48.『試練』
――約四十年前、ホカリナ王城。
「――ディアム、お前が国軍を仕切れ。此度のクーデターを鎮圧し、その功を以て国王としての器を示すのだ」
「はい、父上」
ホカリナ王国で発生した前代未聞の大規模クーデター。クーデター派は既に国政の要所を三箇所陥落させ、その勢力を強めながら王都を取り囲んでいる。国家転覆の危機にさらされるようなクーデター、というのはホカリナの歴史上で初めてのことであるらしい。
そのクーデターを鎮圧するために国軍を率いるという役目を与えられたディアムは、心中穏やかではなかった。自分の背中に掛かる、自分の存在こそがホカリナの命運を握っているのだという重圧だけが、彼を苛んでいるのではない。それどころか、それは彼の懊悩の理由の一部にしかなっていなかった。彼の苦悩、その大部分を占めているのは――、
『――我々は、ディアム第二王子の王位継承に異議を申し立て、クーデターを決行する! 我らが旗は、クーデターの旗であると同時に、正当なるホカリナの旗である!』
クーデター派が王都を取り囲み、宣言をしたのは三時間前の話だ。クーデターの理由が自分にあることもディアムを驚かせたが、それ以上に彼を驚かせたのは、その宣言に続いて告げられた、クーデターの首魁の存在、その正体である。
――ホカリナ第一王子ガロス・ホカリナ・ファダム
――ホカリナ第一王女ミフィエラ・ホカリナ・ベルキット
どちらも、ホカリナ王家の正当な血筋を引く者たち。その宣言が為された瞬間に、クーデター派を叛賊と呼ぶことは出来なくなる。これは、此度のクーデターは、王位継承権争いの延長戦なのだ。
ディアムにとっては、幼き頃から共に育ってきたはずの兄と妹が敵に回ったというこの状況に、驚きや困惑、そう言った感情が生じないわけもなかった。しかし、納得感がないとも、言えなかった。彼らが何故自分の王位継承を阻止しようとするのか。その想像はつくのだ。
そもそも、存命であり、何の失脚もない第一王子を差し置いて第二王子が王位継承権第一位を勝ち取ることなど、異例中の異例である。しかし実際そうなった。その事実は、第一王子にとっては自分が第二王子と比べて明らかに能力として劣る、ということをはっきり宣言されたかのようで、それはそれは屈辱的であっただろう。そして、その屈辱と怨恨を理由に反旗を翻すというのも、全く理解できない話じゃない。
とはいえ、それを仕方のないことだ、納得は出来る、と放っておけないのがディアムの立場である。此度のクーデターを正当化してしまえば、ディアムは自分を選んだ国王と大勢の民を裏切ることになるのだから。だから、十代前半と言う若さであろうとも、その責任を果たすために国軍を率いねばならないのだ。
「戦線を進める。第一番隊、第二番隊を王都防衛壁まで進め、三番隊は王都民の避難を誘導を」
ディアムが指示を飛ばそうとも、国軍の動きは鈍い。
国民の考えは二分されていた。実力主義でディアムを次の王として仰ぐもの、伝統と血筋を護るべきとして第一王子であるガロスを王に立てようとするもの。国軍とはいえ、その考えは完全に統一されているわけではない。
加えて、ディアムはまだ王となるには若すぎる。王位継承も宣言こそされながら、十年ほどは後だと言われていたのだ。
若すぎる指揮官に、誰が従うだろうか。そして、若き指揮官に相対する能力としては劣っていようとも血筋としては正当なガロスら率いるクーデター派に寝返ろうと考える人間は、どれだけいるだろうか。
国軍の状況を把握し続けているディアムも、その人数がわずかながら減ってきていることに気づいている。そして、その人数分、クーデター派の勢力が増して居ることにも当然、気づいている。悟らざるを得なかった。兵たちは、自分ではない兄たちを王にと、望んできているのだ。
「――王としての、器を示す」
現王ルワルド・ホカリナ・マグアがディアムに命じたことだ。
次の王として選ばれたディアムは、その命に従わねばならない。次の王となる自分を、確立させなければならない。それが王位継承権で兄と妹を蹴落とした自分にとっての、当然の責務なのだから。
――いち早く、クーデターを鎮圧しなければ……!
ディアムの中には焦燥に近い感情があった。王としての器を示す、という目標を果たさなければならない。そのためには、兄と妹に勝たなければならない。そのことを重圧に感じながらも、重圧とは思わないように自分に言い聞かせながら、時間が経つほどにディアムの焦燥は膨れ上がった。
国政の要所がいくつか陥落している。このままではクーデター派がより勢力を拡大してしまう。
時間が迫っている。このままでは、自分は王の器を示すことが出来ない。
ディアムは、焦っていた。焦っていた。
「四番隊、五番隊を王都の外から回り込ませ、クーデター派の首魁を捕えさせろ」
これは単純なクーデターではない。王位継承権争いの続きだ。であるならば、敵の首魁――ガロスとミフィエラの身柄を確保し、彼らの戦意を失わせることが出来れば、それはクーデターの鎮圧と直結する。それが一番早い手だと、ディアムは判断した。
多少王城の警備が手薄になるが、それは問題ない。すぐにでもこちらは王城から脱出してしまえばいいのだ。
「――父上、王城からの避難を。王城の警備が手薄になったことに気づいたクーデター派が侵入を試みるでしょうから、そこを捕えます」
ディアム自身、よい案だと思っていた。王城と言うのは象徴的な国家の中枢。クーデター派の最終目標も、恐らくはそこだ。であるなら、そこを囮に使ってしまえばいい。
「分かった、避難しよう」
ルワルドも了承し、一旦王城を去ろうと玉座から立ち上がった。
その瞬間のことだった。まさかの刹那であって、目の前で跪いていたディアムも、何ら手出しの出来ない、干渉できない一瞬だった。
「――ガロス国王万歳!」
そう叫んで、国王の側近であった騎士が国王に刃を突き立てる。国軍からクーデター派に寝返る人間が多少いることはディアムとて知っていた。把握していた、が……まさか、国王の側近までが毒されているなどと、誰が想像できただろうか。予想できただろうか。
そして、こんなタイミングでその凶刃を国王に突き立てるだなんて。最早、気が狂ったとしか言えない。彼が狙うべきはガロスの王位継承権を失わせたディアムであるはずで、国王の命を奪おうとも、その意味はないのだから。
全く意味が分からない。目の前の状況もそうだ。何もかもが、意味の分からないことだった。
何故、自分ではなく父である国王の胸から刃が突き出ているのか。何故、父の顔は驚愕に染まっているのか。何故、国王の側近ともあろう騎士がそんな凶行に出たのか。
――何故、自分の頬には赤黒くべったりとした何かが滴っているのか。
「――ッ、父上!! 何をしている、お前はあの者を! お前は癒者を呼べ!!」
一秒に満たぬ思考の停滞の末、ディアムはルワルドに駆け寄りながら叫んだ。同じく咄嗟のことで思考を白くし、行動に移せていなかった騎士二人に厳命する。
まだ、国王である父を死なせるわけにはいかない。まだ、自分が王位を継承するわけにはいかない。まだ、早すぎるのだ。
「……ディ、アム……聞け……」
「父上、癒者が来るまでは安静に……!!」
「違う、ディアム……聞け」
気が狂っていたとしても、流石は騎士の一撃である。確かにルワルドの胸部、心臓を上手くねらっていた。とはいえ、その一撃も完璧じゃない。まだ、可能性は途切れていない。どうにかすれば、どうにかなるかもしれない――その可能性が、残っている、はずだ。
だというのに、ルワルドは残り少ない体力を以て起き上がろうとする。
止めようとするディアムも、ルワルドのあまりに場違いなほどの覇気に気圧され、言葉を失った。
「これ、は……『試練』だ――王の、器を……示すため、の」
「『試練』……」
「そう、だ……私など、気にする、な……お前は、王となる――人間だ」
そこで一度意識を手放したルワルド。ディアムは喉を駆け上る様々な感情を一度呑み込んで、彼を連れてこられた癒者に任せると、国王の玉座の前から出て行った。
今の自分になど相応しくない、と――ずっとそう思ってきた。国王となるのは、まだ先のことで、兄や妹とともに研鑽を積み、二人と共に国を三人で治めていくのだと、そう思っていた。その代表が国王となる自分であるだけで、結局三人は三人のままだと。だからこそ、ディアムは国王になる運命を重責に思ってはいなかった。
しかし、今この時からは意識を変えねばならない。隣にいるとばかり思っていた兄と妹、彼ら二人はもう隣にはいない。これからも、隣に立つことはない。
「全軍進行――いち早く、敵の首魁を捕えろ」
国軍の動きは、やはり鈍い。しかし、ディアムの瞳に走る鋭い光を見てか、今までよりはその動きにキレが出始めた。そして、大将であるディアムの安全を度外視した国軍の進行により、一斉に勢力図は書き換えられることになる。
クーデター派もその首魁に王族の血を引いている人間がいるとはいえ、既に決まったことに文句を並べる無粋な無法者の集まり。国軍が確固たる意志を持った指揮官の指示に従って動き出せば、鎮圧は簡単だった。いや、もしかすれば簡単すぎたのかもしれない。
◇◆◇◆◇
「――ディアム」「――お兄様」
首魁であったガロスとミフィエラ――その捕縛はクーデター発生から四十五時間後のことだった。二日も経たず、クーデター派の作戦は頓挫させられたことになる。
彼らの身柄が拘束され、ディアムの前に連れてこられたとき、しかし彼らは命乞いなどしなかった。腐ろうとも王家の血筋を引くもの。自らの行動には潔く結果を待つ、ということなのだろう。
「二日後、二人の処刑が執行される――言い残すことは」
十歳になって少し。それだけ若いディアムに、兄と妹を処刑する判断は難しかった。本来ならば、そんなことが出来たか分からない。しかし、父の訃報と、別室で待機していた母についても父と同じ運命を辿ったとの報せを聞いて、ディアムの心は既に壊れていた。
今更、クーデター派の首魁、つまりは国家の敵である彼らに掛ける情けはない。とはいえ、最後に言い残す言葉を聞く辺り、まだディアムにも割り切れないところはあるのだろう。
――その優しさを、ガロスとミフィエラは嘲笑う。
「お兄様は、ホカリナの王として相応しくない。それは、これからのお兄様自身の人生が物語るでしょう」
「そして、ディアムを王として選んだホカリナと言う国そのものが、存在として相応しくない。こんな国、滅びてしまえばいい」
並びたてられる呪詛の言葉。それに顔を顰めて、ディアムは二人を地下牢へと送り込もうとした。
しかし、それは続く彼らの言葉に遮られる。
「「そして――、」」
「「ディアム/お兄様に、俺/私たちを処刑することは出来ない」」
瞬間、周囲で蠢動する魔力の奔流を感じて、ホカリナの筆頭魔術師はディアムの肩を抱き、ガロスとミフィエラの二人から強引に距離を取らせた。それは、英断だった。
直後、ガロスの口が魔術の詠唱を紡ぐ。筆頭魔術師の相殺も間に合わない。あまりにも、魔術を放とうとするガロスと、その魔術の標的が近すぎる。
「お前は、俺たちを殺せない――」
その言葉と共に、ディアムが見たのは、ガロスとミフィエラが、二人揃って嗤っている様子だった。その瞬間に、ディアムは彼らの意図を知る。彼らは、何も王位が欲しくて此度のことを起こしたのではない。全て、自分たちより能力の高いディアムに対する妬み僻みからくる、私怨――国家規模の、人生規模の、嫌がらせ。
ガロスの放った魔術が、標的の間近で爆ぜる。
ガロスとミフィエラの嗤った表情は固定されたまま、炎に消えて潰えた。その嗤いは、ディアムに向けられていた。王となるための『試練』を果たさせない――ディアムの人生そのものを呪うかのような、最後の笑みだった。
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