21.ホカリナ王国の予言
時は、結界術師の尋問が始まる少し前に遡る――
「フェナリ嬢、黒幕らしき男の事、少しだけ教えてくれ。結界術師尋問にも役立つかもしれない」
グラルド卿が結界術師を捕縛した、という報告を受け、今からグラルド卿と結界術師の元へと向かおうとしているアロンとフェナリ。そこで、結界術師の尋問を行う予定だ。
アロンとしては、結界術師は恐らく黙秘するだろう、という予想があった。黒幕がいる、ということは組織犯だ。ならば、簡単に口が割れるとは思えない。上手く、尋問を有利に進めるためには、こちらが情報のアドバンテージを持っておかねば。そのために、フェナリの情報は極めて有益だった。
「黒幕は――黒の男です。顔を、姿を、視認することが出来ません。恐らく何らかの隠蔽魔術が用いられていたのかと。それから、炎堕龍を導き入れたのはあの男です。本人の言葉からも、真実だと思われます」
「炎堕龍を導き入れた……まさか――」
「何か、思い当たるところが……?」
「ああ。ギルストでは怪物を操る魔術が殆ど研究されていないが――――」
◇
「ギルストでは、怪物を操る魔術を研究していない。しかし、文化の国ホカリナでは、怪物を操り、見世物にする文化があったはずだ」
アロンの言葉に、結界術師カーンは歯噛みする。自分は殆ど、情報を漏らしていない。だというのに、小さな反応一つが、アロンに確信を与えてしまった。〝フェナリ・メイフェアス〟――その名に、反応してしまってはいけなかった。
「そして、フェナリの名に対してホカリナ国王と同じ反応。お前は、ホカリナの刺客だ」
アロンはそう断言した。カーンからの返事はない。しかし、その沈黙こそが肯定だった。
全ての線が繋がった瞬間。よくよく振り返ってみれば、この結論に至るまでの手掛かりはいたるところに残されていたのだ。
まず、岩落鳥による茶会襲撃事件。その時に、まず気づくべきだった。結界に干渉することが出来ても、丁度怪物を連れてくることは結界術師には不可能だ、と言う事実に。そして、可能ならばそこで、怪物を操る魔術を研究しているホカリナも、視界に入れておくべきだったのだろう。
そして、王城舞踏会において、ホカリナ国王が見せたフェナリの名に対する異常な反応。あれは、不可解だ、と言う一言で済ませていてはいけなかった。
さらには、フェナリが会敵した黒の男。その情報が、恐らくは一番のカギだ。怪物を導き入れた、ということから、そこでやっとホカリナの存在を推理の視界に引き込むことが出来た。そして、その可能性を考えてみれば、全てが線でつながるのだ。
「正体は割れた。今更、黙秘する必要があるか?」
「――――はぁ、そうだ。私はホカリナからの諜報員だ」
カーンのその言葉に、アロンは溜息をどうにか抑えた。
ギルストとホカリナは最近になって貿易を始めようと諸々の交渉を続けている。遂にホカリナとの国交が開かれよう、という時になってこんなことがあれば、その交渉も全てが水の泡となるだろう。王子とその婚約者に襲撃を仕掛けた国との国交など、不可能だ。
「答えろ。ホカリナは何故このようなことをした」
アロンの問いかけに、カーンは沈黙は無意味と気づいたらしく、溜息を一つつくと口を開く。
カーンの正面のアロン、そして横のフェナリ。少し離れたところで睨みを利かせるグラルド卿。三人の強い視線を向けられながら、カーンは口を開いた。それはあまりに突拍子がなく、信じられないような話だった。
「予言があった。『フェナリ・メイフェアスがホカリナを滅ぼす』って」
「……予言、だと?」
「そんな……っ、私がなぜそんな――」
ふと出てきた、予言という単語。あまりに突拍子がなく、信憑性のないその単語。アロンとフェナリの反応も当然のものと言える。しかし、カーンはさも当然と言わんばかりにその話をつづけた。
「ホカリナの予言者は、本物だ……!! あの方はホカリナの全てを見て全てを知ってる!!」
その瞳は、虚言でこの場を切り抜けようとしているようには見えなかった。カーンは、本当にその予言者を信じているのだ。最早、妄信していると言ってもいい。それほどに恐ろしく強い信仰だった。
予言など、魔術の範疇を大きく逸脱した超然的な力だ。その場所、と言う小さな世界に干渉する魔術と違い、世界全ての事象、時には世界の枠組みそのものにも干渉する――それが予言なのだから。
「予言など、あり得ない。そんなものが可能であるはずもない」
「本物を見たことが無いから、そんなことが言える。あの方は何度もホカリナを救われた! ある時は大規模なテロを予見し、ある時は辺境の暴徒を先んじて鎮圧された。ホカリナ北西部の大山脈の大規模な雪崩だって――!!」
先程まで黙秘していたとは思えないほどに、カーンは饒舌になって話し続ける。その瞳はどんどんと正気を失っているように見えた。何より、目の焦点が合っていない。アロンに話しているのか、フェナリに話しているのか、又はグラルド卿か――果てには虚空に向かって話しているのかもしれない。
「お前らだって、あの方に会えば――そうだ、会ってみればいい。そうすれば――」
「グラルド卿、もういいぞ」
「――――っぁ」
勢いが付き、舌が早く回る。そんなカーンの背後から、手刀が迫った。
後頭部の下あたりを強く突かれ、カーンの意識は一瞬にして刈り取られる。グラルド卿が手刀を叩き込んだ瞬間のことだった。
「聞いていられないな」
「なんだァ、あの妄言は? アレが結界術師か?」
カーンの首筋には、一つも傷が無かった。先程アロンに言われたことをしっかり覚えていたのであろうグラルド卿が手加減したのだ。グラルド卿は自分に責が回ってくること自体には何も思わないが、アロンには責を向けたいと思わない。
「フェナリ嬢、大丈夫か? 気にすることはない。あれは普通の精神状態じゃない」
「は、はい……流石に驚きましたが」
アロンの気遣いに感謝しながら、フェナリは小さく息をつく。
カーンの話は、あまりに突拍子もなくて、信憑性もない――わけでもなかった。フェナリにとって、自分が一つの国を滅ぼすというのは大して突拍子もない事実であろうとは思っていなかった。それは何故か。前世では、それが可能だったからだ。そして、それが理由で少女は謀りの末に殺された。
今世で、一つの国相手にどこまで戦えるのかは分からない。少なくとも、グラルド卿と同程度の人間が他にもいるギルストを一人で滅ぼすことは出来ないだろう。それでも、世界のどこかにはあるであろう小国ならどうだろう。フェナリはその国を、一人で滅ぼすことが出来ない、と断言できなかった。
(私は、国を滅ぼそうなどとは思っていない)
それでも、それが可能なのは一部事実で、その事実に人々が恐れを抱く可能性があるというのも、また事実で。フェナリはその事実から目を背けていたが、自覚もしているのだ。自分の存在は地雷となりうる、ということを。
「しッかし、コイツの言う予言者ッて何者だ?」
「まだ、情報が少ないからな……分からない、が――予言など、妄言に過ぎない」
「まァ、そりゃそうだろォが……王子にしちゃァ珍しいな。可能性は捨てねェタイプだと思ってたが」
「先程カーン・キルティが述べた、大規模なテロや辺境の暴徒、大規模な雪崩。そんなものは一つとしてホカリナで起こっていない。テロや暴徒は規模によっては把握できていないだけの可能性もあるが、大規模な雪崩――しかも北西部ならギルストにも近い。それを我々が把握していない可能性はないだろう」
「なるほどな。予言の可能性自体がねェってわけだ」
グラルド卿の言葉に、アロンは小さく頷いた。
しかし、こうなっては分からないことが増える。カーンの述べた予言が妄言である、という事は分かるが、ではカーンやホカリナ国王は何故その予言者を信じているのか。まさか、何の事実もないのに予言者を信じているわけではないだろう。根拠もないのに他国の王族とその婚約者を殺そうとするわけもない。
「分からないことだらけ、だな」
「そう、ですね……」
「結界術師は捕縛。コレで全部終わるッてのは……考えが甘かったか」
今日まで、三人は結界術師の捕縛がゴールであるとばかり思っていた。
全ての元凶である結界術師を捕縛し、排除すればそれだけですべてが終わるのだ、と。しかし今になってそれは甘い考えでしかなかったと認めなければならない。結界術師などは実行犯の一人に過ぎなかった。入口であり序章。ただそれだけの存在だったのだ。
「しかし……これをどう報告したものか」
「逃げ出してた結界術師は今ちょうど貿易始めようとしてるホカリナの諜報員で、王子と嬢ちゃん殺そうとしてて、本人は予言者を信じてる狂信者だった、ッて言っとけよ」
「それ、は……無理ですね」
政治だとか、お偉い方の考えることとは縁が薄いフェナリだが、グラルド卿の言ったことをそのまま国王や国民に報告すればそれはそれはとんでもないことになるだろう、という事くらいは分かった。
捕縛した結界術師は、確かに処刑すればいいのかもしれない。そうすれば一先ず結界術による暗殺などの危険性は無くなるだろう。しかし、それで終わりには、もうならない。
「少なくとも、ホカリナの刺客の存在は報告しなければならないだろう。予言については……もう少し調べなければ。二人とも、不自由だが、今回のことについては緘口令を敷かせてもらう」
「分かりました」
「んなもん、誰に言ったッて信じられねェだろ」
「まあ、そうだろうがな」
アロンは、静かに結界術師の捕縛した部屋の扉を開ける。もう、この場所に居続ける必要はない。結界術師の尋問は終わった。これ以上、彼から聞き出せる情報と言うのも無さそうだ。ホカリナの諜報員だった、という事については別の機会に調べなければならないだろうが。
「では、グラルド卿。カーン・キルティの監視を頼む」
「あァ、任せとけ」
カーンのことは『紫隊長』であるグラルド卿に一任し、アロンはフェナリと共に部屋を出た。
王城の地下、粗い岩の壁に囲まれた冷え冷えする空間を、二人で歩く。
「フェナリ嬢、一先ずお疲れ。改めてここまで協力感謝する」
「いえ……私は黒の男を捕縛することも出来ず……」
「いや――フェナリ嬢はよくやってくれたよ」
そうだ。フェナリは知らずとも、アロンにとってのフェナリは自分を縛っていた鎖を解いてくれた、いわば恩人なのだ。フェナリは黒の男を捕らえることが出来なかった、と自責の念に駆られているが、アロンにとってそんなことは些事だ。そんな予想外の存在相手に、咄嗟に反応して捕縛する――そんなことまでを求めたりはしない。
「――本当に、ありがとう」
その言葉は、アロンと言う一人の人間が口にした言葉で、フェナリと言う一人の人間に向けられた言葉で。この一瞬だけ、二人は王族と貴族ではなく、アロンとフェナリだった。
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