37話目:譲らない二人
「昨夜は怒られてしまいましたね」
そう言ってセレネディアが微笑む。けれど瞳の奥には不穏の光が見え隠れし、彼女の真意を掴みきれない。
テーブルを挟んで向かい合い、腹の内を探り合う。
「セレネディア姫。他愛ない話をする為に来たのではないでしょう?」
ノエルとて同じ。世間話に興じる為に彼女を部屋へ入れたのではない。伝えるべき事をきちりと伝える為。自分と、ラクチェアの為に。
「……殿下。今一度お聞きします。私と結婚してはいただけませんか?」
射るような視線。ノエルはそれを真っ向から受け止め、臆す事なく言い放つ。
「申し訳ありませんが、お断り致します。私は私が想う女性とこの先を歩いていく事を決めました」
「……昨日まで曖昧にかわしていらっしゃいましたのに、随分きっぱりとおっしゃるのですね」
「ラクチェアも、同じ気持ちだと言ってくれましたから。彼女の想いを確かめられたから、私も自分の想いを貫く決心が付きました」
セレネディアの瞳が色を変える。深い闇のうねりを思わせるような暗い光が、苛烈な炎へと。
「そう。そうですか」
ガタリと椅子から立ち上がり、部屋の扉へと身を翻す。
「姫!?」
「ラゼリア王に直接書状を出します」
「な……!」
「聡明と名高い陛下でしたら、私の申し出がラゼリアにとってどれだけ有益な事かおわかりいただけるでしょう。……殿下にご理解いただけなかったのは残念ですけれど」
扉に手をかけるセレネディア。その腕を掴み、ノエルは引き止めようとする。
「貴方と見合いをするはずだったのは私です! 私の言葉では納得できませんか!?」
「私も! 私も引き下がるわけにはいかないのです!」
お互いに引かず、視線がぶつかる。
「……あの、何かございましたか……?」
外で待機していた女官長がそろりと顔を見せる。それを合図にセレネディアはノエルから顔を背け、滑るように扉をくぐった。
「何でもありません。……昨夜神官達に怒られてしまいましたし、殿下を外にはお出ししないように。他の者にも伝えなさい」
「え……ですが……」
「言う通りにしなさい。ラクチェア・フォールズの入城も、引き続き禁じるものと門番に」
長い髪をゆらゆらとなびかせ、セレネディアは振り返らずに歩きながらノエルに告げる。
「殿下。どうかおとなしくなさっていてくださいね。……ラクチェアの事が大切なら」
それは明確な脅迫。ノエルが動けばラクチェアになんらかの手を下される。守護隊を外されるか、国外追放されるか……あるいは肉体的に危害を加えられるか。
「姫!!」
「あ、あの、ノエル王子。落ち着いてください……」
王の元に書状が届けば、抗い虚しく婚礼の準備が進んでしまう。そうなる前に何とかしなければいけない。しかしラクチェアを人質に取られてはどうする事も出来ない。
「申し訳ありません、申し訳ありません。お部屋にお戻りください……!」
女官達が集まり、ノエルを宥めながら部屋の中へと押し戻していく。それを離れた所から見つめる小さな人影があった。ドレスの裾をたくし上げ、駆け足でその場を走り出す。
滑らかな金色の髪が風に揺れた。
*****
訓練場で規則正しく響く声。そのリズムに合わせて上下に振られる剣。
素振りを続ける隊士達の合間を、エディルが縫って歩く。構えに乱れを見つけては低い声で叱り付け、それが直れば無愛想な顔で短く褒めた。
「ずるいよねえ隊長は」
「何が」
「……やっぱカッコイイとか思っちゃうじゃん? 皆さ。あんだけ怒ってたのにさあ」
「そういうのがカリスマってんじゃないの?」
「うわ、カミルっぽくない台詞……ぎゃ!!」
二人の会話に割って入る咳ばらいが聞こえ、同時に頭に衝撃が降る。痺れを伴う激痛に、カミルとトビアスは涙目でうずくまった。
背後でげんこつを作ったままのエディルが呆れたように溜め息をつく。
「無駄口叩くな」
「俺完璧巻き添えじゃないか……!」
「うあああいてえええ」
悶える二人を放置し、エディルはまた歩き出す。その一部始終を眺めていたラクチェアは苦笑いを浮かべた。
「元に戻ったと言えばそうなんだけど……まったくあの二人は……」
けれどそんな光景もラクチェアにとっては胸を満たす宝物であり、再びこの手に取り戻せた事が嬉しかった。ノエルに会えたらその事を伝えたい、そう思ってまた胸を熱くする。
(う。王子じゃないけど……私もだらし無い顔しちゃいそう。駄目駄目。集中集中)
気を引き締め剣の柄を握るのと、訓練場に乱入者の声が響き渡ったのは同時だった。
「お姉様!!」
整えられていただろう髪をボサボサに乱し、愛らしい顔も呼吸の苦しさに歪ませ、半ば転がるように床に膝をつきながら少女はラクチェアを呼んだ。ラゼリアの姫、ノエルの妹であるコーネリア。
「コーネリア姫……!? どうなさったんですか?」
慌てて駆け寄ったラクチェアの手を握り、コーネリアは途切れ途切れに言葉を紡いだ。
「の、ノエ、に、さま……大変、です、の……」
詳細はわからないが、ノエルにとって良くない状況になった事は察するのに難しくない。縋るように力を強める小さな指を握り返し、ラクチェアは唇を噛んだ。




