52話目:折れそうな心
悔しいと、ラクチェアは唇を噛んだ。ノエルと結婚をしたいという理由が、金や地位の為だと思われていたのだ。王族の伴侶となり、贅沢を尽くす暮らしを望んでいるのではないかと。
どうすれば違うとわかってもらえるのか、何と言えば信じてもらえるのか、ラクチェアには皆目見当もつかなかった。
「……私、は」
それでも、諦めるわけにはいかない。
「私はそんなもの望みません。どれだけお金があったって、どれだけ偉くなったって……そこにノエル様がいなければ、私には何の意味もありません」
きっぱりと言い切り、ラゼリア王を見据える。それがラクチェアの心からの言葉だと信じてほしかった。
「そうか」
もっと何か言われるかと思っていたラクチェアは、あっさり引き下がった王に肩透かしを食らった気分になる。困惑した表情のままじっと見つめていると、ラゼリア王は再び口を開いた。
「両親は居ないと言ったな」
「え? あ、はい」
「詳しく聞いても?」
そう問われ、ラクチェアは散々迷った末に小さく頷いた。自分の身の上話に興味があるのだろうかと、躊躇いがちに話し出す。
「私は両親の顔も知りません。……その、まだ赤ん坊の時に捨てられたそうなので」
季節は春だったと聞いた。せめてもの情けと思ったのか、教会の前に捨てられていたそうだ。産着の上から布を掛けられ、そばに花を添えられて。
どんな理由で捨てられたのかはわからない。暮らしに余裕がなかったのか、子供など不要だったのか。捨てるくらいなら何故産んだのだろうと恨んだ事もある。
「生活はどうしていたのだ」
「教会の孤児院で引き取っていただいたので……そこで育ちました。シスターは優しくて、私達は本当の母親のように思っていました。だから、実の所、そんなに辛くはなかったんです。親がいなくとも、親のように愛情を注いでくれる方がいましたから」
「そうか……」
ラクチェアが親の事について話せるのはこれだけだ。今はもう恨んでもいないし、会いたいとも思っていない。ただどこかで元気に暮らしていてくれればいいと、そう願っていた。
「……失礼な事を、そなたに言った」
「失礼な事……?」
「話にならん、と」
昼間に一度両親の事を聞かれた際、「居ません」と答えたラクチェアに王は「話にならん」と言った。その事を気にしていたのかと、目を丸くする。
「すまない」
「いいえ! 恐れ多い事でございます」
慌てて首を振るラクチェアを見て、小さく王は微笑んでみせた。
「戻って休め。解毒をしたばかりだ、無理はするな」
そう言って持っていた本を棚に並べ始める。もう何も喋る気はないらしい。
ラクチェアの中には焦りがある。明日には届くかもしれないセレネディアからの書状。王の目に触れれば為す術もなくノエルはセレネディアと結婚させられてしまうのだろう。
残された時間は少ないのに、まるで手応えがない。その事実がラクチェアの焦りを煽る。
「……おやすみ、なさい……」
一礼し、部屋から出る。暗い廊下は今のラクチェアの気持ちを表しているようで、溜め息をついた。
何も持たないラクチェアでは、ノエルと道を共にする事など出来ないだろうか。気持ちさえあれば上手くいくとは思っていない。世界はそんなに易しくはないと、十分理解しているつもりだ。それでもノエルと一緒にいる事を選んだのに、それさえ叶わず自分はユニフィスに帰る事になるのだろうかと情けない思いでいっぱいになる。
「私、何の為にここまで来たんだろう……」
諦めないと決めたのに、頑張ろうと誓ったのに。強くあろうとした心もひび割れ折れかかっている。自分の無力さを思い知った。
込み上げてくるものを抑え切れず、ラクチェアは立ち止まり俯く。みるみる内に視界が歪み、ぼやけて見えなくなっていった。鼻がつんと痛くなり、あたたかい液体が瞳から溢れ床に滴る。
(こんなの、王子に見られるわけには……)
壁に背を預けしゃがみ込み、服の袖で何度も拭う。拭っても拭っても、堰を切ったように涙は溢れて止まらない。
声が出そうになるのを堪え、肩を震わせてただひたすらに泣いていた。
「……っ、は、う……」
ひとりで泣くと不安がどっと押し寄せ、余計に涙腺が緩んだ。泣いては駄目だと思えば思う程、それは逆効果になっていく。
途方に暮れ始めた時、頭の上に何かが乗せられた。驚いて顔を上げる。
「……王子」
弱気になった姿を一番見られたくない相手。悲しそうに眉をひそめ、それでも微笑むノエルが膝をついてラクチェアの頭を撫でていた。




