93.最後の為の言葉
「出来ないなどと、何故……ッ――いや、違う。そうであろうな……」
正気に戻って、しかしラミルを斬ることは出来ないと告げたシェイドに対して。フェナリは咄嗟に何故を詰問しようとする。だが、少し間をおいて冷静になればその理由には思い至った。
そもそも、シェイドを物理的な衝撃によって正気に戻した、というのは第一段階でしかないのだ。先程のラミルの言っていたことを総合して考えるに、ラミルはシェイドが幼少期に人間だと思って接していた少女、しかも彼が死を悼みたいと言っていた少女である可能性が高い。そのような相手を「これは悪魔だ、討て」と言っても、そう簡単な話ではないだろう。
「しかし――その難しいことを、シェイドにはやってもらわねばならぬ」
「無理です……その首に刃を宛がうことが出来たとして、その後のことを想像できない。自分の手で大切な人を殺す覚悟が、私には出来ない……」
「――――」
フェナリは、シェイドの言う事を否定することが出来ない。一般的に考えて、シェイドの言っていることは当然のことだからだ。戦場はそんな甘い考えだけで生き残れるような安直な世界ではない、などと冷酷な言葉を掛けることは出来ても、本当の意味でシェイドに寄り添い、そのうえでシェイドが『悪魔の娘』としての少女を殺させることは限りなく難しい。
フェナリだって、陥っている事情が異なるだけで、シェイドとおおよそ同じだ。戦うことは出来ても、殺すことはフェナリにだって出来ない。そもそもの話で言えば、それが最大の障害だ。フェナリが自分で戦って敵を打ち取れるのであれば、何も問題なかったのに。
「ぺちゃくちゃと喋って――私を忘れてるわけッ?!」
「忘れられるなら、忘れさせてはくれぬか? ひとまず、我らの対話が終わるまで引っ込んでおくなどを勧めておく」
横槍を入れてくるラミルの蹴撃に同じく脚を合わせて威力を相殺する。シェイドに物理的な衝撃を与える時間を稼ぐために比較的遠くへと弾き飛ばしたのだが、早くも帰還したらしい。ラミルの攻撃を捌くのとシェイドの説得、どちらともの同時遂行が求められるようになったのだから面倒だ。
ひとまず、裏に退くような気遣いをするつもりのないらしいラミルの対処から優先する。
「このように戦っている様を見て、しかし戦意は湧き出て来ぬか?!」
「……」
戦いの最中でも、フェナリはシェイドの説得を放棄しない。しかし、その答えは大して芳しくはなかった。無言だけが返され、シェイドの心を動かすには至らなかったと理解。しかし、人の心を動かすような言葉を掛けることが出来るほど、フェナリは『心』と言うものを理解できていない。打算的な言葉遣いなど、もってのほかだ。
「――私には、この悪魔を滅すことは出来ぬ。どれほど悔やもうと、弱さに打ちひしがれようと、私には出来ない。お主も同じであろう。どうやっても、出来ない。つまり、このままではどうなるか……シェイドも分かろうな」
「このまま……それ、は」
フェナリの言葉を反芻しながら、シェイドが想像する。当然、フェナリとシェイドのどちらもがラミルに対して決定打を与えられないという事は、いつかフェナリの体力が底をついて敗北するという事だ。つまり、このままの状況が続けば二人は死ぬ。端的に言ってしまえば、そうなる。
当然、ヴァミルとの戦いを終わらせたグラルド卿が救援に来てくれる可能性だってあるだろう。しかし、そのような希望的観測は戦場において無意味だ。それどころか、常に最悪な可能性を考えなければならない。それこそ、フェナリが体力を使い切るより先に、実力差で敗北する可能性だってあるのだ。
「ここで、敗れ死ぬ!! それで、シェイド――お主は、良いのか?」
「そうなるというのなら、もしかすれば……それもいいかもしれませんね」
「……何だと?」
「私はもう、過去に生きたいんです。何もかも、過去の方が良かった。幸せだったはずです。だから、もう――」
最早、この世界を諦めてしまったとも捉えられるシェイドの発言に、フェナリは絶句して一瞬だけ意識がラミルから外れる。その隙を、ラミルが見逃すはずもなく――急所を狙って拳が飛び、それを陽動に脚が横っ腹を叩く。衝撃の瞬間、間に花刀を差し込んで威力は軽減させたが、それでも苦鳴を漏らすには十分な一撃だった。
しかし、フェナリは脇腹の痛みを強引に無視して視線をシェイドに差し向ける。
「っく――ふざけるな、シェイド!!」
「――っ」
「過去は、振り返るだけで良いから――だから素晴らしいのであろう! 逆に将来は、期待と不安に板挟みにされ、ずっと気を揉み続けて切り開かねばならない。だが、ならば過去は将来より素晴らしいのか? 将来は過去に劣るのか?!」
過去よりも現在の方が幸せな生活を送っているフェナリがそんなことを言うのは、良くないのかもしれない。当然、寂華の国で奴隷同然に過ごしていた時期と、立場や環境、周囲の人間関係にも恵まれた現状、どちらがフェナリにとって良い状況かと言えば今だ。
しかし、そうして今と過去を比べて批評できるのもその日々を過去にしてきたからだ。当時の花樹に自分の境遇を客観的に評価することは出来なかっただろうが、もしもその時に現状を憂えて『今』を諦めていたとすれば。現在のフェナリは確実に存在していないことになる。
「過去が良かった、と思えるのはその過去を踏みしめて今に生きてきたからだ。過去が悪かった、と誹るのはその過去を踏みつけて今まで生きてきたからだ。『今』を生きていかなければ、『今』は決して『過去』にならない!! ――『今』が良いのか、悪いのか。それを知るのが、私たちが『今』を生きている理由であろう!!」
「――っ、分かります、分かりますよ! けど、それでも……過去の甘さを知った所為で、それを今になって斬り捨てることなんて出来ない! 私は、まだ過去に縋っていたいんです!! 今が良いのか悪いのかなんて、そんなことはどっちだって……そう、どっちだっていいんですよ!」
「本当か? シェイド、お主は本当に――過去に居座る心算があるのか?」
「どういう……さっきからそう言って――」
「では、何故お主の一人称は『僕』から『私』に戻った? 理性では、もう過去に縋ってはいられないと気づいておろう。今のお主が帰ってこれぬのは衝動的な情動に突き動かされ続けているからのみ」
「――!!」
理性と感情の剥離、そこを突かれてシェイドは肩を跳ねさせる。どこかで理解しながら、ずっと目を逸らし続けてきたところだ。ここぞとばかりに騎士としてのシェイドが声高に主張する。この場で起こっていることは、揺るがすことの出来ない厳然たる事実なのだと。過去ばかりを望もうとも、今から逃れることなどできないのだと、その当然で簡単な事実にシェイドの理解は至る。
だが、それでもシェイドの手は彼の騎士剣の柄に伸びることが無かった。現状を理解し、飲み込むことが出来たとして、大切な人の姿をしたものを斬ることはどうしてもできない。――いや、それだけがシェイドにとっての理由ではないかもしれないが。
「シェイド、お主は――理性や感情でなく、本能ですら騎士としての働きが出来る。ならば何故……」
フェナリは想起する。ホカリナ王城で一騎打ちをした時、シェイドは明らかにおかしい挙動をしていた。あるタイミングで、片腕を失くしたかのような体の扱いをして、そして少し後に戻ったのだ。その後、アロンからも事の顛末を聞きつつ、フェナリは一つの推論を弾き出した。
――シェイドはあの時、『厳籠』の幻術によって片腕を失ったと錯覚していたのではないか、と。それは奇しくも事実と違わない。
あの時、シェイドは自分の理性を本能で追い越して、『厳籠』の幻術を振り切った。騎士としての動きが体に染みついているのだ。
それを知っているからこそ、フェナリには今のシェイドが不思議に映る。大切な人と同じ見た目の敵を斬れない、というのは分かる理屈だ。フェナリだって、『雅羅』を斬れと言われれば躊躇もしよう。しかし、シェイドが躊躇い続けているのは、それだけが原因ではないように思えた。いや、それどころかそれは、本当の原因の隠れ蓑なだけではないかとすら――、
「まだ――言えてない……あの時の別れも、誓いも……っ」
「――――」
シェイドはずっと、悔い続けてきた。あの日、少女に自分の将来を語らなかったことを。もう会えなくなってしまうことを、自分の口から語れなかった。そのせいで、少女とは永遠に分かたれてしまった。それが、ずっと悔しかった。
シェイドは少女と、最後の別れを口にすることが出来ないままに永久の別れを迎えてしまったのだ。だから、未だにシェイドと少女の関係は繋がり続けている。シェイドと『悪魔の娘』という関係に、上書きが出来ない程に強固なまま、残り続けているのだ。
――だから、剣に手を伸ばそうとするたびにシェイドは思う。ここで少女を斃してしまえば、その別れも誓いも、何も果たせないまま、本当の意味で終わってしまうのではないかと。だから、剣を握れずにいた。
「――シェイドは、律儀じゃな。ひたすらに、律儀だったか」
シェイドが漏らした後悔の欠片から、半ばほどまではその心意を理解してフェナリが零す。花刀を振るって近くの大木を斬り落とし、魂の制約を果たして刀を鞘へとしまった。
少年と少女の最後、別れの瞬間に刀の金属音、そんな歪な騒乱は邪魔なだけだ。
「シェイド、あの娘に――言う事があろう。お主に必要じゃったのは、説得でも納得でもなんでもない。ただ、別れの言葉が言いたかっただけ、そうじゃろう?」
「――ぁ……」
フェナリの言葉に背を押されるようにして、シェイドが一歩、また一歩と前に出る。一瞬だけ躊躇って、しかし彼は顔を上げた。真っ直ぐにラミルを見て、その少女の顔を視界の中心に据える。懐かしい思いも、あの時の哀しさも、再会できた喜びも、全てをここで投げうって、そして、手にしなければならないのは――、
「『騎士』に、なれたよ。僕よりも強い人はいっぱいいるし、僕なんかよりカッコいい人もいっぱいいるけれど、それでも騎士に――」
「はぁ?! 私はそんなことを一度だって望んたことはない!! お前が勝手に騎士になったからって――」
「すべて、君のお蔭だ。ありがとう」
「だから!! 私は一度もそんなことをしてくれと言ったことも無い! 約定だなんてほざいてるのはお前だけで……!!」
「あの日、騎士になるために王都へ発つこと――言えなくてごめん。そのせいで、僕らはお別れも出来なかった」
「それはそうだ!! 私はあの後でお前を殺して喰らうはずだった!! なのに、お前が来なかったから――」
「君に言えなかったことも、君にしてあげたかったことも、いっぱいある。君は、僕の世界を広げてくれた人で、大好きだった人だから」
「――そんなの!! 気持ち悪くてしょうがない!! 私に騙されて、そのまま殺されて喰われていればいいだけのお前が!!」
「君があの日、いてくれてよかった。ありがとう。――そして、お別れだ。さようなら」
はっきりと告げて、シェイドは静かに頭を下げた。
静かな声に怒号を返し続けたラミルも、ここで我慢の限界が訪れたらしく、憤懣やるかたなしという様子でシェイドを睨みつける。次の瞬間には地面を強く蹴りつけて間合いを一気に縮め切り、シェイドに殴りかかっていた。咄嗟に、フェナリが間に入ろうとする。
「何から何まで――私はお前が嫌いだ!! ずっと殺したかった、死んでほしかった!! 今が――その時なんだ!!!」
ラミルの拳はその怒りをこれでもかと籠められたまま、シェイドの頭を潰し飛ばそうとしていた。間違いなく、人間の頭ならば簡単に圧潰出来てしまいそうな威力であった。
しかし、その少女の腕らしからぬ膂力を孕んだラミルの右腕は、次の瞬間に白い閃光で断ち切られて地面に転がる。
シェイドの手には、いつの間にか騎士剣が握られていた。目に映らないほどの高速で、彼の腕が振り上げられている。
「――『さようなら』だ。あの時の少女も、『悪魔の娘』ラミルとしてのお前も」
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