30.本能の叫び
方針が確定してからの動きは迅速だった。
先ほどまでの困惑具合は何処へ、と言われんばかりにホカリナの騎士団は一斉に動き出す。
しかし、それらも撤退戦における要素の一つでありながら、あることと比べれば些事だ。
「――騎士が、騎士たる定めなら」
「国を民草を、護らんと欲する超常を――」
撤退戦が成功するか。それは、ただ一人の実力に賭けられている。
「――覇者の見る世界」
ギルストが騎士シェイド。
現状、脅威であるフェナリをほぼ一人で抑え込んでいる彼の実力如何によって、今回の作戦の成否は決められる。
今現在の趨勢を見る限りでは辛うじて互角。ただ、シェイドの消耗が顕著だ。長く戦えば戦うほどに、趨勢はフェナリに傾くだろう。
直接指摘しないまでも、以上のことはアロンやディアムも理解している。だから、それぞれ言葉にはせずとも撤退戦が時間の勝負なのだと感じ、急いでいた。
その表情には焦りが色濃く表れている。
「――もう、七撃か」
ふと、フェナリが戦線を離脱。会議室の端に置かれた観賞用の植物のところへと駆けると、その観葉植物を斬った。
命の消費により、妖刀はその役目を果たして消える。その一瞬を、シェイドが見逃すはずもなかった。
「隙、有り――!」
「良いな『雅羅』……」
シェイドがフェナリをこの場で一旦は無力化せんと、剣戟を揮おうとして――絶好のチャンスであると誰もが理解していながら、嫌な予感が払えなかった。
それは、彼女の口から漏れた意味の分からない言葉――名前とも聞こえるそれのせいか、それとも彼女の周りを巡る、絶死の気配のせいか。
「――魂魄・喧騒の星く……っ」
「カァァァ――ッ!!」
フェナリが確かに口を開き、今までに口にしたことのない言葉、妖術の詠唱を紡ごうとして、止まった。
その一瞬の出来事に、アロンやディアムは勿論、シェイドまでもが困惑の表情を浮かべながら呆気にとられたように立ちつくす。
――烏だ、烏が飛んできた
会議室の窓に当たってその硝子を勢いよく割り砕き、その破片が飛び散るのも気にせず中へと躍り込んだ烏の一羽。
その烏の一撃――体当たりにしか見えなかったそれで、フェナリの言葉は途切れた。そして、諦めたように首を小さく振るともう一度口を開く。
「――魂魄・花刀」
それは、何度も紡がれた言葉だった。フェナリの掌に、先程と同じ妖刀が顕現する。
その様子をただ見ているしか出来なかったシェイドは、妖刀の顕現を確認してまたも臨戦態勢へと入った。
◇
「――。事の多くは見届けたが……殊更厄介なことに巻き込まれたようだな」
『雅羅』はどこにでもいるような烏の様態のまま、哀れむように息をついた。
『雅羅』はフェナリに一定以上の干渉をしないと自らに掟を作っている。だからというのもあり、今回もひとまずは静観の構えだった。
ただ、先程のことは、咄嗟ながら干渉をして然るべきだったと自負している。
「妖術を用い、その命を削るには――今は分不相応が過ぎる」
怪物でもない相手を、それも本来なら味方であるはずの相手を滅するために自らの命を削るなど、愚の骨頂。
そんな愚行を、『雅羅』はフェナリにして欲しくなかった。どこか、親心にも似たそれを抱えて、『雅羅』は飛び立つ。王城を取り囲むような軌道で高度を上げ――、
――全ての、元凶のもとへと
◇
「――ふぅ、ハァ!!」
疲弊を滲ませながら、シェイドは剣を振り続ける。ギルスト、ホカリナを問わず騎士団からの助力もあるが、それも微力に過ぎない。二国間の会談のためだからと、戦力を連れてこなかったのが裏目に出た。
シェイドとフェナリの戦いは劣勢になりつつある。しかし、撤退戦という全体を見れば状況はよくなりつつあった。
「王城内の人員、避難完了を確認しました!」
撤退戦という一つの方針が決定してから約10分。その報告を受けてアロンとディアム、指揮官の役割を担う二人の表情がいくらか緩む。
フェナリの戦い方の特徴として、逃げる者は基本的に追わない、というものが幸いした。隠れて攻撃の機を探ろうとしているならいざ知らず、純粋に逃げる者に追い縋ってまで攻撃することはないのだ。
だからというのもあって、フェナリを相手とる状況と、撤退戦という方針は相性が良かった。
「よし、これで後はここにいる全員が逃げ出すだけ……」
「シェイド! 撤退する、いけるか!?」
「はい……!!」
シェイドの疲弊も、間もなく限界に達する。それが見て取れた。しかし、では今すぐにシェイドの疲弊そのものを、またはその原因を、取り去ってやれるわけでもない。
だから、アロンは最後まで、シェイドを頼りにする。
「陛下、こちらへ!! アロン殿下も!」
言われて、アロンとディアムが会議室の扉へと近づく。同時に、シェイドの維持している戦線が後退してきていた。
「――フェナリ嬢、必ず戻ってくる」
その言葉を残して、アロンが部屋の外へ出る。シェイドも、戦闘態勢を一気に解き、外へ出て扉を閉めた。
戦線を維持する必要がなくなり、逃げに徹することが出来るなら、シェイドはフェナリともまだやり合える。というのも、フェナリは敵を屠ることにこそ特化しているのだ。逆に言えば、自分から逃げていくものを積極的に追い、屠ることは得意としない。
その事実を、アロンらは知らない――が、アロンらが実際にフェナリから逃げおおせていることが、その証左となっていた。
◇
「全員の避難を確認しました。欠員いません」
「うむ、ご苦労」
ホカリナ王城からの撤退戦は、ひとまず終わった。ここからは、奪還戦だ。
「――ディアム国王、『予言者』……否、『幻術使い』について、何か情報はありませんか」
アロンらが今いるのは王城のすぐそばにあるホカリナ騎士団演習場だった。フェナリの状況は常にシェイドと他騎士たちが確認しつつ、当面の拠点であるここで、作戦会議を行うのだ。
作戦会議の中心人物となるのは、当然ながら二国間の国王と国王名代である。
「――ひとまず、貴国の騎士団の活躍により我々は命を拾った。感謝する」
「そのあたりの話は全てが終わってからにしましょう。本来ならやるはずだった、会合の時にでも」
「――。分かった。まずは、奪還戦を勝ち抜かねば」
ディアムの言葉に、アロンは首肯しつつ、目の前の机に広げられた王城の階層ごとの配置図に視線を向けた。
フェナリを敵とし、脅威として奪還戦に向かわねばならない。その事実はアロンにとって歯痒い。ただ、時にははっきりとした認識を持つ必要があることも理解していた。
「――まず、当面の目標はフェナリ嬢に掛けられた『幻術』を解き、王城を無血で奪還すること」
ディアムの宣言に、集まった面々が静かに頷く。奪還戦の全体方針については、誰も異論を挟まない。
ただし、それは方針に対して順調に進められる方策があることを意味しているわけではなかった。
「現状、情報が少なすぎる。フェナリを救うためにも、『幻術』に関連する情報を集めなければ……」
「ディアム国王陛下、『幻術使い』の言を信じるなら貴方方は『幻術』に掛けられていた経験がある。何か、今だからこそ分かることなどありませんか」
ギルスト側の参謀的立ち位置にいる文官がディアムを含むホカリナの要人たちに水を向ける。しかし、彼らの表情は曇るばかりだ。
「お恥ずかしいながら、何も……」
「今でも、記憶の中には『予言者』が国の政治、その中枢に鎮座していた記憶があります。記憶が継続されるだろう、と言うことくらいでしょうか」
苦々しい表情を浮かべながらの彼らの返答に、一同は黙する。状況が悪い、などとは何度だって思ってきたが、その事実を改めて認識させられる。
『幻術使い』がどこから来たのかも、フェナリに掛けられた『幻術』の詳細も、何も分からないのだ。
「そう言えば……ディアム国王陛下方は、何故『幻術』が解けたのでしょう」
ふと、ギルスト側の文官の疑問が漏れた。それに、「『幻術使い』が解いたのだろう」と当然のような答えを返そうとして、アロンは――
――本当に『幻術』が解けたのか?
それは、何の予兆もなく浮かび上がった疑問。本来なら、生じるはずのない疑問だ。
『幻術』が解けていないというなら、ディアムらは今も『予言者』を信奉しているはずだ。そうでないと言うことはつまり、『幻術』は既に解けていると、そういうことで――
――本当にそうなのか?
アロンの中で、何者かが疑問を呈してくる。その疑問、疑念の声はただひたすら大きくなっていて。アロンはそれを無視できずに、一人考える。
『幻術』が解けていない、と言う可能性はありうるのか。そうなのだとして、ディアムらの今の状況をどうやって説明できるのだろうか。
彼らの精神が異常に強く、『幻術』をものともしていなかった?
それなら、元々『予言者』の存在など信じることが無かっただろう。まさか、『幻術』にかかりながらも心を強くし続けていたわけでもあるまい。
ならば、今も『幻術』にかかっている?
それは、確かに有り得てもおかしくないような可能性だと思った。しかし、ここまでアロンたちに協力している以上、その可能性は低いと考えてもいいだろう。もしかすればそれも、希望的観測なのかもしれないが――そんなことまで考え始めれば疑心暗鬼に陥るだけだ。
今、仲間内でお互いに対する疑念を生むわけにはいかない。
では結局、何なのだ。
アロンの中に生じている違和感を納得させられる結論は、未だ出ない。
「フェナリ嬢に王城内を闊歩されているのでは分が悪い。ではまずは、彼女の制圧――命は勿論、その身体をも傷つけることなく」
アロンが自らの違和感、と言う名の本能の叫びと向き合って考えている間に、会議は進んでいたらしい。
ディアムの宣言を聞く限りでは、フェナリを武力によって制圧し、その行動を制限するところから、という結論になったようだ。『幻術』に対抗する方法が分からない今、それが出来ることの一つ目、と言うのはアロンとしても異論をはさまない。
ただ、何かが――引っ掛かっていた。
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