49話目:赤く染まる切っ先
書類の山を着々と片付けながら、ラゼリア王は先程ノエルが連れてきた少女の事を考えていた。見た目はどこにでも居そうな、普通の少女。真っ先に目を奪われたのは瞳の奥に燃ゆる静かで凛とした炎だった。
(あれは芯の強い娘だ)
その炎がノエルに燃え移ったのかと思ってしまう程、優しいだけだった息子は逞しく成長していた。父や兄の言う事に逆らわず、従順に従っていた昔とは違う。真っ向から何かを主張し貫こうとするなど、以前のノエルからは考えられなかった。
すっかり物思いに耽って手を止めてしまった王の耳に、扉を叩く音が飛び込んだ。顔を上げ、席を立つ。
「何だ」
「ルチア様のお言い付けでお茶を運んでまいりました」
「そうか。入れ」
入室を許可され、女官が執務室へと入ってくる。ティーセットをサイドテーブルに置き紅茶をカップに注ぐと、それを執務机の上に置いた。
ラゼリア王はカップを手に取り香りを嗅いだ後、女官の眼前に突き付ける。
「飲んでみろ」
「え……」
「見た事もない女官に出された飲み物など、毒味無しに飲める気がしない。さあ、これを飲んでみろ」
うろたえていた女官はいきなり顔付きを変え、下卑た笑い声を漏らした。その不快さに王の表情が歪む。
「ははは……なぁんだ、こんなにあっさり見破られちまうなんて」
「命を狙われた事は一度や二度ではない。甘く見てもらっては困る」
「そう? でもさぁ、こんなに狭い部屋で賊と二人きりってのは、なかなか無いシチュエーションでしょ?」
そこで初めて王は違和感に気付く。目の前の女があれだけ甲高い笑い声をあげたのに、衛兵が踏み込んでこない。
何を考えているのかを悟った女が、にぃと口の端を持ち上げる。
「へへ、邪魔だから殺しちゃった!」
そう言うと女は袖の中に隠し持っていた短剣を取り出した。その切っ先は既に赤く濡れている。
悍ましい行為の末の血の色だと、ラゼリア王は戦慄した。
*****
訓練を受けた時だ。靄がかかっていた記憶が、段々鮮明になっていく。「この花の根には毒がある」とエディルが言っていたのを思い出した。
ユニフィスは森林が多く、一旦その中で方角を失ってしまえば誰もが迷う。もしもそうなった時、生きる為にはどうしたら良いかという訓練をさせられた事がある。火をおこす方法、貯水の仕方、食べられる野草の見分け方。要するにサバイバルであり、これにはラクチェアもかなりの神経を削られた。
あまりの不評ゆえにか、いつからかこの訓練は行われないようになっていったが今回は役に立った。戻ったらまた実施してもらえるようにエディルに頼んでみようと、ラクチェアはそんな事を考える。
「!!」
走っている廊下の向こうに、人が倒れているのが見えた。執務室の前、倒れているのは衛兵のようだった。床に赤黒い液体が広がっている。
(まさか、陛下はもう……?)
その時閉じられた扉の向こうから声がした。甲高い女の笑い声と、男性の怒鳴り声。
まだ生きている。そして今まさに自分を狙う女と対峙しているのだ。
(どうする!?)
恐らく衛兵も殺した事で女はラゼリア王にのみ集中している。ならばラクチェアがとる方法はひとつだ。
何の遠慮も無く、思い切り扉を蹴破る。女は突然のけたたましい音に驚き、入り口を振り返った。その隙をラクチェアは逃さない。執務机を挟んで女とラゼリア王は向かい合っていた。幸いにも女の方はラクチェアに近い所にいる。
女の手に輝く鈍い光に気付いたラクチェアは、まずは武器を奪うのが先決と彼女の手を狙って剣を抜いた。踏み込んで斜めに斬り上げるが、すんでの所で回避される。
「……っ! ちっ、何だよこの女!」
「お前こそ何者だ!」
間合いの取り方に隙が無い。女の方も王城に忍び込むだけあって、かなり腕ききのようだった。
刃を向け相手を牽制しながら、ラクチェアは王を背に庇うように移動する。
「ち、リーチの差はあたしが不利か。……でも、手ぶらで帰れないんだよねぇ!」
短剣を前に突き出し、体勢を低くして女はラクチェアへと突進した。その切っ先を剣で受け流し、女の手を柄で思い切り殴る。それでも短剣は離さなかった。
「はっ! こっちだって場数踏んでんだ、アンタみたいな小娘に負けてられっか!」
足を上げ、思い切りラクチェアの足の上に踵を落とす。ヒールが減り込み、激痛が走った。
「……っ!」
その隙をついて女の短剣が空を切る。直後、燃えるような熱い痛みがラクチェアを襲った。




