90.捨て身
決して、確定してはならない真実が――シェイドの中で確定した。
膝から崩れ落ち、その場でまたも動かなくなるシェイドを前にして、ラミルはそれを好機と攻撃してくるわけではなく、ただ哄笑を上げる。
感情が何だと、そんなことを語らせるには勿体ない程の邪悪。到底理解できないものをさも理解したかのように得意げに語る傲慢。人の情動を知らずに弄ぶ、唾棄すべき怪物。その真なる悍ましさは、筆舌に尽くしがたい。
「――お前は、人の皮を被っただけの怪物だ。化け物に、違いない」
「ああそうだ! それでも、だからこそ――ッ、お前は私を殺せない!!」
「――ッ、勘付かれていたか」
「お前も、その男も、私を殺すことなんて出来やしない!! 人間に見えるから、少女に見えるから、思い出の誰かに見えるから!! その内面を、本質を――お前らは見出すことが出来ないまま、死ぬんだ!!」
響き渡る哄笑と共に、飛び交う拳の練度が上がった。収束しない殺意では、その拳が揺らいでしまう。真っ直ぐに向けられ、煮詰められた殺意は、精錬された拳撃にはあまりある。そして今、殺意と敵意を吐きだし、発散させ、そして残った純粋な本能による殺戮の欲望。それが、ラミルの拳を更なる高みへと練り上げる。
「――蒼花一閃・朝顔!!」
「もっと、下だ!!」
「――っ!」
飛び上がり、空中から放たれる拳を朝顔の一閃にて防ぎきる。しかし、直後に放たれたのはフェナリの懐に入り込んだ、下側からの蹴撃。真上に突き上げてきた脚がフェナリの首元を抉り潰す勢いで迫る。
それを、フェナリは勢いに任せて後ろに倒れることで回避した。そのまま地面で背中から受け身を取り、手で地面を押し下げて制動。大きく体を跳ね上げて、後方宙返りをしながら距離を取る。
「――黄花一閃・向日葵ッ!!」
「突きは、愚直!!」
広げた間合いを、一瞬で詰める。踏み込みは深く、彼我の距離を埋めるには一秒とかからなかった。しかし、悪魔の目にはそれも単なる直線攻撃にしか映らない。一直線に放たれた閃撃は、その揺らぎが少なければ少ないほどに横からの衝撃に弱い。それを、ラミルは知っている。
狙いはラミルの心臓付近。当たればその中枢を一突きできる、練度の高い一閃だった。しかし、ラミルはそれを阻止すべく、身体をほんの少し右にずらして上半身を左へ回転。拳で刀を叩き折る心算だ。
「『妖刀』が、それほど柔なはずも無かろう」
「な――っ」
ラミルが直線的な突きへの対応を熟知していたと同時に、フェナリはその懸念点に気づいていた。グラルド卿と初めて手合わせをした時、同様に向日葵の一閃は狂わされた。フェナリは頭脳派ではないとはいえ、同じ轍を踏むほどに阿呆ではない。
横からの衝撃が来るのは当然、分かっていた。あとは、左右どちらから拳が来るかだけを見極め、刀をほんの少しだけ捻る。向日葵の一閃を解除したうえで、次の閃撃に繋げるのだ。
「――黄花一閃・黄菊!!」
全体の動きとしては、ラミルのものと変わらない。上半身を右から左へと回し、その勢いの儘に花刀を振るう。左薙ぎの一閃、慎ましく。フェナリを単なる愚鈍と侮ったラミルはその攻撃の転換に咄嗟の対応を返すことが出来ず、右腕を両断される。
血飛沫が飛んで、フェナリは一瞬だけ瞑目した。閉じられた瞼に血が二滴付着する。しかし、フェナリはそのことを気にする様子もなしにもう一度視界にライラを見据えた。
「……再生能力、か。しかもその速度――厄介じゃな」
「ふん! これは私の能力じゃない。――そこの男の所為だ」
「シェイドが?」
思わず怪訝な視線をシェイドに向けるフェナリだったが、彼の方に反応はない。恐らく、まだ会話を処理できるほど冷静になれていないのだろう。それゆえに、彼の方から弁明を聞くことも出来ない。
シェイドが悪魔の利益となることをするとは思えない。しかし、もしもそれが彼にとって敵に塩を送る行為ではなかったとしたら。ラミルが悪魔であることを知らなかった幼少期に、シェイドが彼女に何かをしたと言う可能性は考えられる。
「私の能力は、その男の所為で封じられた!! それがなければ……ッ、『お母様』は私を選んだはず!! なのに、その男が!! ――再生能力じみたこれは、唯一の得でしかない」
『能力を封じられた』という言葉に、フェナリは引っ掛かる。ラミルが人間であると勘違いさせられていたシェイドが、彼女に対する善意の気持ちで何らかのことをした結果、彼女が再生能力を得たのであれば、『能力』を封じる、という事にはならないはずだ。ラミルに『能力』がある、という事を知っているのであれば、シェイドが彼女を人間だと思っている、と言う前提が崩れるのだから。
それなら、一つ仮説が立てられる。シェイドはラミルが『悪魔の娘』だと知って、その『能力』を封じるために何らかのことをした。それが何かは分からないが、確かに『能力』を封じるという効果を発揮した。しかし、それは副作用的に再生能力を彼女に与えることにもなった。そう考えれば、ひとまず流れとしては矛盾しない。ただ問題なのは、シェイドがそれをしたのがいつなのかだが――。
「それは知らずとも、問題は無かろう。私は、事象の収集家ではないのでな」
厄介なのは、ラミルの再生能力だ。その速度は一つ瞬きをした後には大きな傷が消えているほど。それでは大きな傷を与えようと、時間稼ぎにすらならない。ある程度の傷を負わせて戦闘不能にし、稼いだ時間でシェイドを正気に戻そうと考えていたフェナリにとって、その能力の発覚は方針の変更を強いた。
しかしまあ、大した問題はない。最終目標が最優先事項になっただけだ。シェイドを正気に戻すところから事を始めよう。
「ひとまず、シェイド。――私の声は聞こえるか?」
◇
――剛腕が大剣を振るう。その狙いは揺らぐことなく相手の首へと向けられていた。
「お前との戦いには時間をかけていられねェからな」
戦闘が始まってからの時間が経過すればするほど、ヴァミルの『過変化』の能力が彼女を成長させ、いつしか手の付けられない化け物に彼女を変えてしまう。前回はそれが理由でグラルド卿が敗北を喫したのだ。連戦で休憩と言う休憩がとれず疲弊していたとはいえ、グラルド卿は『紫隊長』であり、国家最高戦力の一隅。そんな彼を下したヴァミルに対する認識は『厳重警戒』以上のものだ。
「あの時以上の力を持たれッと困る。今回はさッさと終わらせるぜ」
「あらぁ、悲しいわぁ。折角、『三文役者』の汚名返上と頑張ってくれるのにぃ、その頑張りを長く見ていられないなんてねぇ」
翼を広範囲に展開し旋回。先の鋭く刺突に適したもの、先のみ鈍重に打撃に適したもの――グラルド卿の四方八方から迫る悪魔の翼は、瞬きののちには大剣の錆になって消える。斬り捨てられた翼の残骸を片っ端から消滅させて再生する。斬られ、消滅させ、再生する。攻撃する、斬られる、消滅させて再生。その繰り返し。
繰り返されるそれは、時間稼ぎにしかならないような無意味な攻防でしかないはずだ。しかし、その無価値な攻撃の応酬にも、ヴァミルは意味を見出せる。この攻撃して回復してのループこそが、彼女を成長させる。
「わが身可愛さじゃァ、勝てる戦いも敗ける――ッてワケだわな」
「ええ、そうでしょうねぇ。貴方の動きは人間の範疇には収まらないけれどぉ、それでも体は人間。腕を自由に引き延ばすアーミルのようなことは出来ない」
「知ッてるさ。――けどなァ、そのアーミルッて悪魔を殺した奴が、俺に教えてくれたぜ? そォいうお前らを斃す方法を、なァ!!」
グラルド卿の足元が急激な衝撃に耐えられず、そのまま爆砕する。ヴァミルの視界で、グラルド卿のシルエットが膨張した。間合いを一気に詰めるつもりだと気づく。当然、その手のひらに握られる大剣の狙う先は自分の首元。
――今はまだ、大剣を首筋に当てられるわけにはいかない。成長しきっていない今では、その攻撃をまともに受け切れない。
「学習しなさいよぉ。――近づけば殺せる。それでも貴方がこれまで近づけなかったのはぁ、なんでだったかしらぁ?」
展開していた翼をすべて消去。一瞬で再生して間合いを詰めようとするグラルド卿へと集中砲火だ。先程からそうしてきた。その翼の猛攻に大剣の切っ先を向けている間に、詰めたはずの彼我の距離が開いてきたのだ。
何度だって、ヴァミルはそうする。そうしていれば、人間の体力は擦り減らされ、反比例するように自分の成長は進む。そうして迎える結末は当然、彼女の勝利だ。
「さぁ、避けなさい。斬ってもいいわぁ。――その間に、逃げるからぁ」
「しねェよ、そんなこと」
「――っ?!」
グラルド卿は、斬らなかった。自分めがけて放たれた翼の猛撃、鋭利な切っ先、鈍器のような鞭の先、そのどれもを、斬らず避けず、自身の体に傷がつくのも厭わずに突っ込む。
アーミルと戦ったシェイドの姿が、グラルド卿の脳裏には刻み付けられている。自己犠牲の極点にある、あの捨て身の攻撃。決して、その自暴自棄になったかのような攻撃を認めることは出来ない。出来ないが、万一の場合にはその手段をとることも、彼は躊躇しない。
「血が……っ、何も気にしない心算ぃ?!」
「俺の感覚は、大丈夫だッて言ッてるぜ。ギリギリかもしれねェけどな」
悪魔の翼がその肩と横っ腹に突き刺さった。足には鈍器で殴られたような青痣が出来る。裂傷と刺傷が至る所に出来、流れ出る血が森の緑を赤に染め始める。しかし、それでもグラルド卿は止まらない。後退し続けるヴァミルを追いかけ、その間合いを詰め続ける。
ヴァミルはグラルド卿に一撃を与え終えた翼を消去、再生する。距離の詰められていく速度を考えるに、攻撃を仕掛けられるタイミングはあと二度もない。次で仕留めなければ、首が斬られる――!!
「もうちょっとぉ、人間でありなさいよぉ!!」
もう一度、翼を向かわせる。少しでも足止めできるよう、先を鋭利に尖らせて複数段の返しを構築。体に刺さったそれは、恐らくグラルド卿を失速させてその場に押し留められるはずだ。そうでなくても、複数回にわたってもたらされる痛みに、常人ならば耐えられずその場に倒れるに違いない。
最後のチャンスだ、と覚悟してヴァミルはその翼を射出。猛然とした勢いでグラルド卿に迫る。
「――ッぐ……まだ、まだァ!!」
「何なのよぉ、もう!!」
避けない。斬らない。やはりだ。グラルド卿は大剣を構えたままで振るうことも無く、直進を止めようともしない。拘束具として用意された翼はグラルド卿の膂力によって根元から引きちぎれ、消滅していく。その様子を見て、ヴァミルは初めて背筋が凍る心持を得た。
「そんな……っ、刺さっただけでも失神するような痛みのはずよぉ?! それを、引きちぎるって!!」
――常人ではない。否、分かっていたことだ。グラルド卿を普通の人間にあてるような尺度で測ってはいけないことなど、分かっていたはずなのだ。しかし、それでもおかしい。人間の頭は、痛みに弱い。どう鍛えたとして、痛みそのものを耐えられるようになるなんて簡単な話ではない。それに、尋常ではない痛みに対して、防衛のための動きが無いのもおかしい。グラルド卿は、一切立ち止まる素振りも、歪んだ表情も、何も見せないのだ。
「そんなの、おかしいわぁ!! 貴方、痛みを感じないのっ?!」
もう、間合いは殆ど詰められた。あとはグラルド卿が大剣を振るうだけの距離。明確に命の危機を感じ、ヴァミルがやけになって叫ぶ。叩きつけるような悲痛な叫びに、グラルド卿は僅かに口角を上げた。
「あァ、痛覚は封じたぜ? 『騎士術』の応用でな」
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