23.花と紫
今話より第二章の開幕となります。
よろしくお願いします!
「しッかし……何だ、最近は流行ッてんのか?」
グラルド卿が嘆息交じりにそう呟く。人払いの済まされ、グラルド卿がその権限で貸し切った騎士団演習場の中にある模擬戦場にて。そこにいるのは、片や『紫隊長』グラルド卿。また、伯爵令嬢フェナリ。正直言って、傍からは想像もつかない組み合わせだった。
全ては、二日前にアロンがグラルド卿のもとに来たことから始まっている。実際にはその前日からことは始まっているのだが、グラルド卿の認識では二日前がスタートだった。
『フェナリ嬢がグラルド卿と手合わせを、と言っていてな』
突然呼び出され、アロンにそう言われた。結界術師の尋問も大半が終わり、監視については他の『紫隊長』に任務が引き継がれた後だった。
グラルド卿は突然の申し出に疑問を持ちながらも、その願いを受け入れた。
「んで? 嬢ちゃんは何で手合わせなんか……元々強ェんだから、わざわざ――」
令嬢だから剣術は必要ない、と言うわけでもなく、強いからと言う理由で手合わせの必要性を問うてくるグラルド卿に、フェナリは苦笑を返す。炎堕龍討滅戦のような作戦を遂行した時点でグラルド卿に自分の実力が多少なりともバレるのは想定の範囲内だったし、そもそもグラルド卿は初対面の時から強さを見抜いていたのだろうけれど、実際に言われると何とも言えなかった。
しかし、黙ったままと言うのも申し訳なくて、周りに人がいないことを改めて確認してから、フェナリは口を開く。
「先日の王城舞踏会で……黒幕、らしき人物と接敵しました」
「あァ……王子も言ッてたな、そんなこと」
「その時、私は何もできなかった……まさか、一撃を指で止められるなんて……」
「成程な。んで、強くなりてェと」
フェナリは頷きを返した。
黒の男に対して、自分が何もできなかったこと。それはフェナリにとって衝撃だった。当時は、濃厚な死の匂いを前に最悪の結末を避けられたことをどこかで安堵していた。しかし、時間がたってみれば、勝てなかったこと、それどころか一撃すらも入らなかったことに対して、悔しさが込み上げた。
何が何でも、強くならなければならないと思った。あの黒の男は、恐らく本領を発揮した雅羅よりも、弱いはずだから。
「お忙しい中とは理解しています。ですが……私の知る中で最も強いのが貴方です、グラルド卿」
「へェ、そりゃ光栄なこッて。まァ、間違いじゃねェな。いいぜ、結界術師捕縛作戦で王子に協力した仲だ。ちょッとくらいは協力してやる」
「ありがとうございます……!」
グラルド卿は豪快に口角を上げ笑みを作ると、用意されていた木刀をフェナリに投げる。
それを確かに受け取って、フェナリは二度握った。その柄を手に馴染ませて、構える。
「一旦、打ち合うとすッか……諸々はその後だ」
「はい……参ります」
一つ呼吸を置いて、フェナリは――
「――――黄花一閃・黄菊ッッ」
素早く踏み込んでの真一文字左薙ぎ。常人であれば防ぐことも出来ないままに体を切裂かれているだろうそれ。一撃で敵を屠る、その一点に力を注ぎこんだ一撃だ。敵を苦しませないという意味では、微かな愛の証左とも言えるのかもしれない。
そんな、不意打ちのような一撃を受けて、グラルド卿は――
「――ッと……その剣捌き、騎士団とは違ェな」
軽く受け止めてみせた。同時に、木刀を押し返し、フェナリの態勢を崩しつつ上から叩き落とすように剣を振るう。場数を踏んでいるからこその安定感。日常的に鍛錬を積んでいるからこその筋肉量の為す技でもある。
「私の知るものともッ、違うな……それが騎士団の剣術か」
「――――はッ、面白ェ」
普段の口調とは異なり、前世の人格に憑りつかれたかのような話口調になるフェナリを見て、グラルド卿は一瞬だけ呆けたような表情を浮かべて、口角を上げた。
フェナリの素顔なんて、グラルド卿にとってどうでも良かった。自分自身が元裏家業の人間であって、社交界で見せる顔と、フェナリやアロンに見せる顔が違っていることくらいは知っている。自分以外の誰が自分同様に裏の口調を持っていようとも、何らおかしいことだとは思わない。それどころか、自分と同じような人間がいることに面白さすら感じた。
「こりゃァ、半端じゃ良くねェな」
「そうでなくてはな……私とて、本気で行かせてもらおう――紫花一閃・杜若」
緩急のついた縦横無尽かつ何の規則性もないような足運び。同時に、その動線上から無造作に振るわれる剣戟。全く持って、想像のつかない不透明な攻撃に、グラルド卿も防戦に徹する。単純に不規則になるように動いているだけじゃない。そのどれもが、決着に繋がりかねない一手であり、その一手でも当たれば――いつかは決着がつく、という淡い希望が見える。だからこそ、どれ一つをとっても甘い返しは出来ない。
感覚で分かった。目の前の少女は、少し前まで護衛対象だった少女ではない。護衛対象であり悪友の王子の婚約者でもない。真剣勝負でのみ打倒できる、強者なのだと――。
それ故に、自らの微かな油断を消去。
「騎士が、騎士たる定めなら――国を民草を、護らんと欲する超常を――」
普段の粗暴な口調とは一変して、滔々と紡がれる、その言葉に――フェナリは直感した。今から始まる戦いこそ、目の前の『紫隊長』が真髄。ここまでは序章に過ぎず、ここからが真骨頂なのだと。
だからこそ、フェナリも感覚を切り替える。
「その真髄を以て――戦えッ!!」
「任せとけッて――――『覇者が見る世界』ッ!!」
グラルド卿がその言葉を告げた瞬間――何も起こらなかった。
この国では魔術が発達しているというのだから、空から炎が降ってくる、至る所から飛剣が飛んでくる程度のことは想像していたフェナリだが、そんなこともなく、少し拍子抜けしたような気がして。
「『紫隊長』と言えど、その真髄も知れたものか?!」
叫んで、斬りかかる。勢いのままに振るわれた剣戟を前にして、グラルド卿は動くことをせず。それどころか、瞼を開いてすらいなかった。予備動作も何もありはしない。完全に無防備なその姿。戦いを放棄したかのようなその立ち振る舞いに、少々の苛立ちと共に幕を引こうとして。
フェナリは真横から飛んできた剣戟に、咄嗟に防御の一手を切った。
――今、のは……
フェナリが見ている間、グラルド卿は一切瞼を開くこともなかった。予備動作はかろうじて寸でのところで見えたからこそ防御が間一髪で成功した。そうだ、予備動作が完全に見えなかったわけじゃない。それでも、視線は一切こちらによこしていなかった。そんな状況でフェナリの隙を完璧につけた、というのか。
「あァ、全部が全部――視えるなァ」
「視える……だと? 瞼を閉じた、その状況で――」
疑問は積もるばかり。されど、その疑問を剣戟にして、フェナリはグラルド卿にぶつける。しかし、それら全ては完全に防がれた。その一切は、瞼を閉じたままで、だ。ここまでくると、信じざるを得なかった。瞼を閉じている今も、グラルド卿にはすべてが見えているのだと。
「そうでなくてはな――ッ」
そうだ、こうでなくてはならない。
グラルド卿を手合わせの相手に選んだ理由はただ一つ。手合わせの前に語った通り――グラルド卿がフェナリの知る中で最も強いからだ。彼の戦うところを見たことが無くとも分かる。その強さは、強者を相手にして隠して居られるほど矮小なものではなかった。
だからこそ、フェナリはグラルド卿を指名した。本来ならば、自分から王子に何かを願うなど、恐れ多くてするわけもない。それでも、今回だけは願った。全ては、強さを手に入れるためだ。
「破滅を手繰り寄せるが如く――紅花一閃・睡蓮ッ」
「嬢ちゃんの強さは、俺が認めるぜ」
その言葉と同時――フェナリの剣戟を真正面から力で押し切り、グラルド卿はその流れを反撃に転じて、フェナリに斬りかかった。圧倒的な筋肉量から繰り出される強引なほどの剣戟と押し切り。フェナリも防戦一方になる。
そして、最後はひたすら力で叩きつけられて体勢を崩したフェナリの首筋に、グラルド卿の模造剣が突きつけられていた。勝敗が決していた。
「完敗です――流石はグラルド卿」
「『紫隊長』の俺とこんなけ戦えるッて時点で、嬢ちゃんも十分だろ……まァ、それで満足してねェってことはさっき聞いたばッかだけどな」
両手を上げ、降参の意思を見せたフェナリに、グラルド卿は豪快に笑いかける。
フェナリが強者であることは確かに気づいていたし、それは前提として手合わせをしているつもりだった。しかし、まさか『覇者が見る世界』まで使うことになるとは、思っていなかった。
戦いが終わってみて、ここまで力を出したのも久しぶりだ、という感慨が迫る。けれどまぁ、まだまだ負けるつもりもなかった。
「――さて、んで? 強くなりてェ……だったか」
木刀を一旦しまいながら、グラルド卿が背後のフェナリに改めて尋ねる。明確な肯定が返ってきて、グラルド卿ははたと考える。
(嬢ちゃんに足りないもの――なァ……)
正直、今でも十分な戦闘力だという所感があった。
自分と違うのはそれこそ筋肉量と安定感だ。それ以外のいわゆる戦闘センスは十二分にあったし、基礎的な戦闘力で言えば『紫隊長』である自分が『覇者が見る世界』を使わなければ互角になる程度。十分すぎると言えば、そうなのだ。
(しッかし、そんなこと――この眼には言えねェよな)
真っ直ぐにグラルド卿を見据えるフェナリの瞳からは、ただひたすらに強くなりたい、という意志が見てとれた。その瞳を前に、今のままで十分だ、などと半端な言葉はかけられない。
「そういや、遠目から見ただけだから詳しくは分からねェが……嬢ちゃんが使ってたあの剣、それだけで十分強ェだろ」
「――っ、そんなことも分かりますか」
「感覚で分かるンだよ。『紫隊長』ッてのはそういうことだ。――で、その剣が純粋に強ェってこともあッて、嬢ちゃんはその強さに頼りすぎだ。基礎筋肉量が足りてねェ」
それは、単純な事実でありながらフェナリにとって痛いところを突く言葉だった。
花刀はその妖刀としての性能が非常に高い。前世では、この刀を立ったひと振りするためだけに数百人が死んだとも聞いている。それほどに、代償が大きい。つまりはそれだけ強いという事である。単純な話だ。多くの代償が必要であればあるほど強い。
しかし、だからこそその強さにもたれかかっていた自分がいるのかもしれない。
「だからまずは基礎筋肉量の増強……ッて言いたいとこだが――」
「――――?」
「――嬢ちゃんは、それより必要なことがあるだろ」
グラルド卿の不透明な言い方に、フェナリは小さく首を傾げる。確かに基礎筋肉量が足りていないという事は自分自身自覚しながらも目を逸らしていた部分だ。それは自分の明確な弱さ。しかし、それ以前に欠けている部分があるというのか。
グラルド卿は、フェナリの疑念に満ちた表情を一瞥――一瞬躊躇うように口元を歪ませてから、一息ついて口を開いた。
「死ぬことに迷いがある――いや、言い方が悪いな。嬢ちゃんは……ずッと死ぬことなんて意識してなかッたのに、最近になッて死を恐れ始めた」
そう言ってから、グラルド卿は感覚に任せて的外れなことを言ったな、と後悔する。しかし、フェナリはその指摘を、的外れなどとは思えなかった。それどころか――それは、正鵠を射ていると思った。
死を恐れていなかった自分が、最近になって死の恐れを知ってしまった。いや、生きる喜びを見つけた、と言った方が聞こえはいいか。
「いや、忘れてくれ、嬢ちゃん。流石に……」
流石に、的外れだッたよな。
そう言おうとしたグラルド卿は、フェナリの表情を見て言葉を止めた。
何かを悟ったような、凪のような表情だった。
「そうかも、しれませんね……」
そう言って静かに口元だけで笑うフェナリの表情を前にして――グラルド卿は、今度こそ言葉を失った。何を言ったらいいのか、全く分からなくなる。
何か、言うべきなのはわかった。しかし、それが本当に自分の役目なのか。自分が言うべきなのか。そして、言うべきだとして何を言えばいいのか。そんな逡巡が、グラルド卿の中を駆け巡る。
「ありがとうございます、グラルド卿。霧が晴れたような気がします。これで私は――更に、強くなれる」
いっそ清々しい表情を浮かべて。フェナリは笑った。
歴戦の猛者であるグラルド卿も、その一瞬には対応できなかった。しかし、だからこそだろうか。裏家業と言う仕事に就いたときから捨てたと思っていた、彼の人間らしい部分は、勝手に動いた。
「嬢ちゃん――生に、しがみつけ」
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