十九話 覚醒
魔人とか言ってますけど拘束された女の人に金的食らって悶絶してる様なヤツですからね彼は。
『もしもし、クロコ? 聞こえるか? なんだかよく分からん奴らに足止めを食らっている。大したことはないんだが、数が多い。少し遅れそ——』
気の抜ける様な通信を聞きながら、クロコは目の前の異形へと疾走する。それに合わせて、魔人スヴォーロフも空いた左手をクロコへと向けた。
即座に大きく横に跳ねると、先程までクロコが居た地点が音を立てて大きくへこむ。まるで目に見えない巨人が槌で殴りつけているかの様だ。
「トロいッスよ、変態魔人!」
背後に破壊を感じながら、着々と距離を詰めていくクロコ。即座に懐に入り込み、その二振りの短刀で馬車へ向けて掲げている右腕を切断した。
それと同時に拘束が解けたのか、馬車の周りに張られている障壁の軋みが止まる。それを確認したクロコは、馬車にいるシャリテへと声をかけた。
「よし、今ッス! 馬車が動かせるうちにさっさと逃げ——」
ぐちゅり。
頭上に響く異音に顔を上げると、すぐに異変に気付いた。切り落とした左腕の断面の肉がもこもこと蠢いているのだ。そしてそれはぐずぐずと水音を立て、元の腕を形成しつつある。
やがて完全に元に戻ると、再び馬車へ向けて力を放つ。絶対に逃す気がないという固い決意が感じられる様だ。
「カカカカ! 主人より賜りしこの肉体! その程度では永遠に命までは届かんッ!」
「そんなら、何遍でもダルマにしてやるッスよ……!」
言うが早いか、再び両手の短刀を閃かせ、無数の攻撃を繰り出すクロコ。その全てが歪な肉体に吸い込まれていく。
しかし、その全てが徒労に終わる。何度腕を飛ばそうが、斬ったそばからまた新たな腕が生え続けていく。人体の法則をまるで無視した様な目の前の存在に、クロコの表情が歪みつつある。
「カカカ……! どうした? 息が切れているぞ?」
「うるせえッ!」
無防備な首に向けての一閃。首が胴体から離れ、悍ましい色の血液を撒き散らしながら首が空を舞う。しかし、それすらも魔人の命には届かなかった。
「んなッ……!」
クロコが目にしたのは、まさに生命への冒涜。首の断面から繊維がうねりながら伸び、複雑に絡み合って新たな頭部を形成しているのだ。筋繊維に骨格。そして眼球などの内臓が瞬く間に再生され、元の形へと戻っていく。
「何なんスか、お前は!」
「クカカ……良いだろう。死にゆく貴様へのはなむけに、もう一度名乗ってやる。我が名は魔人スヴォーロフ! 簒奪の魔女が使徒也ッ!」
「簒奪……? ごぉッ!」
一瞬気を取られたクロコの腹部を、見えない力が叩きつける。体はくの字に折れ曲り、勢いよく吹き飛ばされて床に叩きつけられた。
「ゔぉっ、げふ、えぇっ……!」
仰向けに倒れ伏すクロコに歩み寄り、腹に足をねじり込んで踏みにじりながら、馬車に向けて声を掛ける。
「小娘。ここに来い」
彼の意識の矛先は、馬車の中にいシャリテに向いている様だ。薄ら笑いを浮かべながら、なおも言葉を続ける。
「出て来ないのならば、出て来るまで待ってやろう。ちょうど良いオモチャもある事だしな」
そう言うと、足元で倒れるクロコの頭を左手で鷲掴み、指を食い込ませる。みしり、と骨が軋むと同時に広い室内に絶叫が響き渡る。
「ほおら、早く出て来ないと潰れてしまうぞ? お前はコレを見殺しにするのか?」
「や、やめて! やめて下さい!」
やがて、悲痛な叫びをあげながら馬車から小さな人影が飛び出してきた。
「やめて下さい! 出てきましたから、クロコさんを離して!」
「いいや、まだだ。ここへ来い。妙な気は起こすなよ? コレの命などその気になれば一瞬で奪えるのだからな」
「……!」
スヴォーロフに命じられるまま、おずおずと近くに歩み寄るシャリテ。彼の目の前まで辿り着くと、まるでゴミを放るかの様にクロコを放り投げてシャリテの前に屈み込み、小さく震える肩を両手で掴む。
「クカカカ……! 先程から感じていたが、近くで見るとまさに……! まさにそうだ! お前がそうなのか、お前が! お前が主の探し求めた、『鍵』なのか!」
「な、何を言っているのか分かりません! い、痛っ、離してください!」
「いいや、それは出来ない。お前には一緒に来て——」
「ウチの劇団員を、どこへ連れてこうっての?」
不意に発せられる、か細く弱々しい声。スヴォーロフが顔を上げた先には、全身に血を滲ませて今にも息絶えそうなほどに弱り果てたソワレの姿があった。
「アンタみたいな気色悪いヤツに、ウチの団員を——」
「目障りだ」
その言葉とともに右手が揺らめき、同時にソワレの体が空中に舞い上がり、苦悶の声を上げる。
「……ぉッ! げぁ……」
弱り果てているために、叫びもひどく弱々しい。このままにしていれば間違いなく死ぬだろう。
「やめて!! 何でこんなに酷い事するんですか!」
「カカカカ……ゴミはあるべき姿に。このまま押し潰して、畜舎の餌にでもしてくれよう。カカカカカ……」
シャリテの声など聞こえていないかの様に、高笑いをしながらソワレにとどめを刺そうとする。その顔は楽しそうに歪んでいた。
このままじゃ、お姉ちゃんが殺される。どうにか、どうにかしなきゃ……!
でも、何を、どうやって? 私には、戦う為の魔術なんて何もない。何も出来ない。ただ、お姉ちゃんが潰されていくのを見ている事しか——
——いいえ、助けられる。貴女には、それが出来るのです。
誰? どこにいるの?
——我らは万象を退ける剣、不動の鎧。我らは如何なる時も、貴女のお側に。
助けてくれるの?
——貴女が助けるのです。貴女には、それが出来る。
私には、何も出来ない。何も覚えてない。
——例え記憶が失せようと、貴女の魂が覚えている。さあ、私達の名を呼んで下さい。あの日、あの時、私達の魂に刻んだ名前を——!
「——ヘリオトロープ! トリテレイア!!」
ほぼ無意識に、シャリテはそう叫んでいた。すると、彼女の体から二つの青い光が飛び出して、地面に溶け込んだ。
「何だッ!」
異変を感じて視線をそちらに向けたスヴォーロフ。青い光が溶け込んだ地点に急激に黒い霧が集まり、二つの黒い渦が形成された。やがて霧は膨れ上がり、二つの人影を形成し始める。
瞬間、渦巻く霧の中から現れた巨大な剣が薙ぎ払われ、霧と共に異形の右手を断ち切った。
「ぬうッ!」
姿を現したのは、鎧に身を包んだ巨大な白骨と、ぼろぼろに擦り切れたローブを纏う、魔術師風のグール。
その手に持った杖の先が光り輝くと室内が神々しい光に包まれ、解放されて落ちていくソワレの体を優しく包み込み、その体を優しく地面へと横たえた。
「我は不動の鎧」
「我は万象を退ける剣」
「我らの使命は、我らが御旗に安寧をもたらす事」
「我らの誓いを、今ここに果たさん!」
いつも読んで頂き、ありがとうございます。投稿が遅れまして申し訳ございません。
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