49.嗤いに笑みを返して
ディアムの話は、そこで締められた。アロンとしても沈黙を保っていなければならない、と言うよりは何か発言をしていられる余裕のない話だったと言える。
ホカリナで起こった内乱、その首謀者の二人が王家の人間だった、というのは当然他国の人間であるアロンは知らなかった話だ。もしかすれば、ギルストの人間で知っているのは自分だけかもしれない、とアロンは言い知れぬ重圧を感じた。
「今でも、あの二人の嗤いは、忘れられん」
「――――」
それは、そうだろうとアロンも思う。
恐らく、ディアムの語り口に兄や妹に対する憎悪と言ったものが見られないことから、元々はさして中の悪い関係ではなかったのだろうと推測できるが……その二人が、自分に対してはそれだけの憎悪を持った計画を練っていたなど、心には傷をつけるに違いない。
しかも、死に際に兄と妹が浮かべていたのが嗤いであったというのなら――その感情が幾らでも想像できるからこそ、ディアムとしては恐ろしいものがあるだろう。
「いまだ、私には国王としての資格はない。それはそのまま、ムアを――あれを、使えないことを意味する」
そうまとめたディアムに、悲愴の色はなかった。実際、語り口も常に冷静で、ディアムの感情は表に浮かんでこなかった。それは、恐らく少年時代のディアムと同様の状況なのかもしれない。様々に絡み合い、複雑になった感情を全て、押し殺して何も無いかのような冷静な態度を保つ。王としては必要かもしれないその感情の抑制は、今のディアムには苦痛にしかなりえない。
父を、母を、喪った悲しみ。兄や妹に憎まれながら、しかし彼らと別れなければならなかった苦しみ。そういった、生じて当然の感情を、ディアムは押し殺して生きてきたのだ。
――そんなディアムに、アロンが掛けられる言葉など、そう存在はしない。
あまりにも、その覚悟の壁は厚い。その苦しみと受けてきた憎悪の壁は、幾重にも重なって、今の状況を構築している。
その壁を貫けるほど、アロンに人生経験も、王として、もしくは王族としての覚悟も、足りない。しかし、何も言わないという選択肢は、アロンも持ち合わせていなかった。フェナリに王族として縛られていた自分を解き放たれ、そしてフェナリに赦しを与えた自分がディアムに何もしない、何の言葉もかけない、というのは、恐らくフェナリにしてもらったこと、そして彼女にしたことへの、冒涜であろうから。
ならば、厚い壁を貫けずとも、その壁に少しの凹みを付けられるように。
「――ディアム国王。少し、よろしいですか」
若輩者が、口を開いた。
◇
全ての属性を孕んだ魔術は『厳籠』の周囲を埋め尽くしていた。
と言っても、その身体を傷つけるに至っていないというのは恐ろしい話だ。その外殻が異様に固いのか、またはその身体を傷つける方法が物理以外に存在するのか。
「どちらだとして、面倒なことには変わりありませんですよ。そういうこと考えるの、私得意じゃないですから」
ムアは、いろんな魔術を試しながら、しかし『厳籠』を傷つけられていない状況に少々の焦燥を感じていた。とはいえ、それをおくびにも出さず、魔術の集中砲火は続いている。
『厳籠』が現れるであろうと推測されていた付近には、ムアが用意した大量の『魔械』が潜んでいる。それらすべてが、ムアの魔力を受け取っていくつか設定された魔術を断続的に放射し続ける機能を持っている。今行われている集中砲火の八割は、それら『魔械』の放つ魔術だ。
そして、残る二割――ムア本人から放たれる特殊魔術。『魔械』に指定されているのはどれも高威力とはいえ、一般魔術だ。しかし、それらとは一線を画すのが特殊魔術である。
火だとか水だとか、風だとか光だとか、そう言ったごくごく日常的な自然現象を扱う一般魔術とは異なり、特殊魔術にはそれ以上の広範囲の自然現象が存在する。特に、ムアが好んでよく用いるのは『地震』の特殊魔術であった。
グラルド卿との国境沿いの戦いでも多用されたその魔術は、一般に地面を揺るがす効果を持つ。とはいえ、魔術とは自然現象の拡大解釈である。それだけで終わるようなら、魔術ではない。
「――震えろ」
その『地震』は、名前に反して地面以外も震わすことが出来る。例えばで言うなら、グラルド卿との戦いでは地面と接する空気、その境界線を震わせていた。空気を震わすにはどうしても魔力の消費が激しいが、地面を震わせれば視覚的に攻撃が見えてしまう。と言うので、ムアが独自に開発した、極点の魔力精度が生み出す対象の概念化である。
その攻撃は不可視であり、何かが全てを撫ぜていく感覚のみがある。そして、その感覚を得た直後には震えが体内に伝播し、鍛えていない人間であれば内臓破裂、鍛えていようとも筋肉が思ったように動かなくなるために行動不能となるのだ。究極の初見殺し攻撃として、ムアとしては愛用していた。
「グラルドさんにも通じなかったわけで、こちらのお相手として不足か否か、測りかねるとこありますですけども……」
グラルド卿には通用しなかった技だが、果たして『厳籠』には通用するのか、と実験をするような気持でムアはその特殊魔術を放つ。対象は『厳籠』の周囲の空気に限定しておく。
空気が歪むほどの震動。恐らく、人間が巻き込まれればグラルド卿のような人の理を超えた存在でもない限り、その頭蓋が一瞬にして割れるであろう一種の究極空間。しかし――、
「さてさて、ええ、ええ。こちら側としても評価を上方修正、と行きましょうですよ」
苦々しい様子はない。しかし、ムアは徐々に追い詰められつつあった。
『厳籠』の嘴が歪む。腹に吊り下げた籠が、大きく揺らいだ。嗤って、いるように見えた。
◇
「ディアム国王は、自分に国王としての資格がないとおっしゃいます。しかし、それならばこれまでのホカリナは何なのですか」
アロンの抗弁、その第一声は恐らくありきたりなものだった。
ホカリナの国王として、ディアムはこれまでホカリナと言う国を治めてきた。ならば、そのこと自体が彼を国王たらしめる証拠となるのではないか。そう言った意図でのアロンの発言。しかし、ディアムはそれにも無情に否定を叩きつける。
「それは、為政者としての資格であって、国王の資格ではなかろう」
そう言って、ディアムはまた一つ、自分を下げた。
ホカリナを治める、という為政者としての実力。しかしそれは国王としての資格に繋がるものではないのだと、ディアムは言う。アロンとしても、その反論には続く言葉を見失った。
「――しかし、国王とは為政者です。為政者とは、ホカリナにとって国王でしょう。ならば、為政者としてこれまでその敏腕を揮ってきたことこそが――」
「その敏腕を奮った結果が、今の惨状であるとは言えぬのか」
「っ……」
確かに、現状のホカリナは荒れている。表面上では王都民も安寧を享受しているだろうが、その実、かつてないほどの国家転覆の危機にある。それこそ、約四十年ぶりの、だ。
それを結果として提示されれば、アロンとしても返す言葉がない。そもそも、フェナリを暗殺することを国務としたことも、一つホカリナの失態なのだ。『幻術』のもとにあったとはいえ、その事実は変わらないし、その点をアロンが赦すことは決してない。今の結果を、されど良いものとして美化すること、正当化することは、アロンには決してできなかった。
「私も、国王らしい行動はしてきたつもりだ。為政者として、国の頂点に立つという事を、せめてまがい物なりに果たしてきた。そして、その結果がこれであり、『試練』の再来だ。一度目の『試練』を乗り越えられなかった私に、今回のことをただ一人で乗り越えることは、不可能――」
「先に失礼を詫びておきます。――ディアム国王、貴方は自分を下げすぎだ。言わば、今は私が貴方を正当化し、貴方に国王の資格があると熱弁している。それをわざわざ自分への卑下と自責で塗りつぶされるのは、こちらとしても困ります」
「……」
「一度目の『試練』――その時に果たせなかったことなのだから、二度目のそれでも果たすことは出来まい。そんな考えは、恐らく考え方として間違っている。そして、今回のことをただ一人で乗り越えるという前提を持っていること自体、間違っている。一度目に出来なかったことを、だからこそ二度目には成し遂げなければならない。一人でなく、国全体を以て、国全体を治めなければならない。それこそが、貴方が手に入れるべき『国王』と言う立場の為すことです」
「――――」
「悲痛な過去があることはお察しします。ですが、それは今を過ごす人の可能性を奪うことの言い訳にはなりません。――ホカリナの戦力として、ムア・ミドリス筆頭魔術師の戦線投入を」
時間が迫っていることもあってか、アロンの舌はいつもより早く回る。そして、その言葉を、ディアムは一言一句聞き逃さなかった。聞き逃すことが、出来なかった。
全てが、自分のこれまでの行動に刺さっていることを、ディアムは理解している。アロンの言葉が正しいことを、理解している。若輩者であるはずのアロンに説得されたことを、理解している。
「まさか、息子でもおかしくないような年齢の――しかも他国の王子に国王の何たるかを説かれるとは……私も、まだまだ未熟だ」
「――――」
「アロン国王名代、貴方の言う通りだ。ディアム・ホカリナ・マグア――ホカリナ国王の名のもとに、ムア・ミドリス筆頭魔術師に、任務を与えよう」
そうして、ディアムは立ち上がる。
兄や妹から向けられた嗤いは、未だに脳裏にこびりついている。しかし、その嗤いには返さねばならないものがあるのだ。
「国王の資格は、『試練』の合否は、ガロス兄上やミフィエラから貰うものではない。――私が、国王として『国王』の資格を勝ち取るのだ」
そして、それを勝ち取った時、記憶の中の嗤いに返してやるのだ。
自分がやってのけたのだと、誇りを胸に――笑みを。
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