108.レイルス家の権威
「帰ってきたんじゃな、ここに」
――久しぶりの、メイフェアス領だった。
初め、フェナリがこの世界で目を覚ましたのは私邸であるメイフェアス邸の自室のベッドの上だ。つまり、彼女の中の花樹としての魂が初めてその目に焼き付けたのは、その部屋の天井ということになる。
メイフェアス領は始まりの地でありながら、しかし物事の中心地とはならぬまま、最近はずっと留守にしていたものだった。けれど、ようやく帰ってきたのだ。
「何も思わんと言う予想じゃったが、不思議に感慨深いものじゃ――のう、『雅羅』」
「うむ、そうであろう。覚醒の地、魂の眠る地であり、魂の目覚めた場所――少々、格好ばかりつけた言葉にはなったが、この場所はそういう場所じゃ」
そして、久しぶりに、というのであれば『雅羅』についてもそうだ。いつも、どこで何をしているのか仔細不明である中空の烏はフェナリの側に在りながら傍にはいないことがほとんどだ。
しかし、久しぶりに姿を現したかと思えば、『雅羅』はなんてこともないように、当然のようにフェナリの周りを滑空しだした。神出鬼没極まりない『雅羅』の在り方だが、フェナリにとってそれは日常茶飯事だ。
「そんなものを茶飯事だなどと――その事自体が問題ではないかと、私は何度となく思ってきたんじゃが」
「そうでもあるまい。烏の動向は硝子を濁らせたような不透明。そうあるのが、事の本質――儂は、その路に沿っておるだけじゃ」
「ふん、理屈か屁理屈かも分からん弁舌は変わらずのようじゃ、安心したわ」
フェナリと『雅羅』――昔馴染みの、付かず離れずの相棒たちは、互いに苦笑いともとれる笑みを浮かべていた。
◇◆◇◆◇
「レイルス伯のところの息子――師団長と会ったそうだな、フェナリ」
「……流石お父様、耳が早いですね」
「なに、少し情報が入ってきただけのことだ」
夕食の席で、フェナリの父であるメイフェアス伯爵は当然のようにオルウェイヴとの邂逅に言及した。彼がフェナリの動向を探らせていることには当然気づいているフェナリだが、そこまで知られていたとは、と脱帽せねばならない。
もしかすれば、フェナリが城塞都市にて暴れていたことも、メイフェアス伯爵の耳には入っているのかもしれなかった。いや、ムアのチョーカーがどこまで意味を成しているか、という勝負どころなのだろうけれど。
「レイルス家は――関りを持つなら、慎重になった方がいい。何も、関わるなと否定するわけではないんだ。それこそ、レイルス伯は上層貴族として名高い方だし、メイフェアス伯爵家としても親睦を深めておくに越したことはない……んだが」
「――レイルス伯、ですか」
アロンから言われていたことを思い出しながら、フェナリは言う。メイフェアス伯爵はそこで我が意を得たり、と頷きを返した。なるほど、貴族の中でもレイルス伯の扱いに関してはある程度共通しているらしい。彼は――古い、そして強すぎる、のだ。
「正直に言おう、フェナリ。我々メイフェアス伯爵家とレイルス伯爵家は同じ爵位を持つが、握っている実権の広さと強さは、あちら方の圧勝だ。レイルス伯が適当に理由をでっちあげれば、『狸爺』と呼ばれた私も一瞬にして落ちる。最悪の場合――国外追放される」
「同じ爵位の相手を、国外追放――ですか。そんな権限が、一貴族に?」
フェナリの中で、貴族と言う存在に対する解像度は大して高くない。前世、花樹として関わった貴族は大抵性根の腐った屑か、命知らずのもの好きか、どちらかだけだった。今世の生活をしていても、貴族と言うのがどういう存在なのか、分からない。
――というのも、フェナリが見てきた貴族は、ほとんどがアロンを前にした貴族なのだ。どんな貴族も、王子であるアロンを前にしてその態度を崩す者はいない。なお、グラルド卿は例外。なので、貴族たちの持つ攻撃性――について、フェナリは未だこの世界の常識を知らない。
「レイルス伯は、上層貴族の古株――の中でも最古参なんだ。当然、そんなレイルス伯にはある言葉を放つことが許される。『古くからこの国を守り続けたのは誰か』――そう問われては、他の上層貴族だってどうしようもない。私も、そうだ」
「とはいっても……ほかの貴族の皆さん、お父様も――長く、国を守ってこられたのでしょう。それに、これからを背負っていくのは、レイルス伯ではないはずです」
命はいずれ失われる。その世の理は、レイルス伯にだって適応されるのだ。そして、彼が往生を遂げた後でも、比較的年の若いメイフェアス伯爵やその他の貴族たちは、生き続けて国を守り続ける。結果として、レイルス伯が守ってきた年数とおよそ同じ期間を、経ることにもなろう。
ならば――と、フェナリは思う。結局はそうなるのだから、と。
「フェナリは純粋だな。――勿論、そう考えられるのが一番だ。しかし、そうもいかないのが貴族の関係、というやつなんだよ。誰もがフェナリのように思いながら、それでもレイルス伯にそれを申し立てられるだけの度胸はないし、勝算もない。だから、状況に甘んじているほかないんだ」
悔しいことだが、と――そう言ったメイフェアス伯爵の口ぶりは、どこか独り言めいていた。
フェナリは知らない、本物の貴族の世界だ。
この世界に降り立った頃のフェナリは、自らの立場が貴族であるという事に困惑していた。それは、これまで下を見たことが無かったものが、高台に上ってみたからこその動揺だったのかもしれない。自分より偉い人間には幾人となく会い、その度に軽んじられてきたが、逆の立場になるようなことは決してなかった。だから、初めての立場に、どういった感覚を持っていればいいか分からず、困却した。
しかし、短いとは言えない期間、フェナリは貴族として過ごしてきた。その結果として、少しその立場に慣れていた――若しくは、染まっていたのかもしれない。自分より偉い人間、かつアロンなどとは違い、こちらに対して好意的とは言えない相手がいるという事実を、忘れてしまっていた。
「――フェナリの純粋さは、大切にした方がいい。けれど、これだけは覚えておくんだ。メイフェアス家ではレイルス家には勝てない。そのことだけは、覚えておいて欲しい」
「……分かりました、お父様」
メイフェアス伯爵、『伯爵』なのだ――それなのに、レイルス家には勝てない。同じ爵位を持ちながら、つまりは対等な立場であるはずなのに、勝算が生じるはずもない。そんな、不条理。
フェナリは朧気ながらに、貴族間の上下関係と言うものを垣間見た。『フェナリ』としての人格に在った、絶対的な父の偉大さ――それは崩れようもないのだけれど、しかし貴族としての彼は、そこまで強いわけではないのかもしれない。
「勿論、我々だけでは敵わない――と、それだけなのだけれど」
いや、重ねて否だ。メイフェアス伯爵は強い。
小さく、不穏と言えば不穏な呟きを零す伯爵に対して、フェナリはそんなことを思う。勝算がなく、決して勝てないと諦めながらも、しかしその本心では何も諦めてはいない。それどころか、徒党を組んで強大な相手に立ち向かおうとする姿勢すら見える。
流石は、ギルスト貴族界の――『狸爺』である。爺と呼ばれるほど、彼は歳をとっていないのだけれど。
◇◆◇◆◇
「そう言えばフェナリ。第二王子殿下からの伝書が来ていた。目を通しておきなさい」
「アロン殿下から、ですか?」
「ああ。殿下と懇意にしていることは良いことだ。メイフェアス家がアロン殿下側についた意味もあるというもの。――いや、そのあたりのことはフェナリが気にすることではないのだけれどな」
『狸爺』としての考えを端で漏らしながら、メイフェアス伯爵はフェナリに封筒を手渡した。厚みは特に感じられなく、簡潔な連絡を好むアロンらしさがあった。
父からその伝書を受け取り、フェナリは自室に帰ってからその封を切った。メイフェアス伯爵の前では一応のために隠したが、王都を出るところまでアロンとは一緒にいたのだし、何を伝書で伝えようとするのか、というところである。
「――うぅむ……? 特段変わりない茶会の誘い、のように見えるが……」
また茶会を開く、というような話は確かに馬車の中でもしたような気がするけれど、既に誘う予定があったのならばその場で切り出してしまえばよかっただろう。もしも馬車で話すより先にこの封筒を送ってしまったのだとしても、馬車の中でそれに言及しない理由がない。
疑問は深まるばかり、だったのだが――形式的な茶会の招待文の最後の方に、その答えはあった。
「――『茶会にて、かねてより相談しているパーティの日程について話したく考えている』じゃと」
ホカリナでのことだとか、城塞都市テレセフであったことだとか、そういう騒動のせいで有耶無耶にされていた、アロンとフェナリが主催するパーティ。舞踏会で反フェナリ派を黙らせるために用意した一つの策であったそれだが、フェナリとしてはあまり乗り気ではなかった。
というのも、そもそもフェナリは人見知りである。――ここで言う『人見知り』とは、初見の人間を警戒対象として認識して最低限の殺意を無意識に放ちかねない、と言う意味での『人見知り』である。おおよそ、殆どの人間は気づけないし、フェナリも意識的にそれは抑えるようにしているわけだが、大人数が集まるであろうパーティではどれだけその努力が意味を成すか分からない。だから、彼女も積極的にはなり切れなかったのだ。――と、フェナリは自分の中でアロンに言い訳じみた反論を述べる。
――そして、そんなフェナリの様子を、アロンは純然たる『人見知り』と捉えた。
というわけで、フェナリがパーティに消極的になればなるほど、アロンはより積極的になっていくというわけだった。アロンとしても社交界と言うのは苦手なわけで、フェナリに対しては親近感を感じるとともにこの機会に二人揃って苦手を克服しようと考えているのだ。
書面の最後には『直接では逃げられそうだったので書面にて送らせていただいた』との有難い言葉もつけられていた。本当に、アロンはそういう人間だ。
「お父様も既にこのことを知っているに違いない……退路を塞がれておるわけか」
何と言う抜け目のなさか。フェナリのことを良く理解しているともいえるわけだが、当の本人であるフェナリとしては何とも複雑なものがあった。
まあ、そんなわけで。ものの見事に嵌められ、フェナリは茶会へと招かれた。
――そして、茶会での一幕へと繋がる。
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