103.『追憶』
グラルド卿は、起こったことをフェナリらに伝えた。自らの過去を想起したことや細かいところは伏せながらだったが、それでも状況は委細、三人にも伝わったことだろう。
「それで――私を呼んだわけだな、グラルド卿」
話を聞いてなお、グラルド卿と幼女のように見える悪魔、その彼らに相対する三人の瞳は剣呑なままだった。当然のことともいえるだろう。
元は人間であり、自分は特殊個体ゆえに人間の記憶を保ってきた――そんな荒唐無稽な話を、しかも悪魔が自ら述べた話を信じろ、と言うのはそもそも難しい。特に、死に際になったとみるや人情に訴えかけてきた『悪魔の娘』を知っているシェイドは、その視線をより鋭く向けていた。
「まず、到底信じられる話ではない。――これは、大前提だ。悪魔が言った話を、まさか信じられるはずはない。しかも自分は悪魔じゃないから見逃せなどと……明らかに罠か保身としか捉えようがないだろう」
アロンの言葉に、首肯はせずともフェナリとシェイドは賛成していた。彼らの立ち位置からも、それは良く分かる。初めこそグラルド卿の前に三人並んでいただけだったが、いつの間にかグラルド卿の前にはアロン、そしてグラルド卿を――否、幼女の悪魔を取り囲むように、フェナリとシェイドが斜め横に定位置を採っている。明確な警戒態勢だ。
グラルド卿は、その言葉を受け入れる。硬い表情は崩れないが、しかし想定していた通りの答えだ。
「グラルド隊長――私は無理だと、そう思います。悪魔との共生は、夢物語です。私が斬った悪魔はそれぞれ、死に際になって命乞いをしたもの、人間に親し気に寄り添って最後には喰おうとしていたもの、そのどちらも……共存を否定するに十分な前例となります」
シェイドが静かに、グラルド卿に意を反して言う。憧れの人を相手に、しかし彼の言葉はグラルド卿に味方するものでは決して無かった。
シェイドだって、悪魔との共存は考えた。もしかすれば誰よりも、彼は悪魔と共に生きる世界を望んでいたかもしれない。そんな世界が実現したとすれば、シェイドは過去の初恋の少女と、共にいられたかも――幸せを享受できていたかも、知れないのだ。
「悪魔が本当のことを言っているのか、今の我々には判断しようがない。そして……判断している間に、その危険を把握しきれない間に、被害が出た。そんなことは、我々には許されない」
アロンが厳然たる事実として、そう言う。『お母様』と呼ばれた悪魔の真の動機に気づけず、結果として、今回の作戦で無惨にも命を散らした方々の死を冒涜された――アロンの言葉は、シェイドとは違う意味で重かった。
幼い言葉を、可哀想な境遇を、認めて慰めてやりたいのは分かる。しかし、そうも簡単にいく話ではないのだ。
「――グラルド卿。過去、人間と人間の間でした話とは違う。これは、人間と悪魔……決して相容れない者同士での話だ」
「……ッ、分かッてる。けどよォ――俺は、お前になりたい」
この場では唯一、グラルド卿の過去を知る者として、アロンはグラルド卿の思考の順序を大まかに予想する。そうして『過去』のことを話に持ち出され、そのうえで否定されたグラルド卿は声にならない呻きを漏らした。
グラルド卿だって分かっている。今自分が言っていることが、どれだけ無謀で、どれだけ無理なことか。悪魔が言っていることを信じてやれなどと、本当ならば口が裂けても言えないはずのことなのだから。
「もしも、もしもだ。――コイツが、本当に人間の心を持っているとして……コイツを殺せば、それは国民を殺したことには、ならねェのか?」
「――痛いところを突くな。しかし、もしもの話を持ち出すというのであればこちらも、その悪魔によって将来的に失われる命の話を引き合いに出すことになる」
「……俺が、コイツを見張る」
「子供が犬猫を飼いたい、と駄々をこねているのとは違うのだぞ、グラルド卿。我々はその悪魔に対してではなく、その悪魔によって危険に晒されるかもしれないギルストの全国民に対して責任を負わなければならないんだ」
アロンの反駁は至極冷静で、グラルド卿の意見を一つ一つ、静かに潰していく。ギルストの王子として、国民が危機にさらされる可能性は到底見過ごせない。
城塞都市テレセフの悪魔は全て、一掃する。それが今回の殲滅戦だ。そこに例外はない。つまり、この悪魔をここで殺し、『お母様』と呼ばれていた悪魔もいつか必ず、その討滅を図るのだ。それが、アロンに与えられた責務であると、彼は自認している。
シェイドとアロン、どちらもグラルド卿とは距離が近い人間だが、しかしどちらもが彼の味方にはならなかった。それぞれ、彼らの言葉には根拠があり、その根拠は社会通念上の常識と、そして自らの経験に基づいている。それを簡単に覆すことは出来ない。
グラルド卿は、そしてずっと黙り込んで沙汰を待ち続ける幼女の悪魔は、四面楚歌だった。そして、最後に――ずっと一人で沈黙を貫いているのが、
「――嬢ちゃん、嬢ちゃんは……どう思う」
フェナリは、初めにグラルド卿に詰め寄っておきながら、しかしそれからは口を閉ざし続けていた。それはグラルド卿の話を聞くためであり、アロンとシェイドの反駁を聞くためであった。
フェナリは、考えるのが苦手だ。どうしたって、アロンや『雅羅』のようには出来ない。それを自分でも理解している。それでも、これは――頭で、論理的に考えていればよいだけの問題では、ない。きっと、自分の意見も求められる。そして、その時自分は……どう答えるのか。
「私は……『化け物』であろうと、人に害を成し得るものであろうと、それは一つの命だと――そう思います。もしくは、そう願いたいのかもしれません」
フェナリは、静かに口を開く。彼女もまた、言葉に籠める思いがある。過去を、背負ってきた前世の過去を、この言葉の裏に張り付ける。到底、遭ってはいけない不幸に遇ってしまったあの記憶が、彼女の言葉の根拠だ。
ずっと、人の為だと教えられて、心が殆どないまま、怪物を屠ってきた。それは本当に人の為であったというのに、しかし守られていた人々はフェナリが自分たちに牙を剥くかもしれない、と――そうした疑念を以て、彼女を手に掛ける計略を立てた。それに対して、フェナリは恨めしいとは思わない。復讐など、考えたことも無い。けれど――、
「この世界にある命は……あるとき天寿を全うし、あるとき中途で頓挫させられる。そして、あるとき捨てられ、あるとき奪われる――。無駄な死があって、誰にも知られない死も、汚い死も、要らない死も、望まれる死すら――あります」
フェナリは、その死を望まれた。望まれて、謀略があって、そして――。
それを根に持っているわけではない。それらをこの世から根絶したいとも、思ってはいない。フェナリは、そんなことをする力が自分にはないと知っている。そして何より、
「あるべき死なんてない……そんな言葉は、綺麗ごとに過ぎません。それでも、私は――そうなるものなのだと定められて、そうして迎える死など……そんなものは、あって欲しくないと、思います。そう、思うだけです」
確と、言い切ったフェナリに何かものを言うものはいなかった。これまでも誰かが声を荒げるようなことはなかったが、しかしそれでもここまでの静寂は生じていない。ただ、本当の無音。誰かの息遣いすら小さすぎて聞こえず、静かすぎるがゆえに皆の耳朶を耳鳴りが揺らす。
この場にいる誰も、フェナリが一度死を経験したなどとは考えたことが無い。それは悪魔が人間の心を持っているのだという話と比べてもより荒唐無稽な話だ。だから、誰も考えたことが無いし、知らない。それなのに、全員が彼女の言葉、そこに確かな実感を覚えた。
「――俺が、責任を取る。『紫隊長』として、コイツが……決して人を襲わないよう、監視し続ける。そしてもしも――コイツが誰かを害すようなことがあれば……俺の首を以て、償う」
「責任を取るために死ぬ、それは単に自罰的で短絡的な考えではないか? 失われてからでは、卿の命によって誰かの命が戻ることはないのだ」
「自罰じゃねェ。それが俺の、覚悟ッてだけだ」
グラルド卿とアロンの視線が交錯する。位置的にはグラルド卿を囲むように立っているフェナリとシェイドだったが、心情的にはグラルド卿とアロンの後ろ側から、事の成り行きを見守っている気持だった。
それぞれ、意見は出した。しかし最終的に決定するのはグラルド卿でも、フェナリでも、シェイドでもない。当然、幼女の悪魔であるはずもない。グラルド卿が意見を請い、決定権を委ねたのは他でもない――ギルスト王国が第二王子、アロン・ギルスト・インフェルトなのだ。彼こそが、この場で最終の決定を下す権利を、そして義務を、持っている。
「「――――」」
「――分かった。第二王子の名の下で、グラルド卿に対する信頼をここに示そう」
「――!!」
「但し! ――条件がある。一つ、責任はグラルド卿ではなく、私が取る。最終的な決定をしたのは私だ。そして二つ、世話はグラルド卿に一任する。しかし当然、騎士団の任務が最優先だ。さらに三つ、一週間に一度以上はここの面々の誰かの面会を受けること。第三者視点で異常がないかを確認する意味合いがある。……これらが必須条件だ」
そこまでを勢いづけて言って、アロンはもう一度グラルド卿に視線を向ける。試すような、そんな視線だった。過去には何度となく向けられたその瞳だが、最近では珍しい。グラルド卿はその視線を前に、確固たる意志を瞳に宿し、頷き返した。
そしてグラルド卿はアロンから視線を外し、シェイドへと視線を向けた。
「私は、王子殿下とフェナリ様、そしてグラルド隊長のご決断を当然、尊重いたします。――その悪魔が、特別であることを……願っています」
「感謝する。――後悔は、させねェ」
そうして、グラルド卿は最後にフェナリへと視線を向けた。彼女が自分の味方をするとは、正直グラルド卿も予想していなかった。化け物を狩るというのが彼女の生き様なのだと、どこかで悟っていたからだろうか。
しかし、現実はそうではなかった。フェナリは、悪魔を受け入れようとした。それも一つの命だとして。それは恐らく、グラルド卿と同じような思考を辿っての結論なのだろう。これまでにフェナリと交わした言葉が、脳裏に浮かび、そして最後に感謝の念が沸き上がる。
「それで、グラルド卿――その子には、名前が必要なのでは?」
しかし、グラルド卿がフェナリに感謝を述べるより先に、フェナリが彼に問いかけた。
微笑みながら『その子』と、そう言ったフェナリは悪魔を、しかし悪魔としては見なかった。グラルド卿にとって、それは不思議でありながらやはり有難いものだった。
三人の瞳が、剣呑さを失ってグラルド卿へと向けられる。
フェナリはそもそもグラルド卿を信頼していなければ初めの一瞬で悪魔を斬っていただろうし、アロンは最終的にグラルド卿に対する信頼を以て決断を下した。そして、シェイドはグラルド卿やアロン、そしてフェナリに対する信頼によって全ての決断を尊重してくれた。三人の信頼が、今の状況を作り出したのだ。
過去を想えば、何とも感慨深い。まさか、当時の自分はこんな状況が将来に待っているなどとは、想像もしていなかっただろう。だから、フェナリの問いに対しては追憶と、その結果によって答える。
「おい。いいか、今日からは――」
グラルド卿が屈んで、幼女の悪魔の肩に手を置く。そして視線を合わせ、フェナリの問いかけに答えながら、しかし悪魔だった幼女に言い聞かせるようにして、言った。
「――お前の名前は『シオン』だ」
「……!! はいっ!!」
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