98.悪魔を創る
――望外の収穫だった。まさか、『お母様』と相対したことのある者に会えるとは。
「最後に起こった、集団の悪魔による襲撃――そうですそうです、思い出してきました。その時は、衛兵の皆さんが頻りに都市の門を出入りしていて……被害があまりに甚大だというので、わたしが呼ばれたんです」
立ち話では何だから、と場所を書庫の端の司書室に移して、リアは話し始めた。およそ百年は昔の話なだけあって、記憶はやや朧気であるらしい。
時に天井を仰ぎ、記憶の書棚を探るようにしながら、リアは過去を言葉にして紡いでいく。それを、アロンは静かに聞いていた。
「わたしが呼ばれた、ということは――そういうことでした。わたしって、負けないんですよ」
「……司書殿は、強かったのだな」
「まあ……そうですそうです、強いと言えば強いです。なんたって、負けないんですから」
『負けない』――その言葉を強調して繰り返すリアに、アロンは引っかかりを覚える。単に戦力として強く、信頼されていたというそれだけではないらしい、とは簡単に悟れた。
「そちらの違和感については、また機会があれば。それよりも『お母様』悪魔のほうでした。――あの悪魔は、『娘』たちよりも強く、もう……圧倒的でした」
「――――」
実際に対峙し、恐らくは一戦交えたであろうリアの言葉だ。強い、という単純な評価の重みが違う。『悪魔の娘』との戦いを間近で見たアロンだからこそ、アーミルさえも軽く越える実力の悪魔ともなれば、想像するだけで恐ろしかった。
「圧倒的すぎて、衛兵さんたちはその進攻を遅めることさえ難しそうでした。わたしだって、どうにか前線には出ましたが……歯が立たないし、痛いし、勝算はないし、痛いし、終わりは見えないし、痛いし、何にせよ痛かったですね、ほんとに」
「国防の要所たる城塞都市だ。それだけ身体を張ってその守護を果たしてくれた司書殿には頭も上がらない」
「そのお言葉は――はい、ありがたく頂いておきます。でも、『お母様』の悪魔を取り逃がしたのは、わたしの人生でも一番の失態です。あの悪魔は、特別でしたから」
『悪魔の娘』たちは、特殊だ。これまでは悪魔の中で存在しないと考えられていた家族関係と言う概念を示唆するような単語を頻用し、『能力』を扱う。その特異性はここ数日で露見しきっている。その彼女らの特別さ、その源泉は恐らく――『お母様』と呼ばれる悪魔なのだろう。
「『特別』――と、そう司書殿が評する理由を聞かせて欲しい」
「そうですね、そうです。あの悪魔は特別でした。なんたって――娘たちを作るんですから」
◇
――状況はやはり、ほんの少しだけ劣勢だった。
シェイドが戦闘に参戦し、フェナリも十全とは言えないまでも戦っている。しかし、『悪魔の娘』というのはそう簡単に討滅できる存在では決して無いのだ。
アーミルの討滅を思い出してみれば分かる。ムアが迎撃しなければそもそも初手で陣営は半壊しただろうし、その後のシェイドの参戦と奮戦がなければ抑えられなかった。騎士たちの波状攻撃がアーミルの力を削いだとはいえ、グラルド卿とシェイドの存在が無ければ、騎士だけでなくアロンさえも負傷――それこそ致命傷を負ったかもしれない。そして、ムアの残した術式がアーミルを追い詰めた。最後にシェイドの決死の特攻があって初めて、アーミルの討滅までの道程が確立されたのだ。
「あの時の大勢の、総ての力を――我等でこの場に再現する」
「到底出来ないなどとは……言っていられませんね」
その力量を十全に揮い切れないフェナリと、負傷し連戦の疲労もあるだろうシェイド。相対するは長年の封印を解かれ『万変』の力を扱えるようになったラミルだ。言葉にしてみれば人間側の条件の悪さがより際立つ。――だが、フェナリとシェイドはこの状況に勝率を見出していた。
『万変』の名の如く、世界中全ての人間の姿には成り代わったのではないかと言うほど変身を繰り返し続けたラミルはふと、飽きたかのように天を仰いだ。それに対して警戒を強めながら、フェナリとシェイドは視界の端で視線を交わす。
「そうじゃな、考えていることは――」
「ええ――同じ、でしょう」
「……気に食わない。さっさと死んでくれればいいものを!!」
先程から、ラミルが口走るのは本質的に言えばシェイドに対する殺意だけだ。それ以外の言葉を、もしくは思念を持たないかのように、彼女の口撃は一辺倒で単純に終始する。初めこそその罵詈雑言に心を乱されかけたシェイドも、最早肩を震わせることすらしない。
何度目になろうか、シェイドは騎士剣を構えた――。
「真正面から来るその浅はかさだけは、褒めてあげる!!」
「浅はか、愚直、直情径行――なんでも結構。それが一つ、騎士道の在り方だ!」
吶喊し、ラミルの正面から騎士剣を勢いよく振りぬくシェイドに、ラミルは嘲笑を浴びせかける。先程と構図は殆ど変わらない。正面に来たのがシェイドで、背後に誰もいないというだけの話。能力によって姿を変化させ、別の態勢からの急襲――それだけで、シェイドはまたも痛手を受ける。
愚直を貴び、まさか学びもなしに特攻を選ぶとは――とラミルはその浅はかさを嘲弄しつつ姿を変化させた。
「――ッ」
ラミルの全身の輪郭がぼやけた、その瞬間のことだった。シェイドは急停止し、空中で制動。地面を横に蹴ってラミルの正面から緊急離脱した。攻撃の一切を諦めたかのようなその行動に、ラミルは一瞬だけ呆ける。騎士道を説く者とは思えないような行動に、一瞬だけ思考が白くなる。
その思考の空白を狙って、シェイドの背後を隠れるように追随していたフェナリが前に出た。
「――黄花一閃・向日葵ッ!!」
「な――ぁっ」
ラミルの身体に対して、フェナリの花刀が垂直に突き立てられる。それは狙い通り、ラミルの心臓部分を突き刺そうとしていた。しかし、ラミルは驚愕しながらも咄嗟に姿を変化させ、急所を避ける。そのまま、次の攻撃へと移行した。突きの攻撃を放ったフェナリは、前へと体重を移動させているはず。今の状況で次の攻撃を避けるのはあまりに困難――、
「――違う。元から逃げるつもりであれば、問題はない」
フェナリは、逃げた。シェイドと同様にしてラミルの拳の射線から逃れるように右後ろへと飛び退る。ラミルが急所を避けるために『万変』の能力を使うのも、その変化によって意表を突いた攻撃をしようとすることも、どちらも予想済みだ。だからこそ心臓への攻撃が出来たともいえる。
フェナリが横に逸れれば、既に彼女の後ろへと位置を映していたシェイドからの攻撃が迫る。それに、ラミルはまたも対処を急かされた。
――『山中の蛇にやられるのは何人目か』という話がある。
三人が縦に並んで山の道を進むとき、前から現れた蛇に噛まれるのは誰か、と言う問いである。
この場合、正面に立っていた初めの人は蛇の出現にすぐ気づくことが出来る。それ故に、彼なり彼女なりは蛇にやられることなく、回避できるだろう。
では二人目はどうか。一人目と二人目にどれだけの体格差があるかは知らないが、一人目の背中越しに蛇が見えるので対処が可能だろう。勿論、一人目が驚いて避けようとするのを見て咄嗟に反応しても遅くはない。
だが三人目、彼だか彼女だかは可哀そうだ。一人目が避け、二人目がどうにか対処できたとして、三人目はその騒ぎに気づいたころには蛇に噛まれている。
これは山の近くでは多く囁かれる話で、時には一人目がやられたり、二人目がやられたりもする。もしくは一人目が猪に、二人目が蛇に、三人目が幽霊にやられたり等々……いわゆる、与太話の類である。だが、フェナリとシェイドがしたことはこの話と大きく違わない。
ラミルが変身した瞬間に、逃げの一手を採る。そして、背後の仲間が背中越しにラミルの次の攻撃を判断し、攻撃する。――その、繰り返し。
「何が、何が騎士道だ!! これの、どこが――卑怯、姑息、醜悪極まりない!! それが少女の願った空虚な『騎士』の姿か?!」
「『騎士は、民草と国家の守護のために手段を択ばず敵を殲滅する』――私の憧れ、グラルド隊長はそう仰った。ならば、私にとっての騎士道はその言葉に則すのみ」
「――久しぶりに聞いたの、シェイドのグラルド卿自慢か」
『民草と国家の守護のため』と言う言葉は、グラルド卿が何とか濁そうとしていたし、『手段を択ばず敵を殲滅』と言った時のグラルド卿はほんのり瞳を輝かせていたが、シェイドはその厄介な事実は記憶していない。ただ、グラルド卿が自らの騎士道を定めてくれたことのみを覚えている。
そして、その騎士道に沿って言えば――今のシェイドの行動こそ、最適解だ。
「卑怯だ、姑息だ、醜悪だ、などと……悪魔の口から飛ばす言葉の剣にしては柄に棘がありすぎだ。口から吐くときはその棘が刺さらないように気を付けたほうがいい」
「それが……当時の私が望んだ『騎士』の姿か?!」
「これこそが、私が望む『騎士』の姿だ」
バッサリと言葉を斬り捨てられ、ラミルが歯噛みする。言葉の棘を以てシェイドを制そうとした彼女だが、結果としてシェイドの揺るがなさを確かめるにとどまったわけだ。
こうして言葉を交わしながらも、フェナリとシェイドの波状攻撃は止まることを知らない。攻撃が来て、その度にラミルはその姿を変化させ、そしてまた変化させ、そしてまた――。
「埒が明かない……ッ!! まだ、死なないのか!! いつまでも私の目の前にお前がいる!! もう――気が狂いそうだ、さっさと終わらせるはずだったのに!!!」
「――ッ、次は……なんじゃ、と」
またも、ラミルの姿が変容する。それまでは長い緑髪を後ろで一つに括った小柄な女性だったが、その輪郭も霧散し、膨張する。それは見上げるような大男――よりも更に大きい。フェナリはその頭の部分を追うようにして視線を上にと向けた。
そして、近くの木々を見上げるのと同じような姿勢になって初めて、その全身を視界に収めることが出来る。それは、フェナリの見たことが無い生物だった。
長い鼻と、茶色の体毛に包まれた四足歩行。大きすぎる耳と口端から伸びた角のような牙。大陸の極北では数こそ少ないが、どうにか生き延びているらしいその巨躯の獣。異なる世界では既に絶滅したその生物の名は――『マンモス』。
「――ッオオオォォォン!!!!」
人間らしく話す能力すらも手放して、ラミルが咆哮を上げる。その口が大きく開き、牙が風を切る。雄叫びは森の木々を音圧で押し倒した。最早、その膂力は人間の範疇を越えたなんて程度を超えている。その姿も、そして恐らくはその破壊力も、ラミルは獣に成り上がった。
――否、相対する者たちのことを考えれば彼女は、獣に成り下がったのかもしれない。
「なんだ、やりやすくなりましたね。――あの少女の姿を斬るのは、私も心が痛みましたが」
「ああ、同感じゃ。対峙する敵が人間でないのであれば、私も躊躇なくその身体を屠れよう」
ラミルの取った行動は、全くの失策だった。相対する二人の枷を――外しただけなのだから。
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