106.言祝ぐ為に
「――さて、そろそろじゃろうか」
騎士団の宿舎、その空室を借りてまでフェナリが『休憩』と言う名の時間潰しをしていたのは、決して暇だったからではない。その行動には、理由がある。
アロンなどとは違い、フェナリは一介の貴族令嬢であり、表面上は城塞都市テレセフでの出来事にもほとんど関わっていない。その場にいたわけもないし、城塞都市が陥落したという報せは知っていようとも、それ以上のこと何も関知していない、はずなのだ。だから、彼女にとっては今このとき、王都に居続ける理由も、本来はないはずだった。
――しかし、理由が出来てしまった。ある『少女』についてのことだ。
『少女』シオンが、『少女』であるための会議が今、行われている。いや、経過した時間を考えれば、そろそろその会議も終わりを迎えている頃だろうか。若しくは、今こそがその最高潮かもしれない。アロンと国王――と言う表面上の構造で対立し、シオンの処遇について話し合われている、話し合われたはずだ。
表面上の構造、というのはどういうことか。これはグラルド卿の言だった。アロンは国王に報告し、認可を求めに行く。――が、実際に説得するべきは国王ではなく、その周りを固める上層の貴族たちだ。頭が固く、凝り固まった伝統を抱き締めている、老獪たち。
『どうせアイツら、俺の名前を出した瞬間に却下を出そうとするだろォぜ。だから、俺は会議に参加できなかッたんだ』
その場でグラルド卿が反旗を翻すかもしれない。だから――グラルド卿は会議に出席させない。それもまた、表面上の理由だ。実際には、グラルド卿が出席し、その名義でシオンに対する特別待遇を願い出たところで貴族たちが首を縦には振らないだろうから、と言う方が正しい。
結局、王政は採りつつも――その実、半分以上は上層部に存在する貴族たちが実権を握っている。当然、そうでなければ国王による独裁が起きかねないわけだから、彼ら貴族の存在も必要不可欠なのだけれど。
『けどまァ――そろそろアイツらも、古いわな』
風穴でも空けば埃の匂いが抜けるか、とグラルド卿は言った。その危なっかしい発言に流石のフェナリも苦笑を漏らしたものだ。やはり、グラルド卿が反旗を云々というのも、表面上の理由と言うよりは第二の理由、と言った方がいいのではなかろうか。
しかし、グラルド卿も本気では言っていないだろう。というより、本気で言ってもらっては困る。フェナリはどの立場にいればいいというのだ。表面上――は、アロンの婚約者であり貴族令嬢という明らかに国家側の人間であるフェナリだが、しかしグラルド卿との関係はそれだけのことで切り捨てられるほど薄弱ではないのだ。
――恐らく、その時のフェナリは選べない。
覚悟を決められない。自らの踏み出すべき足が、どちらの道を向いているべきか、フェナリには一生、分からないだろう。それが分からないとしても、理解さえも必要なしに踏み出せるグラルド卿と、それが分からないのならば分かるまで自問自答をして覚悟を決めるアロンと――フェナリは、違う。
「信じたい方を、選ぶのじゃろうな。選びたい方を、選ぶ。――そちらに、全ての信頼を預けてしまう」
今回のことであれば――つまり、シオンが認められることが無くて、万が一にでもグラルド卿が国家に反旗を翻す、ということにでもなれば、フェナリはグラルド卿側に就くのだろうと思う。
シオンを、守りたいなどと言うような、そんな考えはない。今だって、あの時の自分がシオンを擁護するような発言をしたこと自体、自分が不思議に思えてくるのだ。何故、まさか、怪物を狩ることを使命とする自分が、その怪物を、化け物を――守ろうとするなどと。
「あの悪魔が、本当のことを言っているのかも分からぬのに……よく、言えたものじゃ」
ただ、唯一、確固たる言葉としてフェナリが言えることがあるならば、あの発言を、口を突いて出た言葉を、いまだに後悔はしていないという事だ。そして、恐らくこれからも悔やむことだけは、ない。
あの言葉は、自分の過去を慮っての言葉で、あの言葉は、フェナリの本心を表した、言ってしまえばそれだけの、言葉だった。だから、自分の人生すべてを否定するような、そんな状況にでもならない限り、フェナリはあの言葉を撤回しようとは思わない。
――望まれる死も……
――しかし……
――そんな死はあってほしくない……
その言葉を、撤回できない以上――会議の結果も、好い方向へと転がって欲しい。
結局のところ、フェナリの思うことはそれだけなのだ。
シオンに対しての同情心も、憐憫も、やはりない。
強いて言うなら、グラルド卿に対する信頼があっただけで、それがなければ――シオンを生かすよう、言葉を尽くすことなんてあろうはずがなかった。
しかし、しかし、だ。言葉を尽くしてしまったのだ。もう、フェナリはアロンに言葉を並べた。それは覆せない事実なわけで。ならば、その言葉通りの結果を望むのは、何らおかしいことではないはずなのだ。そうだ、不思議ではない。だから――、
「――――」
――上手く、行って欲しい。
無意識に、フェナリは瞑目したままで会議の行く末を案じていた。
会議が終わり、結果が出ればアロンは騎士団の、この場に来る。
それが、事前に打ち合わせられた話だった。
会議が上手く行き、シオンが『少女』として認められたのであれば、それを皆で言祝ぐために。そして――もしも上手く行かず、『少女』が『少女』として許されなかったのであれば、騎士たちによって処刑されるために。
どちらにせよ、アロンとシオンはこの騎士団にやってくる。その報せを、彼らの到着を、フェナリは休憩と言う名目で、待っているのだ。
「――嬢ちゃん。アロンが、来た」
扉越しにグラルド卿の声が聞こえて、フェナリははっと顔を上げる。肩が小さく跳ねた。多少なりとも緊張状態だったらしい。息を吐いて、感情を落ち着ける。そして、確かに返事をして――扉を開けた。
目の前に立つ、大柄な茶髪の騎士は珍しく緊張しているらしかった。
「では、行きましょうか――グラルド卿」
「あァ……」
「もしかして、緊張されてますか」
「いやァ、そういうわけでもねェ。ただ――ちょいとばかりな、様子がおかしい」
含みのあるグラルド卿の言い方に、フェナリは訝し気に首を傾げた。様子がおかしい、と言うのは恐らくアロンとシオンのことなのだろうけれど、であれば――何が、おかしいのか。
考えようとして、フェナリはふと気づいた。手合わせを終えて、装備を片付けていたはずのグラルド卿がまたも、大剣を腰に掛けていることに、だ。つまり、グラルド卿はそういうつもり、なのだろう。もしもの場合を、危惧している。そして、既に覚悟を決めているのだ。
「――グラルド卿、そのときは、お供します」
「ハッ、嬢ちゃんが何言ッてんのか、俺には分からねェな。けど、ありがとよ。――んで、もしもの場合はついてくんな。嬢ちゃんは、アロンのとこにいたほうがいい」
「私は、自分が正しいと思う側につきます。負けるか勝つか――そんなものは、どうでもいい」
「そうじゃねェよ。アロンには、嬢ちゃんがいなくちゃならねェんだ。だからだよ」
グラルド卿の言い分に、フェナリはぽかんと口を開けた。そんな返しを、想定していなかった。
フェナリにとってのアロンは――強い。グラルド卿やシェイドが自らの騎士剣に強きことを誓っているのと同様に、彼は自らの王族と言う立場に対して誓いを立てている。だから彼は弱いし、だから彼は強いのだ。
そんな彼に、自分が必要などとは、フェナリは思ったことが無かった。そんなはずがないと思っていた、と言うのが正しい。
「私なんかが……アロン殿下に――などと」
「いや、間違いねェはずだぜ。アイツには、嬢ちゃんみてェな人間が、傍にいてやらねェと」
謙遜しようとするフェナリの言葉を、グラルド卿が自信をもって否定する。その言葉に籠められた確信に、フェナリの方が言葉を失ってしまった。そんなはずがない、とやはり思うのに、けれど――もしそうであれば、それは何と喜ばしいことだろうか、とも思うのだ。そう思うフェナリも、いるのだ。
「もしも、だ。どうせは――万が一の話、なんだ。だから、嬢ちゃんは気にすんな。アロンが、上手くやッてくれたはずだ」
「そうですね。――アロン殿下を、信じましょう」
自分たちが、反旗を翻さずに済むように。
国家を相手にして、勝てない無謀な戦いを挑まなくて、済むように。
――自分たちの過去を、否定させないために。
◇◆◇◆◇
「――グラルド卿、それにフェナリ嬢。待たせた」
「――アロン、王子殿下」
少し離れたところから、フェナリとグラルド卿を見つけて歩み寄ってくる、一行があった。その、単なる王子の護衛と言うだけでは説明のつかない人数と、覇気に――フェナリはグラルド卿の言う、様子がおかしい、と言う言葉の真意を知る。
アロンの背後には、複数の人間たちがいた。そのどれもが、グラルド卿にとっては見たことのある顔だ。アロンと、その背後に随うシェイドとシオン、三人を背後から取り囲むようにして――隊列を組んでいる。
その、中心に立つ人物を、グラルド卿は良く知っている。全員、覚えのある顔ではあるが、その中でも忘れられない顔がいる。
「お久しぶりだな、王国騎士団『紫隊長』――グラルド卿」
「こりゃァ、また……お前か」
「ふむ……ずいぶんな言い草だ。私と卿の、仲だろう。竹馬の友、というやつではなかったか?」
「んな馬鹿な。お互い、気に食わねェ相手同士だろォが。――オルウェイヴ」
オルウェイヴ・レイルス――彼は、グラルド卿にとっては因縁の相手と言える。
そもそも、その立場からして相容れないのだ。グラルド卿が王国騎士団に属するのに対して、彼は『騎士術』とは対極をなす『魔術』を司る人間。
「これはこれは――メイフェアス家の御令嬢もいらっしゃるとは。少々、お見苦しいところをお見せしました。彼、グラルド卿とはほんの少し、僅かだけ、関りがありまして。改めて、ご挨拶いたします」
そう言って、オルウェイヴはアロンに視線を送って、許しを得る。それから一歩を踏み出し、胸に手を当てて姿勢を正した。角張ったウェーブに固められているらしい髪が、直立不動の姿には映える。鋭い眼光を隠そうともせず、オルウェイズはここで初めて名乗った。
「王国魔術師団――第一師団長を務めております、オルウェイヴ・レイルス。以後、なにとぞ良しなに」
腰を折ったオルウェイヴは、高らかに――そうあることこそ世界の理であるかのように、自らの名乗りを挙げた。
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