32.断ち切られた希望
――怪物。
――怪物怪物。
――怪物怪物怪物。
それらを屠らんとして刀を振るうも、殆どが逃げ腰なせいで致命傷を与えるには至らない。
そして、つい先程から参戦した怪物――間違いなく、はじめの部屋で自分と善戦した怪物。そいつが、一番厄介なのだ。
単独でもある程度脅威だというのに、他の怪物を庇いながら戦うような知能もあるらしい。そのせいで、フェナリは少しずつ数を増やす怪物をどれ一つ屠ることの出来ないままだった。
「――紅花一閃・睡蓮!」
「その、技はッ……知っている!」
知っていることと、防げることは直結しない。しかし、相対するシェイドの実力が、その二つを結びつけた。
フェナリの技を、一度見たことがあると言うだけで防いで見せた強大なる実力。それは、フェナリが明らかな警戒を向けるにふさわしいものだ。
「まだまだ……! 蒼花一閃・朝顔――!」
「っく……!」
苦しそうに息を吐くシェイドだが、されどその剣技は曇ることがない。広範囲に撒き散らされた曲反りの剣戟が騎士剣の応戦に悉く受け止められた。
フェナリは表情を歪めながらも剣戟を重ねていく。花刀の妖刀としての性質を遺憾なく発揮し、空気を切り裂く一閃が、シェイドらに牙を剥いた。
(そろそろ、一匹くらいは……)
刀を振るうのをやめて、フェナリは一旦後退る。そして戦況を俯瞰的に観察してみて、状況が思ったより良くないことに気づいた。
元々、多対一だ。シェイドが目立つ動きをしていて、彼が最も危険であると言うだけで、周りの騎士団だって何もしていないわけじゃない。
「――燃えて、爆ぜろ!」
フェナリにとって厄介なのは、周りの騎士団が放ってくる魔術だ。フェナリは魔術に才がなく、その詠唱を理解して正しく反応することが出来ない。
魔術で立場を築いた傑物の集う魔術師団を相手にするわけでないのだから、放たれてくるのは全て練度の高くない一般魔術。それでも、未知の攻撃はそれで十分に役目を果たしていた。
本来ならばフェナリが優勢になるはずの戦いでシェイドが善戦できているのは彼らの魔術のおかげもある。
『フェナリに対しては恐らく、魔術が有効かと』
シェイドは、意外に拮抗できている現状を見据えながら、少し前のアロンの言葉を思い出す。
作戦会議において提案された、魔術による攻撃。それは、少しフェナリの対応が遅れたり間違えば、簡単にフェナリの命を奪いかねないものだ。だが、アロンは断言した。
「彼女との戦いにおいて、魔術は有効打にはならないでしょう」と。
しかし、それが決着をつける最後の一手とならずとも、戦いを有利に運ぶには役立つだろう、ともアロンは述べた。
その予想は、そのまま的中していたのだと、今の状況が証明している。
「――厄介な」
「厄介で結構! ひとまずは、果たさねばならない任務がありますので」
破滅を望む妖刀を前にして、何の変哲もない剣がその欲望を打ち砕く。フェナリにとっては歯痒い状況だった。
生き恥を、晒すか――屠るか。
フェナリの持つ、一つの指針ともいえるもの。
『両親』――従うべき、と言われたそれから、伝えられたその二元論。ただそのもとで、フェナリは――
「妖術は……やめておこう」
小さく呟いて、フェナリは一歩大きく飛び去った。そのまま、近くにあった観葉植物を花刀の養分とする。ホカリナでは至る所に観葉植物を飾る文化があるらしく、フェナリにとって、それは僥倖だった。
花刀の制約を果たし、フェナリは一度花刀を消す。そして、もう一度顕現させんと――、口を開いた。
「――花の芳香。生命の簒奪。八花の拘束。」
フェナリが紡ぎ始める言霊に、彼女の周りで存在感が膨れ上がる。その事実に危機感を覚えたと同時、シェイドの体は動いていた。
今のフェナリは刀を持っていない。加えて、すぐに刀を顕現させられる状況でないと推測できる。ならば、今こそが不意に訪れた好機。その見え見えの好機を、逃すシェイドではなかった。
大きく踏み込んで一閃、さらに向きを変えての一閃。さらに踏み込んで――、とシェイドは斬撃を重ねていく。
フェナリはそれらを後退るステップで回避していった。その様子は余裕があるようだったが、得物を無くしたフェナリと剣を振るうシェイドでは優劣が明白だ。少なくとも、今は――。
「――魂魄・花刀」
膨れ上がり、自らを強く主張するその存在感が凝縮され、フェナリの掌中で収束する。
それは切っ先に向かって曲反りした、この世界においては歪にも見える形、されど芸術であるそれとなり、その刀身に、花を咲かせる蔦が纏わり付く。
――妖刀・『花刀』
その、言霊による詠唱を経た上での完全顕現。フェナリにとっては、久方ぶりとなるその希望の刀は、恐らく相対するものにとっては、絶望だろう。
少なくとも、今フェナリと相対しているシェイドにとって、その他騎士たちにとって、その刀は自分たちの絶死を予見させる破滅の鋼となった。
「――このようなことは、久方ぶりじゃ。だが、これより先、屠れぬものはなし」
フェナリが口上にて転がすは絶死の予言。まさか、その予言を信ずるが幻術のためと思えるほど、シェイドたちは愚かでなかった。
その刀圧を前にして、シェイドは改めて剣を構え直す。
「――私にも、守らねばならぬ約定がある。そのために、私は騎士としてあらん!」
「約定などと――吠えるな、怪物が」
「何――隊長に比べれば、まだまだですとも」
シェイドは、目の前の死地、その吹き荒れる風の中で目を凝らす余り、すぐ近くに落ちている真珠を、見落としたらしい。
しかし、その事実には誰もが気づかないまま、フェナリとシェイドの得物が――剣と刀が、ぶつかり合う。
――先程とは、違う
何もかもが違った。確かにこれまでも、フェナリの筋肉量ではあり得ないような速度で振るわれてきた刀、少しの力で断ち切られた幾つもの観葉植物と、何らかの小細工が刀に施されていることは分かっていた。
事実から推測しただけじゃない。シェイドには、感覚で分かっていた。分かっていて、それにはまだ対抗できると判断を下していた。
――先程とは、違う。均衡が崩れる。
先程までなら拮抗できた。フェナリの猛攻に、シェイドは首の皮一枚で対応し続けていたのだ。
しかし、これからは違うのだと、フェナリと得物をぶつけ合って理解させられた。
――「時機として、ここを逃すわけにはいかないからね」
フェナリの妖刀が、シェイドの持つ騎士剣を、容易く両断した。厳密に言えば、彼らの得物はぶつかり合ってなどいなかったのだ。
ただ、一方的な蹂躙と断絶があった、それだけ。
そして、絶望はそこで終わらなかった。
「――が、っぐ」
シェイドの口から苦鳴が漏れる。彼は、自分の右手――先程まで剣を握っていたその手と、そこからつながっている腕を見ようとして、息を呑む。
そこに、自分の腕などもう無かった。
その場で蹲ってしまいたくなる痛み、何よりも自分の腕を失ったことに対する喪失感をどうにか押さえつけ、荒れる息を今だけは整える。
表面上、ただ上面だけでいい。少しだけやせ我慢をして――
「――撤退です! 私が殿を務めます。可能な限り早く、撤退を!!」
シェイドは後ろを振り向く気力も無いままに叫んだ。騎士たちの困惑、動揺が伝わってくる――が、それらを一蹴せん勢いで「早く!」と叫んだ。
騎士たちが走って遠ざかっていく。その足音を確かめて、静かに息をついた。
目の前の少女の瞳に、変わりは無い。
相手の腕を奪っておきながら、特段何の驚きも達成感も罪悪感もない。『幻術』の影響下に落とされたというフェナリには、何が見えているのだろうか。
「そんなことも――今は些事か」
ひとまず、当初の目標であったフェナリの制圧は不可能だ。実際にフェナリと相対したシェイドがそれを判断した。
目標の未達成。されど、せめて命の被害だけは出さずに帰還せねば、アロンからの叱責も受けられない。
騎士団と、シェイド。どちらも欠けず、フェナリに人の命を奪わせず、一度帰還する。
消極的ではあるが、それが今の目標だ。
「黄花一閃・向日葵」
「――っく」
こちらの隙を見逃すはずもなく、フェナリは突貫してくる。その一直線な攻撃を横に飛び退ることで辛うじて回避。
しかし、避けた先にも危険はある。否、今のシェイドの周り、その全てが脅威だ。
一閃、また一閃。一振り二振りと振るわれて、その全てでシェイドはギリギリの戦いを強いられた。
そろそろ、騎士たちは十分に逃げられただろうか。そう思って感覚を自分の背後へと向けてみる。そして、心中愕然とした。
騎士たちは、丁度一つ下の階に降りた程度。時間に直してみれば、シェイドが過ごした地獄はたったの三秒程度だった。
腕を落とされ、騎士剣も両断されて使い物にならない。そして、無力になった今の自分には、フェナリの二撃を回避するだけで精一杯なのだ。
――もう、駄目だ
絶対に避けてきた、弱音を吐くという行為。
それは、口に出すか否かに関わらず、恐ろしい悪影響を自らに課する。だから、シェイドはその行為を忌避してきた。その、はずだった。
しかし、もう無理だ。
状況は、最悪が過ぎる。騎士たちにとって、アロンにとって、シェイドは希望だった。であれば、シェイドの心が折れると言うことは直接――
――希望そのものが断ち切られることと同義。
奪還戦は、絶望の幕開けを迎えたのだと、シェイドは悟った。彼の心が、完全に折れるのも、時間の問題だ。
◇
「――何とも、流石は『怪物』と言われるものよ」
「――。どうやって、ここに?」
「其方が知る必要も無かろう。――儂に、其方程度が勝とうとでも?」
「……それは確かに」
ホカリナ王城の、頂点にて――男と烏が相対していた。お互いに向ける瞳には明らかな警戒心が滲んでいる。
特に、男から烏に対して向けられる視線、そこには警戒だけでは形容しきれぬ畏れに近いものまでが含まれていた。
「それで、何か御用でした?」
「――なに。其方の存在は儂としても不思議でな。確認しておかねばと、わざわざ出向いた訳よ」
烏の瞳が細められる。鋭く相手を射貫くその眼光に、しかし男は動じはしない。
烏は、無言のままに放ってもいない問いの答えを改めて問うた。男は、正しくその意図を汲み取る。ここで虚偽を述べたり、または誤魔化そうとしたり――そう言ったことが目の前の烏相手に無意味であることは、彼自身よくわかっていることだった。だから、彼は何の隠し立てもしようとせず、ただ真っ直ぐに自らの状況を語る――。
「覚えはあるでしょう。『――――』ですよ」
男からの返事に、烏は小さく瞳を見開いた。想像していない答えではなかった。それどころか、予想通りだったと言ってもいい。しかし、最悪の予想が的中してしまったのだと、ここで証明されただけのことだ。
「そう、か――。宿命は、少女を離さず。運命もまた、然り」
「『我々もまた』と付け足しておきましょうか?」
男は烏の威容を前にしながら、最後に軽口を放った。
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