29話目:星と暗雲
傷付くのが怖くて諦めた。諦めきれなくて狡い考えに囚われた。
手を伸ばす事もせずに得られる物など何もない。それこそがラクチェアの弱さだと、初めて気が付いた。
「あ、あの、ラクチェア?」
ノエルの戸惑う声が耳元で聞こえ、ラクチェアの鼓動が早くなる。
「……えっと」
ノエルは自分の胸に顔を埋めたまま動こうとしないラクチェアを見下ろし、おっかなびっくり腕を背中に回した。それでも動かない事を確認し、少し力を強める。
「……痛いです」
「え、ごめん!」
「嘘です。痛くありません」
慌てて離したノエルが可笑しくて、ラクチェアはくすくすと笑った。
「痛くないので……離さないでください」
「う、うん……?」
抱きしめている感覚。抱きしめられている感覚。体に響く鼓動はラクチェアのものか、ノエルのものか。
「王子。王子のおっしゃった事、わかりました」
「え? 何?」
「世界。キラキラしてます」
望む道は茨が生い茂り容易には進めないだろう。けれど茨に負わされた傷でさえ、きっと立ち向かう強さに変えていける。
二人でなら。
(何もしないで諦めるのはやめた。私は、やっぱりこれからも王子と一緒に居たい。一緒に歩いていきたい)
ノエルに気持ちを伝える事、彼の気持ちに応える事を決意し、ラクチェアは顔を上げる。
見えないけれど、息がかかるほど近くにノエルの顔がある事はわかった。緊張に手が震える。
「……王子。えと、の、ノエル、様」
「わ、はい。な、なな何?」
上擦った声に、ノエルも緊張しているのだと知った。自分だけではないと思うと、少しだけ安心する。
「私、言わなければいけない事が……」
「副長ー!!」
突然聞こえてきた空気を読まない叫び声に、ラクチェアとノエルはたちまち固まってしまった。目を丸くして、息を止める。
「な、なんか、今」
「副長! ラクチェア副長ー! いらっしゃいませんか!?」
ひとりではない。数人の声が聞こえ、そのいずれもがラクチェアの名を叫んでいた。守護隊の隊士達に間違いない。伝統的な祭の場で、ああも大声を張り上げているのだからよほどの事件があったのかもしれない。
(これで何もなかったらどうしてくれよう)
せっかく伝える決心がついたというのに、間の悪い。溜め息をついてラクチェアはノエルから体を離した。
「すみません。何かあったみたいですね。……行きましょう」
「僕も行っていいの?」
「王子をおひとりにするわけにはいきませんから」
ノエルの手を引き、ラクチェアは表通りへと歩き出す。
「ね、さっきの嬉しかった」
「はい?」
「名前呼んでくれたでしょ?」
王子、ではなく、ノエル様と。意識してそう呼んだのだが、改めて言われると恥ずかしくなってくる。
「あ、あれは……」
「また呼んで」
ノエルが嬉しそうに声を弾ませるから、ラクチェアは嫌と言えなくなってしまった。何回か唸るような声を上げた後、小さな声でぽつりと返す。
「二人だけの時に」
後ろで歓声が上がり、ラクチェアは耳まで真っ赤になった。明かりが無くて良かったとひとり胸を撫で下ろす。
なんとか通りに出ると、目の前を誰かが走っていった。だいぶ慣れてきた目で背中を追いかけ、慌てて声をかける。
「トビアス! ここよ!」
彼の金髪は暗闇でも目に留まる。ラクチェアの声に足を止めると、体を反転させ戻ってきた。
「良かった、副長。祭に行ったってコーネリアから聞いて……ってうわぁ。なんかお洒落してます? あ、可愛いドレス」
「トビアス……っ! それはいいから!」
「あ、ああ、すみません」
げんこつを落としそうな勢いで詰め寄ると、おしゃべりな少年は乾いた笑いでごまかした。
キョロキョロと辺りを見回し、ラクチェアの耳元に口を寄せる。
「先程神官様から連絡が入ったんですが」
「神官様から?」
何故だか知らないが、どきりと胸が鳴った。落ち着かない、ざわざわと掻き乱すような感覚が訪れる。
ラクチェアは唇を引き結び、トビアスの次の言葉を待った。
「エディル隊長とセレネディア姫がお戻りになられたそうです」




