閑話6.陰にて起きる火焔
閑話合わせて六つ目「陰にて起きる火焔」です。題名の通りです――現状それ以上は言えません。
「――そこの人、少し尋ねたいのだがね」
「どうしました、旅の方ですか?」
「ああ。死ぬまでに世界の隅々を見てみたいと思っていてね。しかし……世界は広い。こんな国があるなどとは思っていなかった」
「お褒めに預かり光栄です、旅の人」
「いや、そうじゃない――何故、君たちは……いやこの国の人全員、仮面をつけているんだね?」
「――。そうですね、神の。そう、神の思し召しだから……と、そう言っておきましょう」
◇◆◇◆◇
「――とうとう。お目覚めでござるか、姉御」
「おうよ、いんやぁ眠りすぎて体の節々が痛ぇ。しっかし、俺が眠っている間には何があったんだぁ? お前さんも、随分と小さくなっちまって。声出してみろよ、小鳥のさえずりでも出すんじゃねぇか?」
「――――」
大陸北方の国ゼルバブ。その中央に据えられているのは錆びてしまった青銅の宮殿だ。壁の至る所は変色し、金属の匂いが辺りに充満している。しかし、これもまた歴史が積み上げられてきたという証拠だとして、国民の総意を以て、この宮殿の修復はなされていなかった。
その宮殿の王座には、今一人の女性が座っている。いや――ふんぞり返っている、と。そう言った方がいいのかもしれない。
「この椅子とやらも、座りにくくてしょうがねぇ。王ってのはめんどくせぇんだな」
「それも仕方のないこと。姉御は、まだ慣れてござらぬからな」
「なんだ、お前さんは慣れちまったのか? はっ、変わっちまったなぁ」
「適応力、ってものが吾輩唯一の取柄、でござるからな」
王座の上に尻を乗せ、さも座っているかのように見せているだけ。足を大きく組み、人間の振りをしているだけ。それらしい格好をしているだけで、彼女は人間になり切れたとばかり思っている。
王宮の天井には、大きな穴が開いていた。何か、想像だにしない怪物でも現れたかのような、そんな規格外の傷跡だった。それも恐らくは、盲信の国民によって『歴史』となっていくのだろう。
「んで? お前さんらが俺の眠ってる間執り行ってたっつう作戦は――どうなった」
「委細全て、上手く――とはいかないでござるが、それでも問題は無さそうでござる。何せ、姉御が起きてきた。それだけで、吾輩らの勝利は確定した……そう言ってしまって構わないでござろう」
「はっ、それもそうだ。しかも、なんだ――この国のニンゲンは馬鹿ばっかだったしな。俺が、神なんだとよ。嗤っちまうぜ。神ってのは、もっとやべぇ奴らなのによ」
声を低めて、玉座の女は言った。豪胆な表情が初めて歪み、静かに目を伏せるその様は畏れているようにも見えた。玉座の周りで、静寂が積もる。神、と言う存在には彼らも敏感にならざるを得ないのだ。何せ、一歩間違えればその神と、正面から対立しなければならないのだから。
神に対抗することは、簡単なことではない。それは、彼らだって知っている。今でこそ神は原則不干渉を決め込んでいるが、それが崩れ去った時にはすべてが終わる。
「神の動向は探っとけよ。出来る限りだ」
「それは勿論、力は尽くして居るでござる。しかし――神相手ともなれば」
「分かってるっつうんだよ。けどよぉ、今の神――中でも一番干渉してきそうなやつは既に力を失ってる最中だろ? 今のうちに終わらせねぇと。アイツが力を取り戻し、んで俺らを潰そうとして見ろ。俺らは一斉にぺしゃんこだぞ」
「――分かっているでござる」
神の脅威は既に共有された見解とみていいらしい。ここにいる誰もが、神を恐れるべきものとして認識している。そう見るしかない。その性情は常に気まぐれ、二者択一を蹴り飛ばし自らの強情を力で押し通す。それが神だ。この世界に降り立ったのは、そういう存在だ。
だから、この国の人間を――彼女は馬鹿だと愚弄する。そんな、規格外の相手と一緒にされては困るのだ。彼女は怪物であっても、神ではない。神にはなれない。そして馴れない。
「俺は細かいことはわからねぇ。けどな――俺の空腹も、待てるのはあと一年だ。さっさと終わらせろよ、朝食だってまだ食えてねぇんだ。この国の人間だって、探せば美味いやつもいるだろ」
「――姉御」
「分ぁってるよ、食うな、だろ」
「この国の人間の価値は、人間であることでござる。吾輩らに唯一足りないのは、それ。安心してくだされ、姉御――吾輩は、『厳籠』のようには間違えないでござるから」
「おうよ、任せる。信じてるぜ、『霧喰』?」
「うむ、正しく承ったでござる――『爆赫』の姉御」
◇
――大陸北方の閉ざされた国、ゼルバブ。
酷い寒波に守られた雪国、もしくは氷の国であり、閉ざされ外界との隔絶を得てきたからこその独自文化が芽生えた地域である。その代表格は『呪術』であり、それこそゼルバブが他国から疎まれている理由の主なものでもあった。
そして最近になって、ゼルバブはより鎖国的な政策を打ち出してきた。他国との関りを可能な限り拒絶し、人や物の流通を制限どころか禁止したのだ。そして他にも、ゼルバブの異常な点はある。鎖国政策を強化する法律が施行される直前、旅の人間はゼルバブで見たのだ。
仮面。仮面、仮面、そして仮面。ゼルバブの国民全員が仮面をつけている――。
その異常な光景に、旅の人は困惑した。仮面をつけている人間など、仮面舞踏会か演劇でもなければ見ることはない。ましてや、日常生活で――しかもその場にいる全員が、ともなればその異常性は語るに及ばない。
不気味なものだった。いたって普通の生活を送っているのに、ただその見た目だけがおかしい。強いて言うなら――その口から出てくる言葉も、少しおかしかっただろうか。『神の思し召し』だなどと言っていた。大陸では幾つか宗教があり、当然神を信仰する宗教が無いわけではない。教会が国の中心に据えられた国も、探せばあるだろう。しかし、ゼルバブは無宗教の国だったはずだ。
――鋭く冷たい寒波のせいで、作物は育たず幾度となく飢饉で滅びかけてきた。
そんな国、ゼルバブ。そんな調子だから『呪術』のような陰気くさいものが流行ったのだ、と誰かの偏見に塗れた言論が誰からも否定されないのは、その言が事実に反する、とは言えないからなのだろう。
そしてそんな国だから、神などは信じられてこなかった。目に見えないものを信じているような、そんな余裕は彼らには無かった。裏を返すようにして『呪術』が浸透していったのは何とも皮肉な話だが。
「――まぁ今でも? 上層部が信じてるだけで、末端の人間が信じてるかは分かりませんけど」
私とかね、と。寒い雪道を恐れることなくステップで通り過ぎていく仮面の女性がいた。
呪術大国ゼルバブ、今は他国との交流が完全に断絶されている影響で、人や物の流れは一切存在しない――そのはずだった。しかし、その特例がある。それこそ、彼女のような特別な人間。選ばれた人間。神を信じている上層部、彼らから任ぜられて、外へと出ていく者たち。
「お役目貰ったからには、しっかり働かないとですからね~」
独り言が多い。誰かに向けた言葉ではないし、誰に向けられていてもいいような言葉だ。
彼女もまた、仮面をしたまま雪道を歩いていく。と言うよりはステップで駆け抜けていく。足元は不安を一切感じさせない。流石は雪国で生まれたから――と言うわけではなかった。彼女のそれは、単なる慣れが一割、そして訓練が九割だ。後天的に、努力によって培ったものだった。
「駒ですよ駒駒。細々したことは私も分からないですけど、やっぱし私は駒なので」
彼女は、自分の立場を理解している。あるものとあるものの間を繋ぎ、そして役目がなくなれば初めからいなかったかのように消えてなくなる。そんな、雑で無残な扱いをされるために生まれてきたのだと、自覚しているし自ら容認している。
彼女の名前は、まだない――。彼女自身が、与えていないから。彼女の仕事は、役目は、決まっている。既に与えられたからだ。そして彼女の心は――誰から与えられたことも無いし、自分で与えようともしたことが、ない。
「さぁて、人を殺すお手伝いです。しっかりやりますよ~」
彼女は、工作員だった。しかも、実行犯ではない。本職の専門家、または実行を担当する上の人間がいて、それを指揮するさらに上の人間、暗躍するそのまた上の人間、といる中で――彼女の存在は、末端も末端で良いところだった。底辺だ。
そのことを自覚し、容認して、彼女は自らをそう定義している。その定義すら自分で与えられなければ、ゼルバブの工作員は生きていけない。自らを確実なものとしなければ、生きていけない。
「さってと、次の標的って誰でしたっけ。――ああ、女の子だぁ。可愛いと良いな~」
人を殺す。または、殺すお手伝い。人の命を奪う。もしくは、奪うためのお助け役。
彼女は呪術大国ゼルバブから派遣された仮面の悪女。ただ、悪女と言うにはあまりにも影が薄くて、余りにも――希薄な命の持ち主だった。
そう、彼女の存在は本当に、物事の本筋には関わらないのだ。それこそ、彼女の存在は幕間にでも語られるような、その程度のものだ。
――彼女の名前は、まだない。与えられていないし、与えていないから。
しかし、役目は貰った。そして自分を確かなものとして定義づけた。それだけで、良かった。
第4章開幕は12月3日(水)に決定しました!!
いつも通り、20時に投稿されます。よろしくお願いいたします。




