閑話4.城塞都市の陥落
閑話2つ目、『城塞都市の陥落』です。第2章最終話「事の顛末を、語る」で初出となった城塞都市陥落の報せ。その前日譚となります。
――時は、アロンらのホカリナ遠征出立の日に遡る。
◇◆◇◆◇
城塞都市テレセフのおよそ中央には広い公共庭園が存在する。人々の往来の中心であり、馬車も多く行き交う、都市の中心地。それだけ、目立つ場所でもあった。
時間は昼過ぎ。人々は昼食を取り終え、午後の活動を始めようとしているような、そんな頃合いで――中央庭園を通る人が一日でも最も多くなる時間帯だった。その時間を、わざと選んだのだ。衆目に晒され、それだけ人々の危機感を高めるような、そんなタイミングを。それは、人を、人間という種族を、その文明を、国家を――嘲笑するが如き蛮行だった。
「――始めましょうかぁ。『開幕』よぉ」
間延びした声が、呟き程度のその声が周囲数人の耳朶を打つ。他人の呟きなど、忙し気に足を動かす人々の歩みを止めるには不十分――しかし、その直後、彼らの動きは確かに止まることになる。残念ながら、止まった動きは足だけ、ではなかったわけだが。
「きゃァァ――ッ!!」
突然現れた紫の羽根。こうもりのそれを思わせる見た目のそれは、先端に本来存在しないはずの装飾を付けていた。その装飾は一般人が見れば目を逸らしたくなるような、血に塗れた人間の形をしている、装飾だ。
――いや、違う。悲鳴を上げ、困惑していた周囲の人々は順々に気づく。それは装飾などではないのだと。今、この場で殺された人の、身体であるのだと。
その凶行を為した下手人は、人々の中心に佇む一人の女性。彼女の服は背中が大きく破れており、そこから横幅に大人が三人は入るような広い羽根が生えていた。
――人々は瞬間に、覚る。彼女は、悪魔なのだと。
気づいてすぐ、駆ける。ただ、この場から離れようとして、駆けだす。しかし、動こうとしない人たちもいた。恐らく、悪魔への恐怖で腰が抜けて動けなくなってしまった人たち。周囲の人々も、自分の命を護るのに精いっぱいで、まさか彼らのことなど気にかけてはいられな――、
「ぇ――っか、は」
腰を抜かしてしまったはずの、小市民の彼らの横を通り過ぎて駆けて行こうとしていた薄情者の胸は、一瞬にして貫かれ、紫の羽根の装飾品に成り下がる。死ぬ寸前に、その下手人の顔を睨みつければ、その顔は嗤っていた。
何を、勘違いしているのだと。油断して死ぬなんて、馬鹿じゃないかと。嘲笑していた。
中央庭園は、一瞬にして惨劇の一場面へと変化した。複数体の悪魔がその場にいた人々を殺し、言わば『開幕』を、宣言した――惨劇の、幕開けだ。
一瞬にして人々の困惑、恐怖、混沌は伝播し、衛兵たちが悪魔の制圧のために出動する事態となった。当然、領主である貴族の耳にも、悪魔出現の報は届いている。
「――フェルド、出番だ」
「ハイッ! 父上!!」
衛兵たちが悪魔の相手に苦戦しているという報告を受け、領主は自らの息子の戦線投入を決断した。彼の息子は二人いるが、それぞれ兄は魔術に、弟は『騎士術』に長けていて、戦闘力が高い。
そのうち、魔術に長けた兄が、先んじて戦線に向かうこととなった。弟については、現在この場にはいないが、もしものことがあれば後から参戦することだろう。
「フェルドは将来、筆頭魔術師をも目指せる器。単騎では対応できずとも、衛兵らと協力すれば悪魔の制圧も可能だろう」
領主邸は中央庭園から少し離れた小さな丘の上にある。窓の方角によっては中央庭園を見渡すこともでき、領主である彼も、悪魔が現れたとの報を受けてすぐに中央庭園へと目をやった。
そこに広がる惨状に、思わず目を逸らしたが。まさか、どんな情緒の無い庭園であれば、床を赤黒く塗りたくるのだろうか。
その景色を思い出しかけ、領主の男は首を振った。そして、改めて窓の外へと視線を向ける。そこの窓からは城塞都市の南側全体が見渡せた。
中央庭園から端を発した今回の騒動も、現場は移ろい続け、今では城塞都市の南側に悪魔の被害は広がり、集中している。彼の長男であるフェルドが向かったのも、その南側。激戦区だ。心配になるような気持が親としてないわけではない。しかし、それ以上に息子たちの実力を信ずる気持ち、加えて――領主として、息子すらも城塞都市そのものを護るための犠牲にしかねない強い意志が、彼を戦場へと送らせた。
城塞都市の内部に悪魔が現れたのは、彼が領主になってから――否、彼の一族がこの都市の領主になってから初めてのことだ。その異例の事態の最中に在って、彼に出来ることは全てを采配し尽くし、あとは願うか祈るかするだけだった。
◇
フェルドの特異点は、二十前半という若さで特殊魔術を一つ、扱えることだった。
本来ならば、才ある魔術師が一生の殆どを費やして初めて手に入れることの出来る特殊魔術。その多大な代償がゆえに、特殊魔術の扱い手というのは高齢である場合が多い。しかし、その中で数少ない若者が、フェルドだった。
当然、実戦経験などは恒例の魔術師に遠く及ばず、特殊魔術を扱えると言っても、その練度もまた熟練の魔術師には劣るだろう。それでも、特殊魔術を既に一つ手に入れた彼には、未来がある。これから強くなり、父親の期待通りに宮廷の筆頭魔術師になることも、一つのありうる将来だ。
――そう、彼には未来がある。
ただ、フェルド自身はその未来を、もう信じられなかった。
フェルドの視界は暗く閉ざされる。悪魔が羽根を大きく、それはそれは大きく広げ、一気に周囲の建物を崩壊させた。その勢いは凄まじく、衛兵たちの大多数が、その建物の崩壊に巻き込まれ下敷きになり、生き埋めになったに違いない。
そして、フェルドもまた――、生き埋めになった一人だった。
「――ぅ、ぁ……」
息は出来る。生き埋めになったとはいえ、恐らくどこかに穴が開いているのだろう。体も、致命傷になるような傷は負っていない。出血多量で死ぬのが時間の問題、というような話ではない。
しかし、崩壊の勢いに呑まれ、声を出そうと大きな口を広げていたのが災いしたか、フェルドの口の中には大量の石礫や土、泥の類が入り込んでいた。吐きだそうとするが、拳大の石が丁度口の入り口辺りに挟まっているせいで、上手く吐き出せない。ひとまずは腕を自由にするために魔術で周囲の石礫を退かそうとするが、そもそも詠唱をするための口が使い物にならないのだから、どうしようもなかった。
こんな時に、自分が弟であれば、とフェルドは思う。
弟は自分と違い、魔術に才があるわけではなかった。代わりに、騎士となり『騎士術』を極める道にいる。こんな時、口が使えなくなって動けなくなるような魔術師より、腕が生きているだけで状況を打破できる、騎士の方が――と思わなくもない。
――だって、そうだろう。
魔術師としての将来を見据えて生きてきた自分が、今こうやって口を使えず生き埋めになった、というだけでその将来を見ることが出来なくなってしまうのだから。
それなら、もうここで全てを諦めてしまうのも、一つの選択肢か、と思って――、
――しかし、出来なかった。
体が勝手に無駄な動きを省略する。最低限の酸素、最低限の体力だけで今をやり過ごそうとする。それは、間違いなく生きたいという体の欲望から来るものだった。そのことを改めて自覚させられて、フェルドは自分の諦めの悪さに苦笑する。
しかし、生きなければならない理由は、確かにあるのだと知っていた。
◇
悪魔と衛兵たちの戦いは、決して五分だなんて言えないものだった。
フェルドが戦闘に参加していた間は趨勢も極端な傾き方をしていなかったが、フェルドを含む多くの衛兵たちが周囲の家屋の倒壊に巻き込まれ、行動不能に追いやられてからは悪魔側へと趨勢が傾くのが肌で感ぜられた。
悪魔の嘲笑が見える、聞こえる。ただ、嘲笑しているのだ。今のところ、中央庭園での出来事以来、言葉を話すような位の高い悪魔は確認されていない。それはつまり、上級でもない悪魔に都市全体が壊滅させられかけている、という事実を示しているのだ。
「北側一番街、二番街、加えて南側五番街と七番街、すべて悪魔の制圧は困難と判断され――、衛兵部隊壊滅です……!!」
領主のもとに届く報告は、段々と全体の趨勢が悪魔側に極端に傾いている、そのことを如実に表すものへと変わっていった。領主の表情が苦く歪むのも、無理はない。
そろそろ、決断が必要だった。息子のフェルドが帰ってきていない現状を鑑みても、悪魔側に対抗できる手札が残っていない。ギルストが戦争状態にあるならば、護りの要であるこの城塞都市テレセフには様々な敵対勢力に対する対抗手段があっただろう。しかし、大戦の時代を過ぎ、比較的平和な時代になったせいで、今この都市は対抗手段を持たない。
――皮肉もいいところだった。
中央庭園の出来事があってから、悪魔の被害が広がるまでで一日、その頃にフェルドが戦線へ投入され、さらにそこから一日程度が経過した。未だに事態の収束の見込みはなく、緊急用の鷹が至る所からギルストの王都へと飛んでいるのが見て取れる。領主である彼も、既に鷹は飛ばした。
そろそろ、決断が必要だった。徹底抗戦の立場を意地だけで守り続けるのは、単なる愚策。どこかで、判断をしなければならないのだと、領主として彼は知っている。
「ッ――全衛兵に通達。城塞都市テレセフは徹底抗戦を解き、陥落したとして周囲の都市に避難を開始する!! ――避難民の誘導を急げ!!」
守るべきは、城塞都市そのものではない。
城塞都市の民こそ、領主である彼が守るべきものだ。守るべきものを、履き違えてはいけない。
――悪魔による凶行から約二日、城塞都市テレセフは陥落した。
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2025.10.26修正
「資料を見ても、前例が見つからない」の一文を削除。
後の展開との矛盾がありました。




