51.戦力予測の不一致
「フェナリ嬢……何をしているんだ?」
「アロン殿下、出陣ですか?」
グラルド卿の相対している黒の男に関して、少しでも情報を得られないかとアロンはフェナリの部屋へと赴いた。『厳籠』との激突が生じている場所からは最も離れた部屋である。
部屋の扉を叩き、中に迎えられたアロンだったが、中で待機していたフェナリの様子に苦い表情を隠せない。既に花刀を顕現させ、髪は後ろで結って臨戦態勢だったのだから。
「……まず、戦闘態勢を解いてくれ。そうじゃない」
「そうじゃ、ないんですか……」
「何で残念そうなんだ」
アロンが部屋を訪ねてきたという事で、フェナリとしてはついに自分も出撃の時だと思ったのだそうだ。グラルド卿以外の騎士たちの戦線維持不能。その条件は確かに達成が難しそうではあるが、実際にそうなったのではないかと。しかし、アロンの告げる要件はフェナリの想像、もしくは願望とは少し違ったものであった。
「『黒の男』について、話を聞かせて欲しい」
「――まさか」
「その、まさかだ。現在、『黒の男』はグラルド卿と交戦している」
その情報に、フェナリも表情を硬くする。彼女にとっては珍しく敗北を喫した数少ない相手であり、自らの手で倒したいと思うのも当然の敵であろう。
しかし、フェナリとしても自分の状況は理解しているし、アロンの考えも理解している。ここで無理やりに出撃を強請ることはしなかった。代わりに、グラルド卿以外の騎士たちが平和的に戦力を失いはしないかと、呪いともいえる祈りを心で念じておくだけだ。
「『黒の男』の強さは、接敵経験のあるフェナリ嬢が一番よく知っているだろう」
「ええ……確かに、強い敵であったのは間違いありません」
フェナリの初撃を、真正面から受け止めて見せたその力量は恐ろしいものだ。すぐに姿を隠したこともあって、フェナリは黒の男の力量の底を見たわけではないが、少なくとも今のフェナリで太刀打ちできたとは、到底思えない。
そこで、いやしかし、とフェナリは思考に逆接を繋げた。
「黒の男と交戦しているのはグラルド卿なのですよね。であれば、大丈夫かと思います」
「それは、グラルド卿なら『黒の男』に勝てる、と?」
「――はい。グラルド卿に手合わせをしていただきましたが、あの方の方が黒の男よりもより一層底の見えなさがある気がします」
フェナリは、黒の男と接敵し、その強さを自分よりも上だと判断した。しかし同時に、『雅羅』より弱いとも思った。そして、グラルド卿との手合わせを経て、その黒の男はグラルド卿よりも弱い、という判断に至ったのだ。
当然、フェナリは黒の男の力の全貌を知っているわけではなく、まだ知らない能力を持っている可能性だってある。その手札次第ではあるが……しかし、グラルド卿なら負けないのではないかという印象があった。
「分かった。黒の男についてはグラルド卿を信じよう。――では次なのだが、『形を持つ魔力』について、フェナリ嬢は何か知っているか?」
「『形を持つ魔力』ですか……申し訳ありませんが、魔術には造詣が深くありませんので」
「そうか……分かった。ありがとう。私は一度軍議に戻ることにする、が……勝手に出撃はしないでくれ」
「大丈夫です、殿下。しっかり条件は守ります」
自信を持ったフェナリの表情に、しかし何故かアロンは不安を感じながら、フェナリの部屋を後にした。フェナリも、まさかこれだけはっきりと条件を護ることを宣言しておいて約束を反故にすることはないだろうが……ここまでにあったことも考えれば、アロンが多少過保護になるのも仕方のないことと言えるだろう。
◇
フェナリから、グラルド卿ならば黒の男にも勝てるだろう、との推測を受けて、アロンは少し安堵していた。しかし、その安堵は軍議に戻った瞬間に砕かれることとなる。
「グラルド卿が苦戦している、と……」
アロン不在の間に来ていたという伝令の報告は、グラルド卿の劣勢であった。
グラルド卿が惨敗するようなことにはなっていないが、彼の攻撃のどれもが黒の男相手には決定打足りえていないと、そう報告があったのだ。先程フェナリから離された推測とは打って変わり、よくない報せであった。
「『紫隊長』はギルストの国家最高戦力。それで対抗しきれないというのであれば……」
ディアムも、この報せには頭を抱えていたらしい。アロンが軍議に戻った瞬間に見たのは、彼の思案顔だったのだ。それも、仕方のないことと言えるだろう。
ホカリナには少なくとも、グラルド卿と同程度の強さを持つ騎士は存在しない。それは、強さの方向性が、ギルストとホカリナで少し違うからだ。『魔械』などによって戦力の自動化を進めるホカリナと、騎士の人力での戦闘を極めるギルスト。『魔械』の方は『厳籠』相手に総動員していることもあって、黒の男側に使えるものは少なかった。
――実質、グラルド卿が一人で戦っているようなものだ。
グラルド卿ほどの存在が二人いて、彼らが戦っているというのであれば、当然他の騎士たちでは手出しが出来まい。参戦すれば混戦となり、逆にグラルド卿の足を引っ張るようなことにすらなりかねないのだ。そのことを考えて、恐らく騎士たちも現状グラルド卿の戦いを傍観せざるを得ていない。
「――しかしな、アロン国王名代。不思議な報告も上がってきているのだ」
「不思議な報告、ですか。黒の男関連で?」
「ああ。『紫隊長』の戦いを傍観している騎士たちが『黒の男』の戦力を推定したところ、その戦力予測に幾らかばらつきがあるのだ。しかし、誰もが『紫隊長』ならば勝てる、と評している」
確かに、第三者に対する戦力予測をしたとして、その結果が完全に一致することこそ少ないだろう。しかし、それよりも着目すべきところがある。それが、全員が口を揃えて、グラルド卿ならば黒の男に勝てる、という評価を下している点だ。
グラルド卿の実力の一端は、彼と共に演習を行った騎士たちが良く知っている。そのうえで、実際に戦場でグラルド卿と黒の男の戦いを目の当たりにしている騎士たちが言うのだ。グラルド卿なら勝てる、と。状況はグラルド卿の劣勢であるというのに。
「確かに、少し気になりますね……」
「そして、そこに一つ付け加えよう。『紫隊長』の劣勢と、『紫隊長』なら黒の男に勝てる、と評したのは同じ騎士たちだ」
「それは……」
あまりにも、矛盾してはいないだろうか。同じ騎士たちが、全く反対の趨勢判断をしているというのだ。フェナリもグラルド卿なら勝てる、と言っていたが、そのことを考えてもやはり何かがおかしかった。
黒の男にせよ『形を持つ魔力』にせよ、何らかの『厳籠』の仕掛けがあるとみて間違いないだろう。問題は、その仕掛けの正体が現状分かっていないことだ。
状況は不透明なまま、しかし戦況は進む。
◇
――見えているもの、感覚、現実。
ムアにとって、それらの要素は同一だった。全てがごちゃ混ぜになって意味が分からなくなる。意味が分からないからこそ、『厳籠』が常に放ち続けている幻術に、彼は気づきもしなかった。しかし同時に、彼に幻術が効くわけでもなかった。
「――。化け物を括りつけられたと思ったら、こっちにも、か……めんどくさいね」
「何言ってんだかですね」
「気づかずに無効化しているのか? やっぱり、化け物じゃないか」
「あぁ……ええ、ええ。やはりあなたでしたか――この感じたことのない力の流れ」
ムアは、魔力の流れを読むことに長けている。しかし、その表現は厳密に正しくなかったらしい。彼は、世界に存在する不可視の力、その流れを読むことに長けているのだ。
その彼が、『厳籠』が身に纏っている妖力を感じ取った。そして、無意識下でそれらを跳ねのけているのだ。どうやって、という話ではない。ムアにとっては当然の日常である。まさか、それが『厳籠』の主要攻撃である幻術そのものであるとは、彼も気づいてすらいない。
ムアの気づかぬ間に、彼は『厳籠』の必殺技を無効化していた。
『厳籠』としても、そう簡単に幻術を無視されては困る。『厳籠』の戦闘スタイルは、幻術によって相手を無力化するところから始まる。その前提が成り立たなくては、完全な優位を手に入れることは出来ないのだ。
「――とはいえ。攻撃が通っていないというのは変わりなしですね。ええ、ええ。それがやはり一番困ったことなわけです」
「簡単に負けるようでは、『化け物』として『三大華邪』として、役不足を否めないからね」
「……分かりました。ちょっと疲れますがやってみるとしますですよ」
何をしようとしているのか、と太い首を傾ける『厳籠』の目の前から、ムアの姿が消えた。
この場は既に上空。しかし、ムアの体はさらに上昇していった。凄まじい速度で上昇を重ね、重ね――そして、止まる。その姿に、『厳籠』も追い縋ろうとして、しかしその動作は中途にて止まる。
「――水荒れろ」
その波濤は、明確な指向性を持った『津波』の一撃。その一番の脅威は、勢いでも鋭さでもない。単なる重さ――押し潰し、纏わりついて引き摺り下ろす、圧倒的な質量攻撃だ。
突然現れた超極大の質量の塊は、一時的ではあるが『厳籠』の飛翔能力を上回り、その巨躯を地面へと叩き落した。上空からの質量は地面を広範囲にわたって破砕し、その罅割れを広げていく。そして、その罅割れは『厳籠』の体の一部にも――、
「はぁ、面倒でしたっと。これだけやっても体には傷一つなし、ですか。まあ、その腹に吊り下げられた籠だけは、例外のようですけれど。――ええ、ええ、狙い通りです」
意図的に飛翔能力を減衰させ、ムアが地上付近へと降りてきた。そして、地に伏す『厳籠』を見下ろしながら言う。
――ええ、ええ。さっさと、終わらせましょうか、と。
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