54話目:書状への返事
早朝、ラクチェアの様子を見に医者と薬剤師が部屋を訪れた。簡単な触診ののち、薬剤師が持っていた鞄から薬を取り出す。
「脈も正常。素晴らしいですね。でも念のために後数回、この薬を飲んでください。解毒効果がありますから」
「ありがとうございます」
二人が帰った後、ラクチェアは服を着替え髪を整えてノエルの部屋へと向かった。ノエルも同じようにラクチェアの部屋へ向かおうとしていたようで、廊下の途中で鉢合わせた。
「おはようございます」
「おはよう。体の方は大丈夫?」
「はい。お医者様にも大丈夫だと言われましたし、薬もいただいたので」
「そっか。良かった」
ふいに会話が途切れ、二人はお互いにじっと見つめる。緊張はしているものの、昨日よりも大分落ち着いた表情をしていた。
「行こうか」
「はい」
手に手をとって、ラクチェアとノエルは廊下を歩き始めた。目指すは王座の間。準備が出来たらそこへ来るようにと、ラゼリア王からの伝言が届けられたのだ。
今度こそ彼に認めてもらう為に、二人は真っ直ぐに前を向いて目的地へと向かっていった。
*****
扉を開けたその先には数人の男達と、真っ白い衣装に身を包んだ王と妃の姿。一瞬間違って入ってしまったのかとラクチェアは面食らう。
「……白はラゼリアでの王族の象徴。あれは正装なんだ」
「正装……」
ノエルの声にも少し動揺が表れていた。彼もまたこういう雰囲気は予想していなかったのだと知る。
ここで何を言われるのか。何をされるのか。ラクチェアは先の見えない不安からごくりと喉を鳴らした。
「父上。これは一体……彼等は……?」
「ノエル。今もまだその娘との結婚を望むか?」
「……当たり前です」
ノエルがそう答えると、男達の間でざわめきが起こった。何事かをひそひそと話し合い、盗み見るようにラクチェアへ視線を向ける。
(そういう事か……)
身分の低い者と王族が結婚するという事がどれだけ厳しい現実に晒されるかを、思い知らせるつもりなのだ。周囲の冷たい目、冷たい言葉は棘のようであり、時に刃と化す。それは容赦なくラクチェアとノエルを傷つけるだろう。
「ノエル。もう一度問う。……この先がどれだけ辛い道のりだとしても、お前はラクチェアを妃に選ぶというのか?」
威圧的に語りかけるラゼリア王に、ノエルは瞼を閉じる。次に目を開けた時、その場に居た誰もが目を疑うような、清々しい笑顔を咲かせた。
「はい。私には、ラクチェアでなければ意味がありません」
その答えに王はぴくりと眉を動かす。
「ラクチェア。そなたはどうだ。自ら茨の道を歩む覚悟はあるか」
冷たく重い声。けれどラクチェアはもう怯まない。
「茨ごときに立ち止まりはしません。傷付く事を恐れたりは……しません。」
「勇ましい娘だ。……さて」
王が傍らの側近を呼ぶ。うやうやしく頭を下げ側近が手渡したのは一枚の紙。その紙を両手に持ち、ラゼリア王は再び視線をラクチェアとノエルに戻した。
「朝一番でユニフィスの姫君から書状が届いた」
「――!!」
セレネディアからの書状。もう既にラゼリア王のもとへ届いていたのだ。当然、文面にも目を通してあるはず。
(嘘。じゃあこの場は……王子とセレネディア様の婚約を発表する為の……?)
世界が足元からひっくり返る。繋いだ手から、ノエルも動揺しているのがわかった。
(そんな……間に合わなかったの……?)
衝撃に顔を青ざめさせている二人の事など気にも留めない様子で、ラゼリア王は周りの男達に内容を読み上げて聞かせる。セレネディアがノエルとの結婚を望んでいる事、それを承諾すればユニフィス東の領地が手に入る事。それがまるで死刑宣告のようにノエルとラクチェアには聞こえていた。
「内容はご理解いただけただろうか。……それでは、この書状に返事を」
再び側近を呼び付け、紙を渡す。
「何と綴ればよろしいでしょうか」
「……此度のお話、丁重に辞退させていただくと」
揺れていた世界がぴたりと止まる。今、王は何と言ったのか。
「父上……どうして……」
父親の発言がにわかには信じられず、ノエルは目を見張る。領地の話が出れば確実に承諾すると思っていただけに、すぐにはこの現実を受け入れられなかった。
「何を言う。お前がつい先程自分で宣言したではないか。……その娘でなければ意味が無いと」
王の声は今までで一番優しいものだった。傍に寄り添うルチアも、慈愛に満ちた眼差しをノエルに注いでいる。
「この場にいる者達はラゼリア各領地の領主だ。彼等を見届け人とし、私は第二王子ノエルと、ラクチェア・フォールズの結婚を認めよう」
拍手の音と共に、口々に祝いの言葉が述べられる。
「成長なさいましたな、殿下。王の若い頃にそっくりでございます」
「いや、陛下の若い頃に似ているのはそちらの娘であろう。剣の腕も優秀だとか」
「え、え? え?」
領主達に囲まれ、ラクチェアは目を白黒させる。何がどうなっているのか頭が追い付かない。彼等は二人の結婚に反対する為にここに呼ばれたのではないのだろうか。
「何だ、喜ばんのか」
「え、あの、父上。本当に……認めていただけるのです、か?」
「二言は無い。……お前達の勝ちだ。だが、後からやっぱりやめておけば良かったなどと泣き付いてきても、私は一切手を貸さんからな」
ようやく脳が理解し始める現実。ラクチェアとノエルは道を共にする事を許されたのだ。
「あ……ありがとうございます!」
二人で頭を下げ、顔を見合わせる。嬉しさに躍る胸を抑えつつ、領主達にも礼を述べ王座の間を退室した。
扉が閉められた瞬間、張り詰めていた緊張の糸が切れ、ラクチェアはへなへなと床に膝をつく。
「王子……私達、やりましたね……」
「……うん、やったね……」
じわりと目頭が熱くなり、ラクチェアの目から涙が零れた。しゃがんで視線を合わせたノエルの目も少し赤い。
何か言わなければと言葉を探したが、声も出ない。無言でノエルに抱き寄せられ、ラクチェアは抱き返す。体中で感じるノエルの体温が、愛しくて愛しくて堪らなかった。
「……ラクチェア、僕と結婚してください」
二人が望んだからこそ、実を結んだのだと思いたい。
「はい、ノエル様」
ようやく、本当の返事が出来たような気がした。




