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姫君への軌跡  作者: 瀬川メル
7章
45/60

45話目:残された者、進む者

 ノエルとラクチェアがラゼリアへ出発した後、残された隊士達は不安に顔を曇らせてどんよりと沈んでいた。


「何だ貴様ら、死にそうな顔しやがって」


 ひとり飄々と酒ビンを片手にゲレオンだけが笑う。そんな空気の読めない彼に、周囲から突き刺さるような鋭い視線が向けられた。


「オッサンは心配じゃないわけ? 王子が今まで副長の事を父親に言わなかったのはさあ、そんだけ難しいからって事じゃん」


 トビアスは全員の心の声を代弁する。他に道は無いと二人を送り出したものの、相手は利益を重視する現実主義の国王。庶民であるラクチェアとの結婚を認めさせるのは非常に困難だ。改めてそう考えれば自然と気持ちが沈んでしまうのも、仕方の無い話ではあった。

 ラクチェアが持つ物は守護隊副長の肩書きと剣の腕のみ。それに政治的価値があるかと問われれば、首を縦に振るのは難しい。


「ふん、ここで案じていてもどうにもならんだろう。暇なら剣の練習でもしたらどうだ。それも嫌なら寝ろ」

「オッサン……」

「俺は不安よりも期待の方がでかい」


 いつものような投げやりな口調でなく、かすかに優しさを含んだ声音でゲレオンは語る。


「あの二人がどんな結末を見せてくれるのか、俺は楽しみなんだよ」


 未だ浮かない表情のカミルとトビアス、二人の頭を乱暴に撫でてふらふらと部屋から出ていこうとする。


「どこ行くんだよ」

「訓練場だ。酔い醒ましに振ってくる」

「……酔ってなんかないんだろ!」


 ばちんと背中を叩かれ、ゲレオンは顔をしかめた。憂いを払って笑顔を作るカミルとトビアス。二人に釣られるように次第に他の隊士達も笑顔になり始める。


「俺も行く。オッサン相手してよ」

「ち、またか」

「じゃあ俺は隊長に相手してもらおーっと」

「え」


 隅の方でひっそりと見守っていたエディルは、急に話を振られて間の抜けた声を出した。振り向いたゲレオンと目が合う。


『俺が言った通り、あいつらは同じ道を歩まなかったろう?』


 そう言われた気がして、無意識に微笑んでいた。


*****


 月明かりだけを頼りに、ラクチェアとノエルは馬を走らせる。マティアスが選んだというだけあって、よく言う事を聞く馬だ。体力もある。


「王子、大丈夫ですか? この峠を抜けたら少し休憩しましょう」


 ノエルの体調を気遣い、声をかける。


「うん、わかった」


 もう少し頑張ってね、と馬に話し掛けるノエルの姿にラクチェアは頬を緩める。そういう所が、ラクチェアを惹きつけて止まないのだ。

 程なくして峠を越えた後、なだらかな道へと出る。そばに小川が流れているのを見つけ、二人はそこで馬を降りた。

 東の空が白み始め、夜明けが近い事を知る。道程も三分の二を越え、ラゼリアまで後少しだ。近付くにつれてラクチェアの緊張感は段々と高まっていく。

 弱気になりそうな自分に気合いを入れる為、冷たい小川の水で顔を洗う。


「ラクチェア」


 濡れたラクチェアの手をノエルが握った。


「お、王子」

「緊張してる……よね」

「あ、あはは……。その、だ、駄目ですね、私。情けなくて……」


 空元気を見せるラクチェアの体を、細いノエルの腕が抱きしめた。お互いの心音が響き合い、重なる。風に当たって冷えた頬が、瞬く間に熱を取り戻していく。


「ごめん、僕がもっと頼りがいのある男だったら、君だって安心出来たろうに」

「そんな! そんな事ないです!」

「……それでも」


 背中に回された腕が、更に強くラクチェアを抱く。


「絶対、絶対父上に認めさせてみせる。誓う。僕は君の手を離さないから」

「ノエル、様……」


 痛いほど強く抱きしめられても、まだ足りない。


「頼りがいがないなんて、嘘ですよ……」


 こつん、と額がぶつかる。チェリークォーツの瞳が近付いて、唇に温もりが触れた。瞼を閉じれば感覚が研ぎ澄まされる。柔らかい感触が以前よりもはっきり感じられ、頭の中がざわざわした。

 唇で唇を挟まれ、くすぐったさに鼻にかかった声が漏れる。


「……ひゃ、」


 濡れた何かが唇に触れ、ラクチェアは思わずノエルから離れた。真っ赤に熟れた頬が更に紅潮する。


「あ、あの、今、今の……」

「う。ご、ごめん。何か……ちょっと……ちょ、調子に乗りました」

「いいい、いえいえ……」


 ぎこちなく他人行儀に言葉を交わした後、気まずい空気が二人を包む。先に口を開いたのはラクチェアだった。


「わ、私、びっくりして。だ、大丈夫なんです。大丈夫。大丈夫、なので……」


 まるで何かに挑むように。ぎゅっと拳を握り、ノエルを真っ直ぐ見据える。


「全部終わったら、またご教示お願いします」


 ノエルの目が点になる。ラクチェアは至って真剣なようで、唇を結んだままじっと返事を待っていた。


「……ラクチェアって」

「な! なんですか!」

「絶対僕の事殺すつもりだよね」

「え? そんな物騒な事は考えていませんけど……」


 キョトンと首を傾げるラクチェアをもう一度強く抱きしめ、ノエルは花のような笑顔を浮かべた。


「全部終わったらね」


 約束を交わし、二人はラゼリアまでの道程を再び走り始めた。

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