40.『何なんだ』
――『三大華邪』が一角
「何なんだ」
――我が名は『厳籠』
「何なんだ」
――覚えておいてくれよ、人間
「何なんだ――!!」
◇◆◇◆◇
「――信じたく、ない」
それは、アロンの静かすぎる号哭だった。
あまりにも悲惨すぎる状況に、魂がその激情を吐きだす気力も失った。
――フェナリが危険に晒される、理由は
それは、確かなものだと信じていたかった。『幻術使い』の名乗りが、フェナリを襲った動機に繋がり、それをアロンが理解して、そしてそれを否定して、全てを終わらせる――その筈だったのに。
アロンは、『厳籠』と、そう名乗った『幻術使い』の名乗りを聞いて、ただ直感的に悟ってしまった。フェナリと『厳籠』の間にある遺恨は、アロンの理解できるものではないのだと。アロンに理解できなかったその名乗りは、恐らくフェナリになら理解できるのだと。
そう思えば、そう思うほどに。アロンは、現状を否定したくなる。
「せめて――理解できれば」
理解できれば、何だったのだろうか。
理解できたとして、アロンに何が出来たかは知らない。けれど、本当に一切の理解が追い付かない、と言う状況よりはマシだろう、と思った。
「決して、終わらない……フェナリを救おうとも、終わらない」
終わりは、遠い。フェナリを救っても、『厳籠』を討滅するまでは終わらない。その討滅を果たしても、『厳籠』の正体を正しく知ることが出来なければ、終わらない。知ったとして、それが終わりになるか分からないのだから――、終わりなど、遠い。
「――王子」
グラルド卿の声が、えらく上から聞こえる。その時、アロンは初めて自分がその場に蹲っているのだと気づいた。そして、それでは駄目なのだと、思い出した。
あり得ない、そうあり得ないのだ。終わりは、遠い。だとして、アロンが足を止める理由にはならない。問題の終わりはあろうとも、アロンの歩みの終わりは、存在しないのだから。
「やるんだろォが。行くぞ」
「――ああ、すまない。行こう」
グラルド卿は、決して人の心に寄り添って慰めの言葉を掛けたりはしない。欲しい言葉を、欲しい時に言ってくれるわけでもない。それを、アロンは知っている。しかし同時に、彼が必要な言葉を必要な時に言ってくれる人だと、知っている。
必要な言葉とは、欲しい言葉とは違う。そこで欲していた言葉ではないかもしれない。それでも、グラルド卿は正しいのだと、何度だってアロンは感じてきたのだ。
だから、グラルド卿と共にだからこそ、アロンは一歩を踏み出す。
◇
『厳籠』――その名を名乗って、『幻術使い』は姿を消した。いや、『幻術使い』というのも正しい表現でないのだろう。あれは、『厳籠』なのだ。
而して、世界は一つ、雑音を孕み始める。
好む好まざるとに関わらず、それは確実に――。
◇◆◇◆◇
「アロン国王名代、これを――」
「準備いただきありがとうございます」
「なに、『運命石』は王都でなら珍しいものではない。準備も容易いものだ」
ディアムから色の入っていない『運命石』を受け取り、アロンは作戦遂行のための準備を終える。
これから実行に移す作戦は、至って簡単なものだ。フェナリの意識をこちらに向け、フェナリの目の前でアロンが『運命石』に魔力を籠める。その時点で、作戦の成否は決するのだ。
アロンの思惑通りにいけば、フェナリを『幻術』から解き放ち、奪還戦は収束させられる。もしも、フェナリがその時点でまだアロンらを『敵』と認識するのであれば、作戦は失敗だ。
「――では、行こうか。グラルド卿」
「ええ、王子殿下の御威光のままに」
「――。アロン国王名代、ホカリナの未来を、頼んだ」
「――――」
「本来、護るべきは私だ。ホカリナを護るべきは、託された私だ。――しかし、それを理解したうえで、私はギルストを頼る」
「――ええ。ギルストの名を以て、その信頼に応えましょう」
はっきりと頭を下げ、アロンを頼る、という事を明言したディアム。それは、ホカリナ国王の言葉であり、国を護るための決断。彼の心中を、少しは察して――アロンはだからこそ、はっきりと頷きを返した。
今から、行く。奪還戦を終わらせに――。
◇
「――周囲、王子も警戒弱めんじゃねェぞ」
「分かっている。いざとなれば、剣を抜く準備は出来ている」
「それをさせねェのが、俺の存在意義ではあるけどな」
ホカリナ王城に入って、グラルド卿を前にして、二人は廊下を進んでいく。フェナリがどこにいるかも分からないため、警戒は弱められない。グラルド卿は既に騎士剣を抜き放ち、いつでも応戦できる構えだった。
王城の廊下、足音を吸い込むカーペットを踏みしめながら、二人が行く。右に、左にと視線を向けながらフェナリがいないかを確認。そして同時に、グラルド卿が感覚でその位置を探る。
「――流石は嬢ちゃん、気配も殆どねェが……『紫隊長』はねェ気配を探るモンだ」
感覚を更に研ぎ澄まし、廊下と部屋に触覚を這わせる感覚でフェナリの気配を探る。――と、一つの気配を見つけた。
「王子、二階の右端から四つめ」
「――確か、調理所だったか……遮蔽物が多いかもしれんな」
アロンはそう言いながら、しかしフェナリが他の場所に移動するまで待っているような余裕はないと、「仕方ない」と首を振った。
状況の混迷化は進んでいる。単純な対『予言者』であったはずの状況は、対『幻術使い』となり、対フェナリとなった。さらには、偶然グラルド卿が戦線に参戦、突然『幻術使い』が現れ、理解の出来ない名乗りを上げた。
状況が純粋に変化するだけでなく、その要素が増えるという形で、それは簡単に読み解けない不可思議な状況へと変化してきている。
恐らく、時間が経過すればするほどに、状況は指数関数的に混迷を極めるだろう。
その混沌の中で、本当の希望の光明を見つけ出せるか、それが分からない。だから、アロンは立ち止まっていられないのだ。
「この一瞬すら惜しい。悪い環境でも、足を踏み込まねば」
「――そォだな」
アロンの焦りを直感しながら、しかしグラルド卿は苦言を呈することはなく、フェナリの気配に基づいて足を踏み出した。
今、必要ではないからだ――。
◇
――強い、怪物だった
ふと、そんなことを思うのは何故か。
自分がその怪物をみすみす逃し、今になっても追い縋ろうとすらしない、そのことを正当化するためか。
もしかすれば、そうなのかもしれない。
さっきから、思考が緩慢だ。
世界そのものの揺らぎは、直接フェナリの感覚や思考にまで影響している。そのせいで、思考が正常に機能していない気もする。
しかし、それも今の今までだ。
――状況が変わった、故に意識を切り替える。
「――この感覚、さっきの怪物より強いかもしれんな。そして、複数……二体か」
「――。やはり、――――の見立ては正しかったらしいな」
何やら呟きながらに部屋に足を踏み入れたのは、強いと感覚が訴えるのとは別の怪物。しかし、強いか否かという話以上に、世界を護らんとする本能が、この怪物を排除せよと叫んでいた。
その本能に従い、フェナリは先んじて顕現させていた、万全の花刀を構え、一足にてその距離を縮めて――、
「――と、それをさせねェのが俺の役目だ」
横から現れたもう一つの影が、フェナリの剣戟を抑え込んだ。そのことに、今更驚愕はない。ただ、確信があるだけだった。――これが、一番強いと。
一歩で詰めた距離を、同じく一歩で離す。
それでもこの間合いは自分にとって一足分でしかない。だが、恐らくそれは相手も同じ。
「狭ェところで戦えずして、騎士が名乗れるわけねェだろ」
「――ッ」
咄嗟に近くにあった調理器具を棚ごと投げつけるが、それらはいとも簡単に剣で防がれる。これでは、少しの時間稼ぎにすらなってはいまい。
歯噛みしながら、フェナリは後ろに――と見せかけての前進。体を低めて下から花刀を斬り上げる。
「――ッと、なんだ、本当に弱くなッてんじゃねェか?」
剣戟を防ぎながらのその言葉に、渋面を悔しさにさらに歪めて、フェナリはやはり撤退する。
一つ前の怪物とは違う。確実に、一つ段階の違う強者だ。そう、また一つ自分の強さを覆して、フェナリは二歩、三歩とさらにさらに撤退を重ねる。押されてばかりだなんて簡単な事実、分かっている。分かっているが――撤退しなければならない。撤退撤退撤退撤退撤退撤退して――、
「逃げてばかりじゃねェか、嬢ちゃんらしくもねェ」
「――っ、何を……知ったような口を」
「知ッてる、ッて言えば信じんのか?」
「怪物の言葉を、信じるわけなかろうよ」
「――。あァ……アレだ。チッ、口での時間稼ぎは苦手つッただろォが」
「問題ない、十分だったぞ。―――――」
◇
「問題ない、十分だったぞ。グラルド卿」
フェナリの意識がグラルド卿に向けられた少しの時間。アロンはフェナリの死角を通り、彼女へと近づいていた。幸いだったのは、フェナリの意識が本当にグラルド卿に向けられていた、ということ。通常であればあり得なかった、フェナリの隙だった。
『幻術』にかかれば、フェナリは弱くなる。対抗策としては大して強くないうえに、恐らく今回の奪還戦が終われば使う必要のなくなるであろう事実を改めて理解しつつ、アロンは最後の一手を打つべく、フェナリの正面へと躍り出た。
今の一瞬、フェナリの凶刃が自らの胴を切り裂かないとも限らない。しかし、その不安はグラルド卿の存在によって否定される。
不安を否定し、希望を肯定し、希望を渇望し、光明に手を伸ばして――、
「――やっと、ここまで来たぞ。フェナリ嬢」
『運命石』をフェナリの面前に掲げ、そのまま魔力を籠める。
ただ、薄暗い中で『運命石』が碧に染まっていく。
フェナリの、確かに目の前で、それは起こった。そして、それはアロンの思い通りの結果を導いて――、
「――すみませんでした」
思い通りの、結果、など、導いて、くれ、なくて。
短い謝罪の言葉を漏らして、同時――フェナリは手元の花刀を、その刃先を、自分の首元にあてがっていた。
◇◆◇◆◇
フェナリをホカリナとの会談に連れてくることは、アロンとしては反対だった。危険に晒したくなかった。しかし、フェナリの言葉を信じて、彼女を連れてきた。最初は変な店主に絡まれながらも『運命石』のネックレスを送り、少しはいい雰囲気が作れていた。会談が終われば、また城下に降りるのも良いかもしれないと思っていたのに、朝起きればフェナリの失踪の知らせが入り、護れなかったことを悔やんで、悔やんで、しかし王子としての役目を放棄することは決して敵わず、苦渋に苦渋を重ね、参加した会談で『予言者』に遭遇したと思えば『予言者』は『幻術使い』であり、同時にフェナリが『幻術』に堕ちて『敵』に回ったという事が分かって、しかしそれでも諦めず、ホカリナとの共同戦線を以て戦わんとして、第一作戦は失敗したけれども、グラルド卿の参戦で第二作戦は成功するはずで、なのに失敗して、折角見つけたと思った光明は光明でないと思わせて光明で光明じゃなくて光明で、やはり最後はすべて失敗して失敗して失敗して失敗失敗失敗失敗して――、
フェナリが、目の前で自分の首に刃をあてがった、その瞬間。
「何なんだ――!!!」
あまりに重なる理不尽に、アロンは静かでない号哭を、上げた。
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