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怪物狩りの少女、異世界でも怪物を狩る!~何をすればいいのか分からないので一旦は怪物倒しておこうと思います~  作者: 村右衛門
第2章「予言者の国」

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特別話「風船葛の籠の中」

エイプリルフール恒例特別企画(にしたいと作者は思っている)として、本編とはズレた世界線IFを描き上げてまいりました!

二章中盤にて、『幻術』の解けたフェナリをグラルド卿が説得できなかった世界線です。ちなみに、グラルド卿は絶対にフェナリを諦めませんがそれでは都合が悪いので、この話限定でグラルド卿はフェナリを諦めています。



「――嗚呼。全て、無駄になったのだな」


 執務机の上に置かれた小さな石が罅割れる。小さな罅が生まれて、それは段々と広がって大きくなり、石全体に波及して、結局その罅割れは、石がその形を維持する力を奪ってしまうほどに大きくなった。

 最後は小気味いい音とともに石が割れる。割れて、破片になる。崩れ去って、粉々になって、机の上に散乱したそれらを、皺だらけの手のひらが拾い集めた。


 生命の灯、彼女の存在を唯一感じる道標。

 それを拾い集めて、男は小さく息をついた。


 ――無駄になった全てを愛でながら、憎み続けて。



  × × ×



 ――二度目の死を迎える。その覚悟は、自分に無かった。


 そのことをひたすらに悔やみながら、フェナリは森を歩く。ひとまずは追手も来ないだろうから、急ぐ必要もなかった。

 森を抜けようとしてフェナリの足は動くが、実際森を抜ければどうなるのか、なんてことはフェナリも知らなかった。ここが何という名前の森なのか、ここを抜けると何処に通ずるのか、そもそも自分は何処に向かっているのか。道標もない道を歩くしかないのだ。


 グラルド卿から与えられた、最後のチャンス。しかしフェナリはそれを無碍にした。どうしても、グラルド卿やアロンに見せられる顔が無かった。自分の存在自体、もうなくなってしまえばと思って、けれど死ぬのは怖いから――そんな中途半端な儘、フェナリは逃げてきた。


 逃げて、走って、後退って、立ち止まって、振り返って、後ろ髪を引かれながら、しかし背を向けてただひたすら逃げている。多分、フェナリが逃げているのはアロンからでもグラルド卿からでもない。恐らく物理的に言えば一番傷つけてしまったであろうシェイドから、逃げているわけでもない。

 ――フェナリは、今と言う現実から逃げている。


 この現実で生きていると自分の強さが呪いのように身を苛むから。

 どこの世界にいても、やはり自分はどうしようもないほどに強く、だからこそ弱くなるのだと思い知らされて、それが嫌だから、なんて勝手な理由で逃げている。逃げてばかり、いる。



「ええ、ええ。良いと思いますよ。――現実から一度本気で逃げてみる、というのも。面白いじゃないですか。何より、面白いんですから」


「――――」


 逃げているという意識が、フェナリには足りていなかったらしい。

 自分は逃げているのだ、追われる存在なのだ、という意識が欠けていたから、その男の存在に気づけなかった。ある時は不気味な露天商、ある時はホカリナの筆頭魔術師である、緑のローブを頭から首にかけて巻いた奇抜な見た目のその男。

 ――ムア・ミドリスは、フェナリの真正面で笑っていた。


「逃げるのでしょう、奥さん。旦那さんも騎士さんも、立場も身分も名前も、全て放り捨てて、逃げるのでしょう。面白いじゃないですか。ええ、ええ――面白いですよ」


「――――」


「自由への旅ってやつですか。私も連れて行ってくださいですよ。楽しそうですからね。何もかも放り投げて逃げて新しい人生っていうのは、籠の中で過ごしていた私としては興味津々ですとも」


 フェナリからの返答がないというのに、ムアは語り続ける口を閉ざそうとしない。恐らく、止めるまではずっと話し続けているだろう。そういう男だ。しかし残念ながら、そういう男だという事をフェナリは知らない。そもそも、彼のことは怪しげな露天商としか認識していないし、その名前すらも知らないのだ。そして、今のフェナリに言葉を返すような余裕はなかった。


「――籠に囚われていた同志ですからね。是非とも仲良くしましょうですよ」


 そう言ってムアが無理やり握手を済ませてくるのにも、フェナリは反応せずにされるがままだった。



  × × ×



 日常を共にする、ということにはいくつか条件があると思うのだ。


 そこには何らかの理由があって、お互いの合意があって、多寡を問わずとも両者の間に協力があって。そうして要素が整えば、やっと日常を共にするという事の条件を満たせるのだと、そう思う。

 ならば、何の理由もなく、ムアが勝手についてきているだけ、フェナリが協力しようという姿勢を見せない、と言う今の関係は日常を共にしているとは言えないのだろう。


 朝起きて、会話を交わすことはなく共に食卓を囲んで、何処か分からない場所を放浪して、夜になれば絶妙に離れた距離間で眠る。そうして生活しながらも、日常を共にしているとは言えない。フェナリとムアは、お互いの日常が偶然重なってしまっただけで、特に日常を共にしてはいない。


「今日もまた静かですね、奥さん。折角の旅ですよ、しかも自由への旅! ええ、ええ――心が躍るというものではありませんですか?」


 少なくとも私は楽しい、と声音を高めながら、ムアは朝食に作ったシチューを口に運ぶ。口を忙しなく動かしていることもあって、ムアの持つ木の器に入ったシチューは殆ど減っていない。その沢山残ったシチューを急拵えのスプーンで意味なく掻き混ぜて、ムアは笑っていた。

 フェナリは、ここ数日間このムアと共に過ごしている。日常を共にしている、ということは絶対に肯定しないが、少なくともその生活の大部分でムアの近くにいる、という事は認めなければならないだろう。しかし、それだけ近くにいて、彼の動向を見ているというのに、フェナリには彼が理解できなかった。


「どうしました、奥さん。私の顔に何かくっついていたり、はたまた穴があったり凹んでたりしますですか? もしそうだったら私もちょっとばかり困るんですけどもね」


「……なんで、ですか」


「おお! やっと奥さんが口を開きましたですよ。ここ数日一切話さないもんですから、これは声が出せなくなったりしたかと思ってたんですけどもね。ええ、ええ――話せるのなら良かったですよ。それで何でしたっけ? 『なんで』でしたっけ。ほお、何が『なんで』なのか聞いてみないと答えを出すのにも苦労する質問ですね」


 一息にそこまで舌を回し切って、ムアはやっとその忙しなく動く口を止めた。フェナリに返答を期待している。これまではフェナリからの返答を待つようなことなく、ただひたすらに自分一人で話し続け、自分だけで完結させていたムアが、フェナリからの返答が期待できると分かるや否や、初めて質問と言うものをしたのだ。

 道化のようにへらへらと笑い、回り続ける口と舌を御することも覚えないムアが口を閉ざし、何処か真剣にも見える表情でフェナリを見据えている。こんな珍しいこともそう起こることではあるまい。


 ずっと舌を回すムアと対照的に、最早ムアの代わりに舌を休めているかの如く、フェナリは口を閉ざし続けてきた。ずっと、ずっとだ。ここ数日間、ムアがどれだけ話し続けていようとも、話を遮ることもなく、口出しを一切してこなかった。

 しかし、やっとフェナリが口を開く。開かなければならない時が、来てしまったから。


「なんで――なんで、貴方は私についてくるんですか」


「ふむ――ついていく理由、ですか」


「そうでしょう。私は、何者なのかわからない、旅人……で――っ」


 化け物なのだから――。

 そこまで言う覚悟は、フェナリに無かった。しがない露天商であるはずの彼に、あまりに詳しい話はしたくなかったのかもしれない。それか、また同じような結末を迎えて、また自分が逃げ出してしまうのが怖かったのかもしれない。

 

「何者か、というならギルスト王国第二王子アロン殿下の婚約者、フェナリ・メイフェアスさんということで。ええ、ええ知ってますとも」


「えっ――な、なんでそれを」


 知られていないとばかり思っていた自分の情報を目の前で開示されて、意表を突かれたフェナリは困惑する。しかし同時に、強烈な恐れが生まれた。

 自分の素性を知っているなら、自分がホカリナ王城でしたことも、その罪咎も、知られているのではないかと。それはつまり、ムアもまた、自分を許さない人間の一人になりうるということで――、


「なんでも何も、私いろいろ見てましたですし。私こう見えて、一応えらーい魔術師やってますので――奥さんをどうするかの作戦も、小耳に挟みながらめんどくさそうだなあと思ってたもんですよ、ええ、ええ」


 ――瞬間、フェナリはどうしたものかと悩んだ。

 ムアの正体が何やら偉い魔術師であったというので初対面時の違和感は解決だが、それ以上に問題がある。

 ムアは、フェナリがどんな状況にあって何をしたのか、知っている。その情報がどの程度なのか、その多寡は分からないが――、


「なら――それこそ、なんで……何でついてきて、何もせずに、っ!」


「乙女の体は大事に、というのは的外れも甚だしいでしょうけど。実際、私には分からないですね。貴女が、実際実際何を、そんなに気にしているのか」


「何を、って……」


『幻術』に堕ち、味方に剣を振るったこと。何を、と問われればそれが答えだ。更に言うなら、その事実から波及していく、『化け物』に関する問題もある。

 フェナリの存在自体が『化け物』であり、存在するだけで利敵となる。それは、フェナリがアロンと共にいることを諦め、逃げてきた理由の最たるものにほかならない。


「『幻術』についての話も私は聞いてますし、貴女がしたことも知っていますけどね、私は。だからこそ、ええ、ええ、だからこそ。何が貴女をそれだけ縛るのか理解できませんです。何があるんです?」


「何、が……」


 今度のフェナリは、言葉を言い淀んだわけではない。言うべき言葉を先んじて否定されて、紡ぐ続きの言葉がなくなったから、その舌は続いて回ってくれない。

 フェナリが気にしていたこと、『幻術』のことを知りながら、それをなんてことないようにして話を進めるムアに、フェナリは何を言えばいいのか、瞬間分からなくなる。しかし、フェナリは無理やりに言葉を紡いだ。


「私には、力があります。状況を多少なりとも聞いたなら、分かることでしょう。私は『化け物』です――」


「――ふむ。『化け物』ですか。それが、貴女を縛る唯一の楔であると。なら、こういうのはどうです?」


「――――」


「――私が、赦しましょう。権利も理由も価値も誠実さも必然性も何もかも、赦すために必要なもの何も持たない私が。私が僕が俺が自分が――私の人格すべてで、貴女の存在を赦しましょう」


「これでどうです?」と重ねて聞いてくるムアに、フェナリは開いた口が塞がらない。開いた口、というのは言葉通りではないが、内心を言えばそんな様子だった。

 予想していなかった言葉、そして聞いた言葉を思い出し、咀嚼しようとすればするほど意味の分からなくなる、その言葉。それが、あまりに自分の体に染みた事実を、フェナリは認めたくなかった。


 何を言っているかもわからない。何を返せばいいのかも、どんな反応をすればいいのかも、何もかもわからない。ただ、少しだけ救われた気分になったのを、否定することは決して出来なかった。



  × × ×



「――どういうことだ、グラルド卿」


 静かに問い詰めるアロンの言葉。その声色には、隠し切れない怒りがあった。困惑や焦り、そういった他の感情を塗りつぶすほどの、強い怒りが。

 それほどの怒りが自分に向けられているのは、もしかすれば初めてかもしれない、などと益体のない感慨を覚えながら、グラルド卿は目線を少し下げてアロンと対峙している。


「必要だと、俺が判断した」


 冷酷に徹し、感情の色をなくして告げられたその言葉に、アロンは歯噛みする。その言葉に、グラルド卿が言うからこそのその言葉に、どれだけの重みがあるか。それを知っているからそれ以上の追求はできない。

 グラルド卿の、一人で王城の廊下を戻ってきた彼の表情を唯一見たアロンは、その瞬間から知っていた。これは、仕方のないことなのだと。


「――グラルドに考えがある事も、フェナリを諦めなければならない理由があったろうことも、分かっている。分かっているが……っ」


 今、この部屋には二人きり。アロンとグラルド卿だけ。その状況に甘える形で、アロンはグラルド卿の胸を叩きながら苦鳴を漏らした。

 グラルド卿の下した判断に、本来ならアロンは抗議する権利を持たない。主従関係だとか、そういう話を抜きにすれば、フェナリを説得するその場にいられなかった自分に、その場ですべてを見届けたグラルド卿を非難することは、出来ないのだと、アロンも理解している。


「――。グラルド卿の考えは分かった。しかし、私は別でフェナリ嬢を捜索する。騎士団のいくらかを借りるぞ」


「……シェイドも連れてけ」


「分かった。グラルド卿は、『厳籠』の討滅作戦の方へ行ってくれ。原則、指揮権はディアム国王だ」


「あァ」


 少しの時間で、確かに意識を切り替えて、アロンは今後の立ち回りをグラルド卿に指示する。

 フェナリの捜索にグラルド卿が参加すれば、恐らくはすぐに目的を達せる。しかし、彼自身に動く意思がない以上、それは不可能だ。ならばせめて、『厳籠』の討滅の方でその力を発揮してもらわねばなるまい。


 ――苦渋の決断に違いはない。

 しかし、必要なことだ。グラルド卿を使えないなら、使えるカードで目的に近づくのみ。

 アロンは、簡単に諦めるほどフェナリに対して薄い想いを抱いてはいない。



  × × ×



「――自由自由自由! 私たちの旅は、自由へと向かい、籠の外の自由をこそ望む為に!!」


「その騒がしすぎる態度は、素なんですね。私の発言を引き出すためにわざとうるさくしているのかと」


「そんなわけはありませんですとも。ええ、ええ、これが私の素――と言っても、今の私の、素ですかね」


 ムアの本意を悟らせないような発言にフェナリは小さく首を傾げる。しかし、彼の発言が意味の分からないものである、というのは珍しい話ではない。なんなら日常茶飯事だ。だから、今回もその一つだろうとフェナリは違和感を無視した。


 ――逃亡生活の始まりから早くも十日が経った。

 その間、追跡者らしき人影を確認することはなく過ごせている。この様子を見るに、グラルド卿は捜索隊に加わっていないだろう。

 明確な根拠があるわけではないが、グラルド卿が捜索を開始すれば、自分はすぐに見つかり捕まる、という危機感が、フェナリにはあった。

 であるからこそ、今フェナリが逃亡生活を続けられているということはそのまま、グラルド卿が捜索隊にはいない、ということにつながると思うのだ。

 それはつまり、グラルド卿がフェナリを諦めた、ということで間違いなくて――、


「おやおや何です? 考え事ですか。折角、籠との訣別、自由への門出という祝の日だというのに!」


「……祝の日だとして、その騒ぎようには賛同できませんよ。私たちは、逃げている――逃亡者の立場なんですから」


「ふむ――。その考えこそ、自由との対立ですよ! 何かから逃げている、その何かを常に意識している、というのは自由とはほど遠いですからね! 我々の目指すのは、完全なる自由自由自由! 何からも隔別された、自由の理想郷!!」


「分かりました、分かりました。納得も理解も賛同も何もないですが、分かりました! なのでせめて声を小さくしてください。見つかるでしょう」


「いやだからですね? いや――ふむまぁ、自由の理想郷が追跡者によって崩壊させられるというのもあれな話ではありますですか」


 やっと大人しくなったムアに、フェナリは溜息混じりの安堵を漏らす。

 実際、ムアの考えの本質に対してはフェナリも理解を示せると思うのだ。ただ、追跡者のことも何ら考慮せず自由をひたすら追い求める姿勢には賛同できないだけで。

 ――フェナリも、自由になりたいのはその通りだ。


 何から、か。それは自分という存在から、だ。

 人より強く、人より『化け物』――そんな自分自身という存在からの、解放。そして得られるのが、フェナリにとっての自由だ。


「どうやって、成し遂げるか。少なくとも今は分からないけれど――」


「分からないことも、出来ないことも、全てこの旅で拾ってけばいいですよ。なんせ――」


「『自由への旅』なんですからね」


「その通り!! やっと分かってもらえましたですか。長かった、ええ、ええ長かったですよ!」


 何故か誇らしげに笑うムアに、フェナリはつられて少しだけ笑った。ほんの少しだけ、笑った。


 何もかも放り捨てる――その覚悟が、ついたのは多分この時だ。

 アロンやグラルド卿、シェイドと言った以前は周りにいた人たちとの関係も全て無かったことにしてしまって、全てを棄てて逃げる覚悟を――。


「――アロン殿下、探しに来ないでください。私は、貴女の知るフェナリは、ここに居ますので」


 

  × × ×



「――殿下! 西へ向かった捜索隊から報告がありました!」


 その報告がアロンに届いたとき、彼は覚悟した。グラルド卿でも連れ帰れなかったフェナリを、自分がこそ連れ帰るのだという覚悟を。

 しかし、その覚悟も虚しく散ることになる。ただ、報告自体が悪い結果を予見させるものではなかったことだけは、事実だ。



「ふむ――間違いなく、これはフェナリのものだ」


「では、フェナリ様は少なくともここを通られたと」


 フェナリの動向を示す、数少ない手掛かりとして、アロンは掌の上に乗せた『運命石』を睨む。

 その色は間違いなく、フェナリのものだ。そもそも、二色が混じった『運命石』などこの世には存在しないはずなのだ。あの奇妙な店主の思う例外が、そう簡単に二人いるわけでもあるまい。


「だが、何故これがここに……」


 アロンがフェナリに対して贈った『運命石』のネックレス。それは、不慮の事態が起こらない限り、簡単にはその身から外れることのないものだ。

 ここでその、不慮の事態が起こったのか。だとすれば、アロンの脳裏を過るのは最悪の可能性。しかし、それはすぐに霧散する。『運命石』が割れていない。それこそが、フェナリに最悪の可能性が訪れていないことを証明している。


 しかし、不慮の事態が起こったわけでないとするならやはり不可解な点がある。

 このネックレスが、何故ここにあるのか、という点だ。しかも、岩を複数積み上げた上に、綺麗に整えられて置いてあったのだ。あまりに、状況として不可思議が過ぎる。


「まさか――フェナリが意図的に?」


 見せびらかすかのような置かれ方は、捜索隊に見つけてくれと言わんばかりのものだ。アロンから逃げているはずのフェナリが、そんなことをするとは思えないが――、


「少なくとも、ここにフェナリ嬢を感じる事はできる」


 アロンの手の中にある『運命石』は、フェナリが今も生きているということの証であり灯。何より、この世界に一つしかないそれが、フェナリの存在を感じられる、唯一のものなのだ。

 これが、フェナリからの断絶の願いだとして、隔絶の表明だとして、アロンは諦めない。


「しつこくとも――最後にフェナリ嬢を、迎えられるなら構わない」


 フェナリは、何を思って自分から逃げているのか。グラルド卿は、何を以てフェナリを諦めたのか。様々な疑問は、フェナリに問えばいい。

 しつこさに辟易されるとしても、最終的な結果さえよければ、アロンはほかを何も望まない。ただ、良い結果が一つも、アロンの手のもとに残らないなら、それが既に運命と定まっているとするならば――、


「――せめて、諦められる理由を」



  × × ×



「――どうじゃ、自由への旅とやらは」


「また、長い留守であったな。――『雅羅』」


 烏が逃げ行くフェナリらと合流したのは、逃亡が始まって二十日を少し過ぎたところであった。

 自らの財産は先んじて回収し持参したというムアのお蔭で、今のところ野宿に必要なもので欠けているものはなく、不安定な生活の中では、比較的安定期が続いていると言える。


「数十日など、儂にとっては留守にも入らぬ。それで、こちらの問いに答えよ。――フェナリ」


『雅羅』の目が細められ、その双眸にはフェナリの瞳が反射する。その見定めるような視線に、フェナリは珍しくたじろいだ。


「どう、と言われても――今のところ安定はしている、という程度のことしか言えぬ。魔物とも遭遇せず、寝床や食事に困ったことは未だない。野宿での逃亡生活を考えれば、十二分に安定しておろう」


「そうではないということは、お主もどこかで分かっていよう。――お主の、感情の話だ」


 どこかで、分かっていたこと。ただ、フェナリの思考回路には介入しづらい存在であるソレについての話に、納得と困惑が、彼女にはあった。

 今の旅に対して、どんな感慨があるというのか。どんな感情が生まれるというのか。それは喜怒哀楽か、はたまたそれ以外か。そのどの問いに対しても、フェナリは明確な答えを返せない。感情と言うものに対しての向き合い方が、フェナリには花樹には足りていなかった。


「――儂は、お主の幸せを望もう。そのために必要なら、世界をも滅ぼして見せよう。ただ一人と一羽が残るだけの世界で、お主がそこでのみ幸せを得るというのであれば、儂はそれのみを望もう。それで、どうじゃ、今の生活は。お主は、今幸せなのか」


「幸せ……」


 ――知らない単語だ。花樹なら、そう答える。

 しかし、フェナリとしての人生を知る彼女は、その言葉とその意味を身をもって知っている。だからこそ、フェナリは『雅羅』に対する返答に迷う。何と答えて良いのか、分からなくなる。自分が幸せなのか、それが分からない。

 転生して、フェナリとしての人生が始まってからと言うもの、フェナリにあったものは殆どが幸せであった。それは、多分喜ばしいことで、誇るべきことで、感謝するべきことで。しかし、それがゆえにフェナリは今までにあったことや持っていたもの、それ以外の幸せの要素を知らない。


「お主が幸せなら儂は何も言うまい。もとよりの出来心、今になって果たせたことよと喜びもしよう。だが、努々(ゆめゆめ)忘れるでないぞ――お主の幸せは、お主の望みによって成る」


「――――」


『雅羅』の述べる幸せが、フェナリには次第に分からないものになっていく。元々形の曖昧だったものがさらにぼやけて、その輪郭を見据える視界は不透明度を上げていく。

 自分が幸せなのか、それを考えろと言われて、フェナリはより一層分からなくなっていた。何もかもから逃げ出してきた自分に、何もかもを放り捨ててきた自分に、幸せなどあるのか。全てを棄てる覚悟を決めた時、幸せも同時に捨てて来てしまってはいないか。


「自由への旅、であったか。ただ自由へ向かい、不自由と決別し、自由を望み。だがそれは――」


「――――」


 返す言葉を無くして沈黙を続けるフェナリに対して『雅羅』が嘴を開く。その嘴が紡ぐ言葉、その続きはフェナリにも何故か、想像がついた。そして、その続きを言われてはいけないのだと、フェナリの中で警鐘が鳴る。

 続きを言わせまいと、声を荒げなければならない。『雅羅』の言葉を遮って、その続きが漏れてこないように塞いで、耳も塞いで、目も塞いで、現実から目を背けてしまわなければならない。そうでなければ、フェナリは気づいてしまう。



「自由へ自由へと。その姿勢は褒められるべきかもしれぬが――お主らの旅は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()の途ではないのか?」


「――嗚呼、成程。そういうことか」


『雅羅』が明確に言葉にした、その指摘。恐らくはムアにも当てはまるであろう、その指摘は、フェナリの胸中に不思議と納得感を生まれさせた。そういうことか、成程、嗚呼、そうだったのか、と。フェナリは納得する。

 納得して、決めるべき覚悟があることに気づいて、しかしその覚悟を決めるだけの覚悟がフェナリには無くて、やはり立ち止まってしまう自分がいることに気づいて。そこでやっと、フェナリは気づいたのだ。


 ――自分は、詰んだのだ、と。



  × × ×



「――もう、やめましょう」


「ふむ。何を、と言わないのは一つ不親切であろうという指摘は置いておきまして、その意図を汲み取りましょう。ええ、ええ――貴女が止めるというのなら、私は文句も不満も否定も零しませんとも」


「……正直驚きました。引き留めるか、何か意味の分からない理屈で押し通されるのではないかと」


 ムアであればしかねない、というのがフェナリの見解だった。自由になりたいとは実際思っていたフェナリから見ても、ムアの自由に対する固執はあまりに強いものだったから。

 しかし、フェナリの想定とは裏腹にムアはいとも簡単にフェナリの申し出を受け入れて見せた。その答えに、フェナリは拍子抜けする。


「それで、次は何を? 逃げるのをやめるのなら、何かを追いますですか? 適当に探せば獣でも魔物でも見つかりましょうけれども」


「いえ、逃げるのは止めません。ただ、目的を棄てるだけです」


「――ほお」


 フェナリの言葉に、ムアの瞳が細められる。ムアがフェナリの言葉の続きを期待して押し黙る、と言う珍しい状況は、これで二度目だった。

 ムアの強い期待に応えられるかは甚だ疑問ではあるが、それでもただ自らの想いを語らんと、フェナリは口を開く。



「置かれた立場も、与えられた身分も、差し出された機会も、向けられた好意も、捨ててきました。恐らく、私の望みも幸せも。――だから、この際何もかもを棄ててしまいたい。それは旅の目的、私の生きる目的も」


「……やっぱり前言撤回です。それは、認められませんですよ」


「――――」


「旅の目的を無くそうと、私の存在意義を無くそうと、その他大勢の何もかもを無くそうと、貴女の生きる目的だけは、無くしてもらっては困りますです。そうなっては、私自身の思う、私の生きる意味が無くなる」


「やはり、止めてくれますよね」


「それが知れただけで、良かったです」と、フェナリは零す。その言葉の意味を、フェナリの真意を、ムアは汲み取れない。これもまた珍しい話だった。いつもは意味の分からないことを言うのはムアの役目で、その言葉の真意を測りかねるのはフェナリの役目で。

 何を、どういう意味で――ムアが尋ねようと口を開いたとき、フェナリは――、



「ごめんなさい、アロン殿下、グラルド卿、『雅羅』、そして」


「――ムアです。ムア・ミドリスです」


「ムアさん――ごめんなさい、そしてさようなら」



「必要なのは、覚悟だけ。――魂魄・『星屑の喧騒』」



 そして、飛来する。それは破壊の象徴であり、願いの象徴であり、荘厳さの一つの証明。ただ、人智の至らぬ、人技の範疇。

 空を覆いつくす程の隕石――星屑の数々が、ただ一点を照準に定めて、飛来していた。


 ――ただ、必要だったのは覚悟だけ。二度目の死を迎える、覚悟だけ。


 詰んでしまった運命を憎むこともしない。ただ、今は納得があるだけだ。

 最初から、こうすればよかったんだ、と。


 最大出力とは程遠い、星屑の暴力。しかし、それは少女の命を潰すには当然の如く十分以上で、その暴威は少女一人に向けられるにはあまりに強大で凶悪で。

 フェナリの命は、簡単に潰された――



  × × ×



 潰された、はずだった。


震えろ(quake)――」


「――――」


「私は権利も理由も価値も誠実さも必然性も何もかも、赦すのに必要なものを何も持たずに貴女を赦した。なら、何の理由も誠実さも優しさも冷たさも慈悲も憎悪も何もなく、ただ貴女を助けても、おかしい話ではない。――言ったでしょう。それは、認められないと」


 自然の暴威の極致である星々の叫びが、一言の呟きに塗り潰される。それは、まさしく奇跡のような出来事だった。フェナリの命を潰すはずだった星々の喧騒は、ただ男の一言で逆に潰えたのだ。


「私の意思は、示しましたですよ。ええ、ええ――これでも貴女が人生そのものから逃げたいというなら、私は止めません。ですが、認めません。全て、何もかもを放り捨てたとしても、自由も不自由も何もない極限の世界に生きるとしても、貴女の存在だけは失えないですよ」


「――なん、っで……」


「ほお、何が『なんで』なのか聞いてみないと答えを出すのにも苦労する質問ですね?」


 悪戯をしてやった、と言う顔でそう問いかけを返してくるムアに、フェナリはその顔を憎たらしく思う。しかし、もう一つ厳然たる事実があった。

 その厳然たる事実は、わざわざ言葉にしてしまうには勿体ないもの。ただ、フェナリの目元から流れ出る汗のような何かから、推して知るべし――。



  × × ×



 フェナリとムアの逃亡生活は数十年と続いた。

 その間、アロンがどれだけフェナリの捜索に労力を費やしたのか、秘書であるカルデン子爵やグラルド卿は良く知っている。その執念が、諦めないと決めた覚悟が、確かに数十年の間続いたことを、彼らは知っている。


 フェナリは、見つからない。

 フェナリは、見つからない。

 フェナリは――見つからない見つからない見つからない見つからない見つからない見つからない見つからない見つからない見つからない見つからない見つからない見つからない見つからない。


 ただ、それだけの結果を重ねて、アロンは生きていた。

 それらの結果の上に、アロンは生きていた。


 ――そんな、日々の一日。ふと訪れたその日は、気温低め、雨は降らず、しかし太陽も顔を厚い雲に覆われた曇りだった。

 一日と例外なく、目の届くところで保管していたフェナリの『運命石』、それが割れるのを確認してしまう日が、訪れたのだ。


「――嗚呼。全て、無駄になったのだな」


 執務机の上に置かれた小さな石が罅割れる。小さな罅が生まれて、それは段々と広がって大きくなり、石全体に波及して、結局その罅割れは、石がその形を維持する力を奪ってしまうほどに大きくなった。

 最後は小気味いい音とともに石が割れる。割れて、破片になる。崩れ去って、粉々になって、机の上に散乱したそれらを、皺だらけの手のひらが拾い集めた。


 生命の灯、彼女の存在を唯一感じる道標。

 それを拾い集めて、アロンは小さく息をついた。


 ――もう、疲れた。


「諦める理由は、フェナリ嬢から貰いたかった」


 恐らく、今は『嬢』でなくなっているであろう彼女の呼称に、しかしアロンはいつもの呼び方のまま。彼の中では、フェナリとの記憶は数十年前で止まっている。

 諦めないと誓ったあの日から、それだけの日々が過ぎたのだと知って、しかしアロンには何の感慨もない。せめて諦めるだけの理由を、と願いながら、この結果だけは拒んでいたというのに――やはり訪れるのがこのような結果だというのは、アロンに向けられた皮肉だろうか。


「しかし、良かったな。老衰か――」


 自分にもそろそろ訪れるであろうそれを口に出すアロンは、どこか清々しそうにも見えた。

 やっと肩の荷を下ろして、しかし彼に残された時間は少ない。

 長くもないこれからを思って、アロンは天井を、見上げた。



  × × ×



 ――アロンも、フェナリも、ムアも、誰もかれも、籠の中。


 何かに囚われ、何かの中で藻掻くばかり。

 目指すものが、本当に目指すべきものか。自由を追い求める自分は、自由と言う籠の中に閉じ込められてはいないか。それは、本当の自由なのか。


 ――自分は、風船葛の籠の中にいるのではないか。


 何もかもを疑い、何もかもを諦めても、何もかもを放り捨てても、人は人生と言う名の籠の中。

 であるなら、せめて――籠の中でも、幸せに。



ハッピーエンドに偽装したバッドエンドの一つです。

皆が心を罅割れさせ、或る者は罅割れを無視して、或る者は罅割れを大きくして最終壊れてしまう。


来年は、どんなバッドエンドが展開されるのか――お楽しみに!!

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