45話目:残された者、進む者
ノエルとラクチェアがラゼリアへ出発した後、残された隊士達は不安に顔を曇らせてどんよりと沈んでいた。
「何だ貴様ら、死にそうな顔しやがって」
ひとり飄々と酒ビンを片手にゲレオンだけが笑う。そんな空気の読めない彼に、周囲から突き刺さるような鋭い視線が向けられた。
「オッサンは心配じゃないわけ? 王子が今まで副長の事を父親に言わなかったのはさあ、そんだけ難しいからって事じゃん」
トビアスは全員の心の声を代弁する。他に道は無いと二人を送り出したものの、相手は利益を重視する現実主義の国王。庶民であるラクチェアとの結婚を認めさせるのは非常に困難だ。改めてそう考えれば自然と気持ちが沈んでしまうのも、仕方の無い話ではあった。
ラクチェアが持つ物は守護隊副長の肩書きと剣の腕のみ。それに政治的価値があるかと問われれば、首を縦に振るのは難しい。
「ふん、ここで案じていてもどうにもならんだろう。暇なら剣の練習でもしたらどうだ。それも嫌なら寝ろ」
「オッサン……」
「俺は不安よりも期待の方がでかい」
いつものような投げやりな口調でなく、かすかに優しさを含んだ声音でゲレオンは語る。
「あの二人がどんな結末を見せてくれるのか、俺は楽しみなんだよ」
未だ浮かない表情のカミルとトビアス、二人の頭を乱暴に撫でてふらふらと部屋から出ていこうとする。
「どこ行くんだよ」
「訓練場だ。酔い醒ましに振ってくる」
「……酔ってなんかないんだろ!」
ばちんと背中を叩かれ、ゲレオンは顔をしかめた。憂いを払って笑顔を作るカミルとトビアス。二人に釣られるように次第に他の隊士達も笑顔になり始める。
「俺も行く。オッサン相手してよ」
「ち、またか」
「じゃあ俺は隊長に相手してもらおーっと」
「え」
隅の方でひっそりと見守っていたエディルは、急に話を振られて間の抜けた声を出した。振り向いたゲレオンと目が合う。
『俺が言った通り、あいつらは同じ道を歩まなかったろう?』
そう言われた気がして、無意識に微笑んでいた。
*****
月明かりだけを頼りに、ラクチェアとノエルは馬を走らせる。マティアスが選んだというだけあって、よく言う事を聞く馬だ。体力もある。
「王子、大丈夫ですか? この峠を抜けたら少し休憩しましょう」
ノエルの体調を気遣い、声をかける。
「うん、わかった」
もう少し頑張ってね、と馬に話し掛けるノエルの姿にラクチェアは頬を緩める。そういう所が、ラクチェアを惹きつけて止まないのだ。
程なくして峠を越えた後、なだらかな道へと出る。そばに小川が流れているのを見つけ、二人はそこで馬を降りた。
東の空が白み始め、夜明けが近い事を知る。道程も三分の二を越え、ラゼリアまで後少しだ。近付くにつれてラクチェアの緊張感は段々と高まっていく。
弱気になりそうな自分に気合いを入れる為、冷たい小川の水で顔を洗う。
「ラクチェア」
濡れたラクチェアの手をノエルが握った。
「お、王子」
「緊張してる……よね」
「あ、あはは……。その、だ、駄目ですね、私。情けなくて……」
空元気を見せるラクチェアの体を、細いノエルの腕が抱きしめた。お互いの心音が響き合い、重なる。風に当たって冷えた頬が、瞬く間に熱を取り戻していく。
「ごめん、僕がもっと頼りがいのある男だったら、君だって安心出来たろうに」
「そんな! そんな事ないです!」
「……それでも」
背中に回された腕が、更に強くラクチェアを抱く。
「絶対、絶対父上に認めさせてみせる。誓う。僕は君の手を離さないから」
「ノエル、様……」
痛いほど強く抱きしめられても、まだ足りない。
「頼りがいがないなんて、嘘ですよ……」
こつん、と額がぶつかる。チェリークォーツの瞳が近付いて、唇に温もりが触れた。瞼を閉じれば感覚が研ぎ澄まされる。柔らかい感触が以前よりもはっきり感じられ、頭の中がざわざわした。
唇で唇を挟まれ、くすぐったさに鼻にかかった声が漏れる。
「……ひゃ、」
濡れた何かが唇に触れ、ラクチェアは思わずノエルから離れた。真っ赤に熟れた頬が更に紅潮する。
「あ、あの、今、今の……」
「う。ご、ごめん。何か……ちょっと……ちょ、調子に乗りました」
「いいい、いえいえ……」
ぎこちなく他人行儀に言葉を交わした後、気まずい空気が二人を包む。先に口を開いたのはラクチェアだった。
「わ、私、びっくりして。だ、大丈夫なんです。大丈夫。大丈夫、なので……」
まるで何かに挑むように。ぎゅっと拳を握り、ノエルを真っ直ぐ見据える。
「全部終わったら、またご教示お願いします」
ノエルの目が点になる。ラクチェアは至って真剣なようで、唇を結んだままじっと返事を待っていた。
「……ラクチェアって」
「な! なんですか!」
「絶対僕の事殺すつもりだよね」
「え? そんな物騒な事は考えていませんけど……」
キョトンと首を傾げるラクチェアをもう一度強く抱きしめ、ノエルは花のような笑顔を浮かべた。
「全部終わったらね」
約束を交わし、二人はラゼリアまでの道程を再び走り始めた。




