十三話 魔女の契り・二段階目
シャリテちゃんはシラフでも割とやりますね
「んん……く、くぅ……」
「ダメですよ、お姉ちゃん。ちゃんと力抜かないと」
私のりきむ手をほぐすように、シャリテの小さな手が優しく包み込む。同時に、ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「わ、分かってるよ……! でも、一人でする事ほとんどないから、慣れなくて……」
「ふふっ。意外です」
私の泣き言を、くすくすと怪しげな微笑が包み込んだ。
「いつも一人で、どうしてたんですか?」
「ど、どうって……お店に行くか、我慢しちゃうか、かな」
「もう。ダメですよ、そんなんじゃ。これからは私が一緒にしてあげます。ちゃんと覚えてくださいね?」
そう言うと、私の震える手を、上から力を込めてぐいっと押し込んだ。
「あぁ……っ! 待って、そんな急に……」
「これでいいんです。先が入ったら、あとは最後まで、一気に」
押し込まれ、最奥を叩くと同時に、私の胸に奇妙な充実感が満ちた。
私の半分くらいの歳の子に導かれるなんて思いもしなかったけど、これはこれで良い……かな。
「うん、良い調子です。じゃあ次は、皮を剥きましょう」
「皮を……こ、こう?」
人差し指の爪を立て、かりかりと際のあたりを引っ掻く。不意に私を襲った未知の刺激に、目の前が涙で霞んだ。
「こ、これ……こんなに刺激、強いんだ……く、うっ」
「ダメですよ、目を閉じちゃ。ちゃんと見て、ちゃんと覚えてください!」
言われるがまま、手を動かす。やがて皮はすっかり剥けて、つるりとした中身が露わになった。
「はい、よくできました。それじゃ、次です」
私が手間取っている間に、シャリテの方はすでに準備を整えていた様だ。
私のより綺麗に剥かれた、みずみずしく潤むそれに手を添え、私に見せつける様に一定のリズムで手を動かし始める。
「んっ……やっぱりちょっとピリピリしますね。慣れないうちは、落ち着いてやりましょう。怪我なんてしたら大変ですから……」
「手際いいね。私なんかちょっと泣いちゃったのに……」
「ちょっと慣れちゃえばなんてこと無いですよ……はい、今みたいにやってみて下さい」
「わ、分かった」
さっきの手のリズムを思い出しつつ、我ながらたどたどしい動きで真似る。
とん、とん、とん、とん。
さっきのリズムを、体に覚えこませる様に、ゆっくりと丁寧に。
「そう。上手ですよ、お姉ちゃん。じゃあ、仕上げです。少しリズムを早めて下さい。たん、たん、たん、たん。です」
「わ、分かった。たん、たん、たん、たん……」
リズムを刻む度、じゅくじゅくと溢れる水気。同時に私の目からも涙が溢れ出す。
「ああ……ッ!」
「もうちょっとです! 頑張って」
やけくそ気味に、握りの部分に力を込めて上下する。時間が経つのも忘れて手を動かしていると、ついにその時がやって来た。
「〜〜〜……ッ! ふう……」
「よく出来ました! これで玉ねぎのみじん切りはおしまいです!」
「あー……疲れたぁ」
手元を見ると、不揃いながらも細切れにされた玉ねぎ。料理の経験が無いに等しい私にとって、これは快挙とも言える。
「いやあ、それにしても感覚の交感のために、まさか料理をする事になるとは思わなかったね」
「だって、美味しいとか楽しいでも、ちゃんとした感覚ですよね? せっかくお姉ちゃんと二人きりでするんだから、楽しい事したかったんです」
無邪気に笑い、そう話すシャリテ。その小指の先からは赤い糸が短く垂れ、先端に私の青い糸が結ばれている。
魔力を繋ぎつつ、料理がしやすい様に工夫した結果こうなった。
「この糸、ほんとは私の赤い糸で結びたかったです……せっかく小指だし」
「あん? 何、小指がどうしたの?」
「いえ、何でもないです」
そういうシャリテの表情は、すごく満足げだ。一瞬その顔を私に向けたかと思うと、すぐにぷいっと顔を背けて手元の人参の皮を剥き始める。
「それにしても、ほんとに手際いいね。人参とかの皮もナイフ一本で剥いちゃうし」
「えへへ、なんとなく覚えてるんです。私、お料理が得意だったみたいですね」
恥じらいながらも、テキパキと手をか動かし続ける。刻 んだ具材をざらりと大鍋に入れ、火にかける。
鍋の中で踊るのは、肉の塊に香草、野菜……今日の晩餐、ビーフシチューだ。誰かの手料理を食べるなんて何年ぶりだろう。
「うーん、いい匂い。私、料理とかまるでダメだから助かるよ。これなら、いいお嫁さんになれるね」
冗談めかしてそう言うと、顔を真っ赤にして恥じらいながら微笑んだ。
「あ、ありがとうございます。でも、お嫁さんにはなりたくないかなぁって」
「え、なんで?」
「だって、お姉ちゃんお料理出来ないんですよね? これからは私がご飯、作りたいんです」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸に鋭く何かが刺さった様な感覚を覚えた。
なんだろう、これ。心臓もやたら早く動く。息苦しい……。
「……お姉ちゃん?」
不意に、私の顔を心配そうな瞳が見上げる。すると、更に私の異変は強くなった。
「う、ううん! 何でもない! 人参の皮、剥いちゃうね!」
「あっ! 人参はちょっと難し……」
静止する声を無視して人参を掴み、見よう見まねで刃を立てて皮剥きを試みる。
「あ、あれ? 固——」
ぐりぐりと力任せに手首を捻ると、人参が手からすっぽ抜けた。同時に、勢いよくナイフとすれ違った親指に微かな熱を感じる。
「いった……」
指の腹を見ると、一筋の赤い筋が横断し、やがてぷくりと赤い雫が膨らみ、こぼれ落ちた。
「だ、大丈夫ですか!?」
「おああ、やっぱ慣れないことするとダメだな……なんか紙とか——」
言うよりも早く眼下に金色の髪がふわりと棚引き、私の指先に疼く鋭い熱を柔らかな温みが覆っていた。
目を落とすと、血の滴りに唇をつけ、その隙間からちろりちろりと細やかに舌を這わせるシャリテの姿があった。
「あ、あの……し、シャリテ? 急に、何を……」
「あっ」
指から口を離し、ささっと後ずさって髪をかきあげる。そして顔を赤らめたまま俯いてしまい、気まずい沈黙が立ち込める。
「あの、その、舐めると、早く治りやすくなるって、何かの本で、その……」
取り繕うには、だいぶ苦しい言い訳。本人が一番それを良く分かっているようで、言葉が尻すぼみになっていく。
「……やっぱりヘンですよね。ごめんなさい。戸棚に絆創膏あったから、今持ってきます」
「いや、いいよ」
「え?」
戸惑う瞳の前に、再び血が垂れ始めた指を突きつける。
「シャリテは真面目だねえ。そんなに私の魔術、覚えたいんだ?」
「えっと、どういう事ですか……?」
「さっき言ったでしょ。魔女の契りの第二段階は体液の摂取か、感覚の交感。別にどっちか片方だけって決まりなんか、無いからね」
私の意図を汲んだのか、再びその視線が私の指に熱く絡みつく。
「今からするのは、魔術師の師弟のれっきとした修行の一環。変な事じゃ無いよ」
「お、お姉ちゃん……」
口と指が触れ合う直前の超至近距離。傷口に熱い吐息が沁みる。一言声をかければ、すぐに飛びついてきそうだ。
「いいよ。おいで」
招くと同時に、指先が温かみに覆われる。それからのシャリテは、ただただ黙って私の指を口に含み続けた。
血が止まってからも解放される様子はなく、結局シチューが沸き、ことことと蓋が暴れまわる音で我に帰るまで、ずっとそのままだった。
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