三話 強襲
空飛ぶ鯨ってありがちだけどすごいロマン感じますよね
外で、鯨の鳴き声が聞こえる。何かを伝える角笛のような鳴き声が、眠りこけていた私の意識を引っ張り出す。
「ふわ……んぐぐ」
横になったまま伸びを一つ済ませ、窓の外を見ると青空と雲海が視界を二分していた。
大して代わり映えの無い、時間の流れを感じさせない風景。飛鯨船の鯨は空域の節目節目で鳴き声を上げるように躾けられている。
さっきの鳴き声と体感時間で考えると、恐らくレジネッタの空域を出た辺りだろう。であれば、少なくとも後一日は船旅続行だ。
横ではシャリテが寝ているはず。昨日は頑張ってたから、さぞやこんこんと眠っている事だろう。ゆっくりと寝かせてあげ——
「あん?」
視線を横に滑らせると、そこに寝ていたはずのシャリテの姿が何処にもない。確かに横で眠りについていたはず。
体を起こして辺りを見回すも、影も形も見当たらない。起きてどこかに行ったのかな?
「しょうがないなぁ」
眠い目をこすりながらベッドを立つと、いつもよりやや身軽なのに気づいた。
「あれ、おかしいな……あ、あった」
軽く見回すと、ベッド脇に私のローブが折り畳まれて置かれていた。寝ぼけて脱いだのかな? そんな事を考えつつローブを胸元に留めて、シャリテを探すべく部屋を後にする。
廊下では、乗組員さん達がちらほらと行き交っているのが見える。こんな所に用があるとは思えないし、居るとすれば甲板の辺りだろう。
階段を上がって甲板に出ると、遮る物の無い日光が全身を照り付ける。場所が場所だけにそこまで暑くは無いけど、長居していたら日焼けしそうだ。さっさとシャリテを見つけて部屋に戻ろう。
きょろきょろと辺りを見回すと、商魂逞しいビスクの商人達がちらほらと露店を広げている。人もまばらなこんな朝早くに、お客なんか——
「——いた」
とある露店の前で、一人の金髪の少女が屈んで品物をまじまじと見つめている。
すぐ横まで近寄ってみても、全くこちらに気付く様子が無い。好奇心旺盛なこの子の事だ。珍しい品に夢中なのだろう。どんなのに興味があるのかな?
ひょい、と首を傾けてシャリテの視線の先を追う。すると、一本の薬瓶に熱く注がれているのに気付いた。
握り拳ほどの大きさの透明な瓶の中は桃色の液体で満たされており、何事かの文言が書かれた羊皮紙が瓶の前に敷かれている。
『ロゼの淫魔秘伝の惚れ薬。飲み物か食事にひと匙垂らせば、たちまち貴方の虜に』
「……」
なんてもん売ってんだ、コイツ。『あの』ロゼに向かうだけあって、品物もそれ相応にアレなのが多いのか……。
よく見れば他の品物もなかなかにいかがわしいモノばかりだ。それをまじまじと見つめるシャリテ。実はこの子、酔った時のアレといい結構ムッツリなのでは?
——それにしてもこの子、全然気付かないな。ちょっとイタズラしてやろ。
屈んで頭の位置を合わせて、息を吸って思いっきり……!
「わっ!」
「ひきゃんッ!!」
びくっと背筋を跳ね上げ、可愛らしい悲鳴を上げる。そして凄まじい勢いでこちらを振り返ると、途端に顔を真っ赤に赤らめ始めた。
「そ、ソワレさん!」
「随分夢中で見てたじゃん。何か気になるのでもあった?」
ニヨニヨとにやけながらちょっと意地悪を言ってみると、更に顔を赤らめて俯くシャリテ。
「そ、その……」
「アンタこーいうのに興味あるんだ、ふーん……? へー……シャリテのえっち」
わざとらしい態度でちょっとからかってみる。すると顔を真っ赤に染め上げ、手をパタパタと振りながら抗議し始めた。
「ご、誤解です! 違うんです!」
「ホントにぃ? じゃ、ここで何見てたのよ」
「あ、あうう……!」
「怖いなぁ。これから私、何されちゃうんだろうなぁ?」
この言葉がトドメになったのか、真っ赤な顔を手で覆ってうずくまってしまった。
「はうう……」
「あはは、冗談だよ。ごめん、ごめんて。そんな子じゃ無いもんね」
「あっ、それはその、うう……」
「ん? どしたの?」
《ご乗船の皆様に、お知らせいたします》
不意に、船に魔術で拡大された声が響く。
《間も無く、当船はロゼ空域内に入ります。抗淫薬を配布いたしますので、ご乗船のお客様におかれましては、一度甲板上にお越し頂きますよう、お願い申し上げます》
「お、もうそんな時間か」
案内が流れると、数人の乗組員が現れた。その肩には、ロゼの国章であるイバラが刻まれたカバンが下がっている。
そのうちの一人が私達に近づくと、そのカバンから小瓶を取り出し、さらにその中から薄紅色の錠剤を二粒取り出し、差し出してきた。
「どうぞ。必ずお飲みください」
「ありがとうございます。ほら、アンタも」
「は、はい!」
差し出された掌の上に、ころりと一粒転がしてやる。
「これ、なんですか?」
「これはね……ああ、ちょうど良かった。ほら、あれ」
白い雲の彼方に、ロゼの領域が見えてきた。相も変わらず桃色の霧が国を丸ごと包み込んでいる。
それを指差すと、シャリテの目が爛々と光り輝く。好奇心をくすぐったようだ。
「わあ、綺麗……! あれ、なんですか?」
「あれはね、ロゼに住んでる淫魔達が発散してる魔力が霧状になって、国中を包んでるんだよ。あそこに入る前に、これを飲んどかないとマズイんだ」
「なんでですか?」
「あれは他の種族には毒なんだ。これは、その耐性を得る薬。ほら、飲んじゃいな」
手本を示すように掌を煽って粒を口に放り込み、飲み下す。それにならって、シャリテも同じく粒を飲み込んだ。
「んぐっ。変に甘くて、気持ち悪いです」
「これ飲んどかないと、相当しんどい事になるからね」
「ふわわぁ……」
呑気なあくびに振り返ると、白い髪をたなびかせてイズモちゃんが現れた。所々寝癖が跳ねて、今の今まで寝ていましたというような見てくれだ。
「はふ……ああ、おはようソワレ殿、シャリテ殿。急に大きな声が聞こえたからびっくりしたぞ。ここで何が——」
「おはようございます。さあ、こちらをどうぞ」
横から歩み寄ってきた乗組員が、先ほどと同じ調子でイズモちゃんに錠剤を手渡してそのまま去っていった。
「あ、ありがとうございます……ソワレ殿、これは何だろうか」
「え、知らないの?」
「うん。恥ずかしながら、ロゼへ行くのはこれが初めてなんだ」
正直さっきの説明をもう一度言うのはめんどくさい。要点だけ掻い摘んで伝えてしまおう。
「ああ、ロゼで流行ってる病気の耐性を作る薬だよ。ほら、飲んで飲んで」
「むっ。病気が流行っているのか。では、頂きます」
そう言うと掌を一気に煽って粒を口の中に放り込んだ、次の瞬間。
一筋の冷たい風が、私達の間を駆け巡った。
「ふぁ……へっぷち!」
イズモちゃんの口から放たれる、可愛らしいくしゃみ。私の顔の横を、何かが物凄い勢いで横切った気がした。
「あっ」
「ずずっ。ううん、失礼。空の上はやはり少し寒いなぁ」
「イズモちゃん……薬、飲んだ?」
「えっ? あ……」
さあっ、と顔色が青ざめていく。やがて口元がおよおよとし慌てふためき、目は物凄い勢いで泳ぎ回り始める。
「あ、あわわ……ど、どうしよう。病気にかかってしまう……!」
「だ、大丈夫だよ、落ち着いて。ほら、さっき配ってた人探して、貰って来なよ」
「わ、分かった——んん?」
ふと、赤い瞳が一点に止まる。視線の先には、遙かな雲海が彼方まで広がっている。手を添えて日差しを遮りながら目を細め、何かをじっと見つめているようだ。
「ソワレ殿。あそこに何か見えないか?」
「え? どこ?」
「ほら、あそこ。雲に紛れて、影が見えないか?」
同じ方向に目を凝らす。かなり見辛いけど、確かに雲海のすれすれを何かが、恐らく羽ばたきながら飛んでいる。
「なんだろう。いくつか飛んでるみたいだけど、鳥にしては大き過ぎるね」
「飛竜……? いや、奴らは群れないし、それに少し小さい。であれば、あれは……」
黙々と考えを巡らせているイズモちゃん。やがてはっと目を見開き、近くにいた乗組員に向けて声を上げる。
「乗客を中へ避難させてくれッ!」
「は、はい?」
戸惑うのも御構い無しに駆け寄り、更に言葉を続ける。
「いいから、早く避難させるんだ! それと、戦える者は全てここに集めろ! 早くッ!」
その様子には一切の緩みがない。どうやら非常事態が起きているみたいだ。
「どうしたの、イズモちゃん! 一体何が——」
「さっき飛んでいた影、あれは騎竜の一団だ! あの雲に紛れる様な動き、恐らくこの船を狙っている!」
不意に、船のすぐ下に広がる雲海から、一つの火球が飛び出し、私達の眼前で爆ぜた。そして雲海を吹き散らしながら上昇し現れる無数の竜。
それはまるでイズモちゃんの言葉を証明するかの様に、爆炎を背負い私達の前に立ちはだかった。
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