94.書庫の門番
「都市南部、低級悪魔が三体確認されました」
「騎士団第十三小隊を向かわせろ。――南西部の件について、報告は未だか」
「南西部の悪魔について、征討したとの報せはまだありません」
「第十小隊を援護に回らせる。救護部隊からも二人連れて行くように伝達を」
騎士と衛兵、連絡兵たちが縦横無尽に駆け巡る。その中心地となる領主邸では静かで短い言葉の応酬が繰り返されていた。
『悪魔の娘』の対応はそれぞれ進んでいる。グラルド卿がヴァミルを、そしてシェイドがラミルを相手取り、今も戦い続けているのだ。当然、シェイドが戦闘へと移行した報せはアロンの耳にも入っている。それを中断させる方法を持ち得ないがゆえに黙認しているが、本心では彼らの無事をただ祈るしかできない現状に歯がゆい思いを抱いていた。
「当然、援護を送ることも考えたが……違うな。俯瞰的に戦況を見るならば、今が好機だ」
今の状況で、送ることの出来る援護部隊と言うのは限られる。ある程度の実力者以下を送り込むと、それはそれで『悪魔の娘』討滅の足手纏いにもなりかねない。更には、現状で判明している『悪魔の娘』全てを抑え籠めている今、騎士たちの人海戦術で残った低級から中級程度の悪魔を殲滅するのに人員を割く必要があるのだ。
アロンらが望む結末は城塞都市テレセフの奪還であり、その為には都市中を跋扈する悪魔全ての殲滅が必須となる。『悪魔の娘』を討滅することは当然ながら最重要だが、それだけに感けているわけにもいかないのだ。
「バーカイン卿の御子息はどちらも戦場、と……どちらも負傷したうえでの連戦、卿も不安でしょう」
「――いえ。半分は見逃すようにして送り出したも同然ですからな。それに、バーカイン家一族は『戦うもの』として宿命づけられております。シェイドは騎士として、フェルドは魔術師として、戦い続けることが定め。……ただ、戦い続けるためにはその身を保たねばならないことも、覚えてもらいたくはなりますがな」
ファドルドの声は落ち着いている。これまでに何度だって息子たちを戦場に送り続け、そして過去には彼自身が戦場に赴いていたであろうからこその余裕だった。しかし、その端々には当然のように不安も見え隠れする。『戦うもの』として息子を育ててきた一族の長にしては人間味溢れる様子に、アロンもどこかで安堵していた。
ファドルドはシェイドが戦線に赴こうとすることを予想したうえで、それはどうにか止めるようにとアロンに頼んでいた。アロンとしてもその考えには賛成し、シェイドを療養に徹させる心算だった――のだが、ファドルドは更にもう一つの願いを述べたのだ。
『シェイドが何かしらの理由を付けて、戦線ではなく単純な外出を希望した時――王子殿下にはそれを見逃していただきたいのです。――なに、戦線に送るわけでないのならば問題はそうないでしょう。あいつにとってこの場所は、久しく訪れた故郷なのです』
今思えば、その時からシェイドがその外出の先で悪魔と出会うことは想定していたのだろう。『戦うもの』としてのバーカイン家の運命を証明して見せた、ということだろうか。安全だと考えてフェナリを付添に送り出したアロンとしては憎くも思える話だが。
シェイドの外出から少しして、彼の兄であるフェルドもまた脱走した。そちらもファドルドの制止によって見逃すこととなったわけだが、バーカイン家の運命か宿命は中々に強大な力を持っているらしい。
「事が全て済んだら、各人の勲章を用意せねばな。特に、シェイドは一つでは足らぬ功績となりそうだ」
小さく呟いて、アロンは地図上の駒を一つ動かす。こうして机に地図を広げて盤上で戦況を逐次把握する。こうやっていると、自分も微力ながら戦いに干渉できているのだと思えた。
少しずつ、騎士たちが下級の悪魔を殲滅したとの報告が上がってきている。黒に塗られた駒の数が段々と減り、『悪魔の娘』を示す駒以外にはあと三つになった。テレセフ奪還戦も最終局面を迎えたのだと、嫌でも理解させられる。そのタイミングにあって、自分が指揮官として戦況を高台から眺めるしかできないことが悔しい。
――そんなアロンの苦悩をよそにして、戦況は段々と収束へと向かっていく。
「農村部の中級悪魔と低級悪魔、討滅完了しました。負傷者のところには救護班が向かっています」
「北部全域、衛兵による確認が終わりました。グラルド卿が戦闘為されている区域を除き、悪魔は殲滅完了しています」
「西部地域についても確認終わりました。悪魔の掃討、完了しています」
「南部で確認されていた低級、中級悪魔の討滅が二件とも完了しました。これにより南部全域の悪魔殲滅は完了しています」
「東部、確認が終わりました。悪魔は確認されていません」
続々と、報告が上がる。『悪魔の娘』の脅威が封じられている今、人海戦術は想像以上に功を奏したらしい。『悪魔の娘』との戦闘が続いている区域以外、全ての地域で悪魔の征討が確認された。指揮官室に張り詰めていた緊張も、少しは緩む。
最終局面、と言う言葉がより色濃くなった。『悪魔の娘』を討滅しきれば――終わりだ。明確な終点を見据え、騎士たちの瞳にも希望が浮かんできている。
「あとは、『悪魔の娘』たちか……グラルド卿、シェイド、フェナリ嬢、そしてフェルド――何を差し置いてでも、無事に帰ってきてもらわねば困るぞ」
◇◆◇◆◇
「見事な采配でしたな、王子殿下。――お疲れでしょう、少し休まれては」
あとはグラルド卿とシェイドの報告を待つだけとなった指揮官室。椅子に深く腰掛けて呼吸を落ち着けているアロンの横に、ファドルドが並んだ。
「お気遣いには感謝します、バーカイン卿。しかし、私の指揮できることは無くなったにせよ、戦闘がすべて終結したわけでもないのが現状。私だけ一人休むわけにはいきません」
「そうですか。――では、バーカイン家の……否、城塞都市テレセフを代々治めてきた領主の蔵書を、御覧にはなりませんかな?」
不意にファドルドが提案した内容に、アロンは眉を震わせた。アロンの視線がファドルドに向けられる。
「テレセフ領主の蔵書……確か、悪魔に関する資料が幾らかあるのだとか」
「ええ。一般的な知見から、経験談……そして異端の研究に至るまで――当然禁書とされているものもありますが、王子殿下相手に隠し立てする必要もございますまい。御覧に、なられませんかな?」
そこまで言われて、アロンは首を横に振ることはしなかった。
アロンには、未だに引っ掛かっている点が残っている。その点について、蔵書の資料を確認すれば手掛かりの一つくらいは手に入るかもしれない。
何が引っかかっているのか、それは――悪魔の言う『お母様』と言う存在についてだ。
それは未だに誰の確認もとれていない未知の存在。明らかに悪魔の中でも中心的な存在であろうに、その姿の一つも確認できていないのだから、このままならば元々この都市には居なかった、として処理されることになるだろう。アロンだって存在するかどうかすら不明の敵に拘泥はしない。だが――、
「今後、同じようなことが起こっても困ります。問題の根本らしきものがあるならば、可能な限り解明しつくして除去しなければなりません」
「私も蔵書の全てに精通しているというわけではありませんから、王子殿下の求めていらっしゃる内容があの中にあるのかは分かりかねますな。しかし、あの書庫には専属の司書がおりますから、その者にお尋ねされるのをお勧めします」
ファドルドが「では、ご案内しましょう」と言ってアロンを先導する。そうして、アロンとファドルドの二人は領主邸でも人の立ち入ることが少ない最奥部へと足を進めることとなった。
蝋燭の並ぶ廊下を少し進んで、ほぼ開閉されていないらしい建付けの悪い扉を開く。その先には魔法灯が広く間隔を置いて備え付けられており、淡い光がぼんやりと長い廊下を映し出していた。更にその廊下を進み、地下へと繋がる階段を下りて、また扉を開ける。そこに、書庫はあった。
「こちらが、城塞都市テレセフを治めた領主一族が継承し続けてきた書庫となります。併せて、こちらの司書もご紹介しておきましょうかな」
ファドルドが視線をやると、奥から背の低い女性が姿を現した。腰ほどまで伸びる淡い緑の髪を三つ編みに仕立て上げており、目元には大きく丸い眼鏡を付けている。しかし、そうした見た目の特徴を押しのけるほどに目を引くのは、その細長く伸びた耳――、
「長命種……ですか」
「珍しいですよね、そうなんですそうなんです。私も同族を見ることは殆どなくて――。あっ、失礼しました。わたし、この書庫で司書の役を任ぜられています。リア・ミルフィネと申します」
慌てた様子で腰を折った彼女に、アロンも応ずるように小さく会釈し名乗る。しかし、まだ彼女がエルフであるという事実に驚きを隠せないでいた。
アロンも、王族の一員として歴史は学んでいる身だ。アロンが特に得意としていた類の科目でもある。だから、ギルストと言う国にも――ひいてはこの大陸にも、エルフと言う存在がいるというのは知っている。だが、それも知識として知っているというだけの話だ。彼女も言ったが、エルフと言うのは非常に珍しい。人里で見かけることはないに等しく、アロンも人生で初めてエルフとの自己紹介を交わしたのだと記憶している。
「リアは、実にこの城塞都市テレセフが誕生した頃から生きていますからな。常に増え続ける蔵書を管理する司書と言う立場に、長命種であるエルフの存在は適任以上のものがあります」
「そういうことです、そういうことです。初代テレセフ領主の方から任を受けてからもう何年経ったか――私はずっと、ここで司書を務め、努めてまいりました」
「……では、この書庫での知りたい情報を、貴女は持っている。そう言う事でよろしいな?」
改めて確かめるようにして、アロンがリアに尋ねる。その問いかけに対して、リアは静かに表情を誇らしげに変えて、頷いた。
「この書庫は世界に二つ、存在します。一つはこの場所に、そしてもう一つは――わたしの頭の中に」
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