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姫君への軌跡  作者: 瀬川メル
番外編
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番外編:切断の姫君と引きこもり王子

 切り落とした髪は迷いや未練、愚かな自分。傷痕は消えないだろうけれど、軽くなった頭と心で突き進んでいく。


「セレネディア様、ガハルから書状が届いております」


 届けた書類の横に白い三つ折の上質な紙を置き、フォルスは一歩下がる。


「ガハルから? 珍しいわね」


 不思議そうに頬に手をあてるセレネディア。紙を手に取り、カサカサと細い指で広げる。

 ガハルはユニフィスに隣接する国のひとつであり、鉱山が数多く存在する。国はそこそこ栄えているが王族は親交を嫌っているらしく、公の場にはなかなか出て来ない。他国の王族達とも関わりが薄い、所謂引きこもり国としても有名だった。

 そんなガハルから書状が届いた。人によっては天変地異を危惧するくらいの大事件だ。


「……いかがですか?」

「これは……本当に天変地異が起こるかもしれないわね」

「はい?」


 首を傾げた毒舌神官に書状をひらひらと見せながら、セレネディアは自嘲気味に笑った。


「私に会いたいそうよ。それも、ネストル王子直々に」

「それは、また……」


 目を見開いてフォルスも書状を確認するが、確かにそう書いてあった。印も本物である。


「どんな意図があると思う?」

「普通に考えれば、ラゼリアとの橋渡しに利用するつもりなのでは」

「そうね。普通なら。けれどあの他人に無関心王族が急に? 少し不自然な気がするわ」

「そうですね。そもそもラゼリアとの繋がりを持ちたいなら、他にいくらでも手はあるでしょうし。たかだかラクチェアがノエル王子と結婚したくらいで、ユニフィスだってラゼリアと絶対的な関係になったわけではないですし?」


 考えれば考える程真意は読み取れず、胡散臭く思えてくる。今まで一度も会った事が無く、顔も見た事が無いガハル王とその家族達。徹底的にコミュニケーション拒否を続ける彼等が何の目的でセレネディアに会いたがるのだろう。

 ガハル王には子供が二人。ネストル王子とその妹姫。ネストルはセレネディアよりも二つ程年上だった記憶がある。どんな人間なのか興味が無いわけではない。


「……いいわ、行ってみようじゃない」

「セレネディア様?」

「ユニフィスを利用するつもりなら、逆にこちらがガハルを手玉に取ってやりましょう。ガハルの鉱山資源があればユニフィスはもっと豊かになれるもの。いい機会だし、ガハルと繋がりを持っておくのも悪くないわ」


 にっこりと笑って返事を書き始めるセレネディアに、フォルスはこめかみを押さえる。髪を切ったお姫様は、良い方向にばかり変わったとは言い切れないようだ。


*****


 馬車を降りたセレネディアの頬を、少し冷たい風が撫でる。初めて訪れるガハルの地。その城下街は目に見えて活気づいてはいないが、道を歩く人々は皆穏やかな顔をしていた。


「セレネディア姫、どうぞ」


 門番に促され、城内へと足を踏み入れる。中はとても静かで、人の気配がほとんど無い。掃除は隅まで行き届いているようで、上下左右どこを見てもピカピカに輝いていた。


「ようこそ、セレネディア姫」


 急に後ろから声をかけられ、驚いて振り返る。更に驚いた事にすぐそばに人の顔があり、間近で見つめ合うような格好になった。

 赤いルビーのような目がセレネディアの心を見透かすようにじっと視線を注いでくる。


「……ネストル王子でいらっしゃいますか?」


 たっぷり不審感に満ち溢れた口調で尋ねる。相手にも当然伝わり、苦笑して顔を離した。悪戯っぽく動く目は相変わらずセレネディアから離れなかったけれど。


「初めまして」


 肯定の言葉はなかったが、雰囲気から目の前の青年がネストルだと悟る。年上だと聞いていたけれど想像していたよりも幼い顔立ちをしている。少し吊り上がった目から活発そうな印象を受けた。

 片方のサイドの髪を長く伸ばし三つ編みにしているのが特徴的な他は、至って普通そうに見えた。


「案外小さいな、色々」


 いや、普通では無かった。主に胸を眺めているネストルに気付きセレネディアはカーッと顔を真っ赤にする。ここが他国だという事実は頭の隅に。どうしても抑えられない衝動のもと、口を開いた。


「どこ見てるのよ変態!!」


 悲鳴に近い叫び声と乾いた打音が静かな城内に響き渡った。


*****


 左頬を赤く腫らしたネストルが涼しい顔で紅茶のカップに口をつける。それを睨み付けるセレネディアの顔もまた赤い。出された紅茶を一気に飲み干し、ガシャンと乱暴に置いた。


「なんだ、ご機嫌ななめだな」

「誰のせいだと……っ、い、いえ、気のせいでは?」


 引き攣った笑顔で落ち着きを取り戻そうと必死にセレネディアは耐える。膝の上で握りしめた手がプルプルと震えた。


「別に小さいのが悪いとは言ってない。人によってはそちらの方が好みの場合だって」

「見るな! 見るな変態!!」


 淡々と述べるネストルの目はセレネディアの胸をガン見だった。半分泣きながらセレネディアは腕で隠す。


「これから大きくなる可能性もある。気を落とすな」

「余計なお世話ですっ!!」


 羞恥心を煽られてセレネディアはますます茹で上がっていく。まだ着いたばかりだというのに、ガハルへ来た事を後悔し始めていた。

 ネストルがこんな人物だったのは完全に予想外だった。自国に引きこもり他人との接触を避けていたのだから、てっきり根暗なタイプだとばかり思っていた。それがこんなにデリカシーの無い無神経男だったなんて。


「だ、大体、私に会いたいって何故だったんですか? 理由がわかりません。どうして私だったのですか」


 怒鳴った勢いのままにベラベラと言葉が口から零れ出る。

 ネストルは少し考えた後、薄く微笑んでセレネディアの問いに答えた。


「興味が湧いたからだ」

「興味、ですか」


 興味を持たれるような事をした覚えは無い。しかし最近は躍起になって政に取り組み、複数国での会議などにも出てがむしゃらに働いていたから、知らない内に何かをやらかしていたのかもしれない。


「君を見るのは二度目なんだが」

「え? ど、どこかでお会いしました?」

「先日、ミルティランで行われた夜会に参加していたな?」


 言われてセレネディアは当日の事を思い出す。しかしガハルからの参加者はやはりいなかったように思う。


「僕はこっそり使用人に成り済まして参加していたんだが」

「何をなさっていたんですか!」


 いちいちツッコミを入れられるのが楽しいのか、セレネディアが叫ぶ度にネストルは目を細めて笑う。


「その方が見える事もある。まあ、ぶっちゃけ挨拶とか面倒臭いだけなんだけどね。でもミルティランのお酒は絶品だ」


 つまり王族として堅苦しく交流したくは無いが、お酒は飲みたいから使用人のフリまでして潜り込んだと。

 セレネディアは段々頭が痛くなってきた。


「それでだ。僕がワインを飲みながらチーズをつまんでいる所に君が現れてだね」

「それは使用人の態度ではないです」

「見つからないように行動するのは得意なんだ。えーと、なんだっけ? ……ああそう、君が現れて。周りの会話から察したところ、あのユニフィスのセレネディア姫だと言うじゃないか」


 言い方に引っ掛かりを覚えるが、それを口にする前にネストルが答えを言う。


「滅多に人前に出ないユニフィスの姫君。会議も代理の神官がやってくる。……僕は勝手に君に親近感を持っていたんだ」


 セレネディアの呼吸が一瞬止まる。

 今でこそあちこちに顔を出してはいるが、以前はほとんど城から出ない生活を送っていた。他人事だと思っていたのだ。政治に纏わる事は放っておけば神官がやってくれる。自分は何もせず、ただ存在しているだけでいいと。それが姫である自分の役割だと。

 苦い思い出ばかりが甦り、セレネディアは俯く。


「ところが君はあんな夜会に現れて、笑顔で参加者達に挨拶していた。興味くらい湧いてもおかしくないだろ? 一体どんな風の吹きまわしだろうって」


 ニコニコ楽しそうに語るネストルの口調や表情には、嫌味など感じない。本当に、ただただ純粋に、興味を持っただけ。それだけなのだ。

 セレネディアは少し躊躇い、瞼を閉じて思考を巡らす。記憶が見せてくれる思い出は、出来れば消し去って忘れてしまいたい。けれどそれでは前に進めないのだ。受け止めて、受け入れて、そうやって人は乗り越えていくのだから。


「……私の髪、数ヶ月前まではもっと長かったんです」


 毛先に触れて指でくるくると巻く。


「切ったのか」

「ええ。重かったので」


 重かったのは罪悪感や、弱さや、醜い自分を知ってしまった辛さ。それらを切り落とす事は忘れる事ではない。事実を、現実を受け入れて生きていく覚悟を決める為に、セレネディアは髪を切った。

 今までとは違う自分に、という思いも少なからずあった。あの真っ直ぐな強さを持った少女を羨んでしまう心を断ち切る為でもあった。彼女と自分は違うのだと。


「髪を切る決意が出来たのは、たくさんの人のおかげです。私はその人達に恥じないように、私に出来る事を精一杯やろうと思っただけ」


 我が儘で世間知らずだった自分。それを気付かせてくれた人、それでも支えてくれた人。


「その人達はね、とても眩しい生き方をしています。だから私もそんな風に生きてみたいと、そう思ったんです」


 愛してくれた人もいた。それが幸せな事だったと、今ならよくわかる。けれどもう元には戻れない。それがセレネディアのけじめ。


「その顔」

「え?」

「本当の所、君が表に出てくるようになった事なんてどうでも良くて」

「ええ!?」

「……本当は、その顔が気になった。強い目をしているな」


 ネストルは胸の時と同じように、まじまじとセレネディアの顔を見つめる。遠慮のかけらも無い視線。

 怒るよりも恥ずかしさが先にたって、セレネディアは思いきり顔を背けた。


「……うん、よし。合格」

「はあ……?」


 謎の言葉を呟いたと思ったら、ネストルはいきなりセレネディアに近づいて来てその細い手首をがっちりと掴んだ。逃げる隙も与えずに。


「いいだろう、君と結婚してやる。ありがたく思え」

「は、はあ!?」


 どうしていきなりそんな話になったのか。離れようと手を振るが依然掴まれたまま。ネストルはそれすらも楽しそうに笑って、ダンスのようにセレネディアをくるくる回す。


「ちょっ、ちょっと……」

「僕と結婚出来るなんて幸せ者だな、セレネディア」

「冗談でしょ!? そんな話の流れ、一切なかったじゃない!」

「そうだっけ? 最初から見合いのつもりで君を呼んだんだけど」

「書状には書かれていなかった!」

「書いたら来ないかと思って」

「どこからツッこめばいいのよ!!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ続けているのに誰もやってこない。まったくこの城はどうなっているのか。


「ガハルの王子と結婚なんて、美味しい話だろう?」


 確かに政治的に見れば美味しい話だと言える。それでも素直に受け入れられない何かがネストルにあるのも事実で。

 回り過ぎてフラフラするセレネディアをちゃっかり抱き寄せているし。


「僕は君を幸せに出来るよ」

「それは、大層な自信で……」

「それに」


 突然真剣な顔になってセレネディアを見つめてくる。不覚にもセレネディアの心臓が大きく跳ねた。


「僕は小さい方が好みだし」

「!!」


 真剣な表情のまま視線を下げようとするネストル。その頬を渾身の力で殴るセレネディア。

 その日一番大きな叫び声が城内にこだました。


「絶対お断りよっ、この変態!!」

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