十六話 足掻いて、足掻いて
諦めない、往生際の悪い感じのキャラが好きです。
がんがんと、私の脳を鈍い痛みが責めさいなむ。眼球までじくじくとしみるような感覚に耐えかねて、目を見開いた。
「あぁ、いったぁ……」
徐々に意識が覚醒していき、何重にもブレて見える目の前の景色が時間とともに一つに重なりつつある。しかし、見えてくる風景は私の知る物ではなかった。
古びた石畳に、辺りを薄く照らすか細いろうそく。ご丁寧に荒縄で括られた両手を杖に、体を起こしてくるりと首を振ると、黒く堅牢な鉄格子が私と外とを隔てている。
牢の中に月明かりを導く、はめ殺しになっている窓から外を覗くと、鬱蒼と広がる森林が広がっている。クピディタースの近くの森といえば、街から遥か北の大森林くらいだ。だとすれば、相当遠くまで連れてこられた様だ。
「クソ、何なのよ一体……」
状況を整理しよう、とりあえず。
意識を失う前に見たあの変なヤツの手首には、クロコの写真に写ってたのと同じに見えた。そして、そいつに眠らされて、いつの間にかこんなトコに。しかも寝巻きで。つまり——
「——誘拐されちゃったかな?」
何だかなぁ。聞いた話じゃ、腕利きだったりエラい魔術師ばっかり狙ってるって話だったけど。自分で言うのもナンだけど、私そこまで有名じゃないと思うんだよね。
まあ、誰の仕業だって良いや。こんなトコさっさとトンズラしよう。どんなに腕を封じたって、指先さえ自由なら——
「——あれ?」
糸が出ない。指先に魔力を何度か送ろうとするも、てんで反応が無い。
「ヒァヒァヒァ……無駄さ。この牢には細工がしてある」
不意に、牢の隅の暗がりから掠れた声が響く。そちらをみると、薄汚れた牢の壁に背中を預けた、私と同じく手を縄で括られた誰かが居た。
「誰!」
「ヒッヒ……心配なさるな。アタシもアンタと同じ、哀れな囚人さ。ヒヒッ」
牢の外のろうそくの灯りが照らし出したのは、深々としたシワが刻まれた老いた顔。くしゃくしゃと大胆不敵に笑みを浮かべる一人の老婆。
「……ソムニア婆さん?」
「ああ、そうさ。この牢の中においては、ただの死に損ないのババアだがね。アヒァヒァ……」
夢見の魔女、夢魔ソムニア。彼女がここに居るって事は、疑う余地もなく写真のやつらの仕業らしい。夢であらゆる事象を予測できるってトンデモな魔女だけど、何でそんなヤツが捕まっているのだろう。何が面白いのか、ケタケタと笑い続ける。
余裕の現れなのか、それとも諦観の証なのか、私にはこの老婆の心中を推し量る事は出来ない。
「ここは、どこなんです?」
「さあね。ただの乱破連中の巣じゃない事は確かさ」
飄々と答える。その余裕すぎる態度は、いっそのことまるで他人事のようだ。
「私達をこんなトコに押し込んだマヌケ共は?」
「それも、さあね。あんたが目覚める前にもおんなじ事を聞いてきたヤツが居たが、そいつらに連れて行かれちまったよ」
不意に、牢の外に長く伸びる回廊のさらに先の方から、絹を裂くような叫び声が聞こえてきた。何をされているのかは分からないけれど、少なくとも穏やかではない事は確かだ。
「あらら、今度はあの世に連れて行かれちまったのかねぇ。ヒァーッハッハ!」
「ああ、クソッ!」
こんな所でじっとしてたらいつか私もやられる。さっさと逃げなきゃ……!
「ん、しょ! ほっ……」
「……何してんだい、気でも触れたのかい?」
頑張る私の姿を見て、やや引き気味の声を上げる。そりゃあ今の私の格好は確かに妙だと思う。座ったまま足をネグリジェの中に突っ込み、ごそごそと服の中を爪先でまさぐっているその様は、まさにバカ丸出しだろう。
だけど私の下着の中にはもしかしたらこの状況を打破できるかもしれない物が仕込んであるのだ。
「もうちょっと……おお……取れたッ!」
足指でそれをつまみ、すぽーん! と一気に引き抜く。微かな灯りを受けて鈍く輝くのは、人形を仕上げるための小さなヤスリ。
気が向いた時に人形をいじれる様に仕込んどいたのが役に立った。
「うんしょ、ほっ」
ヤスリの持ち手を両足で挟み、手を括り付ける縄をしょりしょりと擦り付けて削る。小さいから少しづつしか削れないけれど、諦めなければ絶対その内身を結ぶだろう。
「ヒヒッ。健気だねえ」
「動かなきゃやられるってのに何にもしない方がどうかしてるんだよ。黙ってやられるくらいなら精々足掻いて足掻いて、殺されるのはその後。タダで殺されるのなんか絶対許せない……私を待ってるかも知れないのも居るしね」
「そうかい。じゃあ、精々頑張りな。ヒヒ」
侮蔑か嘲笑か、それとも何の感情もこもっていないのか。こそりと放たれた言葉を背に、ただひたすら縄を擦り続ける。
じょりじょりと荒縄が音を立て続ける。その度にぷつり、ぷつりと繊維が切れていくが、それは縄を構成する無数の繊維の内の一本に過ぎない。
だけど、それでも切れている事には変わりない。もうちょい……! これくらいの太さなら、もうちょい擦れば——
「そこの女。立て」
私の行為を咎めるでもなく、ただ冷淡に起立を命じる声が響く。顔を上げると、怪しげなローブに全身を包んだ人影が立っていた。声からするに男だろうか。
「誰よアンタ。気安く命令しないで欲しいんだけど」
私がそう返すと、黒いローブがもぞりと蠢き、その下から手が現れた。その手の形は、何かを掴んでいる様な——
「ぐ、けはァッ!」
直後に、私の喉を強い圧迫感が襲う。喉をぎりぎりと締め上げ、強引に体を持ち上げられた。
やがて爪先が地面を離れ、空中を滑る様に私の体が人影の方へと引き寄せられる。そんな私を迎え入れるかの様に、がちゃりと音を立てて牢の扉が開いた。
「は、はな……ぜ……!」
潰れた喉でそう訴えるも、まるで聞く耳を持たない。なすすべも無く、私は首を締め上げられたまま回廊の奥へと連れて行かれた。
酸欠に喘ぎ、必死に酸素を求めて呼吸をする。僅かに肺に入る酸素でようやく息を繋ぐ事、数分。がちゃりと扉が開く音と同時に首が緩み、支えを失った私の体はべしゃりと床に叩きつけられる。
「げぼおっ! かひゅっ! ひゅうう……!」
痛む喉にも構わず、思い切り呼吸をする。酸素が体に回ると同時に思考も安定してきた。辺りを見回すと、私の他にも数人の男女。
皆一様に床に座り込んでいたり、あるいはぐったりと倒れ伏してピクリとも動かない。彼らも私や婆さんと同じように攫われてきた魔術師達なのだろうか。
「ぎゃッ! かはあ……」
そのうちの一人の女がさっきまでの私と同じように苦しみだして宙にその体を浮かべる。連れて行かれた先にあるのは、石の寝台。
そこに半ば叩きつけられる様に寝かされた彼女に、懐から取り出した何かを向ける。暗闇にきらりと輝く、金色の光。よく見えないが、ナイフの様にも見える。
「嫌あ! やめて、やめて!」
それを見た彼女は、激しく怯え始めた。まるで自分がこれから何をされるのかを察しているかの様に。
黒いローブの男はその声にも耳を貸さず、手に持ったそれを高く振りかざし——
「嫌ああああッ!」
——一気に振り下ろした。
部屋に響く、肉を裂く音とそれに続く水っぽい音。腹を穿たれ、びくびくと痙攣する女の体が、不意に光を放つ。
その光は突き立てられたナイフの様な物に向かって、まるで吸い上げられるかの様に集まっていく。体の光を全て吸われた女の体は、そのままだらりと力無く弛緩した……死んだらしい。
「まだ、足りない……」
そう呟き、くるりと振り向いく。フードの奥の狂気的な光を宿す瞳は、まっすぐ私を捉えていた。
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