36話目:望む未来
会えなかったのは少しの間だったのに、随分久しぶりな気がした。
ノエルに手を引かれ奥へ奥へと走っていく。ラクチェアは懐かしくも感じるその後ろ姿を、涙で濡れた瞳で見つめていた。
ふと、ノエルの足が速度を落としゆっくりと立ち止まる。
「ご、ごめん」
「え? はい?」
「うわあああ、ごめん! あ、あ、頭に血がのぼって……ごめん、ごめんね。君の気持ちも確かめないまま無理矢理連れてきちゃって……! わああどうしよう! い、今から戻ろうか?」
「お、王子、落ち着いて」
先程までの鋭い空気はどこへいったのか。オロオロとあわてふためくノエルの様子に、ラクチェアは堪え切れず吹き出した。
「私が隊長と一緒に居たかったと?」
「ち、違う?」
「……あの台詞、かっこよかったんですけどね」
あの台詞、とノエルは首を傾げ、思い出したように赤面した。ラクチェアから視線を逸らし、俯いて足元を見つめる。
「あれは、その。咄嗟に。思わず……」
「ノエル様」
甘く波打つ心臓の音。かつてエディルに感じていたものよりも強く強く溢れる感情。
繋いだままの手をそっと持ち上げ、ラクチェアは胸の前に寄せる。
「私、ノエル様に会えたら……お伝えしたかった事が」
「……うん?」
何て言葉にすればいいか、頭の中をぐるぐると考えが廻ったけれど、結局最後に残ったのはシンプルな言葉で。口下手なのも上司に似たかとおかしくなった。
だからこそ伝わるものもある。
「私は、ノエル様が好きです」
確かに言葉にしたはずなのに、ぼうっとした頭では本当に声になったかどうかもあやふやで、ちゃんと伝わったか不安になった。ラクチェアを見つめたまま表情の変わらないノエルも、不安を煽る要因のひとつ。
(……いや、もしかして……固まって、る?)
「王子? 大丈夫ですか? 息してます?」
ぱたぱたとノエルの目の前で手を振ってみせると、ようやく我にかえったようだった。
繋いでいない方の手をゆるゆると上げ、そっと……自分の頬を抓った。
「お、王子?」
「い、いたた……。うわあ、夢じゃない。現実だ……」
みるみる内に顔が赤く染まっていくノエル。抓ったせいではないだろう。
口許を手で覆い、見開いた目でラクチェアを見つめる。
「うわあ……」
「……あの」
「ちょ、ちょっと待って! 今なんか……凄くだらし無い顔しそう……」
「……っ」
ラクチェアまで釣られて赤くなる。冷たい夜風が頬に心地良い。
「いや、その、もしも好きになってもらえたら嬉しいなって常々思ってはいたんだけど」
「は、はい」
「……予想以上、というか」
繋いだ手をぎゅっと握る。相手の体温が自分の中に溶けていく感覚を、二人は感じていた。
「僕は望んでもいいのかな? 君と一緒に歩いていく事を」
「それは……」
目を細め、ラクチェアは悪戯っぽく微笑んだ。
「そうしてもらわないと、告白した意味がないですから」
不器用で遠回しな言葉。けれどノエルには十分だった。嬉しそうに笑い、片手でラクチェアを抱き寄せる。
緊張して落ち着かない反面、その抱擁にホッと安心していた。ラクチェアも空いている方の手をノエルの背中に回し、力を込める。
「結婚しよう」
「はい」
「絶対に諦めない」
「はい」
「……好きだよ」
「……はい」
ラクチェアの頬に柔らかい温もりが触れる。次いで額、瞼、また頬に。
心臓はこれ以上無い程激しく音を立てていて、壊れてしまうのではないかとラクチェアは思う。
「ノ……」
緊張を声に出して解そうと唇を開いた瞬間、二人に沈黙が訪れる。熱に、感触に、背筋がぞくぞくした。重ねた唇から、全身に熱が回る。
「……っ、ん」
鼻から抜けるような甘い声に、ノエルが勢い良くべりっとラクチェアの体を離した。
「……ノエル、さ、ま?」
「ああああええとごめっ、ごめん! く、苦しかったのかと! い、いや、そうじゃなくて……」
月明かりに照らされ、真っ赤に茹で上がったノエルの顔がよく見える。恐らくラクチェアも同じような顔をしているのだろう。
ここにきてとてつもなく恥ずかしくなり、二人揃って視線を下に落とす。
「も、もう夜も遅いし、か、帰ろうか!」
「そっ、そうですね! ……あ、でも……戻ったら王子はまた……」
セレネディアに阻まれ、会う事も叶わなくなるのではないか。そんな不安が胸中を過ぎる。
「……でも、戻るよ。ちゃんと伝える。僕は君と結婚するって」
強い意志が宿る声。後押しされるように、ラクチェアも顔を上げた。揺らがないノエルの瞳に、自らも奮い立つ。
「……わかりました。もし、王子が自由に動けなくなった時は……」
凛とした表情で。一片の迷いも見せず。
「私が攫いに行きますから」
遠くから声が聞こえ、ラクチェアとノエルはハッとする。
「神官殿かな? 姫と二人で城を無理矢理出てきたから探しに来たみたい」
「フォルス様のお説教はネチネチしていて長いですよ」
「う。……何か嫌だなあ」
一呼吸置いて、どちらからともなくお互いに手を伸ばす。絡めた指に力を込めて、微笑み合った。
「じゃあ、また」
「ええ。また」
するりと解けていく指。その手をまた繋げる事を信じ、ノエルとラクチェアは背を向けて歩き出した。




