33.囚われの『幻籠』
「――勝てる、だろうか」
「……ディアム国王、ご心配ですか?」
「む――。指揮官と言う立場にありながら、このような発言をするのは本来忌避すべきだ。しかし、あの戦いを見てしまえば……『幻術』に落ちた彼女は、人外と言わざるを得ない」
「――。そう、かもしれませんね。ですが、ギルスト騎士団のシェイドであればある程度は拮抗できていた。戦力を更に集めた今回ならば、と思っていますよ」
指揮官であるアロンとディアムは、当然のことながら戦線にはいない。現在の拠点となっている騎士団演習場で待機している状況なのだ。しかし、では彼らは現在暇を持て余しているのか、と言えば当然そうではない。
フェナリを相手にしたホカリナ王城の奪還戦は、一つ目の作戦で成功するほど、容易に進むものではない、というのはお互いに理解していることだ。であれば、失敗した次の次、そのさらに次の作戦を先に考えていなければならない。それが、彼ら指揮官の立場なのだから。
「――これも、『試練』か」
「――? ディアム国王、何か……」
「――アロン王子殿下! ディアム国王陛下!!」
ディアムの言葉に、アロンがその心意を尋ねようとして、その問いは半ばで断ち切られた。アロンの言葉を不遜にも断ち切ったのは、騎士団演習場に駆け入ってきた一人の騎士――ギルスト騎士団の人間だった。先程まで奪還戦のためにホカリナ王城へ進入していたはずの彼が、ここにいるということは――
「ホカリナ王城奪還戦、第一作戦――失敗に終わりました!!」
「――やはりか」
「……ですね」
騎士の報告を受けて、アロンとディアムも徹して表情を暗くはしない。しかし、その報告は当然良いものではないのだし、少々の表情変化は許されてしかるべきだろう。
第一作戦の失敗は、予測されてはいた。恐らく、判断したのはシェイドだ。そして、第一作戦の失敗条件としては、フェナリとの戦力差を埋めることが出来ず、フェナリに対して正面的な制圧が不可能だと判断される、ということ。シェイドでも、そして他の騎士たちが集った複数小隊規模の戦力でも、フェナリには勝てないのだ。
「――シェイドは、どうした」
「シェイド隊長は撤退を命じられ、ご自身は殿を、と!」
「そうか」
そう報告する騎士の後ろから、続々と逃げ延びてきたのであろう騎士たちが入ってくる。しかし、その中にシェイドの姿はない。殿を務める、というのであれば当然他の騎士たちよりも帰還は遅れるだろう。
一先ず、細かい話はシェイドから聞かねばなるまい、とアロンは考える。
「全員、水分を取り休憩を。第一作戦は失敗に終わったが――ご苦労だった」
ねぎらいの言葉を掛けて、アロンは騎士たちに休憩を命じる。こちらの戦力はホカリナ騎士団から補給できるとしても、場合によってはもう一度戦力として投入される可能性があるのだ。今のうちに可能な限り休憩を取っておかねば、次の作戦の成功率は大きく下がる。
そして何より、ギルストの騎士たちの士気を下げるわけにはいかないのだ。
――究極的に見て。
ギルストの人間から見た時の現状は、隣国に危機が迫っているだけだ。つまり、突き詰めれば他人事なのだ。ギルストの騎士団が命を賭して守るべきはギルストであり、その国家、民草である。ならば、ホカリナの国のために命を懸ける必要は、究極的にはないことになる。
当然、アロンの命令であり、自国の貴族が事件に関与しているのだから、騎士たちは責務を果たすために戦うだろう。しかし、それは表面上に過ぎない。
誰かが、これは他人事なのだと認識すれば、その認識は伝播し、今回の作戦はほぼ確実に破綻する。
それだけはあってはならないのだと、アロンは可能な限りギルスト騎士団の士気を下げまいとして行動を重ねていた。
ホカリナ王城での出来事は、確かにギルストと言う国家から見て他人事に過ぎないのだろう。
しかし、アロンとしては自らの想い人が、その事件に関与している被害者なのだ。今回の作戦を諦めるという選択肢は、当然彼にない。
「――ディアム国王、第二作戦について、会議をしましょう」
「ああ。無論だとも」
アロンは、前線で戦えるような戦力になれない。それは、厳然たる事実だ。
しかし、ならばこそ。アロンは、その他の点で他を凌駕する戦力となればいい。
◇
――どうすれば
――――いいのだろうか
――勝つには
――――どうすれば
フェナリの、斬撃を避けることは簡単じゃない。
しかし、シェイドの中でただ叫ぶ、死にたくない、という生存欲求が今のシェイドを生かしていた。それが無ければ、今にも希望を断ち切られ、自らの命を花刀に捧げてしまっていただろう。
『花刀』――それはまさしく、シェイドにとっての生命の簒奪者。
フェナリの持つ、その脅威、破滅の鋼、絶死の予言、その体現者、具現化。ただひたすらに恐ろしさと凶悪さを凝縮した破壊の権化たるその刀が、シェイドとフェナリとの間にあった均衡を覆したのだ。
「っ――!」
「させるか!」
騎士は、騎士剣がなくとも戦える。
それは勿論だ。シェイドも、騎士剣を使うことのできない状況での戦い方を知っている。そして身に着けてもいる。しかし残念ながら、それは圧倒的な格上――それも存在だけで脅威となる刀を持った相手にも通用するものではなかった。
シェイドが、体術を駆使して逃げ回る中、フェナリは余裕のままに花刀を振るう。
否、フェナリとしても余裕と言うわけではないのだろう。最近、フェナリの圧倒的な戦力は覆されてばかりだ。『黒の男』から始まり、グラルド卿にだって敗北を喫した。当然、『雅羅』には昔から勝てたことが無い。そして、今だって目の前の怪物に、フェナリは勝てていないのだ。
「さっさと――!!」
「まだ、退場していられませんよ――騎士たちが逃げられるよう、私が殿になったのですから」
それは固い決意。それは覆しがたい、覚悟。
片腕を失い、武器も失い。それでなお、最後の最後で曇りはしない、希望の象徴。それは眩く、フェナリが見たことも、感じたこともないものだった。
――あと、二撃
「――仕切り直しじゃ」
「――! 今ァッ」
何度も見た、動作だった。フェナリが観葉植物に近づき、目にもとまらぬ速さで花刀を振るう。そして、観葉植物が斬られた瞬間に、花刀は消える。それは、シェイドにとって逃してはいけない、最大の好機だ。ここで一撃を加え、制圧にはいかずとも一瞬の隙を作れれば、シェイドが撤退する時間も生まれる。
「仕切り直し」。その通りだ。シェイドとしても、それを望む。
だからこそ、シェイドはフェナリの懐へと突っ込んだ。
姿勢を低くし、残った左腕を手刀に変えて、フェナリを狙う。それは、寸分の狂いもない一撃だったはずで、フェナリとの勝敗を決するほどでなくとも、ある程度の時間稼ぎにはなるはずで。
しかし、それは上手くいかなかった。
「――外れ」
「――――っ」
フェナリの掌に、握られていたのは。
今ちょうど、消え去ったはずの――『花刀』。
何故、それが、いま、ここ、に、そうか、観葉植物、をきった、のは、手刀、いや、いま、は、それ、より――ッ
「アアアァァッ――!!」
本当に、死にそうなとき、死に繋がるような痛みを感じているか否かに関わらず、人は叫ぶらしい。
そんな意外でもなんでもない事実を、シェイドは自分の首に振り下ろされる花刀を確かに見据えて、悟っていた。
今から、回避動作をするとすれば――上は無理だ。下、に動いても意味はない。であれば、攻撃動作を解除し、下に倒れこむようにしながら寝返りを打つように右か左へ――いや、駄目だ。攻撃動作を解除しても、左腕を受け身に使うには時間が足りない。このままじゃ、腕をなくした右側から地面に落ちて、そのまま――いや、それは駄目だ。どうしたらいいのか、そんなものは知らないけれど、死ぬのだけは――、
――駄目、だ
二度目の、絶望。
そこで、シェイドの思考は途切れてしまった。フェナリの花刀が彼の首を断ち切った、訳ではない。ただ、その希望が完全に断ち切られ、考える気力が無くなっただけのこと。
だけれど、長年の時を騎士として生きたシェイドの体は、希望の有無に拘らず、破滅を避けるために動いていた。
「――――っ」
「――――ッ!」
シェイドは、右側から床に落ち、右手を床について思いっきり、その掌で床を押した。
そのままの勢いで、シェイドの体は無様にも王城の廊下を転がっていった。
シェイドは、右側から床に落ち、右手を床について、そのまま廊下を、転がったのだ。
無くなったはずの、右手だ。
「――っ? どういう……」
シェイドは、ここが死地であることを忘れて、ただ疑問の沼に落ちた。
右手は、フェナリに断ち切られたはずで、今自分の右腕は途中から無くなっているはずで。
――じゃあ、今動いたのは何だ?
――そも、斬られた右腕が落ちているのを、自分は見たか?
――全て、勘違いだった?
疑問がシェイドの脳内を支配する。
状況が複雑になればなるほど、シェイドは思考の迷獄に迷い込んでいく。しかし、そこまで深く考える必要は無いのだ。
「私は――知っている」
そうだ、シェイドは知っている。
自分の脳内までをも改変し、全ての勘違いを生み出す、巨悪の根源の存在を、知っているのだ。
「『幻術』――ッ」
もし、全てが『幻術』だったのだとすれば。そう考えれば、生じた矛盾の、その全てが説明できる。
そして、腕を切り落とされたと言うのが『幻術』ならば、右肩から先、そこには――
「腕が、ある」
確かにある。それは勿論、腕がなくなったということ自体『幻術』によるものだったのだから。
シェイドはこの時、『幻術』から解放されていた。それは、『囚われの幻籠』からの、脱出だ。それはつまり、フェナリを『幻術』から救い出すための唯一の光明だ。
この瞬間――シェイドは、断ち切られた希望を、取り戻した。
シェイドは、元より帰還するべきだった。しかし、この瞬間からは違う。シェイドは――
――帰らねばならない
「ついに手に入れた、貴重な手がかり。殿下に、届けねば――」
改めて、床に落ちていた騎士剣――途中で両断されたそれを拾い上げ、柄を右の掌でゆっくりと包み込む。
騎士剣が両断された、というのも『幻術』であったならよかったが、そこまでシェイドは幸運ではないらしい。
しかし、騎士剣は両断されようともその威容は衰えない。それどころか、折れない希望の光明としての尊厳を殊更に強く主張している。
「さぁ、参りましょう――騎士の尊厳は、ここにある」
「――。然れど立ち続けるか――怪物」
さあ、仕切り直しだ。




