七話 人形馬車
今頃ヘイゼルさんはどっかの地面に激突して潰れたトマトみたいになって再生してます。
「どうやら、今日のロゼは恋魔が優勢みたいだね」
「れんま?」
「一口に淫魔って言っても、色々いるんだよ。恋魔っていうのはその一種で、全体的にものすごい恋愛脳なんだよね」
恋魔というのはとにかく惚れっぽい。森羅万象、自分たちの周りに起こる全てを恋愛に絡めてしまう。
利き足が一緒だから相性がいい。爪の形が同じだから心が通じ合う、とかとか。要は一種族全部丸ごとバカップルなのだ。
「で、今日の瘴気は恋魔の成分が濃いめだから、イズモちゃんもこんな風にでれでれしてる訳なのよ」
「でも、お姉ちゃんまでそんなにイチャイチャする事ないじゃないですか! 凄いノリノリに見えます!」
「しょうがないでしょ。解毒するまでこうして発散させ続けないと、どんどん溜まっていくんだよ。ほっといたらこんなもんじゃ済まないんだからね」
「む、むうう……」
ぷくっと頰を膨らませるシャリテ。何が不満なのかよく分からないけれど、とりあえず今日の瘴気が色魔とかのじゃなくて良かった。イズモちゃん結構性欲強そうだし、ヤリ殺されてたかも。
「うう、ソワレ殿ぉ……」
やべ、起きた。
「ふわ……夢の中で、ソワレ殿とお出かけしていたぞ! 楽しかったなぁ」
「よしよし。もうすぐロゼに着くから、本当にお出かけできるよ」
「わぁ……! えへへ楽しみだなぁ。ちう、ちゅっ……」
もはや遠慮とかが無くなってきている。完全な解毒はロゼでしか出来ないし、もう暫くこのままだ。
「ソワレ殿ぉ。その、頭を撫でてくれないか……」
「はいはい」
わしゃわしゃと頭を撫でてやると、ふにゃりとした顔を緩ませる。こうしていると、本当にただの女の子の様。
ふと、絡みつくような視線をシャリテの方から感じた。そちらに目をやると、曇りに曇った虚ろな目でこちらを睨め付ける少女の姿があった。
いや、顔怖ッ。
「お姉ちゃん。適当に殴って気絶させるのはどうでしょう? ずっと構っていたら、お姉ちゃん疲れちゃいますよね?」
「し、シャリテさん? その、本当に顔が怖いんですけど……」
め、目に光が無い……! ものすごいどんよりした瞳でこっちを凝視してくる。怖ァッ……!
「なーんて、冗談ですよ、冗談。心配ですね、早く治してあげなきゃ」
「目が笑ってないんだけど……」
不意に、外から鯨の鳴き声が響く。間も無くロゼに着くようだ。
「ん、そろそろかな。ほら行くよイズモちゃん。立って?」
「ああ、ソワレ殿と一緒なら、何処にだって行くぞ」
立ち上がった途端にぎゅうっと指を絡め、私の腕を胸で挟み込むようにして密着して来た。それを見るシャリテの表情はいよいよギリギリの物になってきている。
「ちょっと、歩きづらいんだけど」
「えへへ、ソワレ殿、ソワレ殿……」
聞いてない……完全に自分の世界に入ってしまっている。しょうがない、このまま行くしかないか。
甲板へ上がると、数人の乗組員さんが船上を清掃していた。あのヘイゼルとかいう女の血とか炎の焦げ跡とかでボロボロになってしまったけど、修理費とか請求されないだろうか。
ぎゅうぎゅうと押し付けられる胸を感じながら、人々の間を潜り抜けて欄干へと寄る。
「ほら、見てごらんシャリテ。あれがロゼの首都、クピディタースだよ」
眼下には、数年ぶりに見る懐かしい景色が広がっていた。少し厳しい、いかにも魔族然とした建築様式の建物が立ち並び、それらを瘴気を通過して薄い桃色に染まった日光が照らし出す。いつ見ても何とも言えない景色だ。
「わぁ……蝙蝠さんも飛んでる。何だかちょっと可愛いですね」
初めて見るであろう景色に、シャリテの機嫌も少し良くなったようだ。イズモちゃんのことが済んだら、観光にでも連れて行ってあげよう。
そうこうしている間に、船は港へと到着した。岸までかけられたタラップを降りると、かつてここを旅立った時の記憶が去来する。あの時の私が、今こんな事になって帰ってきていると知ったら何と思うだろうか。
物思いに耽っていると、黙ってぐりぐりと私の腕を体に擦り付けてくるイズモちゃん。構ってのサインだ。
「さて、まずはこっちをどうにかしないと」
適当に撫でたりしながら、港を抜けて相変わらず淫靡な雰囲気の大通りを行く。道端では淫魔同士が人目も憚らずいちゃつき合い、路地裏からは何やら悲鳴か泣き声のような声が聞こえてくる。この猥雑さ、いかがわしさ溢れる街並み。全く変わらない。
「ふおお……!」
後ろから興奮気味の吐息。振り返ると、シャリテが街行く淫魔達を見て目を輝かせている。
「凄い……! 本当にみんな大人っていうか、スゴいです!」
珍しい反応だ。大抵の人は目を逸らしたりまともに見る事なんて出来ないはずだけど、イズモちゃんの格好で露出に耐性でも出来たのだろうか。淫魔と比較できる程の格好してる方も大概だけど。
遠い記憶を呼び覚ましながら、おぼろげな記憶の中から正解の道筋を手探りに歩く事、十数分。
「あー、ここだここだ」
入り組んだ路地を何回も曲がったその先に、やっと見つけた。ほとんど廃屋の様に荒れた、かつて私達が住んでいた家に。
所々に陽の光を受けて、蜘蛛の巣が光っている。この分だと中は更に酷いことになっているだろう。アレが無事ならいいけど。
錆び錆びのノブに手をかけ、ガチャリと捻る。がこっと硬い手触り。ご丁寧に鍵がかけられているらしい。
「ああ、もうっ! この! この!」
苛立ちを乗せた前蹴りを扉に数発叩き込む。朽ちた木材には耐えられない衝撃だった様で、蝶番や留め金がぼろぼろと落ち、やがて扉は力尽きた様に家の内側へばたりと倒れ込んだ。
「うえっぷ。えほ、えほ……壊しちゃっていいんですか?」
舞い上がった埃にむせながら、心配そうな声を上げる。
「いいのいいの、どうせ物を取りに来ただけだし」
「物……?」
「そ。確か奥の工房にしまってあったかな。おいで、シャリテ。イズモちゃん」
がらくたや木屑を蹴散らしながら、薄暗い室内の奥へ進む。このカビ臭さ。本当に私が出て行った後の数年間、誰もここには帰ってきていないのだろう。
「……」
「ソワレさん?」
「ん? ああ、ごめん。考え事。先行こっか」
少しの寂しさを感じながら、かつて私の部屋だった工房のある場所へと進む。——あった。相変わらずでかい顔で、部屋を占領している。
「ソワレさん、待ってくださいぃ……わぁ!」
遅れて部屋に入ってきたシャリテの、弾む声が聞こえてくる。
「ソワレさん、これって……!」
よく見える様に、埃で汚れきったカーテンを引いて締め切られた部屋に光を入れる。
「ふふ、凄いでしょ。これが今日から私達の家。その名も人形馬車だよ」
漆黒檀の車体に、目立たないながらも意匠を凝らした自慢の一品。窓から差し込む日差しの中でその体を誇る様は、数年ぶりの主人の再来に喜び胸を張っている様にも見えた。
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