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姫君への軌跡  作者: 瀬川メル
4章
28/60

28話目:胸に降りた宵の星

 息を切らせて飛び込んだのは明かりの届かない路地裏。壁に背を預け、ラクチェアは苦しさに顔をしかめた。

 祭の雰囲気に流されたと言い訳すれば恋人のまね事くらい許される。そんな自分勝手な思いを無意識に抱いていた自分が恥ずかしくて、涙が滲んだ。

 そもそもノエルの気持ちに応えられないと頑なに拒み続けたのは自分なのに。


(最低だ……。狡い、卑怯だ)


 唇を噛み、俯いて足元を見つめた。このまま暗闇に閉じ込められてしまえばいいのにと、ひたすら自分を責める。


「ら、ラクチェア。見つけた……」


 ぜえぜえと乱れた呼吸が聞こえ、人影が路地裏に入り込んでくる。その声にラクチェアは驚いて固まった。


「王子!? お、追いかけていらしたんですか!?」

「だって、……はぁ。様子が変だったし、何かあったのかなって。心配で」


 いつだって優しいノエル。その優しさが今のラクチェアには痛い。

 近寄ろうと足を進めるノエルの気配に、反射的に距離を取った。あからさまな避け方に、ノエルがぴたりと止まる。


「ラクチェア?」

「こ……っ、来ないでください!」


 震える声でラクチェアは拒絶の言葉を吐く。瞳に浮かべた涙は次第に量を増し、とうとう溢れて頬を伝った。


「わ、私、最低なんです。弱くて狡くて……自分勝手で……」

「……ラクチェア」

「心配なんか、しないでください……。私には、王子に心配される資格も無い……」


 泣きながらラクチェアはうなだれる。ふいに、その手をノエルが握った。

 表通りから漏れる僅かな明かりが二人の顔を照らす。


「誰かに心配される事に資格がいるなんて初めて聞いた」

「王子……」

「あのね。きっと人間て皆弱くて狡いんだよ」


 ラクチェアの頬を濡らしていた涙を、ノエルの指が拭う。その温もりが胸を切なくさせ、余計に涙が溢れた。


「別に、おかしい事じゃないんだよ。僕だってそうだもの。でも、立ち止まってもまた走れるのも人間だ」

「え……」

「自分の弱さを認めて強くなっていけるんだよ。そういう生き物なんだ、人間って」


 涙で歪んだ視界でも、ノエルの笑顔は不思議とはっきり見えた。優しくて、穏やかで、強い笑顔。


「だからそんな風に自分を嫌わなくていいんだよ、ラクチェア」


 手を引かれ、ノエルの腕の中に収まる。泣きながら抱きしめられるのは三回目だとぼんやり考えていた。

 嫌わなくていい。そう言われて嘘のように胸の痛みは消えていく。


(……好き)


 心の奥底に残った気持ちはノエルを好きだと思う恋心。叶わないと、許されないとわかっていても無くす事が出来ない。彼と時間を重ねる度に想いは強くなっていく。

 この気持ちを止められない事がラクチェアの弱さなら、強くなる為にはどうしたらいいのだろう。


「落ち着いた?」

「……はい。すみませんでした」

「ううん。君が心の中を打ち明けて、ぶつけてくれるのは嬉しい」

「そう、なんですか?」


 ノエルはいつも真っ直ぐにラクチェアを見る。真っ直ぐにラクチェアを想っている。それがラクチェアには不思議で堪らなかった。


「……王子は……どうして……」

「ん?」

「その……私と結婚したいだなんて、おっしゃるのです、か? み、認められないと初めからわかっていたのでしょう?」


 ずっと聞きたかった事。ノエルは頭の良い人間なのに、何故叶わぬと知っていながらラクチェアに結婚を申し込んだのか。

 ノエルはキョトンと首を少し傾げ、それからあっけらかんと笑顔で答えた。


「だってそれはやってみないとわからないし」

「な!?」

「難しいのはわかってるけど……案外あっさり解決するかもしれないよね」


 楽観的とも思えるその言い分に、ラクチェアは言葉を無くす。


「最初から何もしないで諦めるのだけは嫌だと思ったんだ」

「……!」


 何もしないで諦める。それはラクチェアの事ではないだろうか。

 どうせ認められない、どうせ叶わない、それなら最初から手を伸ばさなければいいのだと。そうすれば、ラクチェアは傷付かずにいられる。


(あ……私……!)

「でも、前は自分らしい生き方をする事も諦めてたんだ。どうせ無理だって」


 ノエルの声が静かに響く。


「君がね、僕の夢を笑わないで聞いてくれて……素敵だって言ってくれたから」

「わた、し?」

「うん! だから諦めないで頑張ろうって思ったんだ。そしたら世界がまるで違って見えた」


 ラクチェアの心の奥底で音がした。閉ざされていた扉が開く音。鍵は必要なかった。扉は既に開いていたのだから。ドアノブを握る勇気があれば、いつでも開く事が出来た。

 勇気をくれる人は、ずっと前から傍にいた。


「キラキラしてね、凄く綺麗だったんだ」


 街の明かりがすべて消えた瞬間、ラクチェアはノエルの体を抱きしめていた。

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