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姫君への軌跡  作者: 瀬川メル
7章
51/60

51話目:王の甘言

 熱い。痛い。苦しい。こんな所には居たくない。早く、早くここから抜け出さなければ。

 けれどもがけばもがく程そこに囚われ、どこにも進めない。泥のように思考が重くなっていく。

 息が出来ない。瞼が開けられない。何も聞こえない。閉ざされていく世界に取り残されるのが怖い。

 縋る物を探して手を伸ばした時、その手を握られた気がした。


(……私、この体温を知ってる)


 優しくて、あたたかくて、恋しくて、愛しい。焦がれるように無我夢中で握り返していた。

 手放してしまえば、もう二度とその温もりに触れる事が出来なくなると、心のどこかで感じていたから。

 次第に体が軽くなり、息苦しさも消えていく。ゆっくりと瞼を開け最初に視界に映ったのは、見知らぬ天井だった。


「……え。あれ……?」


 ラクチェアはぱちぱちと瞬きを繰り返し、首だけを動かして周りを見る。薄暗い部屋。ベッド脇のサイドテーブルにランプが置かれていて、狭い範囲を照らしてした。

 どうやら自分はベッドに寝ているようだと状況を把握し、そこに至るまでの経緯を思い出そうと記憶を探る。


「痛……」


 ふいに腕が痛み、ラクチェアの脳裏に昼間の出来事が蘇った。


「! 陛下は……っ」


 毒入りの茶、粗野な女、鈍色の短剣。思い出されていく記憶の最後は、倒れていく自分の体とそれを受け止めたラゼリア王の姿で締め括られた。

 タイミングから、女の短剣に毒が塗ってあったのだと察する。


(二重三重にも用心を重ねてたって事か……)


 毒入り紅茶が失敗した時は短剣で、それもし損じたら刃の毒でと入念に準備をしていたのだろう。それを平気でやってのける女の神経は、ラクチェアには到底理解出来ない。


(陛下、ご無事だったのかな……)


 肘を支えにゆっくりと体を起こす。腕の怪我は痛んだが、たいした痛みではない。


(私、どれくらい寝ていたんだろう。セレネディア様の書状は……? もしかしてもう届いて……)


 急に不安になり、胸の辺りを押さえる。その時初めてベッドの上に誰かが上体を乗せて寝ている事に気付いた。


「王子?」


 床に座り込みベッドに上半身を投げ出して穏やかな寝息を立てていた。起こさないようにそっとベッドから降り、ノエルの肩に毛布を掛ける。

 ずっとついていてくれたのだろうかと、ラクチェアは申し訳なさ半分、嬉しさ半分で微笑む。


「ありがとう、ございます」


 指先でノエルの頬を撫で、ラクチェアは音を立てぬように廊下へと出ていった。


*****


 静まり返った城内は、今の時間が夜中である事を示している。けれどどうしてもラゼリア王の安否が気にかかったラクチェアは、無駄かもしれないと思いつつ自然と執務室へ足を運んでいた。

 開けっ放しの扉の奥から、小さく明かりが漏れている。まだ誰かが残っているのかと、こっそり覗いて様子を窺った。

 そこに居たのは意外にもラゼリア王本人で、思わずラクチェアは声に出して驚いてしまう。


「陛下?」

「……何だ、そなたか。脅かすな」


 王は小脇に何冊か本を抱えたまま、ラクチェアの方を振り向いた。どうやら昼間の一件で散らかった執務室を片付けていたらしい。元々散らかっていた記憶がラクチェアにはあるのだが、そこは空気を読んで口にしなかった。


「もう体は大丈夫か」

「はい。なんともありません」

「医者がそなたの回復力に舌を巻いていたぞ。女性とは思えんと」

「そ……そうですか」


 確かに体力には自信があるし、毒にも耐性はある。……が、あまり素直に喜べない賛辞だ。


「陛下は……お怪我などされませんでしたでしょうか」

「そなたのおかげでな。礼を言う」

「勿体ないお言葉です」

「……だがな」


 王の目がすぅと細められる。昼間の時よりも幾分か控えめではあったが、間違いなくラクチェアを見定めようとしている目だ。

 今はノエルも隣にいない。たったひとりで王の前に立っている事が、今更ながらに怖くなった。


「私は人の好意を素直に受け取れない生き方をしてきた。そなたが何の見返りも求めずに私を助けたとは、どうしても思えんのだ」


 それは、「ノエルとの結婚を認めて欲しいから命を救ったのだろう?」と尋ねられているに等しい。ともすれば、あの女がラゼリア王を狙った事も自演の為に仕組んだと疑われ兼ねない流れだった。


「……いいえ。私は何も望みません。私が王をお助けしようと剣を振るったのは……ノエル様の為です」


 疑われるかもしれない恐怖よりも、信じてもらえない悲しみの方が強い。人を信じられない生き方はとても悲しい事なのだと、ラクチェアはそう思う。


「ノエルの為?」

「……だってノエル様はご家族をとても愛していらっしゃいますから」


 それが立場上仕方のない事だったとしても、信じてもらいたいと願う事が無意味だったとしても。


「父君が傷付くような事になれば、ノエル様が悲しまれます。私は……そんなの見たくないんです」

「……ラクチェア。そなたに提案しよう」


 改まって切り出され、ラクチェアは背筋を伸ばす。


「そなたが望むものを何でも与えよう。金でもいい。地位でもいい。その代わりノエルを諦めてくれと言ったら……そなたはどうする?」


 それは人によっては蜜のように甘く魅力的な提案で、ラクチェアにとってはあまりにも酷い侮辱だった。

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