42話目:貫く強さ
「ノエル殿下、夜分遅くに申し訳ありません」
少し乱暴なノックに、ノエルは扉を開ける。
「何事ですか」
「不審者が城内に侵入したとの報告がありました。警護の者を数名、そばに置いていただけますか」
後ろに控えていた何人かが一歩前へ踏み出す。下級神官は焦っているのか落ち着きがない。
「……カテリーナを呼んでください。部屋の中はそれで十分です。扉の外にいてもらっても構いませんか?」
「いえ、どこから侵入するかわかりませんし……」
「実は夕方から体調が悪くて。人がいると落ち着いて休めない性分で……何かあればカテリーナが声を出すと思います」
食い下がる神官をノエルは笑顔でかわす。彼等を部屋に入れるわけにはいかない。
「……かしこまりました。すぐにカテリーナ殿をお呼びします」
「お願いします」
再び閉じられた扉の向こうに、人の気配が集まる。彼等はセレネディアの嘘だなどと知らされる事もなく、侵入者の存在に神経をぴりぴりさせ、万が一の事態を恐れているのだ。不憫と言えば不憫。
(……僕は情けないなあ。色んな物に縛られて動けなくなって……結局助けられるのを待ってる)
ベッドに腰掛け、己の不甲斐なさにうなだれる。
ラクチェアを盾に取られ、彼女を守る為に軟禁を甘んじて受け入れたのに、そのラクチェアがノエルを助ける為に動くという。
(僕は中途半端だ。……でも)
この状況を打破する為に考えている事がある。それは自分にしか出来ない事で、残された道はそれだけだと思った。
せめて心だけは強くありたい。そう願うノエルの表情は、不思議とラクチェアに似ていた。
*****
城内に入るのは危険。外から回り込み、木を伝ってノエルの部屋まで行くしかない。
(……なんか、前にもこんな事あったな)
以前とは状況がまるで違う。見つかってはいけないという崖っぷちの思考が、終始緊張で体を強張らせる。
思っていたよりも外に人は少なく、それなりに動きやすい状況だった。協力してくれたコーネリアに心の中で感謝する。
ようやく目的地に近付けた時、木の陰から誰かが姿を現した。地につくほどの長いローブは見慣れた物だったが、その手に握った細い剣は、目の前の人物には少々不釣り合い。
「フォルス、様」
剣よりも本の方が似合う、眼鏡の毒舌神官。彼は険しい顔でじっとラクチェアを見つめていた。
「……すみませんね、私は王族に忠誠を誓った身です。貴方をノエル王子に会わせるなと、姫からのご命令なので」
月光に煌めく刃。その切っ先をラクチェアに向ける。
「フォルス様、剣を振るった事なんてないでしょう? それでは私は止められませんよ」
「死ぬ気でやればなんとかなるかもしれませんよ」
冗談のような、本気のような薄く笑った表情。一歩一歩確実に近付いてくるその足取りに迷いは見られなかった。剣は真っ直ぐにラクチェアの胸へと狙いを定めている。
「通していただけませんか、フォルス様」
「無理なお願いはするだけ無駄です。剣を抜きなさい」
フォルスは聞く耳を持たない。神官は王族の為に尽くすのが役割であり、それは絶対だ。ラクチェアとセレネディアを天秤にかければどちらに傾くかはわかりきっている。
けれどラクチェアは剣を抜こうとはしなかった。ただ真っ直ぐにフォルスを見据え、その位置から動こうともしない。
「ラクチェア。状況判断は上に立つ者として的確にしなければいけませんよ。あなたは剣を抜くべきです。……私を斬り捨てる覚悟も無いのなら、ノエル王子と道を共にする事など出来やしない」
空いている左手で眼鏡を掛け直し、フォルスはぐっと剣を前に出す。後一歩、彼が足を進めれば、間違いなく切っ先はラクチェアの体に沈むだろう。
ラクチェアとて余裕なわけではない。緊張も恐怖も感じている。それでも譲れない気持ちが頭の中でチカチカと光り、歯を食いしばって堪えていた。
「私は、フォルス様に剣を向けません」
「何故?」
「私の剣は大切な人を守る為にあるからです」
「……そんなあまっちょろい覚悟で茨の道を歩けますか? 障害は斬って払いなさい。そうでなければ、傷付くのはあなたなんですよ」
眼鏡が邪魔でフォルスの表情はよく見えなかった。暗いせいもある。
嫌味ばかりで、辛辣で、毒舌がデフォルト。なのに不意打ちのように優しくて、ラクチェアはフォルスが心底苦手だった。彼の真意がわからなかったから。
だけど今はなんだかわかるような気がした。
「私は、私が進む道に茨が生い茂っているのなら、その茨を味方につけます。傷付いても、痛くても、苦しくても」
「それが甘いって言ってるんです!」
振り上げられる剣。次の瞬間には、ラクチェア目掛けて振り下ろされていた。ガツッという鈍い音を立て、ラクチェアの剣を納めた鞘がそれを受け止める。
技の心得などカケラもない、ただ力任せの一撃。かわす事は容易だったが、ラクチェアは受け止める事を選んだ。
「……っ、甘い事の、何がいけませんか」
「甘さを捨てなければ、望む場所へは到底辿り着けません。理想は邪魔な荷物にしかならないのですから」
刃と鞘がギチギチと震える。力比べはラクチェアが若干不利。普段書類を相手に仕事をしているフォルスでも、腕力は男性の強さだった。
「ラクチェア。ここで私を黙らせておかなければ、どのみちあなた達に未来はないんですよ……! 現実を見なさい!」
「それでも……」
苦しそうに顔をしかめるラクチェアの瞳は、未だ光を失わない。
「それでも、私は剣を抜きません。抜くべき相手では無いと信じています。フォルス様が私にとっての障害になるというのなら、私はフォルス様を味方につけてみせます」
「な……」
「私の考えは確かに甘いかもしれませんが、理想すら抱けない人間が、どうしてノエル王子の隣に立てますか……!」
理想を大切にする優しいノエルと道を共にするならば、自分も同じように大切にしていきたいと思うから。
「甘さや理想を貫く強さを手に入れて、王子と一緒に歩いていきます!」
鞘に弾かれ、フォルスの剣は宙を舞った。少し後ろに落ちていった唯一の武器を、彼は取ろうとしない。呆れたように肩をすくめ、長く深い溜め息を吐き出しただけだった。
「あなた、斬りかかられて尚私を味方につけるって? どこまでおめでたいんですか」
先程までとは雰囲気が変わり、いつもの嫌味な口調に戻っていた。蔑むような視線を向けるフォルスに、ラクチェアは満面の笑みで返す。
「だってフォルス様、頑張ってと言ってくださったじゃないですか」
あの言葉を信じたまでです、と笑顔のまま続ける。フォルスは口を開け二の句が告げられなくなっていた。
ざわっと風が通り、城内から声が聞こえてきた。二人のやり取りが誰かに気付かれたのかもしれない。
ラクチェアが息を飲み警戒しているのを一瞥した後、フォルスは剣を拾い鞘に納め城内へ続く扉へと歩き出した。
「早く行きなさい。見つかりますよ」
「フォルス様……」
「ほらさっさと。まったくトロい娘ですねえ」
「あ、ありがとうございます」
勢い良く頭を下げ、ラクチェアは闇の中に姿を消していった。それを見送り、フォルスは扉をくぐる。
廊下を歩いてくる神官達がフォルスを見つけ、不安そうな表情で話し掛けた。
「フォルス殿、こちらから物音や声が聞こえたのですが……」
「すみません、見回っていたメイダを不審者と勘違いしてしまって。うっかり斬りかかってしまったんです。ねえ、メイダ?」
話を振られたタイミングで、物陰からメイダがのろのろと姿を現す。緊張感のない笑顔でフォルスの話を肯定すると、神官達はホッとした顔で通り過ぎていった。
「……ちゃんと覚悟してたじゃない、ラクチェア」
「彼女の馬鹿さ加減には驚かされますよ。ラクチェアらしいと言えば、ラクチェアらしいんですが」
フォルスの素直じゃない性格を熟知したメイダは笑う。
「それでも、味方になってあげるんでしょ?」
メイダが自分の一番の理解者であると認識しているフォルスは笑う。
「ええ。あなたも付き合ってくださいね」




