45.死地へ赴くということ
――気持ちの良い朝、揉め事から一日が始まる。
「――やはり、無理だ。フェナリ嬢には行かせられない」
「御心配はありがたいです。それでも、これは私がやらねばならないことです」
アロンとフェナリが揉めるとは、珍しいこともあるもんだとグラルド卿は近くの壁に寄りかかって二人の様子を見ながら思う。これまで意見が衝突するという事の無かった二人だ。喧嘩とまでいかずともこうやって意見をぶつけ合うことは今までになかった。
話の始まるところから傍観を続けているグラルド卿は二人の言い分もある程度理解している。理解したうえで、この二人の話し合いは平行線になるのだろう、という事を感じ取っていた。
「『厳籠』の討滅作戦には、私も参加します。これは、絶対に譲れません」
「いや、それはできない相談だ。一度危険に晒したフェナリ嬢を、またも死地へ送ることなどできない」
議論の焦点となっているのは、これから行われる『厳籠』の討滅作戦にフェナリを参加させるか否か、と言う話である。フェナリとしては前世での斃せなかった敵を滅さんとして何としても作戦に参加しようとしているのだが、アロンがそれを引き留めようとしているという形。
事実、フェナリと『厳籠』の間にある確執はアロンに理解できるものではない。転生したという事実を知らないアロンには、絶対に無理だ。もしかすれば、その確執を理解したところでアロンはフェナリを行かせないかもしれないが。
「『厳籠』が幻術を操ることは殿下もご存じでしょう。私にはその術に対する耐性があります」
「しかしそれはフェナリ嬢を危険に晒し続ける理由にはならない」
「幻術に抗う術がないものでは、『厳籠』に手出しすることすら叶いません。耐性のある私がいなければ……」
「いや、グラルド卿も幻術には対抗できていた。そうだろう、グラルド卿」
「まァ、そうだな。『騎士術』の応用ッて感じでだが」
「だから大丈夫だ、幻術に対抗できる人間もいる」
「だがまァ、嬢ちゃんがいたほうが心強いかもなァ?」
「グラルド卿ッ!!」
話をややこしくするな、とアロンの鋭い指摘がグラルド卿に向かう。しかしグラルド卿は意に介さない様子で豪快に笑うばかりだ。
話は平行線をたどっている。何時までも終わらないだろうその議論は、両人とも退くことをを肯んぜずと言う様子で続いていた。彼らの主張はそれぞれ、正しい。正しいからこそ、こうやって議論が終わりの見えない迷獄となってしまっているわけだが。
「フェナリ嬢、分かってくれ。君を二度も危ない目に合わせられない。フェナリ嬢の安全――それは少なくとも私だけにしてみればホカリナ存続よりも重要だ」
「――それ、は……」
アロンの王子と言う立場を抜きにした言葉に、フェナリの言葉も止まる。
退けない。絶対に退くことは出来ない。出来ない、が――フェナリの心が揺れているのは事実だった。自分が『厳籠』の討滅を望むのも、究極的には単なる自分のエゴだ。それを理解しているフェナリだからこそ、そこで言葉を止めてしまった。
そして、その隙をアロンは見逃さない。
「――防衛線を決めよう。作戦に参加する人間の内、グラルド卿以外の行動不能だ。その状況に陥った場合、私はフェナリ嬢に助力を請おう」
「……分かりました」
正直、そんな状況になることなんてあるのか、と反駁したかった。しかし、アロンが自分を心配して言ってくれていることは十分にわかるのだから、これ以上に彼を困らせることはフェナリとしても出来ない。したくも、ない。
グラルド卿以外の行動不能。それは、そう簡単に起こる状況ではない。当然と言えば当然の話だが、『厳籠』討滅作戦に参加するのは歴戦の騎士たちだ。グラルド卿との実力差は十分に大きいだろうが、だとしても一般人とは一線を画す戦闘力を有する。
だが、それだけで十分だと言えないのが、『厳籠』と言う怪物だ。あれは、間違いなく怪物だ、化け物だ。幻術と言う抗いがたい術技を用いるだけでなく、恐らく単純な戦闘力も高い。加えて、『三大華邪』とまで呼ばれる怪物に、隠し札がないとは思えなかった。
「決着ッてことでいいな。――じゃまァ、『厳籠』とッちめてさッさとギルスト帰るとするか」
最後までグラルド卿は豪快な笑顔を浮かべたままだった。そして、それが今の状況では何よりも頼もしかった。
◇
「――ホカリナから集められるのは一先ず、騎士団と傭兵団から約百名。新兵も併せれば数倍にはなるが、あまりに人数を増やしすぎるのも得策とは思えぬからな」
「ええ。相手方が幻術と言う術技を使う以上、人海戦術は得策とは言えなさそうです。精鋭で固めた少数突貫の方がよいかと。――ギルスト側から集められる戦力は主に騎士団です、が……本国から招聘するのは難しいでしょう」
「時間をかければかけるほど、王城での混乱が王都に広がる可能性も高まる。『厳籠』の討滅と国民の統制を同時に、というのは人知を超えた賢王でもなければ易くあるまい」
敵の正体、そしてその使う術技について分かってしまえば、作戦会議は着々と進み始めた。最初の難関であったフェナリの奪還作戦が成功したことで士気が上がっている、というのも一つ良い要素としてあるのだろう。
しかも、取り戻したフェナリが敵方である『厳籠』、ひいては『三大華邪』についての知識を持ち合わせていた、というのも嬉しい誤算と言うものだ。
「『厳籠』の居場所は分からないが――」
「敵の目的は、私です。私がここにいる限り、生きている限り――『厳籠』は何度でもこの場に姿を現すでしょう」
自分と『厳籠』の関係を仄めかすようにして語りながら、フェナリは自分に怪訝な視線が向けられているのを悟る。実際、こういった議論の展開が通る過程についてはある程度予想していた。そして、それを想像していたのはフェナリだけでなく、アロンも同様だ。
『深いことは、フェナリ嬢が話すまでは聞かないことにする。ホカリナ相手にも、その態度で接すればいい。少なからずギルストに借りを作っている彼らのことだ。ある程度のことは黙殺できるだろう』
アロンに言われた通り、フェナリは怪訝な視線を意に介さないかのように無視する。もしも直接指摘してくる人物がいた場合は適当に押し返そうかと思っていたが、予想よりもホカリナの面々はフェナリの事情について深堀をしてこないらしかった。
そもそも、『厳籠』の手管によって被害を生み出したのはホカリナが源である。『厳籠』がホカリナ以外の国を選んでいればまた違った過去があっただろうことは誰もが理解しているが、事実としてホカリナが彼の怪物を迎え入れてしまったというのは間違いない。フェナリが狙われているという事実があったとしても、そのフェナリを一度は殺そうとしているホカリナ側として、そのことを深く追及出来はしないのだ。
「つまり、『厳籠』討滅作戦とは名ばかりで、実質は迎撃戦となるわけだ」
「そうなります。現状我々が出来るのは、幻術に対抗する方法の確立や迎撃の際にこちらが優位に立つための環境づくりでしょう」
アロンの提唱に、会議は一旦静まる。
――幻術に対抗する方法の確立。それは、『厳籠』を相手取るうえで必須の段階だというのは全員が理解している。しかし同時に、全員が頭を悩ませる内容でもあった。
純粋に耐性のあるグラルド卿やフェナリなら、咄嗟に放たれる幻術攻撃には対処できるだろう。しかし、討伐隊には耐性のない人間が殆どである。ならばどうするか。幻術にかかることを前提として、その場で幻術を解かなければならないのだ。
さて、幻術を打破できた例は現状いくつかある。もっとも直近であるのは当然、フェナリの幻術打破だ。幻術と言う術技を『籠』として認識し、幻術の矛盾点を外部から指摘することによってその『籠』の存在自体を否定する。シェイドの場合についても同じことが言える。しかし、
「幻術の内容をその場で特定し、矛盾点を指摘する――それをするのはあまりに難しい」
「うむ。幻術の内容がいくつかのパターンに限られるというのであれば、それも不可能なことではなかろうが……現状それについても検証は出来ておらぬからな」
では別の例はどうか。『厳籠』がアロンらの前に現れ、両者の間で対話を交わした際の例である。この際、アロンは目の前に『厳籠』がいるという幻術にかかっていた。しかしその幻術が解けるとき、アロンは『籠』の矛盾を指摘されたわけではなかった。
『それは幻術だ』とグラルド卿から言われた、ただそれだけ。しかし、アロンはそれだけで幻術を打破した。この例はフェナリの例とは異なる。アロンの例があるため、幻術の打破の方法には「信頼できる情報源から幻術であることを指摘される」ということも含められるだろう。ホカリナの面々に掛けられていた幻術が解けた絡繰りも、アロンの場合と同じだと言える。
信頼できる情報源、というのがアロンであればグラルド卿で、ホカリナの面々であれば幻術を掛けた張本人であった『予言者』であった、と言うだけの違いだ。
「この方法についても何の検証も出来ていません。例えば、グラルド卿の言葉をホカリナ騎士団がどこまで信頼できるか――条件に合致するほど信頼できるのか。それも不確定ですし」
「恐らくだが、多くの者は無理であろうな。その条件の敷居がどれほど高いのかも分からぬ以上、迂闊なことは言えんが……ホカリナの騎士団は殆どがそちらのグラルド卿を、『紫隊長』を、信頼どころかその実力を疑ってすらいる」
単刀直入で率直すぎるディアムの物言いに、アロンは渋面を作る。しかし、仕方のないことだと納得も出来た。ギルストの騎士団や国民であればグラルド卿の実力を理解しているし、その功績も知っている。それは実際に自分たちの身近でその力が揮われているからこそ理解できるものでもある。
対して、ホカリナの人間からすれば異国の人間が国家最高戦力と名高い評価を受けていると知ったところで、その功績についても深くは知らないのだから、逆に疑いたくもなるのだろう。国への忠誠心が高いものは特に、その傾向が強いのかもしれない。
「信じがたくとも、信じていただかねば困ります。あまりにも時間がない。幻術に対抗できる人間は多くなければなりません」
「……グラルド卿を貸してもらえるか。ホカリナの騎士団と共に鍛錬を。剣に生きる者たちにとっては、それが信頼への近道であろう」
「――分かりました、グラルド卿にも伝えておきましょう」
ディアムの提案に、それならばとアロンも頷く。
話は纏まり、グラルド卿とホカリナの騎士団が共に鍛錬を積み、グラルド卿の言葉によって幻術を解除できるよう取り組むこととなった。そして、残されたフェナリは、と言うと――、
「シェイド様、少しお時間よろしいですか」
「――フェナリ様。どうぞ、シェイドとお呼びください。私は護衛ですし、貴族の爵位を見ても貴女の方が上ですから」
「……では、シェイド。昨日のことについて、謝りたくて」
「――――」
「幻術に掛かっていたとはいえ、私は貴方に剣の切っ先を向けた。本来戦う必要もなく、戦うべきでない貴方に――本当に、ごめんなさい」
そう言って頭を下げたフェナリに、シェイドは一瞬固まる。
その一瞬の間に、シェイドの中をいろんなものが駆け巡っていた。それこそ、すぐに頭を上げるようそれこそシェイドの方から頼み込まねばならないような状況だと、彼自身理解しながら、咄嗟に言葉が出ない程。それ程にいろんなものが駆け巡って、シェイドはその一瞬、思考が色を失った気がした。
しかし、そこは騎士として鍛えられた精神力がシェイドを現実へと引き戻す。
「頭をお上げください、フェナリ様。昨日のことも、私は大した傷も負っていませんし……それこそ、私の力不足で貴女を取り戻す作戦を失敗したのです。私こそ謝らせていただきたいところです」
「いえ! シェイドさ……シェイドに謝られては、私も寄る辺が無くなりますから」
慌ててシェイドが謝ろうとするのを未然に防がんとするフェナリを見ながら、シェイドは悟ることがあった。アロンの言葉は、恐らく嘘だったのだろう、ということ。
アロンは、幻術に掛かっていたフェナリの強さを幻術が故だとシェイドらに説明していた。そして、シェイドとしてもそれを疑いはしなかった。しかし、その強さの片鱗を見たのちに改めて幻術の解けたフェナリを前にしてみれば、その強さは失われているどころか純化しているのだ。
初対面の時、護衛対象としてフェナリを見た時には特に意識していなかった。だから、その時に強さを感じることはなかった。ただ、その強さの可能性が思考に入り込んだ瞬間に、フェナリの強さは膨れ上がったのだ。
――何が、どういうことか……
幻術がゆえに本来以上の実力で刀を振るっているという認識だったフェナリ。しかし、それは間違いだったのだと分かれば、事実は変容する。
シェイドは、フェナリをどう見ればよいのか分からずにいた。変わらず護衛対象として見ていいのか、はたまた騎士をも超える実力を持った何者かと思えばよいのか。
「――シェイド?」
「失礼しました。少し考え事を」
いや、フェナリをどう見るかなどはどうでもいい。
シェイドにとって重要なのは、『約定』を果たすことだ。幼少期の拙く柔い口約束を、少女の願いを、今の自分が誓いとして後世を作り上げていく。それだけが、彼にとって重要なのだ。
――その少女が、約束の結末を見届けられないとしても。
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