33話目:自分に出来る事
覚えているのは優しい眼差しと澄んだ声。温かい手の平。まるでひだまりそのもののような美しい人。彼女があんなにも輝いていたのは、きっと幸せだったからに違いない。
幸せだったのは、愛する人と一緒に居られたから。例えその他の物をすべて捨てても……。
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守護隊の隊舎を囲う森は、規模は小さいがやはり日が落ちた後は明かりもなく人が入れば迷いやすい。見慣れた昼間の姿と違い、月明かりが差し込むだけの薄暗いその景色は少々不気味でもある。
そんな人気の無い木々の間に、ふらりと揺れる人影。規則性も無く歩き回り、時々立ち止まっては辺りを観察し、また歩き出す。しばらくその行為を続けた後、森の中でも一際大きな木の下に腰を下ろした。
灰の髪に漆黒の瞳。長身痩躯の男。それは守護隊隊長であるエディルだった。
「ようやく落ち着いたか」
突然頭上から降って湧いた声に、エディルは咄嗟に距離を取る。腰に携えた剣へ手を伸ばす事も忘れない。
「誰だ」
「ほう、感心感心。女にうつつを抜かして反射的に剣を握る事も忘れていたらどうしようかと思ったよ」
ぱんぱんとやる気の無い拍手を送りながら木の陰から出てきたのは……ゲレオン。その姿を認めたエディルが息を呑む。見開いた目には驚きの色が濃く浮かんでいた。
「ゲレオン、様? 何故ここに……」
「まあなんやかやあって。意地の悪い小娘が俺を守護隊なんて生温い所に縛り付けていやがる」
ここにカミルかトビアスがいたら「その生温い場所が案外満更でもないくせに」と突っ込んでいただろうなと予想してしまう辺り、ゲレオンは彼等の空気に十分馴染んでしまっていた。
「小娘……ラクチェアの事ですか? 一体……」
「ふん、俺の事よりお前の事を話してみろ。……お前、何で同じ事を繰り返した」
木の幹に腕を組んだままもたれ掛かり、ゲレオンはエディルに問う。口調は静か。言葉も荒っぽくはないのに、どこか抵抗を許さない威圧感がある。
ゲレオンの視線はエディルを捉えたまま動かない。
「……俺も、ゲレオン様のように幸せに出来ると思ったんです」
絞り出された声は必死に何かを押し殺しているような苦しげなもの。内に秘めてあるそれが、気を抜けば身勝手に暴れてしまいそうでエディルはぐっと拳を握る。
「アイリーン様はいつも笑っていました。いつも……幸せそうで。それはきっとゲレオン様と一緒に居たからだと」
アイリーン。その名前が出た瞬間、ゲレオンの瞳が一層影を帯びた。
「だからきっと、すべてを捨ててでも二人で居れば幸せに出来ると……幸せになってくれると……。そう思って、彼女を連れ出しました」
「ほう。それで? 結果は? ……聞くまでもないか?」
「……ユニフィスから出て、シェランに身を隠しました。最初は、セレネディア様も笑っていました。けれど段々、笑う事が少なくなって……」
*****
夢にうなされるようになったと、セレネディアは言った。
「毎夜のように私は同じ夢を見ました。……私が逃げ出したせいで民が苦しむ夢、悲しむ夢、それから……民に見放される夢」
夜風に少し当たりませんかとセレネディアに誘われ、ノエルは城の外に行きたいと申し出た。あまり遠くには行かないという条件でセレネディアも首を縦に降り、二人は街までの道を歩いている。
付き人も連れずに外へは出せないと散々反対した門番を王族の権威で黙らせ、飛び出すように城を出てきた。「僕が姫をお守りしますから」とノエルがフォローを入れておいたが、神官達からは後で説教を食らうだろう。その可能性を考えなかったわけでもないだろうが、城では常に誰かが目を光らせていて実の所かなりセレネディアも窮屈な思いをしていたのかもしれない。
「殿下ならおわかりでしょう。我が身にかかる責任の重み。自分の行動が民の運命をも決め兼ねない立場にある事は……ユニフィスを出てからも私を解放してはくれませんでした」
「それで戻っていらしたんですか?」
「……ええ。エディルも納得してくれました」
時折声が震えるのは、未だにエディルへの想いを断ち切れていないからではないかとノエルは考える。それでも女性としてよりも王族としての自分を優先させた。民の為に。
「……ですから殿下」
愛する男と民達を天秤にかけ、選び取ったセレネディア。その覚悟が軽いものであるはずがない。
「私はどうしても殿下と結婚をしなければならないのです。そうでなければ、戻ってきた意味がありません」
まだ幼さを残す顔立ちの中で、瞳だけが強い意志を持ってノエルを見つめていた。
*****
「……それで? お前は何をするつもりだ?」
ゲレオンの問いに、エディルはすぐには答えない。視線を逸らした先に何かを見つけ、唇を引き結ぶ。
「俺は、彼女の為に俺がしてあげられる事をします」
「その為に他人を傷付けても?」
エディルの考えている事はゲレオンには既にお見通しだった。低い声音は、少なからず怒りを覚えているからか。
「彼女を幸せに出来るなら」
そう言って去っていくエディルを、ゲレオンは止めなかった。何を言っても無駄だと諦めたからではない。
エディルが向かった先。そこに待つ小生意気な山猿娘なら、きっとどんな事があっても負けはしないだろうと信じてみたくなったからだ。
「……すっかりガキ共に感化されちまったか」
呆れたようにこぼした呟きは、夜風にさらわれて空へと消えていった。




