25話目:『兄王子』と『弟王子の付き人』
送らせるよ、というマティアスの気遣いを丁重に断り、ラクチェアはひとりで宿舎への道を歩いていた。ゆっくり、考えてみたかったのだ。マティアスに言われた事を。
(つまり、多分……私がノエル王子と……その、結婚する事に賛成って、意味……よね)
けれど本当にそれがノエルの幸せになるのだろうか? ラクチェアと結婚する事によって辛い思いをするかもしれない。いくらマティアスやコーネリアが好意的に見てくれていても、周りの人間は快く思わないだろう。
王族の血筋に、どこの馬の骨とも知れない小娘が加わる事を。
(……もし、それでもいいって、王子が言ってくれたなら、私は……)
ぎゅうと胸の前で手を握り、夜空を見上げる。煌めく星が今にも降ってきそうに思えた。
(王子は、私の事……どのくらい好きでいてくれてるんだろう……)
そっと目を閉じる。瞼の裏には星の光りが今もまだ瞬いていた。
*****
「マティアス様」
ラクチェアがいなくなった中庭でぼんやりと月を眺めていたマティアスに、背後から声が掛かる。
「カテリーナ。……いつから?」
「……まあ、割と最初の方から」
寝間着にショールを羽織った姿で現れたカテリーナに、マティアスは微笑む。
「君が言った通り、ラクチェアはいい子だね」
「でしょう? あの二人はお似合いだと思うんです」
お互いに向かい合い、後数歩で触れる事が出来る位置で、足を止める。
笑っていたカテリーナの顔が、ふいに曇った。
「やっぱり気にしてたんですね。ノエル様に見合いを押し付ける形になってしまった事」
マティアスがカテリーナを選んだ事を後悔しているのではないかと、不安げに瞳を揺らがせる。
「……カテリーナ。私は、後悔だけはしていないんだ。君を選んだ事、選べた事は私にとって最高の幸せだから」
マティアスはカテリーナに向かって手を差し延べる。その手に指を伸ばし、そっと手の平を乗せた。
「ノエルにも、幸せな道を選び取ってもらいたい」
「本当に弟の事が大好きですね。心配でユニフィスまで様子を見に来るなんて、過保護ですよ」
「……まさか本当にノエルの為だけに来たと思ってる?」
驚いた顔のマティアスと目が合い、カテリーナは首を傾げる。
「違うんですか?」
本気で問う彼女に、マティアスは苦笑を零す。
「ノエルの為もあるけど、それは二番目。一番の目的は……君に会う事だったんだけどな」
手を引き寄せられ、マティアスとカテリーナの距離が近くなる。背中に回された腕は優しく、けれどカテリーナを逃がさないようにしっかりと捕まえていた。
珍しくも、カテリーナの頬が朱く染まる。
「ノエルがここに滞在すればする程、君に会えない日が続く」
「だ……っ、だからマメに手紙を送ってるじゃないですか!」
「毎回報告書のような内容の手紙を寄越されても寂しいだけなんだけど」
「し、仕方ないでしょう!? 他に何を書けば……」
息がかかる程近くに顔を寄せられ、カテリーナは逃げようと腕の中でもがく。そんな行為も愛しそうに眺めながら、マティアスはカテリーナの髪を撫でるように梳いた。
「たまには私への愛を書き綴っても、罰は当たらないと思うよ」
「無理です! そんなの書けるわけない……」
最後まで言い終わらない内に、マティアスがカテリーナの唇を奪う。ほんの少しの間の事でも、カテリーナには永遠のように感じられた。
名残惜しげに唇を離し、マティアスの瞳が熱を帯びる。
「そうだな。文よりも……愛の言葉なら直接君の口から聞いた方がいい」
ダメだこの人相変わらず質が悪い……そんな風に思いながら、カテリーナは諦めたようにマティアスの胸に顔を埋めた。
*****
翌朝、挨拶もそこそこにマティアスはユニフィスを発っていった。遠ざかる馬車を見送りながら、ノエルは溜め息をついた。
傍にいたラクチェアがそれに気付く。
「寂しいですか?」
「ううん、結局何の為に来たのか最後まで教えられなかったなあって……。ちょっと怖くて」
恐らくノエルを心配して来たのだろうとラクチェアは思ったが、約束通り自分の気持ちを他言しなかったマティアスへの誠実さを示し、口をつぐんだ。マティアスがノエルに内緒にした事なら、言うべきではない。
「素敵なお兄様でしたね」
ラクチェアがそう言うと、ノエルは嬉しそうに、誇らしげに満面の笑みで頷いた。その笑顔に、ラクチェアの心を覆う雲が晴れていく。答えが出るのはもうすぐだと、予感めいたものを感じていた。




