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姫君への軌跡  作者: 瀬川メル
7章
48/60

48話目:花の香り

 客室へ通され、ラクチェアは豪奢な椅子に座って背筋を伸ばした。向かいの椅子にノエルが座る。


「ユニフィスの方は大丈夫でしょうか……」


 ぽつりとラクチェアが呟く。セレネディアはノエルがいなくなった事に気付いただろうか。もし気付かれてしまったら真っ先にラクチェアを疑うだろう。

 ラクチェアに協力した事で守護隊が罰せられているのではないかと、心配で不安だった。


「カテリーナとコーネリアがごまかしてくれているだろうし、兄上もいる。皆大丈夫だと思うよ」

「……そう、ですね。……うん。ありがとうございます」

「君は本当に優しいね」

「王子に言われると変な感じがしますね」


 優しいという言葉はノエルの為にあるようなものだと、半ば本気で思っている。ラクチェアは何度救われたかわからない。彼の優しさに触れる度、心があたたかくなるのを感じていた。

 ぼうっと目の前の愛しい人を見つめていたラクチェアは、ノックの音で現実に引き戻される。


「ここにいたのね。お茶でも飲みましょうか?」


 にこやかに扉を開けて顔を見せたルチアは、廊下を通りすがった女官にお茶を持ってくるよう頼んだ。


「母上……」

「ノエル。久しぶりに元気な姿を見られて嬉しいわ」


 腕を広げたルチアの前にノエルは立ち、抱きしめられる。ラクチェアの視線に気付いて恥ずかしそうに頬を染めた。

 ルチアはノエルとコーネリアによく似ている。順番を考えると二人がルチアに似ていると言った方が正しいが。


「ノエル」

「はい、母上」

「あなたが自分で愛する女性を見つけられた事、私は素晴らしい成長だと思ってとても嬉しいわ」


 穏やかな声音。抱きしめられたまま、ノエルは母の言葉に戸惑いを見せた。


「母上は、反対なさらないのですか?」

「あら、言ったじゃない。私はラクチェアさんの事、もう少し知りたいって。勿論、知った上で相応しくないと思えば反対はしますけど」


 ルチアはノエルから離れ、ラクチェアの方へと近付く。目を細め体中を観察されるが、不思議と嫌な気分にはならなかった。


「守護隊というものに所属されているのだとか」

「は、はい。副長を務めさせていただいております」

「まあ!」


 聞いた瞬間ルチアの目が輝いたのは気のせいではないだろう。


「では剣の腕には自信がお有り? 見てみたいわ。この城にも騎士がいるのだけど、一番強い者と手合わせしてみない?」


 子供のようにはしゃぐ姿がコーネリアに被る。あの幼い姫君は成長するとこのようになるのだろうか。

 困惑するラクチェアにノエルがそっと耳打ちした。


「母上は見るの専門で剣術マニアなんだ」

「な、成る程……」


 女剣士なんて素敵! とか、まだ若いのに副長だなんて才能があるのね! とひとしきりルチアがうっとりと感動した後、お茶が届けられたので一息つく事にした。

 紅茶が好きなノエルは、どんな紅茶を飲んで育ったのだろうとラクチェアも興味があった。きっと美味しいに違いないと。

 女官が手慣れた動作でテーブルにカップを並べ、ポットで紅茶を注ぐ。甘い香りが立ち上り、緊張が幾分か解けた。


「失礼致します」


 すっと頭を下げ、女官が退室する。ラクチェアの横を通った時、ふわりと甘い香りがした。


(あれ? この匂いって……)


 頭の中で警告音が鳴る。ラクチェアは以前にもどこかでこの匂いを嗅いだ。それはいつの事だったか、どんな時だったか。


「クルセルクから取り寄せた茶葉なの。ちょうどノエルが帰ってきてタイミングが良かったわね」


 カップを持ち上げ、口をつけようとするルチア。その瞬間に、ラクチェアは匂いの記憶を掘り起こした。


「待って! 飲まないで!」


 無礼も厭わず叫び、ルチアの手からカップを叩き落とす。床に落ちたカップは割れ、中に入っていた紅茶が水溜まりを作った。

 驚いて固まってしまったルチアに詫びる間もなく、ラクチェアは自分に用意されたカップに口をつける。少量の紅茶を口に含み、すぐに吐き出した。


「毒です。ある花の根から抽出されるもので、量によっては死に至る事もあります」

「毒!? ラクチェア、それを飲んだの!?」

「すぐに吐き出したので大丈夫です。守護隊に属す者は王族のお毒味役も担う場合があるので、大体の毒には慣らされていますし」


 致死量を摂取すれば流石に死ぬけど……とは言わないでおいた。余計な心配はかけない方がいい。


「そう、そうなんだ……良かった……」

「さっきの女官から花の匂いがしました。多分毒を抽出する過程で体に染みついてしまったんだと思います。本人は匂いに慣れたから気付かなかったんだわ……」


 捕まえなくてはと部屋を出ようとしたラクチェアの後ろで、ルチアが短い悲鳴をあげた。


「どうされたんですか、母上」

「わ、私……陛下にもお茶をお出しするようにあの者に言い付けて……」


 それはつまり、ラゼリア王にも毒入りの茶を出す機会を与えてしまったという事。青ざめよろけるルチアの体をノエルが支えた。


「王子! 私行ってきます!」


 部屋を飛び出し、ラクチェアは廊下を駆けた。王の執務室まで全力で急ぐ。


「間に合って……!」


 祈りながら走るラクチェアは、腰に提げた剣にそっと手を掛けた。

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