42.理不尽の末に
避けられなかった、幾多の最悪。
最悪に最悪を重ねて、結果もまた最悪だった。終わり良ければ総て良し、と言う言葉には苦笑いを向けるどころか唾を吐き捨ててやりたくもなる。それほどに、最悪ばかりだった。
何もかもを切り捨てて、より良いものを選び取って、それでも一番手に入れたいものを取り戻すことは叶わなくて。結局、自分の力など何処にもなくて。そんな自分なのに、良いのか。そんな自分に許されるのか。そう思いながら、しかし衝動を抑えられずに――、
「フェナリ、嬢っ」
アロンは、帰ってきたフェナリを、強く抱き締めていた。
困惑と共に、どこか頬を紅潮させるフェナリ。しかし、アロンにはその表情も見れていない。見る余裕もない。しかし、ただひたすらに安堵の感情があふれ出て、今までにやってきたことの全てが最悪の結果を導いたとしても、この一つの得られたものがあれば、それだけでいいと思えた。
「ご心配と、ご迷惑をおかけしました……っ」
「いい、いいから……」
口調が崩れるのも気にせず、アロンは喜びを嚙みしめる。
今だけは、フェナリを守れなかったことも、最終的に取り戻したのが自分ではない事実も、全てに目を瞑って、ただひたすらに、喜びを、歓喜を――。
「そォいやアロン、嬢ちゃんが小国滅ぼしたいッてよ」
「グラルド卿?! 言ってませんが?」
「ああ……準備しておこう……」
「王子殿下も準備しないでくださいっ?!」
「ハッ。珍しいじゃねェか、アロンが脳死してるッてのも」
そう言って豪快に笑いだすグラルド卿に、先程までの自責感も忘れて「笑ってる場合ですか!」とツッコミを入れるフェナリであった。
◇
「――多大なるご迷惑をおかけしましたことをお詫びします」
そう言って、正気に戻ったフェナリは重要メンバーの前で頭を下げていた。
フェナリとしては、土下座でもなんでもしたい気分である。というか、アロンとグラルド卿には実際に土下座での謝罪を提案したうえで断られ済みである。アロンの言によれば、『幻術使い』を擁していたホカリナ側の失態もあるので、フェナリがあまりに低姿勢になると今後の交渉も不利になると。
あまり細かいことはフェナリには分からなかったが、その時のアロンの微笑が少々悪く見えたので、悪巧みの一部なのだろう、と知らないふりをすることとした。
実際、ホカリナの面々が謝罪しているフェナリに対して弱腰の対応で宥めてきたので、アロンの言っていたことも事実なのだろう、というのがフェナリの所感であった。
「――ひとまず、大目標の一つが果たせた。だが」
「まだ問題は残されている、ですね。それも、今回の首魁が」
フェナリの謝罪を社交辞令やら云々で流し、会議が再開された。
王城とそこを占拠しているフェナリの奪還と言う大目標の一つを達成したことを確認しつつ、しかしもう一つの重要な問題が残っていることも同時に確認される。
今回の問題の首魁であり、元凶である『予言者』改め『幻術使い』さらに改め『厳籠』の存在。それは残された最後で最大の問題だ。その存在が残っている限り、ホカリナは安寧を手に入れることが出来ないままであり、収束は遠いままになる。
「ギルストは正式にホカリナからの救援要請を受け入れています。ですから、最後まで、協力する所存」
「協力感謝する。――しかし、状況は行き止まりだ。相手方の場所も、目的も、何も分からないのだからな……」
結局、『厳籠』の行動方針が分からない。アロンの認識として、『厳籠』はフェナリの命を狙っている、というのがあるが、その理由は全く分かっていないし、その末に彼が何を求めているのかも、分からない。
『厳籠』の考えはそもそも、全てが理外のこと、アロンらの想像の埒外のことだ。だからこそ、アロンらにはその行動方針を想像することも、理解することも出来ない。『厳籠』を、人間だと思っている間は、人間の尺度で考えている間は、決して分からないのだ。
しかし、相手の思惑が分からないからと言って立ち止まることは出来ない。
どんな時でも、立ち止まらなかったからこそ今がある。それは、アロンが一番理解しているはずのことで。だから、アロンは立ち止まらない。苦い雰囲気の会議を戦意に塗りつぶさんがために、立ち上がり――、
「状況は確かに行き止まりです。ですが、好転したというのは事実でしょう。こちらは、敵を制圧するのみです。先制攻撃は既に受けた後ですからね。現状分かっていないことは全て、首魁たる『厳籠』から聞き出せば――」
「『厳籠』――ッ?!!」
世界の異音が、場を蝕んでいく。
◇
――『三大華邪』と言う存在がある。
その存在に対して、花樹は何を思っていたのか。どんな感情を持っていたのか。
結局、花樹の『三大華邪』に向ける感情だとか、考えだとか、そう言ったものは本人ですら理解できていない。あまりに複雑で、あまりに理解しがたく、自分の意思が介在しているのかすら怪しいような状況だ。
しかし、一つだけ言えることはある。
――『三大華邪』は、花樹の敵だ。
であるならば、フェナリにとって彼らが敵となるのは当然のことで。人生を以て討滅せんとしてきた存在がずっと近くなったことを知り、声を荒げてしまったのも、仕方のないことだっただろう。
「――っ。失礼、しました」
思わず立ち上がり、声を荒げたフェナリはすぐに正気を取り戻して気まずそうに席に座りなおした。しかし、それで何もなかったことになど、ならない。
何より、その反応はアロンにとっては予想していたものだったのだ。
「フェナリ嬢、『厳籠』の名を、知っているのか」
「――はい」
フェナリがアロンの問いを肯定する。それに、アロンは手掛かりが増えたと喜ぶべきか、はたまた状況を憎むべきか、と悩んだ。
二度目だが、アロンは予想していた。『厳籠』が誰にも理解されない名乗りを挙げたその時から、フェナリだけはその名に理解を示せるのだろう、と。しかし、それは自分とフェナリとの隔絶を意味するものでもあり、自分では永遠にフェナリを理解しきれないのだ、と自覚せざるを得ない事実でもあった。だから、アロンはその予想をほぼ確信していながら認めたくなかったのだ。
しかし、他でもなくフェナリの口からその肯定がなされてしまう。
「『三大華邪』とは、怪物です。その、頂点に坐する――『化け物』です」
フェナリの口から出てきた『化け物』と言う単語に、後ろで護衛として待機しているグラルド卿は小さく反応する。
フェナリの述べる『化け物』と言う単語に、どれだけの重みがあるのか、その一端はグラルド卿も理解しているつもりだ。だから、『三大華邪』の恐ろしさも粗方わかる。フェナリをして、怪物の頂点、『化け物』だと言わせるその脅威は、これまでフェナリが相手してきた岩落鳥だとか炎堕龍だとか、そう言った怪物とは比べ物にならないのだろう。
「奴らは……『妖術』というものを用います。私も詳しいことは知りませんでしたが、今回の『幻術』もその一つかと」
淡々と、フェナリから告げられていく事実に、面々は重い表情だ。
誰も知らなかった怪物の頂点たる『三大華邪』の存在。当然、異世界の存在であるのだからこの世界で知られているはずもないのだが、誰もが知らないその存在を、一人の少女だけが知っているという状況はあまりにも歪だった。
と言っても、その状況を指摘している余裕がないのも事実。面々が大人しくフェナリの話を呑み込んでいるのも、『厳籠』についての知識を持つのが彼女だけであるからだけでなく、一つ一つの疑問を反論と言う形でぶつけている時間と精神の余裕がないせいだ。
誰もが、理解している。
『厳籠』と言う存在は、自分たちには理解することの出来ないのだと。
少女が語る全てを理解する日は、自分たちには訪れないのだと。
◇
日が暮れてきて、一度解散という事になった。
残念ながら王都に降りることは出来ないが、騎士団演習場の近くにある騎士寮の空き部屋を宿泊所として利用することとなったらしい。
「護衛はグラルド卿に頼んであるが、くれぐれも気を付けて欲しい」
「はい……前と同じ轍は踏みません」
「恐らくあれも『幻術』を利用されたことだろうし、フェナリ嬢が気に病む必要はない。だが、気を付けるに越したことはないからな。何かあったら私もすぐに来るようにする」
一度その行方が不明になり、次に姿を見せた時には『幻術』に堕ち、その意思を失って自分たちに刃を向けた。そんな前例があれば過保護にもなるというもので、アロンはグラルド卿の負担を懸念に思いながらも一晩フェナリの護衛をするよう頼んだ。
次の朝起きたらまたフェナリが消息を絶っている、などとなればアロンは恐らく次こそ現実の理不尽に発狂してしまう事であろう。王子の矜持を護るためにも、そんなことは何としても避けなくてはならなかった。
「『厳籠』の討滅のための作戦会議は明朝から行われる。今日のところはゆっくり休んで、明日に備えてくれ。――じゃあ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい。王子殿下」
そう言って、本当にアロンは自分の部屋へと戻っていく。その背中を少しだけ見守ってから、フェナリは自分も扉を閉めて部屋の中へと戻っていった。
アロンは今回のことがあってから、少しばかり話す時間だとか、関わる時間だとか、そう言った細かいところが減っているように感じられる。と言っても、その短い間のフェナリへの対応は変わっていないどころか以前よりも柔らかいものになっていて、不思議なものだとフェナリは首を傾げるばかりだ。
今回のようなことがあったのだから、アロンがフェナリを恐れて避けるようになるのは理解できる。しかし、それでは態度が軟化した理由が分からなくなる。そもそも、アロンがフェナリのことを悪く思っていないというのはグラルド卿の説得で納得した通りだ。
――不思議ではある。しかし不快ではない。
アロンの態度の変化は、何とも理由の分からないものだが、フェナリとしてそれを嫌なものとしては受け取っていなかった。グラルド卿もアロンの横で時折笑っているので、自分には分からない何かがあるのだろう。そして、それは特に悪いものではないのだ。
あまり分からない状況だけれど、フェナリにとってはあまり気にならなかった。今は気分がいいというのもあるのかもしれない。
グラルド卿に説得された時、フェナリは確かにアロンが自分を赦してくれているという事実に納得した。しかし、それは自分の中での納得でしかなくて。
だから、その後でアロンの前に戻った時、アロンに抱き締められたその時、初めてフェナリは心から理解できたのだ。自分は、ここにまだいてもいいのだと。だから、それは嬉しかった。ただ、少し恥ずかしかったのは事実だが、嬉しかったのだ。
「次はいつになるだろう……」
「何じゃ、また『幻術』にかかるつもりか」
「――! 『雅羅』か、今までどこに行っておった!」
驚く少女の前で烏は嘴を少しずらし、「少しな」とだけ答えた。
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