110.若い男
本話、少し短めです
「今回のパーティだが――すでにその意味合いは複数にわたる。一つが、フェナリ嬢に対してよろしくない態度をとる貴族たちに対する牽制の意味。そして我々二人が苦手を克服するという意味もある。しかし、それだけでは足りないのだ」
アロンの兄である第一王子の出席が既に確定していると言うアロンはそう続けた。始まりから政治的意図にまみれたパーティだったわけだが、それだけでは十分ではない。フェナリが貴族たちから与えられる評価も大きくは変わっていない現状で、今回のパーティは明確なターニングポイントでなければならないのだ。
「それで、第一王子殿下の存在が、必要になると」
「その通り。兄上は次期国王と名高く、既に貴族たちの中で多大な支持を得ている。兄上を招待することは、我々王子同士の関係良好を示すことだけではなく、貴族たちに対して我らに与することのメリットを明確に示すことにもなるわけだ」
「――なるほど」
フェナリは、「なるほど」と言っているだけである。特段、アロンの言う政治的意図は理解できていない。理解できていないし、理解しようとも思っていないが、話が進まなくなっては困るという事で、何も言わずに相槌だけは打つことにしていた。
アロンとしても、フェナリがおおよそ理解してはいないのだろう、という事には気づいていたがそれには言及せず。そう言った政治的な話には、フェナリを必要以上に巻き込みたくないと考えての判断だった。
「ということで、兄上がパーティには出席される。そこでフェナリ嬢のことも紹介できるだろう」
決定事項。つまりは確定事項、である。
フェナリが抗う術など何処にもなく、単に決まってしまったこととして、この国の第一王子と対面せざるを得ないというわけだ。何という事か。小心者のフェナリとしては、本当に避けたい展開に違いなかった。
「――楽しみに、しております」
しかし、避けたいなどとは口が裂けても言えるわけがない。普通の貴族相手ではなく、アロンの兄の話なのだ。身内を避けようとされるのは、アロンにとってもいい気分ではあるまい。
当然、もとよりフェナリには拒否権などなかったが、それこそ躊躇いを見せることすら許されず、パーティの相談は終わった。すべて、決まったのだ。
◇
「――本当に、それが必要なのだろうな」
「ええ、勿論ですとも。ご安心ください、私どもが全面的な協力をいたします」
――密会。
豪奢な部屋に通された若い男は、老年の男と相対し、商談を展開していた。商人を名乗った若い男の提案した内容に眉を顰める老獪だったが、それも一つ、取れる選択肢だとは思っていた。
「……分かった、お前の商談に乗ってやろう。しかし、失敗は許されない――分かっておるな」
「ありがとうございます。なに、失敗など一度もしたことがありません――お互いにとって良い儲け話になることでしょう」
「なら、良い。……それで、お前の名前をまだ聞いていなかったな。商談が成立すれば、という話だっただろう」
老獪は若い男から商談を持ち掛けられた。しかし、彼は決して名乗ろうとしなかったのだ。当然、老獪も名を明かさないのならば商談を聞くことすらしないと突っぱねたのだが……結果、彼の弁舌を前にして折れた。
そして、商談が成立した今、彼の名前を明かす時が来た。しかし、それなのに若い男は出し渋る様子を見せる。
「なんだ、名乗らないのであれば――先ほどの商談もなかったことだ」
「いえ……そう簡単に名を口にできない苦しみは私の抱えるところです。いつどこで、誰が聞いているかわからないものですから」
そう言って、若い男は懐から契約書を取り出した。先ほどの商談が成立したことを示すものだ。
「口にすることは、やはり出来ません。ですので――こちらの契約書を。当然、私の署名もあります」
口に出せないから、書面に書いてあるものを読め、と。高位な老獪を前にして、若い男は当然のようにそう言ってのける。
老獪は眉を寄せながらも、その契約書を受け取った。そのまま、署名欄に視線を向ける。
「……な、っ――お前、は」
「名前を口にできない苦しみ、この縛り――察していただけましたか」
「お前のような男と、商談だと――冗談ではない、この話はすべて白紙だ!!」
署名欄には、確かに若い男の名前が書かれていた。直筆での署名――しかも、その名前であることを考えればまさか虚偽の類ではないだろう。その名前は、貴族たちの中では暗黙の了解として秘されているものだ。彼が犯した罪はあまりに大きく、歴史に深く傷跡を刻み込みながらも徹底してその存在は抹消された。
しかし――今こうして、老獪の前に彼の男は現れた。姿を、見せてきた。そして商談を、と申し入れてきたのだ。
「衛兵を呼ぶ。お前はこの国に――否、この世界に存在していてはいけない」
「……それは残念です。貴方とは互いに益のある商談ができると信じておりました。そういえば、これは単なる世間話なのですが――貴方は、どちらの王子殿下が将来の国王となると、思っていらっしゃいますか?」
「なんだ、急に……言わずともわかろう。今、お前に向けるこの激昂こそあの方に対する忠誠。レイン殿下こそ、将来の国王に相応しい」
突然の質問に対して、激情を削がれつつも老獪は明確に答える。そして、目の前の若い男はその答えに表情を動かさずに言った。
「私も、まったくの同感です。――レイン王子殿下、あの方こそ。この国を救い、もう一度ギルストを大陸一の強大な国にしてくださる。私も、そう信じております」
老獪の意見に賛同する、ということをはっきりと告げた若い男だったが、その言葉が老獪の逆鱗に触れる。削がれたかのように思われた激情がより増大して老獪の表情を怒りに染めさせる。互いを隔てるローテーブルを力一杯に叩きつけ、立ち上がって――老獪は若い男を睨みつけた。
「お前が、お前が!! レイン殿下の名前を呼ぶな!! 『あのこと』は、お前がやったことだろうが、――――!!」
「しぃ――――」
契約書に先んじて書かれていた、若い男の名前を叫ぼうとした老獪だったが、ふと押し黙る。
若い男の表情はやはり一切変わらず、明け透けで気味の悪い笑顔を張り付けていた。自らの右手、その人差し指を口元に当てて、それだけで老獪の言葉を押しとめたのだ。
「私の名前は、口にされませんよう。申し上げた通り、誰が聞いているかもわかりません。怒号を上げるのに名前があったほうが良いということでしたら偽名でもなんでもご用意しましょう」
「なっ、なん――何なんだ、お前は……」
あまりに冷静で、表情が変わらない。若い男の、大胆不敵を超えた不気味すぎる様子に、今度こそ老獪の怒りは消された。その嚇怒が、目の前の男に対する得も言われぬ恐れに挿げ変わったかのようだった。
老獪がその激情を鎮めたのをよしとしたらしい若い男は、もう一度仕切りなおすようにして契約書を指示した。
「貴方とは、良い商談ができると――そう、信じております。さあ、商談を再開しましょう」
若い男は、そう告げる。表情を変えず、自分に向けられた激怒の感情もなんのその。そして、白紙だと怒鳴られた商談を当然のように再開させようとする。不気味極まりない男の前に、老獪は屈さざるを得なかった。
「では、もう一度お話ししましょう。――魔獣の武器化について」
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