34.『幻術』の解法
◇
「――いやぁ、まさか脱するとは……思惑と違うなぁ」
そうぼやくのは『幻術使い』だ。
人の少なくなったホカリナ王城を闊歩しながら、誰に声を向けるわけでもなく呟き続けている。
先程、フェナリが詠唱を経た『花刀』の完全顕現を果たしたとき、『幻術使い』は好機だと思った。
シェイドも、花刀の脅威には当然気づいたはずだ。ならば、それによって自分が害される可能性は、当然考えたはず。
そういうときに、人は『幻術』に掛かりやすくなる。
「花樹程じゃないけど、あの騎士も『幻術』に耐性あったからね……タイミング合わせるためにも完全詠唱はしてらんないし。――だから、別の意味でタイミング合わせた、ってところか」
相手は、やはりいない。だというのに、彼の口ぶりは誰か相手が居る、というように感じさせるものだった。
返事が来ないのも当然。相手が居ないのだから。なのに、『幻術使い』は語り続けるのだ。
「あのまま――花樹に斬られる予想だったんだけど、ありゃ失敗か……」
つい先程の様子を、思い出す。
あの状況ならば、シェイドが困惑している隙にその首を落とせたはずだ。タイミングこそ違えど、それは『幻術使い』の思惑通りの結果になるはずだった。
だというのに、フェナリはその手を止めた。「不思議な動きだったな」と『幻術使い』が言ちる。
恐らく、フェナリは『幻術』に落ちながら、その本能で体を動かしていたのだ。
フェナリとシェイド、そういった本能や感覚を鋭くする人間相手に『幻術』は以外に力を発揮できない。だから、フェナリには完全詠唱の『幻術』を掛けていたというのに。
「ほんとに――そっちの方が怪物だろうよ」
◇
仕切り直し、そう仕切り直しだ。
フェナリもシェイドも、それを望んだ。
だから、シェイドは騎士剣を構えて――フェナリを見据える。しかし、今の最終目標がなんなのか、それは間違えない。
――第一に、帰還だ
今するべきはフェナリの制圧ではない。帰還なのだ。だから、シェイドはフェナリに時間稼ぎの一撃を加えて逃亡する、それだけでいい。
「――。騎士として、私は生きねばならない」
「人を喰らっての生に、べきもあるまいよ」
「――? それは」
「一つ一つ、説明する意味もつもりもなし」
フェナリの言葉、シェイドにとっては理解できなかったその一言が、何故かシェイドの脳内にこびり付いたように残る。しかし、それについて思案している時間は無いらしかった。
フェナリが一瞬の間隙すら許さずに剣戟を放とうとする――と、思われたと同時、フェナリは前に踏み込まずに後ろに跳んだ。
「なっ――」
「忘れるわけもなかろうよ、一生を共にした愛刀の、制約を」
そう一言残して、フェナリは大きく飛び退ると、花が一つしかついていない花刀で観葉植物を斬った。今回こそはハッタリでなく、本当に、だ。
そして、当然ながらにシェイドはその隙を見逃さない。先程ハッタリに陥れられて死の淵へと追いやられたばかりだというのに、シェイドの動きに迷いはなかった。
「今度こそ、隙有り――」
「――。っく」
シェイドの騎士剣が、明確にフェナリの首筋を狙う。狙いは寸分の狂いもなかった。本来なら、その剣身がフェナリの首を切り裂いていただろう。
そう、騎士剣が両断されていなければ、そうなっていたはずだった。
間合いを、 計り損ねた――わけではない。
計算通りだ。シェイドの計算の通り、騎士剣はすんでの所でフェナリの首には届かない。しかし、その一撃は確かにフェナリに命の危機を感じさせたはずで――、
「今はそれだけで、十分」
一撃を確かに打ち込んで、踏み込みの着地と同時にシェイドは方向を一気に転換。進行方向を変えた反動を勢いでねじ伏せ、フェナリに背を向けて走り出す。
フェナリは、追わなかった。
逃げる怪物を追う、という経験が足りないからじゃない。そんなことじゃない。
――今のは、何だ
目の前の怪物を相手に、花刀を掲げ、後は振り下ろせばその首を取れる、と言う瞬間だった。そんな絶好の好機を、フェナリは逃した。
何よりおかしいのは、それが受動でなく能動だったこと。
フェナリは、怪物を狩るまいとして、その命を屠るまいとして、手を止めたのだ。
そんなことは、これまでなかった。何かがおかしい。何かが、おかしいのだ。明らかに、会ってはいけないことが自分の身に起こっている。そんな自覚が、根拠も実感もない自覚だけが、フェナリにはあった。
「何なのだ――これは」
それは、何か忌まわしきものだ。
その何かを思えばこそ、嫌悪感と共に危機感が沸き上がってくる。今のままではいけないと、何者かが語りかけてくる。
ふと、フェナリは自分の首元に手を伸ばした。
首に手を当てて、少し手の位置をずらすと、指に糸が引っかかるのを感じて、その意図を手繰り寄せていく。そして、服の下に隠した『運命石』のネックレスに、指が当たった。
冷たい感触、されどその内包する温かさに、フェナリは静かに目を瞑る。
アロンからもらった、初めての贈り物だ。
アロンから、という事に留まらず、贈り物などもらうのは初めてのことで、フェナリは動揺したと同時に、ただひたすら嬉しかった。そして、自分とアロンがその色こそ違えど、意匠を同じくする装飾品を身に着けているのだ、と言う事実が、どこかむずがゆく、快かった。
――何故、これを忘れていたのか
戦っている最中は、流石にこのネックレスの存在を思い出すことは難しかっただろう。それでも、ふとした静かな時、ネックレスを思い出せる余裕のある瞬間は何度だってあったはずで、それなら、フェナリがこのネックレスの存在を思い出していないのは、不思議な話で。
フェナリの中には、違和感が満たされていく。ただ、違和感がある。
おかしい。おかしい、のだ。
明らかに、見逃してはいけない何かがある。それは目の前に、あるのだ。
それが何なのか、フェナリは知らない。
知らないからこそ、知りたい。知らねばならない。
そうしないと――、最たる危機に、立ち向かうことが出来ない。
◇
「――騎士シェイド、ただいま戻りました」
「シェイド――無事だったか」
「報告は及んでいるかと存じますが、第一作戦は――失敗いたしました。申し訳ありません……!」
「いい。今回のことは、作戦不足だった」
本陣となった騎士団演習場にて、シェイドはアロンに迎えられ、帰還を果たしていた。
フェナリとの、文字通りの死闘を繰り広げた末に帰還できたことは幸運だ。本来ならば『幻術使い』の介入もあって、シェイドはフェナリにその首を落とされているはずだったのだから。
そうして、死線を潜り抜けながら敗退してきたシェイドを、誰もが責めることは出来なかった。誰にも、そんな資格がないことは分かっていた。
「――改めて、作戦を立て直しましょう」
「うむ。純粋な力による制圧は不可能だ、と今分かったところだ。別の方針を立てねばなるまい」
「恐れながら、一つよろしいでしょうか」
第一作戦の失敗を受け、第二作戦の立案のために方針を改めて定めよう、とアロンとディアムが議論を展開しようとする。それを、シェイドの一言が止めた。
フェナリと実際に戦ったシェイドの進言。そうでなくとも、ギルスト・ホカリナを含めての現存戦力での最高戦力だ。その彼の言葉が、無下にされる筈もなかった。指揮官二人からの許しを得て、シェイドがその場に立ち上がる。
「私がお話ししたいのは、『幻術』についてです」
「何か、手掛かりがあったのか?」
シェイドの話し始めた内容に、アロンが声を小さく弾ませる。
『幻術』に対抗する術が、またはそれに繋がる手掛かりだけでも見つかれば、状況の根本的な解決が望める。それは、奪還戦を容易に終わらせられる、ということだ。
もしかすれば、ホカリナ王城の無血開城の可能性が見える、とその場にいる面々から期待の眼差しが、シェイドに向けられる。
「私は、フェナリ様との交戦中、『幻術』にかかり、そしてそこから脱しました」
「それは……!」
「『幻術』の解法――直接的には通じませんが、恐らく手掛かりにはなるかと」
見えた希望の光明は、はっきりと差し込む一閃の光だ。
ディアムや他のホカリナの要人たちに実感のなかった『幻術』からの脱出。それを、シェイドが実際に経験し、手掛かりとして情報を提供できるのであれば。『幻術』の解法を導き出すことが、可能になるかもしれない。
――ここだ、ここなのだ
アロンは、ここが自分の力を出す時だと直感した。
シェイドが、死線を潜り抜けて得てきた情報だ。それを、咀嚼し嚥下し、実際にその効果を導き出すのは、アロンであるべきで、アロンはそのためにこそ全力を出さねばならない。それが、シェイドが誇らしげに腰にさげている騎士剣――中途で折れているそれへの、手向けになるはずだ。
「シェイド、詳しく聞いていいか」
「はい、勿論です」
アロンは、シェイドに語りを促す。
そして、シェイドは語った。自分が『幻術』にかかり、自らの右腕を失ったかのように錯覚したこと。そして、咄嗟に体が動いたとき、動いたのは無いはずの右手で、それを自覚してもう一度確認した時には右手が、そこにあったという事。
それは、生じた違和感と、『幻術』の歪だ。
そして、シェイドの語ったその話は、アロンの中で一つに組み上がっていった。
――元々、違和感があった
ディアムを含むホカリナの要人たちは、いつ『幻術』から解かれたのかと。
明確かつ確固たるきっかけ、原因があるはずだと。それが見当たらないから、アロンにはそれが違和感として残った。
実際に自分の中で考察をすることが出来ず、放置されたその違和感は、シェイドの話を聞いたことで一つの形を持ち始めたのだ。
アロンは『幻術』とは何か、という部分を考えていた。
『幻術使い』本人が、そう述べた。『幻術』によってホカリナの面々は『予言』を信じ、フェナリは自分たちに敵対しているのだと。しかし、『幻術』と言う存在を明確にされても、その細かいところが判明しているわけでは決してない。
それがどのように発動し、どのような効果をもたらし、どのように解除されるのか。それは、分かっていなかったのだ。
そこを、アロンは考えた。
違和感を辿るようにして。シェイドから聞いた話を、一つの羅針盤代わりにして、暗中を探り、違和感と言う道しるべを見つけながら辿り、結果として辿り着いた。
――『幻術』など、存在しない
その、あまりにも理解できず、あまりにも荒唐無稽な一つの結論に。
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