30話目:天秤はどちらに
バタバタと騒々しく足音を響かせて神官執務室へと急ぐラクチェアとノエル。夜中だとか、城内だとかそんな事は頭からすっかり弾き出されていた。
執務室の前までたどり着くと、ノックもそこそこに扉を開け中へと転がり込む。
「フォルス様! 姫と隊長は……」
「静かに! 貴方はいちいち声が大きいです!」
中で下級神官達に指示を出していたフォルスは、飛び込んできたラクチェアとノエルに驚き慌てて叱り付けた。
「す……すみません」
「まったく。……では皆、指示通りに」
下級神官達がわらわらと部屋から出ていった後、入れ違いでメイダが執務室に現れた。いつも笑顔でいる彼も、眉間にシワを寄せて苦い表情。一体どこまで事が進んでいるのか、ラクチェアは不安に唇を噛み締める。
「姫はお休みになられたよ。女官長が見てる。何かあったら連絡が入ると思う」
「わかりました。……ありがとう」
息を吐き、フォルスが眼鏡を押し上げる。
「フォルス様……隊長は……」
体中から血の気が引いていく。フォルスとメイダの表情から読み取れる状況は、良くはない。
「今は牢に入れてあります。……上級神官達の中には彼の極刑を望む声も」
「そんな!!」
思わずラクチェアはフォルスに詰め寄る。エディルのした事が重罪だとは理解していた。理解していても、はいそうですかと納得出来るはずがない。
ローブの袖に縋り付くラクチェアの手を、そっとフォルスが握る。
「落ち着きなさい。エディルの剣の腕はそう簡単に手放せるものではありません。今までの功労も考え、温情をという神官達もいます」
「本当ですか……?」
「意見は真っ二つ。おかげで神官達の空気は険悪になっちゃってねえ。結論を急がないと内部分裂が起きそう」
お手上げだよと肩を竦めるメイダの頭を、フォルスが手にしていた書類で叩く。
「そういう事は言わなくていいんですよ。まあ、そういうわけで明日の朝には決定するでしょう。……天秤はあまり良い方には傾いていませんがね」
目の前が真っ白になる感覚。ラクチェアの顔は青く、言葉を発しようとしても空気だけが漏れた。
いなくなる。もう二度と会えなくなる。自分に剣を、生き方を教え与えてくれた恩人。少し不器用な手の平の温もりが、胸に蘇る。
「フォルス様! お願いします。隊長を、エディル隊長を助けてください!」
「フォルス殿。僕……いえ、私からもお願いします。彼のした事の重さを考えれば、罰を与えるのは当然の事でしょう。けれど国にとって有益な人材の首を切ってしまうのは些か早計ではないかと」
ずっと成り行きを見守っていたノエルが口を開いた。ラクチェアの隣に立ち、その肩へ手を乗せる。細く華奢なその手の平が、今のラクチェアにはとても頼もしかった。
「……それはラゼリア国第二王子としてのお言葉と捉えても?」
「お好きに」
「わかりました。明日の神官会議にて他の神官達に伝えます」
ラゼリアの介入を快く思わない重鎮達も、王子という位を持つ人間の言葉を無下には出来ない。友好関係にヒビを入れる事になりかねないとわかっているからだ。ラゼリアは多数の国と繋がりを持ち、関係が崩れればそれらの国とも敵対する事態が懸念される。
ノエルは自分の発言がそれほどの力を持つと知りながら、ラクチェアの味方をした。国交問題に発展してしまえば、その責任を負う事になると知りながら。
「会った事もない男の為にそんな発言しちゃっていいんですか?」
笑顔で問うメイダに、ノエルも笑顔で返す。
「ラクチェアが慕い信じている方を、僕も信じてみたくなりまして」
「王子……」
呆れたように首を振ったフォルスとメイダも、どこか安心した表情をしていた。
「ラクチェア。今夜はもう帰りなさい。貴方に出来る事はありません。王子も……お体を休めてください」
「……はい、わかりました」
まだ不安の残るラクチェアの手を、ノエルが握る。その優しさに涙が滲んだ。
(隊長、また会えますよね……)
窓の外に煌めく星々。その光に祈りながら、ラクチェアは宿舎への帰路についた。




