラルド卿は、自分が負けるなどと言う弱気な想像をしない。それでも、事実が重なれば、卿もその事実の前に、膝を折る時がやってくる。
「まァだだ……!! 事実なんざに、負けてられッか」
大剣を振りかぶる。これまででも、指折りの渾身の一撃。ヴァミルの首を叩き折り、それでいて力の有り余るような威力を想定して放ったその一閃も、しかし返ってくる手応えは空虚だ。その身の頑丈さは初めから異様だったが、その常人を逸した、いや常魔を逸した頑強さも、成長と共に強まっていることが感ぜられる。
覇気の籠った一撃を、何度も叩き込み、放ち、擦り減らした。
「ッ――ハァ!」
「貴方の顔、疲れてるんじゃなぁい?」
「チィ――!!」
「擦り減らした覇気はぁ、そう簡単に戻ってこないわよぉ?」
「クソが――ッ」
「貴方の一撃、一閃、殴り、蹴り、剣を振るう、その行動、所作、一挙手一投足――どれもが私の血肉となり、糧となり、結局はぁ、それも『序幕』の一部として忘れ去られる」
「何が『序幕』だ、何が――ッ」
「『開幕』は終えた。そして今が『序幕』よぉ。『お母様』から言われているものぉ。最後、幕を閉じるときはまだまだ先のこと。幕を下ろして観劇のお客様から静かすぎる喝采を受けるのは、まだ先。貴方も、このままいけば『序幕』に出てきただけの三文役者よねぇ」
「ふざけてんじゃァ、ねェぞ――ッ」
憤懣やるかたなし、と言ったような表情と声音、そして字面。しかし、やはりグラルド卿の心の中、その胸中に虚無以外の何らかが入り込むことはなかった。恐らく、悪魔を相手取っていて戦い死ぬのであれば、その死の際まで、彼の心に感情らしい何かが潜り込むことなど考えられない。
彼の思考に、悪魔は入る隙も無い。グラルド卿が、自分の思考を悪魔によって占められることを拒否しているからだ。そして、それは自分の領域を他者に、それも敵である悪魔に侵害されたくないというような考えから来るものではなく――彼自身を、彼自身が守るためだ。
――グラルド卿は、悪魔を嫌っている。憎んでいる。嫌悪し忌避し憎悪し、唯憐憫を向けている。
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